バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

呉服屋の「情報発信」と「宣伝」を考える(前編)

2014.09 21

駅の改札口の近くに、「伝言板」というものが、置かれていたのをご存知だろうか。この記憶があるのは、おそらく40代以上の方だろう。

「待ち合わせ」をしていたのだが、何らかの不都合があり、「相手を待つことが出来なくなった時」の「連絡」のために使われていた。例えば、約束の時間から1時間待ったのに、相手が現われない場合、「待っていたこと」を知らせるために書き込む。また、約束の時間に駅に居られない事情が生じたとき、その旨を伝えるためにも使う。もちろん、「長々」と書き込むスペースはなく、せいぜい二行・30文字程度までである。

「伝言板」には、「人間模様」が映し出されることも多い。「微妙なすれ違い」や「思いの丈が込められた文字」を見ることもあった。人と人が「行き会う」という中で繰り返される、「偶然」という名のドラマを見ているような気がした。

「伝言板」の隅には、「3時間以上経過した伝言は、消されます」と書かれていた。言葉が伝わったのか、伝わらなかったのか、誰にもわからない。またそれが良かった。

 

この二十年で劇的に変化したのは、「伝える」というツールの飛躍的な進歩である。リアルに自分のことを相手に伝えるということが、これほど容易になるとは、誰が想像しえただろうか。ITの技術は、人間社会を根底から変えてしまった。

もちろん、進歩による「功罪」は、両方あるだろう。それぞれの人の「使い方」を見ると、その「人となり」がわかるような気がする。「依存」するのか、「距離」を置くのか、それはすべて、「使う人次第」である。自分が人とどのような「関り方」をするのか、また、自分の生活の中で、どのように「使いまわす」のか、で変わるだろう。

便利で効率的なことを「最優先」とするものだけに、「人が機械に振り回される」ようなこともあると思われる。例えば「情報」というものを考えて見ても、あまりに入手しやすくなったために、「多くの情報の渦」に巻き込まれて、かえって混乱を来たすようなケースも見受けられる。

コラムブログを始めて1年4ヶ月経ち、「呉服屋の情報を発信する者」として、どのような観点でものを伝えていけばよいのか、改めて考えてみると同時に、「宣伝」というものから見えてくる、「呉服屋の特徴」についても話してみたい。

 

ブログの「稿」を書いている場所は、とても狭い。店の裏には、「3畳」ほどの小部屋があるのだが、ここには、家内が経理の仕事をする事務机と、上のパソコンを置く机があり、お客様から預かった直しモノを一時的において置く「棚」もある。また、「たとう紙」や「包装紙」など紙類を置く場所も作ってある。

「事務所」というには、あまりに小さく、雑然としている。ここで昼食(毎日弁当持参)も食べるのだが、二人で座るのがやっとだ。

 

「呉服屋」として、情報を発信しなければと考え始めたのは、3,4年前からである。このブログを見て頂いている方々は、お気づきかと思うが、ここは、品物を「売る」ための仕様にはなっていない。

今まで、「呉服屋」が疎かにしていたことは、「品物」はもちろんのこと、「直し」や「職人のこと」など、「呉服屋としての仕事」が如何なるものなのかという「情報」を、消費者にあまり伝えて来なかったことである。

「呉服」というものが、時代と共に一般には馴染みのないものになり、非常に「わかりにくい」品物になってしまった。価格はもちろんのこと、扱い方や、使い方のTPOなど、厄介なことだらけである。いつ、どんな場合に、何を着ればよいのか、それどころか、「キモノを着る」には一体何を用意したらよいのか、こんな「基本的」なことも、一般の方には浸透していない。

消費者にとって「キモノはわからないもの」というのが正直なところであろう。

 

今の状態を見ると、商売をする以前に、お客様に理解して頂かなければならないことが、とても沢山ある。例えば、「季節と使う場所により」使うアイテムが異なることとか、「寸法を直せば、古い品物でも再生出来るものが多いこと」とか、言い出したらきりがないほどだ。

「何を用意すべきか」、「新しい品を購入すべきか否か」など、応対する時に、どうしても「説明」したり、「確認」したりすべきことが多々ある。これを怠っては、仕事を受けることも物を売ることも出来ない。

つまり「情報」のやり取りというものが、最優先されなければ、次ぎに進めない。「何も知らせないまま」商いをしたり、店側が「いい加減な間違った情報(極端な例は、紬がフォーマルに使えるとか、使える品なのに、直すことが出来ないとか)」を伝え、取引をしてしまったら、それでお終いだ。「一般消費者」は「店側が間違っていること」にも気づかないことが多く見受けられる。

 

一部の専門店や百貨店などでは、「お客様に伝える」ということを大切にして取引を進めてきたように思うが、業界全体を通してみれば、残念ながら、これは少数派と言わざるを得ない。

「物を売る」ということが最優先されたことで、「知って頂く」ということが疎かにされた。また、「売り手の劣化(知識を持たない者の増加)」はなおそれに拍車をかけた。もともと、「呉服」というアイテムは、「一筋縄ではいかない」商品である。経験と学習を積み重ねてこそ、初めて消費者と相対できるものであろう。

もちろん何十年とこの仕事に関っていても、難しいことは多い。どんな仕事でも同じだが、知識を重ねることに終わりはない。

 

では、「バイク呉服屋」にとっての「情報発信」とは何かということだ。このブログの目的は大きく二つ。まず一つは、「呉服屋とは何ぞや」ということを、読まれる方に認識してもらうことだ。扱う商品はもちろんのこと、仕事の内容や、一つの店を取り巻く人たちのことまで、全て明らかにする。

呉服屋に関る人というのは、どんな人なのか。品物を作る人、流通させる人、直す人、加工する人。そして店の者自身。それぞれに役割があり、どの人が欠けても仕事に支障を来たす。というより、「店」として立ち行かなくなる。

「専門店」であれば、それぞれの「持ち場」の「人」を大切にする。一人のお客様、一つの商品、一点の直し物を疎かに出来ないと考えれば、必然的にそうなる。

 

もう一つの目的、これは「賢い消費者」になって頂くための「情報」を伝えること。「商品」の「価格」というものがどこで判断できるのか。「手の掛けられた品物」はどんな仕事がされているものなのか。「質の良し悪し」を見分けることが出来れば、品物を購入する時の、「致命的な失敗」は少なくなる。それは、「いい加減な呉服屋のいい加減な価格」を見抜くことにも繋がる。

これが出来れば、「自己責任」でモノが買えるようになる。今、ネットの中には、数え切れないほどの店舗がある。「専門店」から「古着屋」、「オークション」と溢れんばかりにモノがある。「品物」を判断できる消費者ならば、自分の望む品を望む価格で手に入れる機会は、多くなるはずだ。

そして、「直す」ということにも、知識を持って頂きたい。キモノも帯も小物も、「長く使えるもの」と認識して欲しい。それには、「直し(洗い張り・補正)」や「加工(仕立・紋)」職人の仕事を紹介するのが、一番だ。「直し方」や「縫い方」を丁寧に説明することで、「こんな使い方もあるのか」とわかって頂けるはずである。それは、持っている品物や、将来譲られる品物を大切に扱うことに繋がっている。

 

バイク呉服屋は、偏屈な性格なので、自分の仕事のやり方が変えられない。つまりは、今の時代に合うような、「合理的で効率の良い商い」は無理ということだ。例え、「直し」のような仕事でも、お客様と「相対」でなければという思いは強い。「品物を売ること」などはなおさらである。だから、相手の顔が見えない「ネットの上の商い」は、「念頭においてない」。このブログで紹介する品の価格を「提示」しないのは、こんな理由からだ。

つまらない自分の考えはさておき、このブログが、読まれる方の「キモノライフ」に、少しでも参考になったり、役立つならそれで良いのである。お客様それぞれが、贔屓にしている店や、お気に入りのサイトでモノを購入したり、直しを依頼すればよい。ぜひ、「自分の力」で、そんな店を見つけて頂きたい。

なお、バイク呉服屋も、ご依頼やご相談を頂ければ、どこへでも行かせて頂く。「十勝三股」でも「嶮暮帰島」でも「内蒙古」でもどこでも、である。「バイク屋に無理という場所はない」のだ。ただし、あまり遠くだと、バイクが「火を吹く」可能性が高いので、その「修繕費」を別途に請求するかも知れない。

 

私も、このブログの来訪者から、様々な情報を、「統計」という形で得ることが出来る。ただしそれが、来訪者一人一人のプライベートなものでないことは、言うまでもない。

上の画像は、その一部。ブログ上の「訪問者」は実数。「閲覧数」は「読まれた項目の数」。この他、どの稿がどれくらい読まれているか、稿ごとにわかり、「読んでいる人」が「何に関心を持っているのか」ということが理解できる。また、「どのような言葉を検索して、このブログに行き着いたか」も、わかるようになっている。

ちなみに、多く読まれているのは、「加賀友禅を見分ける」や「江戸小紋を見分ける」の「見分けシリーズ」や、「振袖は何歳まで着れるか」とか「不要になった嫁入り道具としてのキモノ」の稿。また、「呉服価格の問題点」など、業界の内側の話や、「職人の仕事場」の各稿も沢山の方に読んで頂いている。この場を借りて、読者の方に感謝したい。

なお、この情報は、これからどんなテーマで稿を書くかということの参考にもなる。これからも、キモノに慣れない方や、キモノは着ないという方にもわかりやすく、話を進めたいと思う。もちろん、「旬」の品物を紹介することも「忘れずに」。

次回は、「宣伝」という側面からかい間みえる、「呉服屋の質」についてお話する。

 

「信用」というのは、「情報を公開する」ということだと思います。いかに、消費者に自分の仕事の内容をわかって頂くか、すべてはここから始まるのではないでしょうか。

できる限り、「自分の言葉」で、様々な情報を提示出来るよう、頑張ってみたいと思います。

 

最後に、私の「待ち合わせ」の思い出をお話しましょう。待ち時間として、もっとも長かったのは、京王線・中河原駅の6時間。次いで、東武東上線・池袋駅の3時間半。もちろん、「連絡を取り合う手段のない昭和の話」で、バイク呉服屋若かりし頃のこと。

「待ち合わせ」の相手は、当然女の子。6時間の女性とは会えず、3時間半の女性とは、会うことが出来ました。遅れてきた理由は、授業の遅れ(リケジョだったので実験が長引いた)。私の性格なら、「必ず待っているはず」と思ったそうです。ちょっと「感動もの」だったことを覚えています。

実は、6時間待った相手は、今私の後ろで、「事務」をしている女性です。彼女の名誉のためにもお話しますが、この時「待ち合わせ」の約束はしていなかったのです。急に、どうしても話さなければならないことがあり、勝手に彼女の仕事場の駅で待っていたのですが、折り悪く、その日は用事があり、早く退社していたのでした。

結婚後、「6時間も待てたのだから、その時の情熱は大したものだ」と家内に話すと、「今なら、どのくらい待てる」と聞いてきたので、「6分」と答えました。「君はどのくらい」と問い直すと「6秒」だそうです。これが本当の「秒殺」です。

今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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