バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

10月のコーディネート  華燭の典を彩る、加賀黒留袖と金引箔帯

2019.10 30

国立社会保障・人口問題研究所では、5年ごとに夫婦の結婚過程を調査している。直近の2015(平成27)年の調査によると、初婚夫婦の平均出会い年齢は、夫が26.3歳、妻が24.8歳。平均交際期間は4.3年で、結婚年齢は、男子が30.7歳、女子が29.1歳である。

これが、1987(昭和62)年の調査で見ると、出会い年齢は、夫25.7歳、妻22.7歳で、交際期間は2.54年。結婚年齢は男子28.2歳、女子25.3歳。

現在、結婚した夫婦が25歳までに出会う割合は、夫46.3%・妻53.8%。30年前に比べて、出会う年齢が約2年遅れ、さらに交際期間が1.8年長くなっている。これが、初婚年齢を上昇させ、晩婚化している大きな要因となっている。

そして、結婚が恋愛か見合いかだが、戦前には7割を占めていた見合い婚が、戦後徐々に減り続け、60年代末には、恋愛婚と見合い婚の比率が逆転。現在、見合いでの結婚は、僅か5.5%に過ぎない。こうした資料からも、昭和から平成にわたる30年で、すっかり結婚事情が様変わりしたことが判る。

 

では時代を遡って、江戸の世では、どのように人と人を結婚に結びつけていたのか。ご承知の通りこの時代は、士農工商と厳格に身分を区切った階級制度があり、身分違いの結婚は許されていなかった。そして、町人同士であっても、家柄や資産内容が重要視され、分の違う相手との結婚は難しかった。

結婚にあたっては、依頼を受けた仲人が、男女それぞれの家の格を見極めながら、マッチングをするが、こうした「結婚仲介」を業としている者のことを、「肝煎(きもいり)屋」と呼ぶ。肝煎屋は、元来人の世話をする者で、相手との間を取り持つ役割を意味し、江戸の職制の一つでもあったが、男女を繋ぐ役割、すなわち家を繋ぐ役割として、この名前が付いたと思われる。

肝煎屋は、結婚が成立すると両家から成約料として、結納金の1割程度を報酬として受け取っていたらしいが、これは現在数多く存在する「結婚仲介業者」と、何ら業態に変わりはない。

この肝煎屋こそが、のちに「仲人」として、結婚式を仕切る役割果たすのだが、明治以降は年々形骸化し、多くの式では、当日にだけ「仲人役」となる「媒酌人」を立てることが慣例化する。そして平成以降では、その媒酌人すらすっかりいなくなってしまった。現在、仲人あるいは媒酌人が列席する式は稀で、関東圏では約1%前後に止まっている。

 

媒酌人の妻は、新郎新婦の母親や親族と同じように、結婚披露宴では、黒留袖を着用しなければならず、会社の上司や学校の恩師など、媒酌人依頼の多い家では、必ず用意すべき品物であった。こう考えてみると、約30年前には、各々の家にとって黒留袖はどうしても必要なアイテムであり、また媒酌人からの需要も多かった。値の張る品物が多かった黒留袖は、昔の呉服屋にとって、商いの大きな柱だったのである。

だが、媒酌人の存在は消え、その上結婚式・披露宴そのものが簡素になり、今では昔の形式に捉われる意識はほぼ消えている。そして、黒留袖の需要は無くなり、たとえ着用するのであっても、レンタルで済ますことがほとんどになった。

かくして、呉服屋の商いから黒留袖は姿を消しつつあるが、品物はまだ作り続けられている。そこで今日は、希少になりつつある良質な黒留袖を御紹介し、これこそ「華燭の典」に相応しい姿と言えるような、コーディネートを考えてみたい。

 

(松皮菱に四季花模様 加賀友禅黒留袖・扇面に桜楓散し模様 金引箔手織袋帯)

今、手直しの依頼として最も多いものが振袖だが、黒留袖の仕事もかなりある。すでに「ママ振袖」は一般化しているが、「ママ黒留袖」の需要も多い。黒留袖を着用する母親は、50歳代が中心だが、この世代では、自分の品物を持っている人は少ない。だが、この上の代の母親達、凡そ70~80代以上になると、誂えた方が多い。

50代の母親が結婚した30年前では、まだ結婚は「家と家を繋ぐ儀式」という意味合いが強かったので、母親だけではなく、列席する親族も揃って黒留袖を着用することが多かった。だから、自分の子どもの式に限らず、着用する機会の多い留袖がどうしても必要だったのだ。

当時でも「貸衣装」で済ます人はいたものの、家として「最も晴れやかな席で装う特別な品物」と考え、誂える方が多かったように思う。ということで、多くの家の箪笥には、前世代の母親が着用した黒留袖が残っている。

 

着用の場が決まっている黒留袖は、着る回数が数えられる。だから、手持ちの品物があれば、使わない手はない。前に着用してから20年、30年と経とうが、手を入れさえすれば、使うことは十分に可能である。母親が使ったキモノを、娘が受け継いで、自分の子どもの式に使う。これは、振袖同様に、代を繋ぎ思いを繋ぐこととなる。

だからこそ、第一礼装に着用する品物は、長く使い続けることが前提となり、その結果、他の品物以上に質が求められるように思う。では、次世代にも繋がる品物とは何か、早速ご紹介しよう。

 

(松皮菱に松・梅・菊模様 加賀友禅 黒留袖・白坂幸蔵)

昨今の極端な需要減を考えれば、黒留袖は最も仕入を躊躇するアイテムだが、呉服屋として暖簾を下げている限り、在庫を持たない訳にもいかない。何時売れるのか全く目途は立たないが、店に置くとすれば、やはりいつの時代でも色褪せることのない、良質な品物であることが条件になる。これは今年の春、数年ぶりで仕入れた黒留袖。

松皮菱だけを図案の輪郭に使い、中に松と梅、菊を繊細に描いたもの。いかにも加賀友禅らしい品の良さだが、構図は斬新である。最近は、製作数が少なくなり、ありきたりな意匠ばかりの留袖の中で、これは、作者の模様へのこだわりが、作品に表れている品物かと思う。

幾何学文の中でも、菱文ほど多種多様な姿で表現される文様は無いだろう。菱形は、左右斜めの平行線を交差させて生まれるが、キモノや帯の意匠の中では、その形を繋げたり割ったりし、さらに他の文様を組み込んだりして、変化させている。この形態は千差万別であり、数に限りがない。

この留袖に用いられている菱形は、松皮菱。これは、松の皮を剝がした姿に形容が似ていることで、この名前が付いた。品物の意匠を見ると、松皮菱の中に松、梅、菊を埋め込み、それぞれの図案も松皮菱で繋いでいる。そして、裾模様全体を見ても、上前から後身頃にかけて、菱形となるように構成されている。

後身頃の図案。松皮菱を重ねて横に連ね、松と梅の菱文を二つ、菊と大松葉を一つずつ配している。間を埋める菱の中にも、小さな七宝文と亀甲花菱文が入っている。

梅・松皮菱を拡大したところ。枝を丸めて、「梅の丸」のように表現している。柔らかな枝ぶりや、一枚ずつ違う大小の梅花を見ると、丁寧に引かれた模様の輪郭・糸目がよく判る。また、不揃いな花の蘂や、挿し色、そして色ぼかしには、いかにも加賀友禅らしい繊細な仕事が見て取れる。

松・松皮菱を拡大したところ。定型化した松文様だが、幹は色挿しを工夫し、所々苔がむしたように見える。松葉一つ一つにも、手描きならではの不揃い感と、手挿しならではの各々の色目の違いがよく表れている。

大菊・松皮菱を拡大したところ。菱形の中に目一杯あしらわれた大輪の白菊。こうして拡大してみると、白とグレーのグラデーションが見事で、日本画を見ているようだ。花芯の挿し色・蛍光的なパロットグリーンが目を惹く。

大松葉・松皮菱を拡大したところ。先ほどの松文と異なり、松皮菱の輪郭を利用して、思い切り松葉だけを大きく描いている。赤く挿した新芽の色で、図案にアクセントを付けている。

裾模様全体を写してみた。着姿の中心・上前衽と前身頃の松皮菱は大きく、後身頃は小さい。こうして、位置により模様に強弱が付いていることで、平板な着姿にはならない。カクカクとした松皮菱だが、その図案の特徴からくっきりと模様が浮かび上がり、個性的な装いとなる。

作者・白坂幸蔵(しらさかこうぞう)氏は、1943(昭和18)年生まれ。昭和34年に毎田仁郎氏に師事して、友禅の道に入った。1978(昭和53)年4月に加賀染振興会が発行した最初の落款登録名簿には、すでにその名前が見える。2010(平成22)年、加賀染技術保存会会員となり、現在は重鎮の一人。

白坂幸蔵氏の落款は、草書体の「幸」。下には、「幸蔵」の印も見える。

さて、斬新な松皮菱の構図に繊細な加賀友禅の技法を組み入れた、特徴のあるこの黒留袖には、どのような帯を使うと良いのか。時代を経ても変わることのない、スタンダードな第一礼装の姿となるように考えてみよう。

 

(本金引箔 扇面に桜楓散し模様 手織袋帯・紫紘)

黒留袖に合わせる帯を考える時、地色は金か銀、あるいは白系が基本になるだろう。中でも金地の帯は、黒を引き立たせ、着姿を恭しくさせる効果がある。だが、金地なら何でも良いという訳でなく、やはり金の質にこだわる必要がある。

以前にもお話したが、帯に織り込まれる金糸には、和紙に金箔を押して作る本金箔糸と、テトロンフィルムに銀やアルミを蒸着させ、そこに金色を着色した蒸着糸がある。もちろん、本金箔を使った糸は、費用も手間もかかるが、蒸着糸には無い金本来の深みと輝きがあり、やはり織り上がった姿は違ってくる。

この扇面模様の帯は、本金箔糸を使い、手で織り上げたもの。光沢のある輝きを放つ姿が、画像からも判るように思う。

扇の中には、光琳椿と桜。そして有職文の亀甲と立枠に花菱が入る。周囲に桜の花びらと楓の葉を散らし、雅な扇面文を引き立たせている。

扇の別名は「末広」。黒留袖を着用する時には、末広を帯に差すが、これは縁あって結ばれた両家の弥栄(いやさか)を祈念する意味で使う。末に広がる扇は、繁栄を意味する吉祥文として、平安期から長く使われ続けている意匠の一つであり、その意味からも黒留袖に合わせる帯図案として、相応しいと言えよう。

扇面に表現されている文様を拡大してみた。扇の四本の骨に、四つの文様が組み込まれている。こうした細かい織姿は、紫紘ならでは。

では、加賀友禅の黒留袖と扇面散しの帯を合わせるとどうなるか、試してみよう。

 

松皮菱の中で優しく描かれる花々を、輝きを放つ金地の帯が、しっかりと抑えている。キモノの図案が少し角張った感じなので、帯の扇面でしなやかさを出す。キモノ、帯どちらの図案も、図案の中に花をあしらうという点では同じ。

帯の前模様も、お太鼓と同じ扇に桜楓散し。余計な図案を付けず、すっきりと前姿を見せる。こうしたシンプルな金引箔帯を使うと、着姿全体が格調高くなる。

キモノ、帯ともに古典的な図案を使いながらも、所々に斬新さと個性が窺える。作家、職人が手を尽くした品物には、不思議な力が備わっていて、何年経っても飽きずに、長く使い続けることが出来る。それは、「時代を超える技」であり、それこそが真のスタンダードなのだろう。

時代が移りゆく中で、結婚式の形式もすっかり姿を変えた。けれども、これからも黒留袖が、「和装の第一礼装」として役割を果たすことに変わりは無い。華燭の典を彩る姿として、良質な品物を受け継いで長く着用する意識を、多くの方々に持って頂きたいと思う。

最後に、御紹介した品物をもう一度ご覧頂こう。

 

平成27年の厚生労働省の調査によると、離婚率は35.6%。これは、夫婦三組のうち一組の割合で、離婚していることになります。そして昨今では、結婚生活20年以上の熟年離婚が増えているようです。

離婚理由のトップは、男女ともに性格の不一致なのですが、もともと生まれ育った環境が違う者同士なので、一致する方が不思議です。ですので、性格というより価値観の相違ではないでしょうか。

恋愛にせよ見合いにせよ、結婚前に相手のことを全て理解することなど、到底不可能なこと。後は、結婚してから、相手のことをどれだけ許せるか、その許容量により、結婚生活が持続するか否かが決まるように思います。

 

うちの奥さんはよく、私に向かって「あなたとは本当に性格が合わない」と言いますが、私自身も合わないと思っています。ですので、性格の不一致は間違いないところですが、それでも何とか30年以上夫婦生活を継続してきました。別れずに済んだのは、彼女の許容量が、人並み外れて大きかったからなのでしょう。

しかし、安心してはいけません。もしかしたら「許容タンク」はすでに限界に達しているかも知れず、明日突然いなくなるなんてことに、なるかも知れません。もしもの時に備え、事前に懐柔する手立てを考えなくてはいけませんが、名案は浮かびません。どうやら私くらいの年齢になると、男の方が立場が弱いような気がしますね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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