昭和40年代までは、どの家も「掛け=ツケ」で品物を買っていた。主に米や味噌、醤油、酒など日常に使う食品類などがそうだった。だいたい20日締めの月末払いとかで、ひと月単位でまとめて、支払いをしていたのだ。
どこの家も、「ツケ」のきく店と取引があり、店側も「御用聞き」をしながら商いをし、集金をする。「酒屋」「米屋」また「クリーニング屋」などは、「掛売り」が日常のことだった。
呉服屋もその頃は「掛売り」の店が多く、ほとんどの場合、品物が仕上がった時に、代金を頂いていた。ただそんな中でも、「小料理屋のおかみ」や、「芸者衆」などの日常的な得意客には、「通い帳」を持っていただき、決まった「勘定日」にいくらかのお金を入れてもらうようにしていた。それでも「盆と大晦日」は特別で、いつもの月よりも少し多く勘定を頂く約束になっていた。
今年も残すところ、三日。昔から、商売をするものにとって「大晦日」は特別な一日。「盆、暮れ勘定」とよく言われたが、モノを売る時に、「暮れまでに勘定をもらえれば結構です」と言いつつ、商いをする。「暮れ」は「大晦日」である。商売人にとっても「あてにしていた売掛け」が集金できるかどうかは、自分の支払いにも関ってくる重大な問題である。
今年最後のブログは、そんな商売人の「晦日事情」の変化についてお話しよう。現代版の「世間胸算用」といったところである。
「大晦日 定なき世の 定かな」という井原西鶴の句は、そのまま商人の晦日をよく表しているだろう。「世間胸算用」は江戸の町人文化がもっとも花開いた元禄期(1692・元禄5年の刊行)に書かれた、いわゆる「町人物」の代表作である。
この町人物は、「浮世草子」と呼ばれ、市井の民衆(名もなき人々)の生活に題材を求めたものを指す。西鶴はこの創始者であり、第一人者である。特にこの「世間胸算用」は、「大晦日」という日に絞り、その日に繰り広げられる金銭の「掛取り」の様子が描かれている。
(昔ながらの五つ玉算盤 昔の呉服屋の商いには欠かせない道具)
江戸時代の取引の中心は、「掛売り」である。一年のうち、「節季」という節目が五回ある。3,5,9月の節句の前日と7月の盆節季、そして12月の大晦日が大節季。この節目を目安として商人は「掛売り」をしたのだ。
この「大節季」には、どんなことがあっても、「取立て」をしなければならない。だが、当時の庶民である町人達も、「すんなり払いをしてくれる」者は少ない。だから、「貸し手」と「借り手」は、どちらも智恵を尽くして「追いかけ、そして逃げ回る」。
「世間胸算用」には、様々な「取立て」の様子が描かれている。例えば、ある家の改築を請け負った者がその代金を取り立てに行った時のことである。依頼主であるその家の主人は、工事が終わったというのに、支払いを「大晦日」まで引き伸ばす。そして、嫁に「主人がいなくなってしまった」と嘆かせ、本人は押入れに隠れて出てこない始末。
そこで、取立人は、最終手段として、「支払わないなら、改築に使った材木は返してもらう」と言い、手を入れた柱を槌で打って外そうとした。これを陰から見ていた主人はあわてて「詫び」を入れ、代金を全額払った。
このことを見れば、「取り立てる側」も人の良いことを言っていたら、「掛け」は払ってもらえないということだろう。時には「鬼になる」覚悟がなければ、借金の回収など出来ないという例である。
さて、平成の世の「晦日事情」はどうであろう。今の商取引に「掛売り」などという言葉は「死語」だ。「カード」や「ローン分割」などは押し並べて「銀行引き落とし」であり、「売り手」と「買い手」が直接お金のやり取りをする場面は、本当に少なくなった。
「カード」を使い買い物をする。その代金が、銀行から引き落とせなかったら、その取立てに行くのは「カード会社」の人間だ。つまり、「店側」から、買い物の代金である「債権」を買い取って、「客」から代金を受け取るのが「カード・ローン屋」の商売である。
「カード屋」は、店と客がどのような成り行きで商売をして、「債権」が発生したのか、その経緯はわからない。だから代金の「焦げ付き」が発生したら、相手の事情を勘案することなどない。ただ「払え」というだけだ。「取立て」に容赦などしない。
これが、「掛売り」の未払いだったらどうであろう。モノを売った「店」と買った「客」が直接相対したなら、相手の「払えない事情」というものも「考えてやる」ことができる。このあたりが「人間らしい」のだ。モノの売り買いはお互いの「信用」で成り立っている。「目に見える相手」であれば、支払いの方法について、いろんな知恵も浮かぼう。
「払いの良し悪し」というのは、売った時の「売り方」に関係する。店と客の双方が、お互いに納得して取引が成立した時の「払い」には問題がおこらない。つまり「品物」と「払う金額」が見合うものだったということである。
「払ってくれない」時は、客側が「取引に納得」していない場合が多い。つまり、店側が強引に品物を押し付けるように売ったり、客が後になって、「高い買い物をした」と感じ、払う品代金に不満を感じた時に生じる。「払うつもり」だったが、急に金の入用が出来、支払いが出来ないというケースもあるが、これは稀である。
ともあれ、「掛け」による取引が少なくなった現代では、一般的に「晦日の取立て」などほとんどなくなった。ただ、うちのような、「カードやローンの扱いのできない」店では、今でも「掛け」は当たり前のようにある。だが、先に述べたように、お客様には、無理な売り方をせず、納得をして買って頂いているため、代金の支払いが滞るようなことはほとんどない。
「代金を頂く」というのは、商売人にとって大切な仕事だ。支払いの際のお客様の様子で、品物に納得されているかどうかもわかる。満足した取引であるならば、お互いが穏やかな気持ちで相対でき、そのことが次の商いにも繋がる。呉服屋の仕事は「一過性」のものではない。「売ってしまえばそれで終わり」ならば、代金を貰い受けた時点で、お客様との関係が終わってしまう。
私が「掛売り」にこだわるのは、最後まで人と人との相対で、仕事を完結したいと考えているからである。一番大事な「お金を頂く」というところを、何も知らない「カード屋やローン屋」に任せておく訳にはいかない。
もちろん中には「何回かに分けて」支払いをする方もいるし、それこそ「盆・暮れ払い」の方もいる。それは、その都度お客様との話の中で決めればよいのだ。取引というものの基本は「信用」である。お客様に事情があれば、呉服屋が「待つ」ことで解決がつく。「代金を頂く」ことは重要だが、出来るだけ「待ちながら」ゆったりと仕事をしたいものである。
支払いを「待つ」ことが出来るには、店側にも余裕がなければならない。店にも取引先や職人への支払いがある。もちろん自分も「給料」を貰う。無理な仕入れ方をしていたり、沢山の経費(自分がべラボーな給料を取ることなど)を使っていたら、どうしても「お金」が入用になる。こうなるとお客様の支払いを「待つ」などと悠長なことは言っていられない。
だからこそ、人も使わず、経費もかけず、仕入れを吟味して、「身の丈に合った」経営をすれば、「待つ」ことができる。何も、「店を大きくしたり、大勢の人を雇い入れる」必要はない。「お金」に追われて仕事をすれば「ロクなことはない」と思う。
西鶴は「世間胸算用」の中で、現代にも通じる話をしている。「金銀ほど、方行きのするものはない」(金ほど一方に片寄るものはない)とか、「今の商売の仕掛け、世の偽りの問屋なり(今時の商売のやり方は、偽りを卸売りする問屋のようなものだ)等々。
元禄の世も平成の世も、つくづくあまり変わりばえしないもののように感じる。
午前中、今年最後の納品をしてきました。品物は友禅の八千代掛け(お宮参りのキモノ)、女の子のものです。以前このブログで紹介した、「千切屋治兵衛」の小紋を「鋏」を入れずに仕立てたもの。この品は、県外に嫁いだ娘さんに女の子が生まれ、その孫のために、祖父母が用意したものです。来年の最初の大安(1月6日)に当店の方から送らせていただくことになっていますが、その前に「出来上がった品」を見ていただきました。
初仕事が女の子の宮参りの品を送るというのも、「縁起の良さ」を感じます。蛇足ですが、この子が生まれた日は、私の誕生日と同じ日。なおさら「目出度い」ような気がします。
本年の仕事は今日までです。ブログの更新も来年1月5日までお休みいたします。5月に始めたブログに5700人もの方に訪問していただき、大変感謝しています。来年も、出来る限り「隠れた呉服屋の仕事」をお話して行きたいと思います。皆様どうぞよいお年をお迎えください。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。