バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

成長を彩る子どもの文様  薬玉・花散し・手鞠・揚羽蝶など

2015.11 15

「通りゃんせ」は、謎の多いわらべうたである。子どもの七歳の祝いに、神社(天神様)へお参りにいく様子が唄われているのだが、唄の最後の歌詞に、「行きはよいよい、帰りはこわい、こわいながらも通りゃんせ、通りゃんせ」とある。

何故に、「帰りはこわい」のだろう。本来ならば、子どもが無事七歳まで成長したことを神様に報告し、これからも、神様の加護があるようにと祈ったことで、晴れやかな気持ちで社を後に出来るはずである。けれども何故か、神社の帰り道を怖がっている。

女児・七歳の祝いは、江戸期の帯解・紐落としの儀式に由来するものとされている。帯解(おびとき)とは、付紐をはずし、大人と同じように帯結びをすること。つまりは、大人への第一歩を踏み出す節目である。

 

バイク呉服屋は、このことを踏まえて、「帰りはこわい」の謎解きをしてみた。

まず、お参りした神社が「天神さま」というところに注目してみる。一般的に、天神さまといわれる社の神様は、菅原道真公である。学問の神様として知られ、北野天満宮や大宰府天満宮、湯島天神などには、いずれも道真公が祀られている。

そもそも天神=天の神=雷神であった。ではなぜ、菅原道真が雷神に成り変ったのか。それは、大宰府に左遷された道真が無念の死を遂げた(903・延喜3)年の後で起こった、ある事件が基になっている。

930(延長8)年6月、平安京・醍醐天皇の内裏・清涼殿で、太政官を初めとして、多くの公卿や高官を集めた会議が開かれていた。この最中に、突如として激しい雷がこの建物に落ち、多数の死傷者を出したのである。

亡くなった者の中に、藤原清貴という高官がいたのだが、この人物は、道真を左遷した太政大臣・藤原時平の命令で、道真の監視役を務めていた。この惨劇を目の当たりにした醍醐天皇は、ショックのあまり三ヵ月後に亡くなってしまう。

その場に居合わせた、当時の政権中枢にいた者達は、この雷を、道真の怨霊が宿ったものと考えた。これに怖れをなして、事件の後、道真の名誉回復がなされていくのだが、この時から雷神=菅原道真公という図式が成立したのである。

神社へお参りするまでは、子どもとして神様の庇護の下にあるが、参拝後は、大人への一歩を踏み出すことになる。これを自覚しなければ、天上で見ている道真公が、いつ雷を落とすかわからない。だからそれを恐れて、「帰りはこわい」のであろうか。

 

相変わらずの、バイク呉服屋によるいい加減な解釈なので、あまり真に受けないで頂きたいが、今日11月15日は七五三の祝。そこで、子どもの祝着(女児)に使われる文様は、どんなものが多いのか、見て頂くことにしよう。

 

(段ぼかし薬玉文様・小紋と黒地揚羽蝶文様・祝帯)

今日取り上げる品物は、女児祝着用の小紋と祝帯。小紋は、八千代掛(掛けキモノ)・三歳・七歳・十三参り用祝着として使うもの。祝帯の方は、七歳と十三参り用で使うもの。ということで、全て子ども用の品物になる。

最近は、フォトスタジオや貸衣装屋などでキモノを借りて、七五三を済ませてしまう方が多い。衣装を用意する必要がないので、実に簡単に済ませることが出来る。また、キモノや帯を用意される方でも、大人モノと同じように、採寸して仕立てをしなければならないような反物や帯地を使うことは稀だ。

一般的に売られている品物は、キモノは肩揚げと腰揚げだけをすれば使えるものであり、帯ならば、すでに帯の形が出来上がっている付け帯が多い。これらは、半ば既製品であるが、普通ならばこれで十分であろう。

寸法に合わせて誂える子どもモノは、今では贅沢なものとなったが、その品物の中には、長い間使われ続けてきた、「子どもならでは」の文様や色を見ることが出来る。順を追って、御紹介してみよう。

 

(薬玉文様 朱とクリーム地色横段ぼかし小紋・菱一)

子どもモノの地色というのは、やはり明るくかわいい色が多い。主流になるのは赤や朱系、そしてパステル系のピンクや水色、鶸色などがある。大人っぽく個性的にしたい方のために、黒地もある。

小紋の地色は、ひといろのものが多いが、上の小紋のような二色使いは、珍しい。朱とクリームが、段になって交互に付けられているが、仕立てをする時には、同じ色が横に繋がらないように工夫する。こうすると、全体が市松文様のように見える。色そのもので、子どものかわいらしさを表現することが出来る品物である。

中の文様は、「薬玉(くすだま)文」あるいは「花束文」。画像の右下に見える模様は、椿と楓の花で構成されている薬玉に見える。本来の薬玉には、上部にも下部にも五色の紐が付いているが、上の品物では下にしか紐がない。花束文も、薬玉文同様に、花を束ねる紐や縁起物の水引が結びつけられた形になっているので、それにも見える。

上の方には、牡丹と梅、松を組み合わせた、同じ形の薬玉(あるいは花束)と花の丸文を重ねたものがあり、四季の花が散りばめられた、実に子どもらしい意匠になっている。

本来の薬玉は、玉にしたお香を袋に詰め、その周りを菖蒲や蓬の造花で飾り、五色の糸を垂らしたもの。これは、平安時代あたりから、邪気を祓う道具として部屋の中で吊るされていたもの。その後、様々な花を飾りつけた薬玉が文様として取り入れられ、縁起物であるが故に、子ども衣装の文様として長く用いられてきた。

 

(花散文様 ちりめん地朱色小紋・菱一)

目の覚めるような鮮やかな朱色。松・竹・梅の吉兆文トリオと、橘や椿の小花が、散りばめられている。いずれの花も、かわいく図案化されており、子どもキモノらしい意匠。型疋田で付けられた模様が、アクセントになっている。この品物のように、幾つもの小花を全体に散らしたものが、花散らしである。

子どもモノに使われる花は、ある程度固定化されているだろう。松・竹・梅のほかは、桜・橘・牡丹・椿・菊というのが定番。これ以外の花には、なかなかお目にかからない。

このような花散文は、それぞれの花が小さく、全体がひと柄のようにも見えることから、より体の小さな子に向くように思える。三歳の祝着としても、華やかさが十分に出せる意匠である。

 

(手鞠文様 一越地茜色 小紋・菱一)

子どもキモノならではの文様、というのが玩具文である。上の画像の手鞠をはじめ、糸巻や独楽、鈴などが代表的なもの。中でも手鞠は、小さな女の子が遊ぶ愛らしい玩具であり、鞠の中に様々な模様を付けて表現されてきた。

この小紋の鞠にも、梅や菊の小花と一緒に、麻の葉や七宝文様が見える。麻の葉文様は、江戸期の歌舞伎役者が町娘の衣装として使ったところから、若い娘達の間で大流行したものだ。

花をモチーフにしたものが多い中で、このような玩具文を使ったキモノは目立ち、より子どもらしさを演出する道具となる。

 

(桃地色 市松揚羽蝶文様  黒地 揚羽蝶文様 祝帯・西陣 奥田織物)

揚羽蝶文様は、祝帯の中で見てみよう。蝶の文様といっても、そのほとんどが揚羽蝶であり、もんしろ蝶やしじみ蝶の図案などを、今まで見たことがない。揚羽蝶は、その形の優美さや色の鮮やかさから、古来より文様として使われてきた。二匹の蝶が向かい合う「向い蝶文様」などは、平安期の有職文様の一つである。

子どもの意匠として使われるのも、蝶の姿の愛らしさからである。ただ、蝶といっても、表現の仕方で大分雰囲気が変わる。上の二点の帯を見ても、それがわかると思う。左側のローズピンク地の帯は、金銀の市松模様の中に、小さな蝶を行儀よく配し、かわいらしさを前面に出している。一方黒地の帯は、少し大きめの蝶が乱舞しており、かなり大人っぽい。

子ども衣装のコーディネートは、より子どもらしく見せるか、大人っぽくさせるかということにより、使う品物が変わる。キモノの模様よりも、むしろどんな帯を使うかということで、イメージが決まるような気がする。

 

折角なので、どのようにキモノと帯を組み合わせると、どんな着姿になるのか、簡単に御紹介しておこう。

ちりめんピンク地・花の丸文様小紋と白地・花散し文様祝帯の組み合わせ。

パステル調のピンク地のキモノなので、より優しく上品な姿になるように、白地の帯を合わせてみた。キモノも帯も花をモチーフにしたものだが、キモノが花の丸、帯を花散しと図案を変えることによって、花同士の重なりという意識が薄くなる。

 

ちりめん朱地・花散し文様小紋と黒地・花の丸文様祝帯の組み合わせ。

今度は、キモノが花散しで、帯が花の丸。最初の組み合わせと、文様を真逆にしてみた。こちらは、小花散しのかわいいキモノが、大胆な黒地の花の丸帯を使うことにより、ぐっと引き締まり、大人っぽい着姿になることが想像出来る。

 

このように、花の丸と花散しという二つの文様だけを使っても、様々に着姿を変えられる。子どもモノは、大人モノよりも色が限られ、その上子どもならではの図案というものもある。けれども、まず最初にどのような雰囲気の着姿をイメージするか、ということにおいては大人モノと同様である。

七歳ともなれば、子ども自身にも好きな色や模様が出てくる。それを出来るだけ尊重しながらも、その子にふさわしい組み合わせを見つけて欲しいものだ。

 

子どもたちの未来は、希望が溢れるもの。それを実現出来るか否かは、今の社会を生きる大人たちに、全ての責任があります。

大人社会へ入る道が、決して怖いものであってはなりません。いつの世も、子どもを社会の宝として、尊重できるようにありたいものです。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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