バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

気取らない、夏のおうちキモノ(前編)  ウールポーラ・毛絹混紡

2021.07 11

皆様は家でくつろいでいる時、どんな格好をしているだろうか。一緒にいるのは妻や子どもなのだから、特段気を遣う必要は何もない。それでも親しき仲の礼儀として、見ていて「目を背けるような姿」は厳に慎むべきであろう。だから夏とはいえ、最低でも、Tシャツに短パンくらいは身に付けておられる方が、ほとんどと思われる。

けれどもバイク呉服屋は、暑くなると面倒で、服らしきものを着たくなくなる。無論全裸という訳ではないが、シャツとパンツ(トランクス)の下着だけで、よく家の中をうろついていた。三人いた娘たちも、物心ついた時から、そんな父親の姿しか見ていないので、服を着ていないことに、何の疑問も持たなかった。もちろん私も、「恥ずかしい」などという意識は、欠片もない。慣れとは、実に恐ろしい。

それでも、こんな半裸状態で庭の水やりをすることや、宅急便の受け取りに出ることは、くれぐれもしないようにと、家内からは常に注意を受けていた。家族の間では良いが、他人には失礼に当たるという訳だ。若い頃、よく人からは、「女性に囲まれている家庭で、羨ましい」などと言われていたが、実態は、パプアニューギニアの高地に棲む「裸族」が、一人だけ家の中に紛れ込んでいるような状態だった。

 

さて夏のキモノにも、かつて「ホームウェア」とも呼べるような、気取らない「家キモノ」があった。昭和の時代は、浴衣を寝間着として使っていたが、それとは別の全くの日常着である。これは、カジュアル着と言っても、外に出かけるキモノではなく、自分の家の中だけで着用するもので、昔はこのキモノを着て、炊事洗濯を始めとする家事をこなしていた。

今、キモノ姿で日常の生活を送っているのは、本当に限られた方だけだろう。だがこうした「家キモノ」で使う品物は、扱いが楽なことはもちろん、価格も廉価で気取りは無い。そして、夏に向く素材もある。

そこで今日から二回に分けて、「気取らない夏のおうちキモノ」を、ご紹介することにしよう。今回は、すでに絶滅危惧商品となっている「昭和に大流行した」品物。もし今こんなキモノを持っていれば、ふた昔前の日常を再現出来るかも知れない。

 

サマーウール着尺。別名はウールポーラ。毛65%・絹35%の混紡品。

女性が日常着として、家庭でキモノを着用していたのは、おそらく昭和40年代(1974・昭和49年)までであろう。これは男は外で働き、女は家を守るという、社会の慣習がまだ生きていた時代の話。夫婦共稼ぎは当たり前となり、親と同居しない家庭が増えて、核家族化が進む。それと共に「主婦」は消え、日中家に誰もいなくなった。

女性が日常の中で着用するキモノは、まさしく仕事着であり、そうである限り、簡単に手入れが出来たり、廉価であることは、当然のこと。この条件をクリアし、圧倒的に支持されていた日常着が、ウールだった。

生地がしっかりしていて、裏を付けずに仕立をする。そして汚れたら、ドライクリーニングに出すだけで良く、人によっては自分で洗い、アイロンをかけて使い回していた。価格も、最も流行していた昭和30~40年代では、数千円だったはず。主婦でも、気軽に誂えられる品物であった。

 

キモノ用ウールの製造は、終戦後に、岐阜県・羽島市のメーカーが考案して始まった。岐阜県の東部は、古くから織物生産が盛んで、平安初期の延喜式に、醍醐天皇への供物として「美濃絹」の記載があり、また江戸中期には、京都・北野天満宮付近で起こった火災の罹災者が、木曽川流域へ移住し、新たに織物の製造を始めたと伝えられている歴史がある。

この羽島ウールを皮切りに、群馬の桐生や伊勢崎、そして西陣でも生産されるようになる。特に西陣のウールは、従来のお召製織の技術を生かし、絹との混紡糸を用いた「シルクウール」を開発するなど、着心地に優れた良質な品物を生み出した。

 

もちろん戦前にも、日常に使う毛100%のキモノがあったが、それが、「セル」とか「モスリン」と呼ばれていた品物。セルは、2インチ以上の長い羊毛繊維を削って短い繊維を除去し、これを直線状に引き延ばした上で、平行に揃えて紡ぎ出した「梳毛(そもう)糸」を用い、平織したもの。梳毛糸は、繊維が平行に配列されるので、毛羽が少なく細い糸に仕上がる。

またモスリンの別名は、メリンス。この名前の方が、多くの方に馴染みがあると思うが、これも梳毛糸を用いた織物。薄く柔軟に織り上がるため、よく襦袢地として使われた。今も僅かながら、このメリンス襦袢の生産はあるようだ。

夏に用いられるサマーウール・ウールポーラは、そんな戦前のセルやモスリンと同様の「梳毛糸」を使って織られた、薄地の平織品である。織目が粗いために、風を通しやすく、生地感もさらりとしていて、着心地が良い。では、どんな品物か画像を通して、品物をご覧頂くことにしよう。

 

(亜麻色地 菱形三段引き下げ絣 ウールポーラ)

サマーウールの別名は、ウールポーラ、あるいは単にポーラと呼ぶことも多い。では何故、この生地を「ポーラ」と呼ぶのか。少し調べてみたところ、次のようなことが判った。このポーラ生地の特徴は、使っている素材糸・梳毛糸を用いて平織にすると、糸と糸の間にすき間が生まれること。この、すき間=小さな穴が開いている材料を、「多孔質(たこうしつ)材料」と呼ぶが、これを英語にすると、「porous(ポラス)」になる。このポラスが変化して、「ポーラ」となったのである。

小さな穴が沢山開いた夏用のウール生地・ポーラは、英国の紳士服メーカー・エリソン社の登録商標となっているが、生地の別名として、一般に「フレスコ」という名称でも知られている。果たしてエリソン社は、自社の商標が、日本のキモノ生地名になっていると判っているのだろうか。

生地を近接して、拡大して写してみた。確かに表面に「小さな穴」が沢山開いており、まさに「porous・多孔性素材」である。考えてみれば、サマーウールをポーラと命名した人の見識は、なかなかのものだ。

この無数のすき間が、生地に通気性を与え、着心地の良さを演出する。梳毛糸に強く撚りをかけ、さらに二本より合わせて太糸を作って平織する。そうすると、上のようなポーラ生地が出来上がる。張りとこしを強く感じる生地で、ざわざわとした触り心地。それは、シワになり難い性質も持つ。

このポーラの絣模様は、三つの四角い柄を引き下げた形。これを三つ重ねて菱形にしたものと、少し間隔をあけて引き下げた模様を、二つ並べている。こうしたブロック状の絣は、初期の琉球絣によく見られ、「フシ・グアー(星文様)」とも言われる。この引き下げ絣を琉球名で言えば、「ミ・ダヌー・ヒチサギ―(三段引き下げ)」となる。

 

(生成色地 多色小十字絣 ウールポーラ)

穴が開き、風を通す生地ではあるが、さすがに麻ほどの軽さと涼やかさは無い。やはり素材が毛なので、これは仕方があるまい。ただこのポーラは、三分の一が絹で、三分の二が毛の混紡。これは、材質で経糸と緯糸を分けて織ったものではなく、絹糸と梳毛糸をミックスして撚ったものを使っており、それが毛100%のものとは異なる、少し滑らかなシャリ感を感じさせている。

小さな星・フシグアーのような絣が、赤・黄・緑・青の四色で付いている。反物の中の絣位置は、真ん中から少し右寄りで、いわゆる七対三の配置。こうした模様は、衿と衽に無地と絣模様のどちらを出すかによって、キモノ姿が変わってくる。普通は衿に無地、衽に模様が出るように仕立てるが、その逆も出来る。

一般には、地味な柄行きが多いポーラなのだが、これはカラフルな星絣が可愛い品物。先も述べたが、夏モノと言えども毛織物だけに、時として少し暑さを感じることがある。おそらく、冷房のよく効いた室内で着用すると、丁度良いのではないだろうか。着用時期は、大体5月中旬から9月下旬頃と思われるが、いわゆる「おうちキモノ」なので、着る人それぞれの都合で、気候や体感温度に合わせて、いつ着用しても構わない。

 

(二点ともイカット手織 木綿名古屋帯・貴久樹)

最後に、ポーラで過ごすおうちでの日常では、どのような帯で楽しめば良いか、考えてみた。そこでご紹介するのが、上の画像に見える素朴な木綿の絣帯。

この帯は、「イカット」と呼ばれているインドネシアの絣織。この言葉の語源は、括る・縛る・結ぶ。糸を模様に従って括り、防染した上で糸染めをする。そしてこの糸を経糸に整経してから、手で織り成していく。まさにイカットとは、絣織のことである。

絣織は中央アジアからインド、東南アジア、中国、日本、さらには南米諸国にも存在しているが、中心はインドネシア地域であり、そのためイカットという言葉は、世界共通語として「絣織」のことを指す。経絣・緯絣・経緯絣の三種類があるが、その多くが経絣であり、糸の材質はほぼ木綿。インドネシア全域とフィリピンで製織されている。

イカットの模様は、インドネシアの地方各々により独自性があり、個性的。それは、長く孤立していた部族の閉鎖性と、それぞれが持っていた特殊な土着信仰が大きな要因となり、地域ごとの特徴的な文様が生まれたと考えられている。

絣のモチーフは、人と深いつながりを持ち、神話や伝説の中にも登場する、いわゆる「霊獣」となっている動物や鳥が多い。それは地域によっても、対象物に違いが見られ、鹿・馬・牛・羊はインドや東南アジアに多く、獅子やライオンはペルシャ、鸚鵡はアンデス、孔雀はビザンティンなどに分かれる。あしらわれるその絣図案は、各々の宗教や生活慣習などから、大きく影響を受けている。

 

この二点のイカット木綿帯の絣も、図案として相対する動物は、鹿にも馬にも、そしてまた得体の知れない鳥のようにも見える。

キモノはウール、帯は木綿。どちらも、絣で模様を織り出している。無地場が多いポーラだけに、こんな個性的な帯を合せると、おうちキモノが一段と楽しくなる。そして、家仕事をする時はぜひ、白い割烹着かキッチンコートを羽織って欲しい。そうすれば、まさにそれは「昭和の日常」となる。

ウールポーラもイカット綿絣帯も、3万円前後と求めやすい。外でキモノを楽しみ難い今、こんな気取らない「おうちキモノ」にも、目を向けて頂きたい。ただし、ポーラ(桃山民藝ポーラ絣)の生産はほぼ止まりかけているので、すでに希少品となっている。次回はこの続きとして、綿麻混紡の品物をご紹介する予定。

 

考えてみれば、オイルショック以降の日本では、昼の間、誰かが家にいることは、ほとんど無かったように思います。それが今回のコロナ禍における「リモートワーク」の増加により、多くの方が、好むと好まざるとに関わらず、「おうち生活」を余儀なくされました。それは、「昼間でも誰かが家にいる日常の復活」とも言えましょう。

おそらくコロナが収束しても、毎日必ずオフィスに通勤するような、以前の働き方に戻ることはないでしょう。とすれば、上半身が画面に写るオンライン会議の時を除けば、家仕事の時に何を着用しようが、自由になります。

となると、もしかしたら「やり手のキャリアウーマン」が、おうちキモノでお仕事ということも、あり得るかも知れません。私は、日常の気取りのないキモノにこそ、和装の原点があるような気がします。だって昔は、みんなキモノで働くのが、当たり前だったのですから。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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