文月(ふみつき・ふづき)は、旧暦7月の呼称だが、この名前は、稲穂が実る月・穂含月(ほふみづき)、あるいは、七夕に書を干す習慣・文披月(ふみひろげつき)などに由来すると言われている。
現代の新暦と旧暦の間には、ひと月以上のタイムラグがあり、旧暦の方が季節は先行している。旧暦の7月1日は、新暦の8月4日にあたるが、旧暦では7~9月が秋。明治以前の文月は、少し暑さが和らぎ、秋の気配が感じられる頃とされていたが、それを裏付けるように、秋初月(あきはづき)とか女郎花月(おみなえしつき)の名前も付いている。秋の七草に数えられる女郎花が咲き、稲の穂が涼風にそよぐ。それが、旧暦・7月文月の風景だったのだろう。
秋風どころか、まだ本格的な夏も迎えていない新暦・文月。暑さはこれからが本番だが、近頃は温暖化の影響で、葉月、長月、そして神無月になっても、30℃を越える日がある。そんな環境の変化は和装にも影響を与え、単衣の着用はひと月前倒して5月から始まり、10月初旬まで続く。そして薄物(絽や紗、麻など)も、7・8月だけの装いに限らず、6・9月にまで範囲が広がっている。
江戸時代の更衣(ころもがえ)は、端午(5月5日)や重陽(9月9日)の節句を目途に行われていたが、袷から単衣・帷子(かたびら・麻モノ)に代わるのが5月1日、そして9月1日には袷に戻る。この旧暦の単衣薄物の期間を、新暦に当てはめると、6月6日~10月2日となり、ほぼ今と同じになる。但し、単衣と薄物の区分は無く、単純に裏地を付けないキモノを使用する期間が、この4か月であった。なお、この時代の袷の着用は単衣期間の前後ひと月ずつで、後は綿入れを使っていた。防寒設備の全く無い時代、綿を入れたキモノを着なければ、とても冬は凌げなかったのだろう。
ということで、昨今の気候を考えれば、現代も江戸期に倣い、単衣と薄物の垣根を取り払って、6月~9月の間はどちらも自由に装えると考えた方が、自然である。そこで今日から二回、文月に相応しい気軽な装いを提案してみたい。夏素材を使ったキモノと帯を個性的に組み合わせ、颯爽と街を歩く。その着姿を見た人が、思わず振り返るような、そんなセンスの良い夏姿を考えよう。使う品物は、今回が小千谷縮と型絵染麻帯、次回は紅梅と近江麻織帯を予定している。それでは、始めてみよう。
麻素材の型絵染帯(いずれも竺仙)
麻素材の小千谷無地縮(いずれも小千谷・杉山織物)
夏を心地よく過ごす素材を考えた時、やはり真っ先に思い浮かぶのが、麻。風通しが良く、汗をかいてもすぐ乾く。おまけに内側に熱がこもらず、心地よく長く着用出来る。通気性と速乾性の良さでは、他の繊維の追随を許さない。その上、汚れても自分で洗うことが出来るので、使う自由度は格段に高い。これだけ好条件が揃っていれば、ごく自然に麻を使いたくなる。
けれども、夏の街着として気軽に使うためには、ある程度求めやすい価格であることが求められる。麻織物と言えば、宮古上布や八重山上布を頂点として、越後上布や能登上布などがあるが、何れも製織反数は少なく、手の届きやすい値段とはとてもいえない。そんな中にあって目を惹くのが、廉価な小千谷縮である。 小千谷縮の歴史は古く、製織は江戸寛文年間にまで遡る。原料の苧麻を手績みし、手括りをした絣糸を居座(いざり)機にかけて織り、それを足で踏んでシボを取り、雪にさらして仕上げる。こうした伝統技法を用いて作られる「伝統的工芸品・小千谷縮」も、僅かに残るが、先述した産地の上布同様、とてつもなく高く、呉服屋である我々さえ、目にすることが稀な品物になっている。
だが、そんな高級小千谷縮の質感をそのまま生かしつつ、とてもリーズナブルな価格で売られている品物がある。それが機械紡績のラミー糸を使い、機械製織した工業品的な小千谷縮。柄は無地モノや格子、縞などが中心だが、麻100%素材であることに変わりはなく、その上特有のゴワツキを抑えるために、わざわざこんにゃく糊を使用したりしている。
浴衣以外で夏キモノを考える時、まず思い浮かぶのが小千谷縮で、これなら下に長襦袢を着用し半衿を付ければ、夏のカジュアル着として十分通用する。しかも、その価格は多くが6万円前後。つまり「夏キモノデビュー」を飾るには、またと無い品物なのである。そこで今日は、最も帯で個性を表現しやすい無地モノを使って、その装いを考える。最近では、淡く明るいパステルカラーの小千谷をよく見かけるようになり、色のバリエーションは以前より格段に増えた。
(淡い萩色 無地小千谷縮・杉山織物)
夏薄物の地色というと、やはり青や鶸などの寒色系が目立つ。着姿を涼し気に見せることが、夏の装いの前提になるので、こうした色の傾向はある程度仕方がないが、もう少し色の範囲が広がっても良いと以前から思っていた。そんな中にあって、このところ小千谷縮では斬新な色の品物が増えた。それは、着心地が良くて値段も安いことから、夏キモノとして認知度が上がり、需要が増えたことが大きな要因である。数が売れれば生産量も上がり、同時に作り手は品物のバリエーションを増やす。機械生産だけに、安定的に品物を供給することが出来るので、価格もほとんど変わらない。やはり「売れる」ということが、モノ作りにとって何より大切なのである。
小千谷縮には、イチゴのような紅色やオレンジシャーベット色、またブルーベリー色など、それこそ目にも鮮やかなビビッドカラーもあるが、いくら派手モノが好きな私でも、これは少し扱うのに躊躇する。やはり暖色でも、柔らかみを感じる品の良い色の方が好ましく、合わせる帯の範囲も広がる。そこで選んだのが、桜色を落ち着かせたようなこの萩の色。萩は秋の七草の一種なので、薄物の色として使うにも相応しい。
(小格子に夏花模様 型絵染麻帯・竺仙)
優しいピンクのキモノに合わせたのは、小さな格子窓の中に夏花が入った、可愛い型絵の染帯。明るい夏色のキモノが少ないのと同様に、可愛い夏帯というのも少ない。そんな中で見つけたのが、この型絵染帯。帯の生地素材も小千谷の麻生地なので、これは麻×麻のコーデになる。
この帯は今年の春、竺仙の営業マンが店に持参してきた品物だが、その時の帯の垂れ色はくすんだ茶色だった。図案は気に入ったのだが、この垂れの色は違うと感じたので、模様の花色(アザミのピンク)に替えて誂えてもらった。合わせた画像を見ると、やはりこのピンクの垂れ色があるから、萩色の小千谷縮がより引き立つように思える。
あしらわれている花は、アザミ、鉄線、露草、桔梗など夏の野花。格子の所々には花を抜いたところがあるので、前姿もすっきりしている。こうして模様の挿し色を見ると、アザミの濃いピンクが目立ち、図案のアクセントになっている。やはりポイントとなる色を垂れに使う方が、帯としてのバランスが取れるように思う。
淡い萩色と小さな夏花の取り合わせは、さりげなく愛らしい着姿になる。浴衣よりひとつ上の夏キモノとして、オシャレで個性的、そして都会的な印象も受ける。縮のピンクに落ち着きがあるので、若い人だけでなく、少し大人の方でも装うことが出来そう。
(青磁色 無地小千谷縮・杉山織物)
薄物の定番色・青磁色の小千谷縮は、見るからに涼しそう。上の萩色と同様に、色を淡く抑えてすっきりした無地色にしている。この色だと、シンプルな幾何学図案の帯を使えば、キモノの地色が着姿の前に出て、爽やかな印象を醸し出すが、あえて密な模様の帯を使って、華やかさを出してみよう。
(唐花模様 型絵染麻帯・竺仙)
こちらも竺仙の手による、植物をモチーフにした麻生地の型絵染帯。最初の帯は、夏の植物図案だったが、こちらは唐花。蔓を付けた少し大きめの花が、帯の巾いっぱいにあしらわれている。茜色や赤紫、藤ピンクなどの明度の高い挿し色を使っているので、夏帯としては華やかな雰囲気を持っている。この帯の垂れの緑色も、私が指定して誂えてもらった。
唐花が縦横に咲きほこる前姿は、やはりインパクトがある。ただ、前もお太鼓も地は白なので、模様が密でも、暑苦しい感じにはならない。
無地モノを帯で自由に演出する。そんな楽しさを象徴するような組み合わせ。こうしたコーデは、年齢とは関係なく考えて良いと思う。季節に関係なく使える唐花は、やはり使い勝手の良いモチーフ。しかもこれだけ鮮やかな挿し色を使っていると、装いが一気に明るくなる。
(墨黒地 無地小千谷縮・杉山織物)
薄物で黒地を使うというのは、最も個性的な夏の装いのように思える。夏の黒と言えば、まずは紋紗が思い浮かぶが、この品物の特徴は、白襦袢を重ねることで、黒いキモノの地紋が着姿から浮きあがり、それが独特の表情を作ること。この墨色に近い黒地の小千谷もそれと同様で、白の襦袢を重ねると、僅かに鼠色の気配が出て、見た目の色が柔らかくなる。表の色を裏から透けさせて、装いの表情とするというのは、やはり上級者っぽい工夫だ。
(マーガレット模様 型絵染帯・竺仙)
この渋い黒小千谷の大人っぽさを残しながらも、少しだけ可愛さを出そうと考えて選んだのが、大きなマーガレット模様の型絵染帯。もしもここで、和花モチーフの帯を使えば堅苦しくなり、着姿は墨黒の色の中に沈んでしまうだろう。だが、大きなマーガレットがあれば、その花の大人可愛さから、印象がガラリと変わるはず。渋みとモダンさが同居する、なんとも不思議で個性的な着こなしになるのではと、私は思うのだが。
黒だからこそ引き立つ、帯幅いっぱいのマーガレット。他の色では、こんなに模様が強調されることはないだろう。また帯〆の色を変えるだけで、雰囲気も変わりそう。小物を工夫して、存分に楽しむことが出来そうな組み合わせ。
帯地が白で、挿し色が淡く抑えられていることがまた、黒の煤けた色とよく合う。無地モノは帯次第で、装いの印象を自在に変えられる。そんなことを証明するコーデではなかろうか。
今日は、コストパフォーマンスに優れる無地の小千谷縮と、竺仙の可愛い型絵染の帯を使って、夏のカジュアルな装いを考えてみたが、如何だっただろうか。浴衣より一歩進んだ夏キモノは、独特の風情があり、その着姿は街行く人の目を存分に楽しませてくれる。キモノ姿が注目されるという点では、夏姿は冬姿の何倍にもなるだろう。ぜひ皆様も、麻の涼やかさと共に、自分らしい夏のコーデを楽しんで頂きたい。
次回は今回と対照的に、模様が密な紅梅小紋とシンプルな幾何学模様の織帯を使って、また違う個性的な夏姿を演出してみよう。最後に、今日ご紹介した三パターンのコーデを、もう一度ご覧頂こう。
和装の特別さというのは、やはり冬より夏の方が断然感じるように思います。照りつける陽ざしの中、日傘をさしてさりげなく歩けば、そのキモノ姿は、多くの人から振り返られること間違いなしです。浴衣では感じ得ない、きちんとした夏の装いは、やはりあって然るべきかと思います。夏が長~くなっている昨今、薄物に目を向けて頂ければと、切に願っております。
なお今月より、ブログの更新回数が3回になります。原因は、とにもかくにも私の執筆力の低下にあります。これまで通り、記事の内容を落とさずに書き続けるには、やはり回数を減らすしかないのです。悔しいですが、仕方ありません。
今日も、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。