今年の秋は、忙しい。もしかすると、ここ数年で一番かもしれない。毎年秋には、一週間ほど休みを取って、北海道を歩くことにしているが、今年はまだ実現していない。
こう書くと、バイク呉服屋は、次から次へと品物を捌いて、儲かっているように思われるかも知れないが、そうではない。基本は、お客様からの依頼を待つ仕事のスタイル。よその店のように、経費を掛けた展示会など開く意思も無いので、一度に大量にモノが売れることなど、ありはしない。元々一人仕事なので、出来ることに限りがあり、扱う品物の数はたかが知れている。
では、なぜ多忙なのかと言えば、お客様から依頼された内容に、難しいものが多いからである。ただ単純に、求めに応じて品物を売るのであれば、事は簡単である。しかし、望む品物がどこにもないとすれば、それは創るより方法がない。
妥協して、今ある品物の中から選んで頂くことは、もちろん出来るだろう。けれども、それでは100%の満足は得られまい。お客様が、こだわりを持つには、やはり理由がある。「バイク呉服屋なら実現できるかも」と希望を携えて依頼されるその思いは、聞けば聞くほど、何とかしなければという気持ちを湧き立たせる。
けれども、無いモノを生み出すことは、そう簡単にはいかない。無論私一人の力で出来るはずもなく、メーカーや多くの職人さんの協力がなければ、到底実現は不可能である。技術的なこと、価格の問題、さらに限られた日限内での納品など、オリジナル品を誂えるハードルは相当高い。
しかし関わる者が、依頼された方の思いを共有することで、無理と思えることも可能になる。そしてそれは、時として「利益を忘れる仕事」になる。つまり、儲け云々は二の次になり、ただ「満足してもらえる品物を創ること」に、傾注するのだ。
とかく不透明な呉服商いにあって、「心意気」で仕事を受ける業界の人々も、まだいる。そこで今日から数回にわたり、あるお客様から受けた依頼を、どのように形にしていったのか、私も含め、仕事に携った人の過程を踏みながら、お話したいと思う。
そこからは、品物がどのように創られていくのか、その姿も見えてくるだろう。読者の方には、そんな仕事の現場も実感して頂けるのでは無いだろうか。
「桜小紋」にあしらった桜図案の一部。
「桃小紋」にあしらった桃図案の一部。
この品物の製作は、春先に届いた一通のメールから始まった。送り主は、愛知県在住の若いお母さんである。この方は、このブログを通してバイク呉服屋を知り、これまで何度か仕事を依頼されている。もちろん、お会いしたこともあり、昨年の夏には、ご主人と小さな息子さんを伴って、わざわざ店まで足を運んで頂いた。
メールの内容は、双子の女の子が誕生したので、二人の掛けキモノを誂えたいという依頼。この方は、小紋の反物を裁つことなく掛けキモノとして使い、その後三歳、七歳、十三参りの祝い着として、その都度手を入れて使い続けるというブログの稿を読んでいたので、長く大切に使える良質な品物を求めたくなったのだろう。
「生まれてきた喜びが、子どもの成長と共にいつまでも感じられる。そんな品物をつくりたい」と希望を話される。私も、その思いには大賛成であり、ぜひ長く愛される品物を求めて頂きたいと思った。
けれども、問題はその後である。誂える小紋のモチーフは、それぞれ桜と桃でお願いしたいとのこと。何故なら二人の娘の名前を、「桜子」「桃子」と名付けたからである。
ここまで読んで、私は頭を抱えてしまった。桜図案の小紋は、探せば見つかる可能性もあるが、桃の小紋はこれまで見たことが無かった。そしてそもそも、「桃」はキモノの図案として使うことが稀で、私が見た品物では、一度だけ大羊居の訪問着にあしらわれていた記憶が残っているくらい。それももちろん桃単独ではなく、模様の一つとして組み込まれていただけである。
もし運良く、子ども向きの桜小紋があったとしても、桃小紋が無ければ、それは使えない。双子なので、当然揃って着用する。桜子ちゃんだけが、桜キモノで、桃子ちゃんは桃と関係ない意匠では、全くバランスに欠けてしまう。二人それぞれの図案を揃えることが、大命題なのだ。
とは言え、難しいと判っていても、最初から断ってしまったら、お客様の気持ちに寄り添う姿勢に欠けてしまう。「何ごとにも手を尽くす」ことは、私の仕事の基本である。そこで、とりあえず桜と桃の小紋を探す約束はしたが、期限を二ヶ月と区切らせて頂いた。そして、もし見つからない場合に備えて、千切屋治兵衛の小紋を使うことをお奨めした。
桃の小紋は、常識的に考えても探し当てる可能性は低い。だから当然、代わる品物を意識して頂く事が必要になる。そうでなければ、着用する予定が立たなくなってしまう。千治の小紋ならば、現物だけでなく、見本帳から柄を自由に選ぶことが出来、希望する地色にも染めることが出来る。全くのオリジナルではないが、誂えの意識を含んだ品物選びにはなるだろう。もちろんきちんと型紙を使った小紋なので、質に問題はない。
ということで、お客様と約束を果たすために、早速私は品物探しを始めた。とりあえず、うちと取引のある染メーカーすべてに声を掛け、これまで桜だけの模様、桃だけの模様を作っていないか、聞いてみる。小紋は、型紙さえ残っていれば作ることが出来るので、現品になくとも、以前染めた品物の中にあれば、何とかなると考えたからだ。
けれども、桜小紋さえ、子どもに向く可愛い模様の品物が見つからない。そして桃小紋は、予想通りどこのメーカーも作ったことはなかった。メーカーの担当者には、ツテを辿って、様々な染屋を当たってもらったが、やはり駄目だった。
依頼を受けて、二ヶ月半が過ぎた六月中旬。私は、もう探すあてもなくなり、ほとんど諦めかけていた。お客様には、見つからなかったことを知らせ、千切屋治兵衛の品物で納得して頂くように、話をするつもりでいた。
そんな時、声をかけていた一軒の染メーカー問屋から連絡が入った。それは、完全な誂えでオリジナル品を作ったらどうか、という提案だった。そしてその小紋は、型紙を使うのではなく、下絵を描いて糸目糊を引き、地染めをして、手で色を挿すという、手描き友禅の技法をそのまま使って作るというものである。
小紋はまず模様の型紙を起こし、その後に地染めをし、模様に色を挿して作るが、通常は、同じ型紙を使いながら、地色や配色を変えて、一度に数反を染める。型紙が同じなので、作れば作るほどコストが下がり、利益を生むことになる。もしこれが、一反しか染めないことになれば、コストが上がり小売価格も高くなる。このように技法に制約があり、コストもかさむことから、最初から桜や桃小紋一反だけのために、型紙を起こすことなど考えてもいなかった。だから、オリジナル小紋を創ることなど、無理と諦めていたのだ。
けれども、このメーカーでは、手描き友禅で作るという。無論、理屈では可能と判ってはいたが、問題はやはりコストである。私がお客様から希望を受けた価格の上限は、1反20万円まで。この価格内で、手描き小紋が作れるとは、到底思えない。
何しろ、訪問着や付下げのように、決まった位置に模様を付ける品物であっても、手描き、手挿し友禅は高くなる。それは、下絵や糸目糊置き、地染め、色挿しと、それぞれの職人の手を通して仕事を進めていくためで、結果どうしても工賃がかさんでしまう。キモノの価格は、凡そ手間の掛かり方で上下するが、職人だって、この仕事で食べていかなければならないのだから、これは止むを得まい。
小紋は、反物全体に模様を散りばめなければならず、訪問着・付下げとは比較にならないほど、描く模様の量が多い。ということは、余計に手間が掛かり、コストも膨らむと想像が付く。また常識で考えれば、職人はこんな面倒な仕事を、安い工賃で受けるとは思えない。
このメーカーには、予め加工賃の上限を話してはいたものの、その範囲内で手描き小紋が作れるとは、にわかには信じられなかった。けれども、再度確認してみると、お客様が20万円以内で求めて頂けるような価格で、バイク呉服屋に品物を卸すという。
そこで改めて安く作れる理由を聞くと、作り手の職人さんが、二人の娘の誕生を喜び、名前にちなんだ品物を望んだお客様の気持ちを汲み取ったからだと言う。桜子ちゃんには桜柄だけの、桃子ちゃんには桃柄だけの小紋。そんな特別な品物を何とか作り、喜んで頂きたいと思ったからだ。それこそ、損得抜きの職人の心意気であろう。
こうして、桜と桃の小紋は、手描き友禅で作ることに決まった。お客様に連絡すると、「そんなことをしてもらえるのですか」と大いに驚き、そして喜んで頂けた。けれども、これは始まりであり、どのような模様にするのか、地色は、配色はどうするのか、まだ何も決まっていない。これはただ、まっさらな画用紙を渡されただけで、何をどのように描くかを、私とお客様とでこれから作り上げていかなければならない。
むしろこれは大変なことで、設計次第では、大切な品物が台無しになる可能性すらある。この時の私の率直な感想は、「えらいことになった」である。
友禅の模様師が描いた、図案の雛形。上が桜、下が桃。
全く新しいオリジナル品を作るといっても、私もお客様も何をどのようにしたら良いのか、判らない。私は以前、杜若柄、菊柄のオリジナル訪問着を創った経験はあるものの、小紋は初めて。そこで、模様設計の参考になるように、プロである友禅の図案師に、桜と桃それぞれの雛形を作成したもらった。これが、上の画像の図案。白い紙は、反物の幅になっているので、大きさや模様の間隔がリアルに把握出来る。
もし、この図案で良いとなれば、それは助かるのだが、そう上手く事は運ばないと考えた方が良い。けれども、図案を考察する上では、「叩き台」として、十分活用することは出来るだろう。
ネットで検索し、桃と桜の図案を集めてみる。これも参考資料になる。
地色や挿し色の参考になるような明るい色の小紋を用意する。そして、店の品物から「桜の染帯」を出して、桜図案の手掛りにする。また色見本帳も、数冊準備する。
こうして、品物を設計するため、模様の雛形を始めとして、様々なものを準備して、お客様の家へ伺う事になった。7月下旬の雨の日、台風が接近する中、中央高速で名古屋へ向かった。依頼のメールから、四ヶ月が過ぎようとしていた。
さて、私とお客様はどのように模様を考え、地色と配色を決めたのか。具体的な草案(設計)については、また次回にお話することにしよう。
難しいと思える依頼でも、手を尽くすことにより、思わぬところから光が差し込むことがあると、今回の仕事を通じて改めて感じました。そしてそれは、今まで持っている仕事の常識を越えて、実現することもあるのだと。
依頼を受けた呉服屋はもちろん、職人に仕事を繋ぐメーカーの者、さらには現場の作り手。仕事に携る全ての人が、お客様の気持ちを尊重し、「何とかしよう」と前向きになる。受け取る報酬を少しずつ減らしても、お客様が満足のいく品物を作りたい。そんな心意気を持ちつつ、モノ作りに励む人たちがいます。
私は、この業界、まだ捨てたものではないと、思っています。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。