バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

初夏の京都を彩る、賀茂神社のモダンなハート文様・葵文様

2020.06 02

ここにきてようやく、取引先の染屋や帯メーカーから、売り出しや展示会の案内状が届くようになった。各社ともこれまでは、緊急事態の発令を受けて営業活動を自粛していたが、先頃解除されたので、今月からやっと普段の商売に戻るようだ。

通常、呉服関係の織屋や染問屋では、月の初旬に一斉に展示会や新作発表会を開く。日程はだいたい2~3日。京都と東京双方に事業所がある店では、第一週に京都、次週が東京での開催となる。この業界では、半年先を見越してメーカーが品物を制作するので、今は、秋冬モノの新作を小売店に向けて発表する時期に当たる。

けれども今年は、3月以降ほとんど営業活動が止まっている。作り手の問屋もだが、売り手の小売屋もほとんど仕事をしていない。大手の百貨店でさえ、すべての売り場での営業を再開したのは、先週のことだ。そしてこの先、不要不急の商品・呉服の需要が回復することは、そう簡単ではあるまい。だから、作り手が声を発したとしても、今、売り手が仕入れを起こすことはかなり難しい。

だが売れなければ、メーカーは商品を作らない。きちんとした品物は、染でも織でも、多くの職人が関わる分業で成り立つ。だから発注が無ければ、職人の手が空いてしまう。これまで何年も需要の減退が続き、ただでさえ作り手が減っていたが、今回の事態が、「良質な品物の息の根を止める」ことになりはしないかと、かなり危惧される。

 

ただこの厳しい状態は、どんな業界も同じだろう。そして旅行業や飲食業は、もっと事態が切迫している。例えば、このところのインバウンド需要の高まりや、東京オリンピックを当て込んで、設備投資を済ませてしまったホテルや店などは、それこそ大変だ。

その中で京都は、ここ数年海外からの観光客が押し寄せ、宿泊場所が圧倒的に足りていなかった。我々のように仕事で京都へ行く者さえ、出張で泊まる宿の確保には苦労する。最近バイク呉服屋の京都仕入れも、桜や紅葉の季節はほとんど日帰りだった。それがこのウイルス禍により、海外からの旅行者は全く無く、移動制限が掛かったことで、国内の観光客もいない。さらには、長年京都の観光需要を下支えしてきた「修学旅行」の生徒たちも、消えている。本当に、誰もいなくなったのである。

 

ただ、京都の取引先あたりからは、今、京都の町が「昔のしっとりした古都の風情に戻っている」との声も聞く。このところ、あまりに急激に観光客が増え過ぎ、地域住民の生活には様々な障害が起こっていた。いわゆるオーバーツーリズム・観光公害である。

住民の足である市バスは、いつも観光客で混雑して乗ることが出来なかったり、市民の台所・錦市場などは、完全に海外からの旅行者に占拠されていた。そして、一部の旅行者はマナーも悪く、迷惑行為に及ぶことも少なくなかったようだ。

また昨今では、室町あたりの由緒ある町家が次々と壊され、海外資本の手によるホテル建設をはじめ、様々な開発が進んでいたが、今回の事態は図らずも、こうした計画を見直す契機になるだろう。観光都市としての宿命を持つ京都が、市民生活と共存できる「観光の質」をどのように上げていくか、立ち止まって考える良い機会になると思う。

さて、その京都の初夏を彩る時代絵巻と言えば、毎年5月に行われる「葵祭」であろう。今年は中止になってしまったが、今日はこの祭りの主役・葵の文様をテーマに話を進めることにしよう。

 

葵文様だけをあしらった染モノ。小紋(菱一)・付下げ(トキワ商事)

京都の三大祭は、5月の葵祭・7月の祇園祭・10月の時代祭。

平安神宮の創建と遷都千年を記念して始まった時代祭は、1895(明治28)年からと、最も新しい。千年の時を彩った衣裳を時代ごとに身にまとい、市民が街を練り歩くこの祭は、住民を主人公とした市民祭の色合いが濃い。

祇園祭は八坂神社の祭礼だが、元々は朝廷が執り行った東寺真言寺院・神泉苑での御霊会を起源とする。始まりは863(貞観5)年。この9世紀当時、都では様々な疫病が流行して多数の死者が出ており、御霊会で病没者の霊を慰めるとともに、疫病の終息が祈念された。それが室町期になって、商人の自治組織・町衆が出来ると、町ごとに鉾を作って町を練り歩くようになる。これが今に続く山鉾巡行の始まりで、祭のハイライトとなっているのは、ご存じの通り。鉾を製作し引き回すのは、室町に軒を構える商人であることから、この祭の主人公は町衆・庶民と言えるだろう。ということで、今も多くの室町の呉服問屋が、祇園祭の期間中には休業してしまう。

 

では葵祭は、どのような色合いの祭礼か。それは貴族的な、または朝廷や天皇が主体的に関わる祭りと、位置付けることが出来よう。

葵祭の正式名は、賀茂祭。その名前で判るように、京都市中の北に位置する二つの賀茂神社のお祭りである。上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)の例大祭は、567(欽明天皇28)年に、天皇が五穀豊穣と国家安寧を祈願したことで始まる。その後、819(弘化10)年には、律令により朝廷の公式行事となり、祭は国の重要な祭祀に準ぜられた。

このことを証明するように、今も葵祭における重要な儀式・社頭の儀では、天皇の勅使・宮内庁の掌典職(宮中の祭祀を司る職員)が、二つの賀茂社に祭文を奏上している。祭は、この儀式と共に、御所から両神社までの道を行列する路頭の儀を執り行う。

平安から鎌倉にかけての中世期、この賀茂神社と伊勢神宮には、神に仕える女性・斎宮が皇室から送り込まれた。そこで現代の路頭の儀では、一般女性の中から齊宮(齊宮代)を選び、腰型(およよ)と呼ぶ神輿に載せて、行列に組み込んでいる。このように、勅使と斎王が祭の主体者であることから、葵祭は時代祭や祇園祭と性格が違い、最も貴族的で伝統に則った祭礼と言えるのである。

この二つの賀茂神社(上賀茂社と下鴨社)の祭りを葵祭とした理由は、神社の社紋が、「二葉葵(ふたばあおい)」という葵をモチーフにした紋章だったから。そして今も、祭りのハイライト・路頭の儀では、御所内裏の至る所や、齊宮を載せる腰型、御所車、勅使や侍者の衣や冠、さらに車を曳く牛馬に至るまで全てが葵の花で飾られている。

 

(鼠色地 葵文様 小紋・菱一)

アオイ科の植物は、約1500種類もあり、芙蓉やハイビスカスもその中の一つ。色鮮やかで、美しい花を咲かせるものが多い。私はアオイと言えば、道端で夏の到来を告げる花・タチアオイを思い出す。

二葉葵は、地上を這った茎からヒゲのような根を出し、ここから茎を伸ばした先に二枚の葉を付ける。この葉形が特徴のあるハート型で、それゆえに図案としても面白く、意匠としても使いやすいデザインになっている。

ハート形の葉を三つ連ねた葵文様。独特の蔓を持つこの植物を使うと、自然と動きのある図案になる。その意味では、鉄線文と似た雰囲気を持っている。

向きを変えて、茎と葉と花を曲げながら輪形に表現する。自由にアレンジが出来るモチーフなので、他の花を添えずに、単独であしらわれることの多い植物文様の一つ。この小紋も、葵だけで十分に図案として成立している。

 

(乳脂色地 葵文様 京友禅付下げ・トキワ商事)

珍しい葵だけのシンプルな付下げ。茎を伸ばし、模様に広がりを出す。二つに分かれた茎の先端にそれぞれ葉を付けた、典型的な二葉葵の姿を描く

葵だけと言っても、この付下げにはあしらいの工夫が見える。葉の中に亀甲文や七宝文を描き、模様としてアクセントを付ける。付下げなので、着姿で目立つ上前の衽と身頃には、図案の存在感が必要になる。一つのモチーフだけで品物を創ると、どうしても平板になり、場合によっては間の抜けた図案になりかねない。だから、有職文など別の文様を組み込んだり、配色を工夫したりして、アレンジを尽くすことになる。

着姿の中心・上前衽と身頃を繋ぐ二葉葵。葉の何枚かには、挿し色の入った亀甲、菱、青海波文様が見える。他の葵葉には、ほとんど色の気配が見えないが、それぞれ個性があり、のびやかな蔓の特徴も生かされていて、流れのある模様に仕上がっている。

仕立上がった葵模様だけの付下げ。上前だけでなく、後身頃にも茎を伸ばしたハート型の葵があしらわれている。こうして誂えてみると、シンプルさと個性が上手く並立しているように思う。この品物は、結婚が決まった若いお嬢さんに求めて頂いたが、帯次第で長く使うことの出来る意匠であろう。

 

 

平安紋鑑に掲載されている二つの賀茂神社紋。画像の上が別雷神社(上賀茂神社)紋、下が御祖神社(下鴨神社)紋。どちらも二葉葵だが、紋帳をよく見ると、蕾を持つ茎と葉の向きに、僅かな違いが見られる。いずれにしてもこの神社紋が、葵文様の基本になっていると理解出来よう。

こちらは葵紋をアレンジした徳川家の「三つ葉葵紋」。二葉葵は植物の形状に沿った図案だが、この三つ葉葵は、架空の図案。元々三河の武士たちの多くが賀茂神社を信仰していて、葵紋を使っていたが、この紋は三枚の葵の葉先を一か所に集め、それを円形に収めた図案になっている。

この三つ葉葵紋は、元々徳川家家臣の本多家、あるいは酒井家の紋所だったものを交換したとか、以前から松平家では使っていたなどと諸説あるが、判然としない。だがこの三つ葉葵紋のおかげで、江戸時代に葵はご禁制となり、文様として一般に使われることは無かった。

 

毎年5月15日に行われる葵祭。京都に夏の到来を告げる風物詩であり、その意味でも葵文様は、初夏を代表する植物文と言えよう。モダンなハート葉と、蔓を伸ばした繋がりのある図案は、明治以降にあしらわれるようになった、新しい文様でもある。

ご紹介した小紋や付下げのように、時には単独で使ったり、また他の草花文と一緒に使うこともある。由緒ある神社紋ながらも、「洋っぽさ」もあるデザイン。葵文は、重厚な歴史と現代的な雰囲気を兼ね備えた、面白い文様と言えるだろう。

最後に、そんな葵だけの品物をもう一度ご覧頂いて、稿を終えよう。

 

5月の葵祭に続き7月の祇園祭も、密集を避けるために、祭のハイライト・山鉾巡行などが中止になってしまいました。

御霊会が始まった9世紀の貞観年間は、疫病の流行もありましたが、大災害が頻発した時代でもありました。864(貞観6)年に富士山が大噴火し、翌865(貞観7)年には、東北太平洋沖で大地震が発生。東日本大震災と同じクラスの津波が、東北沿岸を襲いました。さらに、868(貞観10)年と871(仁和3)年には、東南海・南海トラフを震源とする地震が起き、阿蘇山や鳥海山も噴火しています。

決して皆様を脅かすつもりはありませんが、私には、1100年も前の日本と現在が、酷似しているように思えてなりません。近頃、毎日のように全国で起きている地震も、大変気に掛かります。自然災害も疫病も、その歴史から学ぶことは多いはず。今は、災害への備えを怠らないように、十分に心したいものです。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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