どこのお役所でも、前例のない仕事は、あまりやりたがらない。これは、新たに取り組むことへのリスクを避け、問題を起こさず、なるべく平穏無事に過したいという、お役人特有の「事なかれ主義」がもたらすものであろう。
これが、利益を追求する民間企業ならば、社会の動きや流行に応じて、仕事の方法を変えて行かなければ、生き残ってはいけない。社員が、「前にやったことがないことは、自分には出来ません」などと言っていたら、即窓際に追いやられる。
役所が先人の事例(先例)に縛られているのは、何も今に始まったことではなく、長い歴史がある。平安期は、貴族や公家を中心した、いわゆる摂関政治の時代。その中で、10世紀初頭の藤原忠平の政治改革・延喜の治あたりから、過去の例を重要視し、それに基づいて物事が決められるようになった。
先例として参考にしたのは、主に、日本で初めて「関白」の地位に就いた、忠平の父・藤原基経(もとつね)や藤原氏中興の祖である・藤原冬継(ふゆつぐ)が統治していた時代の手法である。
これは、政治的な法令や制度ばかりではなく、宮中での儀礼やその時々の服装、そして季節ごとの習慣として開かれる年中行事に至るまで、先人の轍を踏むことが、基本にされたのである。
この、「過去の事例」に関わる知識が「有職(ゆうそく)」であり、それを基として行動(施策を行うこと)の根拠とすることが「故実」となった。先例に詳しい者は「有職者(ゆうそくしゃ)」と呼ばれ、重要な政策を実行する時に、大きな役割を果たした。この時代の権力者・藤原忠平は、有職者の先駆けであり、有職故実に基づく記録が、「貞信公記」という日記の形で残されている。
現在、政府諮問会議の委員として委嘱を受けている大学教授などは、ある事象について非常に知識を持った者、「有識者(ゆうしきしゃ)」という名前で呼ばれることが多いが、これは平安期の「有職者(ゆうそくしゃ)」が転じたものである。
そして、先例に基づくモノの考え方は、法令や制度ばかりではなく、日常生活の中にも、「習慣」という形で根付く。「同じ方法を踏襲する」という日本人の意識は、長い時間をかけて醸成されたものなのである。
先ほど、貴族や公家の衣装や調度も、先例を重んじる=有職に従って決められたと述べたが、ここで使われた織物こそが有職織物であり、その文様が有職文様であった。
平安中期から、公家・貴族の礼服として着用された束帯の表着・袍(ほう)は、独特の文様を織り出した綾や錦が使われ、その色や文様は、位階により厳密な区分けがあった。それは、後まで固定化して受け継がれ、まさに先例を踏襲する有職文となったのである。
今日は、そんな伝統を受け継ぐ有職文様のなかでも、もっともポピュラーな輪違文、皆様に良く知られた名前で言えば、七宝文様について、お話してみたい。今年最初の、「にっぽんの色と文様」として取り上げるのにふさわしい、おめでたい文様である。
(橙色 大七宝文様 袋帯・梅垣織物)
有職文様が生まれた背景には、遣唐使の廃止(894・寛平6年)を一つの契機として、日本の文化が唐様(中国から伝来したもの)から、独自の和様に変化したことと大きく関わりがある。
中でも、上流階級が着用する装束の変化は、国風化を象徴するものであった。それは、唐を真似た衣装から、男子は束帯に、女子は十二単へと変わったことである。
この衣服に使われた織物の色は、いずれも単色であり、着重ねることにより、色を表現した。これが、「襲色目(かさねいろめ)」である。貴族男性の日常着・直衣(のおし)やその下に付ける袿(うちぎ)などは、表地と裏地に異なる色を用い、表裏を重ねて見えた色が、その衣装を表す色となった。また、女性装束の十二単は、幾重にも袿を重ね着した衣装だが、袖口や褄から覗く何色もの襲は、究極の襲色目と言えよう。
この色の合わせと共に重要視されたのが、生地に織り出される文様である。ここで表現された文様は、幾何学的なものが多く、一つの織地の上では、同じ文様が何度も繰り返して付けられた。モチーフとして使われたのは、正倉院に伝わる文様のような、異国的なものではなく、身近にあるものを図案化・抽象化している。これが、現在まで有職文様として認識されているものなのである。
有職文には、幾何学的な菱文や立涌文、襷文などや、植物や鳥からヒントを得た小葵(こあおい)文、藤の丸文、蝶の丸文、鸚鵡の丸文、雲鶴(うんかく)文などがある。だがその中でも、もっともポピュラーな有職文として位置付けられているのが、七宝(しっぽう)文なのだ。
七宝文は、そのおめでたい名前が故に、今もキモノや帯の文様として、様々な場面で使われる。上の画像のような振袖に使う袋帯の図案となったり、少しモダンな小紋の意匠にも使われたりする。フォーマルでもカジュアルでも、頻繁にモチーフとなる珍しい幾何学文である。そして、単独で使われたり、模様を構成するものの一つとしても使われたりするような、大変使い勝手の良い文様でもある。
帯に織り出されている七宝文様を、拡大したところ。
この文様の元来の名前は、「花輪違い」。構成されている文様の形を見ると、同じ半径の円の円周が4分の1ずつ切り取られていて、中に花菱のような唐花が置かれている。
このように、四つの輪が交錯している形は、以前から四方襷(しほうたすき)とか、十方(じっぽう)と呼ばれていたものだが、この文様に七宝という名前が付いた由来は、「四方」あるいは「十方」が転訛したものである。ご存知の通り、「七宝」とは仏教のおける七種の貴重な宝のことであり、その縁起の良さにちなんで、この呼び名になったのであろう。
だから、七宝文様と本来のお宝・七宝(金・銀・瑠璃・瑪瑙・珊瑚・玻璃・シャコ)とは何の関わりも無く、いわば「おめでたさを連想して」、便宜的に付けられた名前なのだ。
(黒地 七宝繋ぎ文様 型小紋・千切屋治兵衛)
前の袋帯に表現されていた七宝文様は、中に唐花を入れた「花輪違い文」だが、この小紋のように、花がない単純なものは、「輪違い文」となる。
円を四つ切り取った形は、真ん中が太く両端が細い円柱形で、これを紡錘(ぼうすい)形と呼んでいる。紡錘とは、糸を紡ぐ道具の一つで、スピンドルと呼ばれるもの。
四つの紡錘形を結び合わせたものを、一つの単位とし、この小紋のように連続させた文様が、「七宝繋ぎ文様」となる。
この小紋は黒地で、四つの紡錘形は黄・緑・青・ピンクと、それぞれ違う色が配されている。そのため、見ようによっては、七宝文というよりも、四枚の葉を連続させた図案のようにも映る。模様を眺めていると、何とも不思議な感覚になる文様である。
この七宝繋ぎ文に関しては、正倉院に所蔵されている夾纈の薄絹にも、ほぼ同じようなものがあり、一部の有職文の源流は、すでに平安時代以前から形成されていたものと、理解出来る。また、逆に平安期以降のモチーフでも、有職文として認識されているものがあり、いずれにせよこの文様群が、現在に至る「日本文様の原型」と意識されていることは、間違いない。
(薄鶸色 七宝に宝尽し 型友禅付下げ・菱一)
輪違い文は、「七宝」の名前が付いているだけに、宝尽し文様と併用されるか、あるいは七宝文そのものが、宝尽し文の範疇として、位置づけられることも多い。
宝として認識されているものには、金や銀などの七つの玉、いわゆる七宝の他に、宝輪や宝瓶、蓮花まど、仏教で吉祥とされる法具「八宝」があり、さらに丁子や方勝などの「雑八宝」もある。そして打出の小槌や分銅、隠れ蓑や隠れ笠などは、日本固有のお宝である。
キモノや帯に、「宝尽し文」として表現されているモチーフは、八宝や雑八宝と和製宝物が混在している。なお、輪違い文=七宝は雑八宝の一つでもある。
幾つかの七宝文を繋いだ中に、様々なお宝が見えるが、宝巻や分銅、打出の小槌、隠れ笠、隠れ蓑など和製宝物が多い。そして、小さな七宝文も、お宝構成員の一つとして加わっている。まさにこの宝尽し模様の付下げの中心は、七宝であり、それが模様を割り付ける役目と、模様を構成する役目の両方を果たしていることがわかる。
輪繋ぎ七宝は、宝物としての実態はないものの、宝尽し文の中では、欠かすことは出来ない存在になっている。輪繋ぎはその形状から、円を繋ぐもの=縁を繋ぐものとされてきた。その意味でも、吉祥文の一つと言えるだろう。
宝尽し文は、室町期から意匠として定着し、江戸期になると、大奥女性の夏の正装、腰巻の模様として用いられることが多かった。また、明治時代以降になると、仏教伝説や、説話などに基づく恭しいモチーフに代わり、庶民に身近な縁起物、例えば熊手とか、福笹、お多福などをあしらった、いわば「庶民の宝尽し文」のようなものも、登場する。
なお、宝尽し文における和製宝物に関して、詳しくお話した稿(2014.11.11・「このおめでたい道具は何だ」)があるので、興味のある方は、ぜひそちらもお読み頂きたい。
最後に、今日ご紹介した七宝文の品物を、もう一度ご覧頂こう。
フォーマルにも、カジュアルにも図案として使われる七宝文は、文様の「オールラウンド・プレイヤー」である。おそらく、皆様がお持ちの品物の中にも、一つや二つは、その姿を見ることが出来ると思う。
有職文としての伝統を持ち、宝の象徴でもある、不思議な形の輪繋ぎ文は、これからも日本を代表する文様として、多くの品物にあしらわれていくことだろう。「四方が転じて、七宝となる」。こんな語呂合わせのような名前の付け方で、文様の存在価値が高まっていることが、何とも面白い。
バイク呉服屋は、七宝文様を見ると、忌まわしい算数のテストを思い出します。円を切り刻んだり、重ねたりした図形、まさに「輪繋ぎ文様」のようなものが提示され、その一部の面積を求めさせるような問題が、よく出されました。
もちろん、算数、特に幾何が大の苦手だった私には、解けるはずもなく、輪繋ぎ図形を目にした瞬間、テストは投了となりました。まさに七宝図形は、秒殺図形なのです。
今でも、七宝の面積は解けませんが、七宝文様のキモノは解(ほど)いて、洗張り職人に回すことが出来ます。同じ「解」でも、大違いですが、呉服屋ならば、これで十分かと思います。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。