バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

京都弾丸日帰り、一人仕入れツアー  午後編(やまくまと今河織物)

2017.04 14

仕事を終え、東京へ帰ろうと、京都駅の新幹線ホームに立っていると、ひっきりなしに上り列車が到着する。席が埋まっていたので、乗らずに一本見送っても、10分も待てば次の列車が来る。京都は、のぞみ、ひかり、こだまと全ての列車が止まるので、帰る時間に頓着しなければ、自由席でも大抵座れる。

いかに太平洋ベルト地帯を走る、日本の大動脈とはいえ、10分間隔で新幹線を走らせるとは、今更ながらに驚く。利用者にとっては、大変便利で有難いが、それにしても過密なダイヤである。鉄道も、人口が集中する地域では、沢山の列車を走らせ、サービスの限りを尽くすが、過疎地となると、とたんに冷たい仕打ちをする。人口減少に伴う、交通手段の地域格差も、年々社会問題化している。

 

全国に広がった新幹線網により、日帰りできる地域は、格段に増えた。函館や金沢、広島あたりまでは、朝早く東京を出て、日中現地で仕事をし、その日のうちに戻ることが出来る。もちろん飛行機を使えば、沖縄でも北海道でも、主要都市ならば全国どこでも可能であろう。

その上、ITの出現により、出張そのものも少なくなった。わざわざ遠方に赴き、現地の人に会ったり、品物を見ることは、よほどのことに限られる。大抵が、メールのやり取りで話が進み、品物は画像で送られる。取引は、会社のパソコンの上で、簡単に済んでしまう。

つまり、相手の顔や、現場の姿をリアルに見ることが少なくなったのだ。「相対」で取引するからこそ、人となりもわかり、情も湧く。そして、現場でどんな仕事をしているかも、よく理解出来る。

「遠路はるばる来て頂いて、すみませんでした。」「いや、こちらこそ、お会いできて良かったです。」以前なら、どんな仕事でも、お互いを慮る気持ちがなければ、何も始まらないと考えられていた。だが、便利な道具が出来たばかりに、効率だけが優先され、人間本来の繋がりの大切さには、目が向かなくなる。

 

モノ作りの現場を歩くからこそ、判ることがある。それはどんな素材で、どんな作り方をしているか、だけではない。作り手の心づもり、品物に寄せる思いと言い換えても良いが、これを、直接聞くことが出来る。

人の手で生み出す一つ一つの品物には、作り手それぞれの感情があるはずだ。これを理解することで、本当の姿が見えてくる。やはりきちんと相対しなければ、正しい認識が持てず、愛着も湧かない。自分の店に、置く品物であれば、当然なすべきことであり、これを怠ることは出来ない。

今日は、前回の続きとして、京都一人仕入れの後半・午後編を、お話しよう。どんな作り手と向き合ったのか、ご紹介したい。

 

仕入れで選んだ品物が、店に届いた。主に織屋を歩いたので、帯が多い。

今回予め、やまくまさんに依頼していた品物がある。それは、黒地の振袖用の帯で、メーカーも梅垣織物と指定している。さらに、30代の方が淡い色の無地・付下げに合わせて使う濃地の袋帯。価格が指定され、模様は、有職文と決まっている。

このように、事前に目的とする品物を伝えることも、よくある。やまくまさんは、西陣のほとんどのメーカーと取引があるので、連絡をしておけば、きちんと品物を探しておいてくれる。こんな時には、彼女が一人で仕事をしているフットワークの軽さが、重宝する。

北区・紫竹にあるやまくまさんの自宅兼仕事場。屋号を染め抜いた暖簾が掛かる。

今回は、振袖用の帯を二本買い入れると決めていた。最初から、梅垣の黒地、紫紘の白地とはっきり目途を立てておけば、スムーズにモノ選びが進む。限られた時間の中で、良いモノを見つける一つの手段でもある。上の画像に見える黒地と白地の帯が、仕入れた品物。

 

西陣の西のはずれ、花街・上七軒の近くにある今河織物。帯を良く知っている方には、「木屋太」というブランドで、お馴染みかと思う。

山田さんの案内で、今日二軒目の織屋・今河織物さんへ向かう。やまくまさんの仕事場・紫竹からだと、大きな堀川通りを下がり、今出川の交差点を西に行けば、西陣に行き当たる。京都の大通りならば、だいたいどの辺りなのか見当がつくが、何しろ彼女は生粋の西陣生まれなので、車一台がやっと通れるような細い路地を、次々と抜ける。ぐるぐる走っているので、私には一体どのあたりなのか、さっぱりわからない。

山田さんは、この織屋の場所を、「上七軒の近くですぅ~」と話してくれたが、上七軒(かみひちけん)というのは、京都でも指折りの花街。地名は、室町期、西陣の西側・北野天満宮のそばに、七軒の茶店が軒を並べていたことに由来する。

 

北野天満宮は、名前でわかるように菅原道真を祭る神社。受験生にとっては、有難い学問の神様として知られている。また、他の天満宮と同様に、道真公にちなんで梅の名所でもある。創建は、947(天暦元)年と古いが、1444(文安元)年に、天満宮が独占していた麹の製造販売権を巡る騒動の中で、焼失している。

これを豊臣秀吉が再建し、1587(天正15)年には、天満宮で大茶会が開かれている。七軒の茶店が出来たのも、この頃である。そして、江戸期になると茶店は、お茶屋となり、芸妓や舞妓が行き交う花街となった。距離の近さからも、西陣と上七軒の縁は深く、景気が良かった時代には、織屋の旦那衆の社交場であった。

路地を巡って五辻通に出て、そのまま西へ進んだ七本松通との角に、今河織物さんがあった。七本松通を少し下がると、上七軒の交差点で、これを右に入ると、お茶屋さんが軒を並べる真盛町(しんせいちょう)。この通りを抜けると、北野天満宮の門前。

 

入り口には柿茶色の暖簾が掛かる。この織屋のブランド名・木屋太の文字が見える。山田さんの案内で、中に入る。通りには、観光客がそぞろ歩いているが、この暖簾をくぐることは出来ない。外国人は、不思議そうな顔で、入り口に立つ私を見ている。

呉服屋であれば、木屋太という帯のブランド名を聞けば、すぐにピンとくるはず。滑らかな手触りで、シワになり難く、図案は個性的。大島や結城に合わせる「洒落帯」の代表格として、知られている。店ばかりでなく、カジュアルモノに精通したお客様にも、馴染みが深い。もちろん私も、木屋太帯を扱ったことがある。

ただ、品物は知っていても、実際の織屋を訪ねるのは初めてである。以前扱った木屋太の帯は、ほとんどが「しゃれ袋」という袋帯だったので、最近はほとんど仕入れることがなかった。やはり、カジュアル帯の主体は、八寸か九寸の名古屋帯で、二重太鼓の袋帯は勧め難いと考えていたからだ。

 

「若いご夫婦が、新しい感覚で模様や配色を考え、一所懸命モノ作りをしてはりますよ」と、山田さんが話す。私は、現代の感覚をどのように融合して、木屋太洒落帯のイメージを発展させているのか、楽しみだった。

カジュアルな姿で迎えてくれた今河ご夫妻。畏まった姿で応対されるより、よほど好感が持てる。いかにも、新しい感覚で帯を考える若い「クリエーター」の日常そのもの。

早速、中で品物を見せて頂く。図案の面白い名古屋帯をリクエストすると、次々に斬新な品物が出てくる。コプトや古いインド裂にヒントを得た、デザイン化した唐花文や、象・鹿などの動物文、中には十字架を図案化したものもある。

そして、配色が素晴らしい。午前中に見た捨松の色使いとは、また違う。捨松のような大胆さではなく、少し優しくて、都会的なセンスが感じられる。従来から木屋太が持っている、柔らかな帯の質感を生かした図案と色だ。どの品物にも、洗練された若さが感じられるところが、また良い。

 

色の系統別に並ぶ織糸の棚。下のダンボールの中の布は全て、これまで木屋太ブランドとして織ってきた帯の見本裂・メザシ。大きなダンボールの中に、目いっぱい詰め込まれている。これだけでも1000柄はあるだろう。

出して頂いた品物の中から、5本ほど選んでみる。沢山買い入れたいのはヤマヤマだが、バイク呉服屋の資金は青天井ではないので、一本だけに絞る。そして、ペルシャの絣をモチーフに取り、優しいクリームと若草色を配した経錦の八寸帯に決める。5000本もの経糸を使っているだけに、滑るような手触り。この質感は、木屋太独特のものだ。大胆さの中に品もあり、薄地系の紬や小紋に合わせると、良さそうだ。

一通り品物を見た後、小物も作っているというので、それも見せて頂く。出てきたのは、帯〆と帯揚げ。これが、今まであまり無かったビビッドな色ばかりで、一目で気に入ってしまった。どれも鮮烈な色なのだが、野暮ではなく、キリッとしている。そして二色使いの帯揚げも、色の組み合わせがあか抜けている。

最初の画像で、四色のゆるぎ帯〆と帯揚げが見えるが、これが今河さんの品物。そのうちコーディネートの稿で、お目にかけたい。ご主人から、この色は、奥様が考えたものだと聞く。鮮やかだが、決して洋服感覚の色ではなく、どれもご主人の考案するモダンな帯には、ピタリと収まる。清々しい若い二人の感性が、見事にリンクしている。

 

最初は、寡黙だったご主人も、品物を提示するに従い、話に熱を帯びてくる。彼が書いたブログの中に、「デザインの感覚は、他人の評価に捉われず、自分の感性に近いものでなければならない」とある。また、「イメージすることに、進歩の可能性が秘められている」とも話す。

1912(大正元)年に創業した老舗織屋の後継者として、技術を受け継ぎながらも、自分の感性を信じてモノ作りに励む姿が滲み出ている。西陣にはこんな情熱を持った若い人が、まだいる。またいつか必ず、お会いしたくなるご夫婦だった。

今河織物さんのHPは、http://kiyata.jugemu.jp/  ご主人のブログもあるので、ぜひ訪ねて頂きたい。なお、4月5日のブログに書かれている「今日会った小売屋さん」とは、バイク呉服屋のことだ。

さて、この後、西陣から室町へ戻って、紫紘の新作発表会へ向かうのだが、すでに今日の稿が長くなっているので、この続きは、次回で。

 

例えば、図案の中の、たった一輪の花の色でも、作り手の感性が凝縮されています。一つの色に至るまでには、作り手が、現在、あるいは過去に経験した全てのことが、要素になっていて、それが行き着いた結果として、生まれたものだと思うのです。

桜の色一つにしても、見る人それぞれに印象が違います。なぜ違うのか。もちろん、場所や天候が変われば、受け取り方も変わりますが、もう一つ、見る人の心の有り様が、大きく影響するからではないでしょうか。

 

今日ご紹介した今河織物さんは、大変伝統のある織屋さんですが、若いご主人は、先駆者の仕事を踏まえつつも、自分の感性に従って、新たなモノ作りを始めています。それは、周囲に流されることなく、ひたすら自分を信じること。そこに、強い意志が無ければ、前には進みません。

現場を踏めば、作り手の息遣いが自然に聞こえてきます。そして、相手の気持ちを知れば知るほど、品物への思い入れが深まり、愛着も湧いてきます。このように、人と人が品物を間にして、きちんと向き合うことは、作り手だけでなく、お客様との間でも、同様です。やはり、呉服屋の仕事は、効率だけで図ることが出来ませんね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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