ひと昔前までは、振袖の帯結びと言えば、福良雀か文庫、あるいは立矢の三つに限られていたのだが、最近では背中一杯に花が咲いたように見せる結び方や、蝶が羽を広げた姿を演出するもの、巾着のように見せかけるものなど、基本の結び形を様々にアレンジした姿が見受けられる。
バラやユリの花弁を表現するためには、細かいギャザーを作らなければならないが、不規則な皺を見ると、帯地を痛めてしまわないかと少し心配になる。上質な帯は、しなやかで復元力があるので、まず問題はないのだが、板を貼り付けたように硬い帯地ならば、結び手も苦労するだろう。
どのような帯結びをしようと、それは自由で構わないのだが、品物を売る側からすれば、帯質に適う結び方も少し考慮して頂ければと思う。そして、帯の織で表現している模様を生かした形にして欲しい。形格好よりも、まず品物の図案が尊重されなければ、調った着姿にはならないのではないか。
帯は、丈が1丈2尺程度で(約4m50cm)、巾が8寸(約30cm)だが、この寸法に定まったのは、江戸・享保年間。今から300年ほど前のことなので、それほど古い話ではない。
江戸初期から中期まで、帯は細紐を使っており、結ぶ位置も自由で、結び方も簡単に結わえるか、折り畳むだけであった。丈は6寸5分(2m20cm)で現在の半分ほど、巾に至っては、わずか2寸(約8cm)程度である。それが中期・延宝年間(1673年頃)から、徐々に丈長、巾広に変わり、元禄を経て享保(1716)の頃には、ほぼ現在と同じ寸法に固まった。
初期の紐帯は、キモノの合わせを止める実用的な道具として使われていたが、丈と巾が広がったことで、様々な帯結びが考案され、一挙にバリエーションが広がった。このことが、帯を実用性から装飾性を持つ品物へと変化させたのである。
独創的な帯結びの先駆けとなったのが、延宝年間に活躍した歌舞伎の女形役者・初代上村吉弥。現在と同じ長さの1丈2尺の帯を、後で片結びにした「吉弥結び」が、当時の女性達の心を捉えたのだ。元禄期に活躍した浮世絵の祖・菱川師宣が描いた美人画・「見返り美人」は、あまりにも有名だが、絵の女性は、紅色地に菊と桜を刺繍であしらった小袖を着て、濃緑色地に沢潟模様の帯を締めている。この帯の結び方が、吉弥結びである。このことからも、この時代、いかにこの帯結びが流行していたのかが判る。
この後、役者達は様々な帯結びを考案し、その結び方にはそれぞれの役者名が冠され、江戸の女性の間で広がっていった。吉弥結びの帯先を長く垂らした「水木結び」は、元禄年間の歌舞伎女形・水木辰之助が、背で帯を垂直に立て、一直線に結ぶ「兵十郎結び」は、同時代の女形・村山平十郎が考案したもの。また、下ぶくれのお太鼓から横に水平にたれ先が出る「路考(ろこう)結び」は、享保期の女形・二代目瀬川菊之丞の発案である。路考と付いたのは、菊之丞の俳名(はいみょう・役者が舞台で使う芸名とは違う、もうひとつの名前)からである。
帯結びは、江戸後期になるとさらに種類を増やし、その数は20以上を数えた。そして、階級ごとに結び方があり、それは武家女性と町方女性とで系統別に分かれた。
現在帯結びの基本となっている「お太鼓結び」は、1817(文化14)年に、江戸亀戸天神の太鼓橋を見物に来た深川の芸者が、太鼓型の帯結びをしていたことが最初である。この結び方は、紐で押さえて結ぶ方法を取っていたため、後に帯〆や帯揚げを考案する端緒にもなった。
また、大奥女性や武家女性は、立矢結びや文庫結びを常とした。立矢結びは、女性の身分の上下により少し異なり、上級者は立矢の上のたれを立たせ、下級者は短くして折り返す姿になっていた。また、たれを背の位置で横に折りたたみ、手先で巻いて形作る「文庫結び」は品のある武家女性の姿として、使われていた。
文庫結びは、打掛を着用する時に必ず使う結び方で、別名「掛下文庫」と呼ばれているが、この結び方は以前から、丸帯や袋帯を華々しく変形させて、若い女性の礼装姿を形作る基本形であった。ということで、現代のアレンジ帯結び「薔薇結び」や「巾着結び」の原型は、やはりこの文庫結びである。
このように、現在、帯結びの基本形となっている三つの結び方、お太鼓・文庫・立矢は江戸後期までに形作られたが、振袖の帯結びとして、これまでもっともポピュラーな姿として知られているのは、やはり福良雀であろう。大きいお太鼓を作り、上でたれを結んで、たれ先と手先で二枚の羽を作るその姿は、ふっくらとした愛らしい雀の子に見える。
「ふくらんだ雀」を「福良雀」と字を当てたこの形は、縁起の良い文様としてもよく使われている。例によって、かなり前置きが長くなってしまったが、今日は今年初めての文様として、お目出度い福良雀を取り上げてみよう。
ふっくらと太った「雀の子」を意匠化した、福良雀文様。
街や野山を問わず、四季を通してどこでも見ることが出来る雀は、日本人にもっとも身近な鳥。そのため、文様のモチーフとして使われ始めたのは、平安期からと古い。
春の子雀の姿や、秋の稲穂や枯れ枝に群れる姿、冬の雪の中を群れ飛んだり、寒そうに羽毛を膨らませている姿など、折々の四季を彩るモチーフとして描かれることが多い。それはやはり、雀という鳥が人々の生活と密着しており、人がその姿を観察する機会が多かったからなのであろう。
その中で福良雀文様は、ご覧のように、頭と胴体を丸くして、そこに扇を広げたような羽を付けている。これは、ふっくらと太った雀の子か、寒さのために、体全体を膨らませている姿をデザインしたものと想像出来る。
この独特な形の図案は、「ふっくら」を「福良」と当て字をしたことで、縁起の良い模様となる。そのために、子どもの祝着図案として使われ、新しい年の初めに着用するキモノや帯の模様としても、ふさわしいものと認識されるようになったのである。
(ちりめん卵色地 福良雀模様 手描き友禅九寸染名古屋帯・岡重)
卵の黄身のような明るい黄地色に、大中小と形を変えた三羽の福良雀。江戸・安政年間に創業した染屋・岡重の手描き友禅染帯。紺・芥子・臙脂とそれぞれの鳥の羽色を違え、図案の向きも変えている。見ようによっては、親子の雀にも見える。
福良雀は、その図案の愛らしさから、他の模様を付けずに、単独で描かれることも多い。特に染帯では、その傾向がある。明るい黄地色であることも、初春に締めるには、ふさわしい帯と言えようか。
前模様にあしらわれた二羽の福良雀は、紫と茜色で羽を染め分けてある。胴体は瓢箪型で、図案の中には、松・竹・桜・梅・楓のポピュラーな植物模様と、流水のあしらいが見える。一つ一つの模様を見ると、丁寧に糸目を引き、手挿しされていることが判る。きちんと丁寧に作られている品物は、たとえ模様に嵩がなくとも、美しくすっきりとした姿に映る。
また、ぽってりとしたちりめん生地を使っているので、それがふっくらとした福良雀とあいまって、見る者に柔らかい印象を与える帯になっている。合わせるキモノは、藍や紺、また茶系の濃地でも、白や銀鼠系の薄地でも良く、織の紬、染の小紋どちらでも使い廻すことの出来る重宝な帯であろう。
お太鼓の模様。形の異なる三羽の福良雀が、不規則に並んでいる。模様の無い地空き部分が多いことが、よりこの雀の特徴を印象付ける。前模様と同じように、それぞれの雀の胴と羽の色の模様を変えている。
岡重は、1855(安政2)年に創業者・岡島卯三郎が起こした京友禅の老舗メーカーで、二代目の岡島重助が、染色加工を専門とする会社を組織した。社名は、代々の経営者の名前に「重」の一文字が入っている(現在の社長は、岡島重雄氏)からだ。
染帯や小紋、羽裏など、従来手掛けてきたアイテムには、手描き友禅の伝統的な技法を守り、今も丁寧なモノ作りを続けているが、いち早く和装小物にも友禅を取り入れ、バッグや袱紗、ショールやペンケースなど多彩な品物を生み出している。特に、モダンな更紗文様をモチーフにした手染め手作りのバッグは、友禅技術の高い岡重ならではの、美しさと高級感に溢れている。
(一越クリーム色地 福良雀模様・手描き友禅訪問着 甲府市・U様所有)
もう一点、福良雀模様を見て頂こう。これは、昨年秋に市内のお客様から預った品物だが、訪問着で福良雀の単独模様とは珍しい。話によると、これは当時ある若い友禅職人に依頼して、誂えで作った品物のようだ。今から30年以上前に誂えたものだが、昭和の頃には、自分が希望する地色や模様を提案して、職人に染を依頼することも容易に出来た。
上前から後身頃、袖、肩とキモノ全体に福良雀が舞い飛んでいる。胴は朱と黒のぼかし、朱の染疋田、胡粉の白の三パターンで、羽の配色は濃紺と白、鶯色と白、そして白だけの三パターン。これを偏りなくキモノの中に配したことで、全体から見るとバランスのとれた模様の姿になっている。
三パターンに彩色された福良雀。優しいクリームの地色が、模様を引き立てている。
いずれにせよ、訪問着としては斬新な品物だが、福良雀の愛らしさがよく表れている。お客様はこの品物を、ご自分のお嫁さんに譲るために、バイク呉服屋に仕立て直しを依頼してきたが、出来上がって着用した姿を拝見したところ、実に若々しく可愛い姿に映っていた。
お嫁さんは、息子さんの五歳の祝いの席で着用したが、縁起の良いこの福良雀の模様は、その祝いになお相応しかったに違いない。お客様も、次代の人に、思い出の残る自分の訪問着を受け継いでもらえたことが、何より嬉しかったようだ。それが、お孫さんの節目の祝いで着用出来たとなれば、なおのことであろう。
今日は、新しい年の始まりにちなんで、お目出度い福良雀文様を選び、話を進めてきた。キモノや帯にあしらわれる模様には、それぞれに歴史と、それを使い続けてきた背景があり、そこには文化が存在する。今年も、出来うる限り様々な色と模様の品物をご紹介するので、皆様にはその特徴ある意匠を、楽しみながら理解して頂ければと思う。
私も、読者の方々のキモノライフに、少しでも役立てて頂けるように、この一年も頑張って書き進めたい。
私は、保守的な呉服屋なので、やはり振袖の着姿としては、福良雀の帯結びが一番美しいように思います。
上の画像は、以前ブログの中でご紹介した(2015.3.5の稿)品物・成竹登茂男の手による加賀友禅の振袖と、紫紘の黒地扇面模様。着用した時のお客様の帯姿は、ご覧のように福良雀。
福良雀は、別名「二枚扇」と呼ぶことがありますが、左右に大きく羽を広げたその後姿は、長く未婚女性の第一礼装の帯結びとして使われてきた「格調の高さ」を感じます。このお客様は髪型も、日本髪を結われていたので、若々しい中に居ずまいを正した印象が、とても残りました。
今は変化を求め、多様にアレンジした髪型や帯姿が流行しているようですが、和装にとって大切な上品さや慎ましさが、どこか隅に追いやられているような気がしてなりません。こんなふうに思うのも、私が年を重ねたせいでしょうかね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。