バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

3月のコーディネート  春を彩る聴色に、桜を合わせる

2026.03 27

先週の16日、甲府地方気象台から桜の開花が宣言された。平年より9日も早く、1953(昭和28)年に観測を開始して以来、最も早い開花。この日開花を宣言した、甲府と岐阜、高知の三都市が、今年全国で最も早く桜が咲いた街である。今年の甲府は、雪がほとんど降らず、先月下旬から今月初めにかけては、晴天の日が続いて気温も高かった。おそらくそれが、開花を早めた要因なのだろう。今日も、通勤途上の道にある桜の木を眺めてきたが、すでに7分ほど花が開いていた。

甲府を含め、関東近郊の桜の開花日は、平年3月23~25日頃。丁度この時期は、卒業式と入学式の狭間に当たる。今年のように早く咲けば、卒業生を送る花になり、昨年のように遅く咲いて花冷えの日が続けば、入学生を迎える花となる。桜は盛りが短い花なので、卒業・入学両方の式を彩ることが出来ず、必ずどちらか一方。節目の春を迎えた人にとっては、終わりの花になるか、始まりの花になるのか。それによって、桜にまつわる思い出が違ってくるのだろう。

 

卒業と入学の日は、本人だけではなく、育てた親にとっても感慨深い日。そんな特別な日の式服として母親が装うのが、キモノである。ひと頃は、ほとんど姿を消した和装だが、近ごろ少し復活の兆しが見える。式に参列されたお客様によれば、クラスの中に数人は着物姿の母親がいるらしい。子どもの節目の日は、きちんと居ずまいを正して迎えたいという気持ちの表れだろうか。いずれにせよ、キモノを扱う者としては、嬉しいことである。

私が小学校へ入学したのは、1966(昭和41)年。高度経済成長真っ盛りのこの頃は、人々の暮らしが右肩上がりで良くなっていった時代。そして、多くの家庭が和装での式服を考えていたことから、キモノの需要も高く、呉服業界にとっては、オイルショックが起きる1973(昭和48)年までが、最も景気が良かった時代であった。

この昭和40年代、入学式・卒業式の定番となっていた母親の装いが、色無地のキモノの上に黒の紋付羽織をかけた姿である。当時、その姿は「PTAファッション」と呼ばれるほど流行しており、私も含めて現在60歳以上の方々は、そんな自分の母親のキモノ姿を、朧気ながら覚えている人もおられるだろう。

 

かつて3月中旬から4月初旬まで、日本中のどこでも見られた、母親たちのキモノ姿。それを復刻するかのように、昨今の入卒の装いにも、色無地のキモノが多く見られる。そこで今回のコーディネートでは、春らしい色の無地のキモノと旬の桜帯を合わせて、今の季節に相応しい姿を整えてみる。そしてそれは入卒に限らず、春のお出かけ着として幅広く使える装いになるよう考えてみたい。

 

(唐草地紋・聴色無地  浅緑色桜模様・九寸織名古屋帯)

キモノが嫁入り道具として位置づけられていたのは、昭和の時代まで。平成のバブル崩壊以降は、和装で式服に臨むという意識が薄れ、たとえ装うにせよレンタルで間に合わせることが一般化した。おそらく現在60代以下の方々では、自分のキモノを誂えたことが無いという人が多いだろう。それは良い悪いではなく、時代がそういう空気に覆われていたからだ。

けれども、今学校に通う子どもを持つ若い親世代(30~40歳代)の中には、そうしたこれまでの事情に捉われることなく、純粋に特別な日に臨む式服として「和装」を考えている人がいる。だからこそ、少しずつではあるが、昨今の式で母親のキモノ姿が見られるようになったのである。

 

そんな傾向は、バイク呉服屋の商いにも見られる。特にここ2、3年で目立つのが、無地キモノの依頼。求められるのは30代~40代の母親で、小学校就学前後の子どもを持つ方。着用の目的は、七歳祝いの席や幼稚園の卒園式、小学校の入学式での装いで、ほとんどの方が初めてのキモノ誂えになる。

もちろん結婚する際にキモノを用意することは無く、成人式の振袖も、自分の母親が着用した品物かレンタルで済ませている方が多い。そして、自分どころか母親にも和装に馴染みが無く、実際に身内でキモノを着用していたのは、さらに上の祖母世代(80代)にまで遡る。だから「キモノを誂える」と言っても、呉服屋の暖簾をくぐったことが無いのだから、そもそも、どこの店へ行けば良いのかで悩む。

けれども今はネットの時代なので、様々な観点から店を探すことが出来る。各々の店の発信する情報を見比べながら、ここぞという店を選んでコンタクトを取る。その証拠に、初めてのキモノ誂えでバイク呉服屋に来られるお客さまの多くは、このブログを読んだことがきっかけになっている。そして中には、「自分だけの色を染める誂え」の記事を読んで来られたというような、研究熱心な方もおられる。

 

そこで今回取り上げるのは、春の穏やかな陽ざしと風の中で映える明るい色で、古来「聴色(ゆるしいろ)」と呼んだ色。平安時代、一般の人々が高価な紅花使いの色を制限される中、ほんの僅かな量の紅花を使って染める淡紅色だけが、庶民の使用が許されていた。ではまず、そんな聴し=許しの無地色から話を始めよう。

 

(唐草紋織 聴色 無地四丈・別染誂え)

最近染めた無地は、淡く明るく優しい色がほとんど。ひと昔前なら、若い方の無地色はピンク系が中心だったが、近頃は黄色や緑、ブルー系を好まれる方が多い。それも和色に少しだけ洋っぽさを含ませたような、ミモザ色やターコイズブルー、あるいはアップルグリーンなどをリクエストする。こうした色目は、これまであまりキモノ地色に見られなかったが、それだけに染め上がった反物を見た時には、その色が実に新鮮に映る。

そんな中で、この無地に施された深いサーモンピンク色は、昨今では珍しい、極めて明るく華やかな色。うちで無地誂えをする時には、まず最初に白生地を見て頂くのだが、多くのお客様が地紋のある生地を選択する。その理由は、光の当たり方で着姿に表情が出る紋織生地の方が、フラットな一越やちりめん系生地よりも、華やかな印象を受けるからかと思う。このサーモン色無地も、唐草を織り出した紋生地を使用している。

紋織生地に表れる文様は、和的な有職文系の七宝や笹蔓、牡丹唐草、小葵などをポピュラーな図案として使う一方、正倉院的な唐花や幾何学的な菱文、そして桐竹鳳凰文のような高貴な図案も見られる。また図案の大きさも、目を凝らさなければ判らない微塵模様から、はっきり生地面から浮き上がる大きさのものまで、様々ある。

このサーモンピンク色・聴色の紋織図案は、中程度の大きさで、モチーフは唐草。この図案の特徴でもある蔓を繋げた姿が、生地幅一面に広がっている。こうした正倉院的花文は、和的な織文と比べると、やはりモダンな印象を受ける。華やかで明るい染め色の場合ではなお、地紋がはっきりと生地から浮かび上がり、しっかりと表情を作る。

 

生地の地紋をよく見ると、唐草の間に鳥が飛んでいる。鳥の種類は特定できないが、こうした唐花唐草と鳥を組み合わせた図案は、正倉院的な天平文様の典型と言える。

古来高貴な色と認識されていた紫と紅は、その染料の基を成す紫草と紅花が、貴重で高価なものであったことが一つの要因である。深くて鮮やかな赤・紅色こそが、平安女性憬れの色だった。しかし紅花は簡単に手に入る材料ではなく、また紅の色を極めるためには、大量に紅花染料が必要になることから、一般の人々には、到底手の届かない贅沢な色になっていた。

律令の施行細目を記した延喜式の巻14・縫殿寮の記述の中に、当時公に使われていた三十数種の色名と、この色を染め出すために使う植物染料や材料が列記されているが、本格的な深い紅色(韓紅・からべに)を染める時に必要な紅花の量を、一疋(二反分)につき十斤(現在の重量に換算すると、約6kg)と定めている。もちろんこの色は、一般の民が着用出来ない色・禁色(きんじき)に指定。

それに対して、着用が許された淡い紅色・聴色の場合では、使う紅花の量は一斤(600gだけ。そのため、この色には別名・一斤染(いっこんぞめ)の名前が付いている。本来の紅色の十分の一しか、染材料を使えないのだから、当然色の気配は淡くなる。それでも人々にとって紅は、どうしても着用したい色であり、この聴色の存在は、少しでも濃い色で輝きたいという人々の願望を叶えるものでもあった。

今、こうして聴色を見ても、それほど淡い色には見えない。そしてその色の気配は、強烈な紅色と比べれば、優しくふんわりとした温かみのある色になっている。まさにそれは、春本番を迎えようとする今の季節に相応しい色と言えよう。それでは、平安びとも愛したこの色を、春の代表花・桜で彩ってみよう。

 

(浅緑色 桜模様「花うつろう」 九寸織名古屋帯・龍村美術織物)

龍村がこの帯に「花うつろう」と表題を付けたのは、変わりゆく桜の花姿こそが、うつろいゆく春の姿を象徴しているから、と考えたからではないだろうか。どちらかと言えばデザイン化されることが多い織帯の意匠だが、この帯の桜姿は写実的に織り上がっている。

帯地色の浅緑色は、名前の通り浅く淡い緑色で、僅かながら蛍光的な気配を感じさせる。はっきりとした明るさではなく、どことなく霞でくぐもったような色。それが、桜が咲き始めた今の季節に良く似合う。こうした桜だけの帯では、否応なく季節が前に出るので、地の色も旬を意識したものを選ぶ必要がある。この帯には、そうしたところにも、龍村らしいセンスが感じられる。

花弁は白とピンクと芥子の三色に分けて、蕊は臙脂。芥子色を入れたことで、メリハリのある花姿になった。そして蕊や枝ぶりに自然な曲線を付けて、桜本来の姿を模様に出す。花と枝葉がバランス良く配置されており、立体感のある桜になっている。

縦横八寸の正方形・お太鼓の中に、きっちりと桜が収まっている。上に花を置き、下に向かって枝が伸びる模様が絵画的なので、見る者に桜を印象付ける役割を果たすはず。こうして太鼓姿を作ってみると、やはり落ち着いた浅緑地色がこの桜図案には効果的。

無地の装いは、合わせる帯によって印象が変わってくる。色だけで表現されたキモノを、帯でどのように映すのか。季節の彩を含ませる、春色のキモノと春花の帯。果たして合わせると、どのような装い姿になるだろうか。

 

やはり帯の浅緑色が、実際の桜より濃いキモノの聴色を引き立てている。帯に織り出された桜は写実的だが、配色にメリハリがあるので平板にならず、しっかりと着姿のポイントとして役割を果たしている。色無地は、紋を付けてフォーマル使いにするのが一般的だが、こんな帯との組み合わせを考えるなら、あえて紋を入れずに、カジュアル着としての使い道があっても良い。

一つの色だけをまとって着姿を表現する無地は、合わせる帯によって、相応しい装いの場が変わり、季節感を出すことも出来る。つまり装う人の意識が、コーディネートに大きく反映される、極めて汎用性の高いアイテムと言える。春のキモノ色と春の帯模様を組み合われば、否応なく春の装いとなる。聴色と桜は、それを証明してくれた。

この帯はお太鼓と前模様が同じ柄、いわゆる「送り柄」であるが、模様を横にするだけで、花の付いた枝葉の位置が変わって、かなり雰囲気が変わる。キモノのサーモンピンクがはっきりした色に対し、帯の桜色は淡い。そして深緑の葉色が帯姿を引き締める。春の雰囲気を十分漂わせながらも、ぼやけた感じにはならず、着姿はしっかりと決まってくる。

春を意識して、全体の色のバランスを考えれば、やはり小物の色はサーモンピンク系でまとめるのが無難。帯〆はキモノ地色に近く、帯揚げは帯模様の桜色に近い。いずれにせよ、このコーディネートの場合では、キモノの聴色が基調になる。(貝の口帯〆・龍工房 笹蔓刺繍ちりめん帯揚げ・渡敬)

 

今日は、春の光の中で映えるサーモンピンク・聴色の無地を使って、桜の季節に相応しい装いを考えてみた。桜は盛りが短いので、タイムリーに桜を装うことは、なかなか難しい。けれども、だからと言って、最も日本人に愛されるこの花を、日本の民族衣装の中で使わないのは寂しい。

毎年必ず巡って来る春。桜は、どんな年であっても花を咲かせる。どうか皆様には、ぜひ一度「桜の装い」をお試し頂きたいと思う。装えばきっと、日本に生まれて良かったと言って頂けると、私は確信している。それでは、最後にもう一度、今日ご紹介した品物をご覧頂こう。

 

毎日、自宅から店までのバイク通勤の途中で、娘たちが通った小学校の前を通ります。この学校の玄関脇と校庭には、何本もの桜の木があり、毎年見事な花を咲かせます。日当たりの良い場所ではもう満開に近く、今度の週末には見頃を迎えます。残念ですが、来月の入学式には葉桜になってしまうでしょう。

学校の桜を見るたび、小さな手を引いて学校の門をくぐった、入学式の日のことを思い出します。今では、その三人の娘たちも甲府を離れ、残された私と家内は年を重ねて、老いを意識する年齢になりました。最後の子が卒業してから、今年で20年。本当に人生あっという間です。桜は、そんなこと関係ないよと言わんばかりに、今年の春も同じように花を咲かせています。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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