バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

色染職人 近藤染工・近藤さん(2)

2016.09 11

蒸しと水元(水洗い)という仕事は、友禅の作業工程の中で最も地味であり、あまり知られてはいない。下絵や糊置き、色挿し、さらには箔・縫、絞りとそれぞれの工程にいる職人達の技は、品物の上に姿が表れる。

加賀友禅は、下絵の図案描きと色挿しをする「職人」が「作家」であり、その技量が、品物の出来を左右する。京・江戸友禅でも、図案や挿し色、縫や箔などの各種あしらいをする職人が、友禅仕事の中では花形といえるだろう。

もちろん、蒸し・水元という工程にも、それぞれの職人がいる。一般の方がその仕事ぶりを、品物そのものから伺い知ることは難しい。けれども、この作業を欠かしては、品物は仕上がらない。それほど重要な仕事である。

 

蒸しの目的は、染料を定着させること。地染や色挿しが終わったところで、生地は「蒸し箱」の中に入れられる。80℃ほどの蒸気の熱により、生地の温度が上がり、そこで出てきた水が生地に吸収される。それにより染料が溶けて、繊維の奥まで浸透する。

この工程を経ると、地色として使った染料や、模様の挿し色として使った染料が、しっかりと生地の中に納まる。そして色を定着させるだけではなく、染料そのものが持つ「色相」をも、はっきり映し出す役割を果たしている。

 

水元と呼ぶ、水洗いの作業は、蒸しが終わった後。これは、生地に残った糊や染料、薬剤などを洗い流すためのもの。この仕事を疎かにすると、後に生地そのものにスレが起こったり、染料が定着する度合いが低くなったりする。

この水洗いの別名が、「友禅流し」。この言葉に、聞き覚えのある方も多いだろう。以前、京都では、鴨川や堀川、金沢では、犀川や浅野川などで作業が行われてきた。しかし河川環境の変化により、今では作業場の中に水を引きこんで仕事をしている。

 

人の目に付き難い仕事だが、どうしても必要なもの。こんな仕事をする職人が、激減している。とくに蒸しを専門とする加工場は、ほとんど消えてしまい、京都でも1,2軒しか残っていない。

裾野の広い友禅の職人仕事は、一つでも欠かすことは出来ず、一部でも職人が枯渇すると、影響は仕事全体に及ぶ。これは、友禅だけに限らず、モノ作りの現場全てに、同じような状況が見られる。それは、品物を加工する人たちも同様で、和裁士や紋章上絵師(紋職人)、補正職人や洗張り職人の高齢化と後継者難は、厳しさを増している。

 

これほど、将来の展望が見通せないことに対して、危機感を抱いている業界人はどれほどいるだろう。もちろん、モノ作りや加工の現場では、相当深刻に受け止められているが、小売屋の間で語られることは、驚くほど少ない。

職人がいなくなる最大の理由は、とにもかくにも仕事の減少に尽きる。おそらく職人達は、自分の子どもに後を継がせることをためらうだろう。将来、この仕事で飯を喰うことが難しいと、わかっているからだ。けれども、自分の技術だけは何とか守り、誰かに受け継いで欲しいと願っている。

前回からご紹介している、色染職人の近藤さんも、同じ思いだ。厳しい時代に、自分の技を生かすために、どのような仕事をしているのか。今日は、そんな姿をお話しよう。

 

近藤染工さんの仕事場。染め作業のシンクは、大きな窓のすぐ傍、外光が入りやすい明るい場所に置かれている。

この日、近藤さんが染めていた材料は、布ではなく葦(よし)。イネ科の多年草・葦の茎は、古来より簾の材料として使われてきたが、その色は、茎の色そのもの。和の家ではマッチするが、今時の家で使うと、少し古くさく感じられる。そこで、材料の葦を色で染めてカラフルにして、需要を増やそうと考え、この仕事が持ち込まれた。

 

色を染める手順は、布も葦も同じ。まず、湯に材料を通して表面を洗い、色を掛ける準備をする。

色見本帳を見ながら、発色させる色を決める。キモノの白生地や八掛を染める時には、出来る限り、注文された色に近づけることが求められるが、この仕事では、自分の感覚で、色を自由に出すことが出来る。

石畳の床に置かれた、染料の入った壺や容器。今年4月から、ガンを発症する可能性が指摘されていた「アゾ染料」の使用が禁止されたため、使えなくなった色も多数あると言う。今までの染料でしか出せない色があるので、困っているそうだ。

 

萌黄色から、支子(くちなし)色に染められる葦。目的とする色を出すためには、まず大まかな色の配合を考える。例えば、萌黄色であれば、使う染料は黄系と緑系と僅かな黒といった具合だ。これが基本の色となるが、どんな色を配合すれば、どんな色の系統になるか理解するのは、色染めの手始めに過ぎない。

難しいのは、見本帳の色により近づけるために、染料の微調整をすること。どの色をどのくらい足せば良いのか、それを見極めること。ここが、ポイントとなる。

染料の中に入れた葦を引き上げ、色を確認する。布を染める場合には、傍に通っているパイプの上に置いて瞬時に乾かし、色を見る。

見本帳の色と比べながら、足りない色を判断し、染料を加える。この決断に時間を掛けてはいけない。「先代(近藤さんの父)は、染料を三回足せば、ピタリと思う色が染め出せた」と、近藤さんは話す。

何回も染料を継ぎ足すと、どんどん色が離れていく。腕の良い職人は、短時間で結果を出す。これは、様々な仕事を経験することでしか身に付かない。

 

思う色に染まったと判断した瞬間に、引き上げる。これも、一瞬のことで、そこを間違えると、色がどんどん離れていく。

白生地を無地染めする場合、注文された色に近づくのは、一度きりだそうだ。そこを逃せば、やはり色が遠ざかる。大切なのは、色相が同じなこと。どのように染めても、見本帳と全く同じ色には染まらない。けれども、色相が変わらなければ、少しの誤差があっても「違和感」が出ない。

例えば、見本帳にある青磁系の色を求められた場合、色相が合っていれば、発注者からクレームは付かない。青磁といっても、色相は何通りにも分かれる。青に近い色、グレーが僅かに感じられる色、白さが求められる色。色相とは、「色の雰囲気」とも言い換えられる。

「色の雰囲気が理解出来れば、色染職人としては一人前」と近藤さんは話す。これは、手染めでも機械染めでも同じで、一番大切なこと。身に付くまでには、最低でも10年は経験を積まなくてはならない。

 

支子色に染めた葦は、水洗いをした後、乾かされる。葦は、布と違って染料が浸透し難いため、染める手間が、余計に掛かる。

 

簾材料として染められた葦の最終形。一本の茎を多色で染めた鮮やかなものもある。

こちらは、同じように色染めした葦を使ったランチョン・マット。ご覧の通りの「歌舞伎幕カラー」。歌舞伎座の売店で、扱っている品物だそうだ。

 

数週間前に、近藤さんへ依頼した色染めが仕上がり、昨日送られてきた。折角なので、どのような仕事になったのか、見て頂こう。

色見本として送ったのは、濃い墨グレー色の八掛。同じ色に染められた胴裏生地。この裏地は、結城無地紬に使うものだが、「白い胴裏を八掛と同じ色で染めて、仕立て直したい」というお客様の要望に答えた仕事。

見本として使うのは、見本帳ばかりではなく、裏地やキモノのハギレなども使われる。生地の質が違うので、全く同じ色にはならないが、納得出来る色になっている。

 

こちらは、菱一の色見本帳・芳美を使って色染めした白生地。この品物は、かなり濃い紫無地だったが、色抜きが上手く出来て、ご覧のようなワイン色に染まった。

紫とえび茶、双方が感じられる微妙な色。色見本と染め上がった品物を比べると、完全な一致ではないが、違和感がない。これこそ、色相が同じということであり、「色の雰囲気」が同じということなのだろう。

 

近藤染工さんの仕事の跡を継ぐ、息子さんの慎治さん。この日も、真剣な眼差しで、機械染めの仕事をしていた。

父であり、親方でもある良治さんによれば、慎治さんはこの道に入って10年となり、かなりの仕事を任せられるようになったそうだ。そして、「色の雰囲気を見極める」ところに、もう少しで届くとのこと。この仕事は、経験したこと全てが糧となる。慎治さんには、自分らしい仕事を極めて欲しいものだ。

 

「色染め職人として生き残るには、多角的に仕事を受けていく以外にない」と近藤さんは言う。染料は化学剤はもちろん、多様な植物染料を使うことが必要となり、染める材質も、布だけにこだわっていては、仕事の広がりが生まれない。

代々、呉服関係の仕事だけで食べていけたが、それはもう過去のこととして、割り切らなければ、未来が覚束ない。もちろん、今までのような白生地や八掛染めの仕事が、全て消えることは無いにしろ、それだけでは生活出来ない。

「考えた通りの色に染められる」という技を、どこに生かせるのか考えることが、生き残る道に繋がる。職人自身が、広い視野に立ってモノを作っていくことが、何より大切なのだと、近藤さんの仕事場を訪ねて、改めて思い知らされた。

 

歌舞伎カラーの葦製・ランチョンマットを手にする、近藤染工の主人・近藤良治さん。

忙しい仕事の合間に、沢山のお話を伺わせて頂き、ありがとうございました。この場を借りて、お礼申し上げます。

 

呉服屋の仕事の中で、「色」は切っても切り離せないものです。キモノや帯の地色や挿し色から始まり、裏地や小物に至るまで、色を考えないで品物を扱うことはありません。

そして、どの色を取って見ても、全く同じ色というのは、ほとんど無いと言っても良いでしょう。一つ一つの色は、色染職人さん達の気の遠くなるような努力の上に現れた、それぞれの色です。

私は、職人の仕事場を訪ねるたびに、この仕事の奥深さを感じます。普段ではあまり知ることの出来ない、この国の民族衣装を支え続ける方々のことを、これからも少しずつ書き続けていこうと思います。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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