その昔織物は、二つに大別された。高級品と見なされた絹織物が呉服であり、庶民の日常着として使った麻や綿織物は、別に太物と称されていた。細い絹糸に比べて、麻糸や綿糸は太く、特に手で紡ぐ糸は太さに大きな差があったことから、太物という名前が付いたのである。
江戸から大正期あたりまでは、呉服屋とは別に、太物ばかりを商う「太物屋」が店を構えていた。上物の絹を扱う呉服屋では、紋入れや仕立誂えを同時に請け負うことが多く、紋章上絵師(紋職人)や和裁士などの加工職人を、自分の店で抱えた。けれども、普段着を扱う太物屋では、ほとんどの客が反物をそのまま持ち帰り、自分で縫った。
考えてみれば、戦前まで女子の教育は、良妻賢母を目指すことが主眼に置かれた。家庭に入ることが前提だったことから、とりわけ裁縫は重要視され、普段着を自分で縫うことなど、出来て当たり前だった。そればかりか、家々には張り板があり、汚れたキモノは自分で解いて洗張りをし、誂え直しをした。だから太物に限れば、店に誂えを依頼する者など、ほとんどいなかったのである。
そして江戸には、もう一つ面白い商売があった。名前は、損料屋(そんりょうや)。これは、衣類を始めとして、夜具や調度品、器、建具などを貸す商い。今で言うところの、レンタルショップである。高価な服や道具を買うことが出来ない庶民は、この損料屋でモノを借りつつ、日々の生活を送っていたのだ。
普通の町人が住む裏長屋は、大半が四畳半一間きりで、収納スペースなど無い。その上、何人もの家族がこの狭い場所で暮らすのだから、モノを買ったところで置き場は無い。だから、どうしても生活に必要となれば、損料屋から借りるしかなかった。例えば、夏が近づけば蚊帳を借り、寒くなれば火鉢や炬燵を借りるように、必要な時に必要なモノだけを調達した。そして、滅多にない冠婚葬祭の衣装なども、損料屋に依頼をする。今や借りるのが普通になった喪服や留袖、そして七五三の祝着や振袖などは、驚くことに江戸の昔から、当たり前のようにレンタルされていたのである。
この損料屋という名前には、貸したモノにはその時々で損耗(そんもう)が発生するので、これを代償とする料金=損料を客に請求するという意味がある。もちろん、貸す品物の価値や貸し出す期間によっても、損料は違うが、例えば、一泊二日で貸すのは「蝙蝠(こうもり)貸」とか、昼の間だけ貸すのは「烏(カラス)貸」などと、面白い名前が付いている。考えてみれば、確かに蝙蝠は夜に活動し、カラスは昼に姿を現す。
太物屋は、呉服商いを細分化した分担商いであり、損料屋は、前提として品物を共有・シェアする商い。双方とも古くから営まれてきた商い形式だが、現代にも通ずるところがある。けれども、商売の基本となる勘定のやり取りは、劇的に変化を遂げた。
今年も終わりに近づいてきたが、江戸の商人にとって師走は、客が延ばしてきた勘定を支払ってもらう、一年で最も重要な時期。けれども、支払いが簡便化された現代では、歳末に売掛の回収に追われるような店は、ほとんど無いだろう。だが、「江戸の匂い」を残すバイク呉服屋では掛売りが普通にあり、暮れに品代を一括して支払う方もおられる。そこで今日は、前々回のアナログ的商いの後編として、江戸から続く商習慣・延勘定(のべかんじょう)について、話を進めてみよう。
昔、延勘定のお客様は、この「通帳(かよいちょう)」を持っていた。この帳面には、品代やその誂えに関わる加工代、そして他に請け負った悉皆の代金などを、日付けごとに書き込んでいく。こうしておけば、お客様は自分がいつ何を買ったのか、そしてどんな直し仕事を依頼したのか、いつでも把握できる。また、支払いの時には帳面を持参し、そこでは払った金額を店側が書き入れる。
もちろん、店の方にもお客様ごとの帳簿(大福帳)があり、商いの内容はすぐ判るようになっているが、通帳を渡すことで、店と客双方が情報を共有出来る。掛売りは、店と客に強い信頼関係があってこそ成立する取引なので、その時々の商いを明確にしておくことが、どうしても必要になる。だが現在は、支払いが年を越す方はほとんどいない。なので以前のように、通帳を必要とする「長い延勘」の方は、もう現れないと思う。
さて、前稿の丼勘定編の中で、勘定が後になる掛売りが発生するのは、呉服屋の扱う品物のほとんどが、誂えを終えないと納品出来ないことが理由と述べた。実際に商いの場では、品物本体と裏地、そして仕立などの加工賃に消費税をプラスした価格を提示し、それを受け入れて頂いたところで、商いが成立する。だが、支払い価格は決まるものの、お客様が品物を持ち帰ることはなく、出来上がるまで店の預かりとなる。
求めて頂けたが、着用出来るようになっていないとなれば、代金を頂くのは心苦しい。やはり完全に装える形になって、初めて品代を堂々と請求することが出来るのだろう。反物のままでは使い物にならないのだから、当然のことである。
現在預かっている未仕立品と悉皆品。今年中の納品には間に合わず、来年に廻る品物。仕事が終わっていないので、当然代金も持ち越しになる。脇に置いた梱包品は、数日中に県外のお客様へ発送する品物。この代金は、年内に振り込んで頂ける。
キモノや帯は、品物の内容や加工の方法によって、誂える期間が変わってくる。例えば、紬の袷を誂えるとすれば、まず湯通しを行い、それと並行して八掛の染め出しを染屋に依頼する。そして八掛が上がってきたところで胴裏を添えて、和裁士に手渡す。仕事の込み具合によっても異なるが、品物が売れてから誂えを終わるまでには、およそひと月半~二か月くらいは必要になる。
反物の状態で売れてから、キモノとして完成するまでに生じるタイムラグ。これが、支払いが後になる大きな要因であるが、呉服屋の仕事としては避けようもない。多くの商いでは、仕上がって納品した際に代金が頂けるのだが、それでも前述のように、二か月くらいは猶予期間がある。
白生地から誂え染を施した無地。八掛も、キモノの色に合わせて一緒に染める。
この色無地のように、品物本体を誂えて染め上げる場合、当然ながら、普通に品物を売った時よりも、仕上がりに時間がかかる。手間を掛けた品物ほど、品代が入るまでに時間が掛かり、売掛の期間は長くなる。そして悉皆の依頼を受けた品物は、直しに関わった職人からの請求がなければ、お客様へ代金の提示が出来ない。しかも直しの工程が複数になれば、それだけ時間も費用も掛かってくる。だからモノを売った時はもちろん、モノを直す時にも、その場で支払いを求める訳に行かず、必然的に掛売りの形式を取らざるを得なくなるのだ。
さらにうちでは、お客様の多くが、生活の中に和装が根付いている方なので、日常的に悉皆の用事が出来る。例えば、夏でも麻や綿素材のキモノを着用する方が多いので、秋を迎える頃には、毎年、沢山の品物の丸洗いやしみぬき依頼を受ける。フォーマルモノは、特定の着用場面でなければ出番はないが、カジュアルモノは、着用する人の自由意思でいつでも使えるので、自然に「直すこと」が多くなる。
そして直すモノが多ければ、それだけ呉服屋への依頼も増え、来店する機会も増える。このように預かる手直しモノが多くなれば、一枚ごとに支払うのが面倒になり、どうしても「まとめて後で」となる。これも、掛売り・延勘定となる大きな原因であろう。
バイク呉服屋のオリジナル領収書。屋号入りというのは、珍しいかも知れない。
昨今の呉服屋では、クレジットカードや電子マネーをはじめ、ペイペイのようなスマホを使う簡単決済もかなり普及してきている。いずれにせよ、店と客が直接お金をやりとりしないキャッシュレス決済が主流である。そして、相変わらずローン販売も多い。
しかし、こうした決済方法は、釈然としない。何故ならば、まだ品物として仕上がってもいないのに、客側は全ての代金を支払うことになるから。先述したように、キモノも帯も「誂えなければ、着用出来ない品物」である。納品も済まないのに、代金は全部先払いというのは、虫が良すぎるのではないか。そして悉皆など、手直しの内容で価格が変わる、いわば「時価」の仕事。一律でない直しの仕事を、まさか先払いにしていないと思うが、果してどうなっているのだろう。
ローン販売などは、商いをした呉服屋には遅くもひと月の間に代金が入り、債権はローン屋に移る。呉服屋は、いくばくかの手数料をローン屋に払うだけで、確実に回収ができる方式だ。そして後でローンが焦げ付いたところで、回収に向かうのはローン屋。客の支払が滞ったとしても、売った店の側は知ったこっちゃないというのが、このシステムである。売った品物の代金が迅速に回収出来て、あとはお構いなしとなれば、店側はローンを組ませたくなる訳である。以前から、こうした決済方法が、呉服の過量販売に繋がる大きな原因と言われてきたが、未だに一向に改善する気配はない。
呉服屋の仕事を、考えれば考えるほど掛け売りは不可避であり、これほど先払いに向かない商材も少ないだろう。経営者として効率よく儲けを出すためには、素早く品代をもらい受け、お金を廻していく必要があるのかもしれないが、こと呉服屋に限れば、それは「請け負う仕事の本質を、無視できるから適うこと」になるのではないか。
無論、この商いで飯を食べるのであれば、利益を考えないことは無い。けれども、そこに偏り過ぎれば、大切なことを見失う。掛け売りをしながら、ゆるりと支払いを待つ。呉服という優雅な品物を扱うのならば、商いそのものにも「ゆとり」は必要と思う。
このように書くと、大多数の経営者からは、「甘いことやきれいごとでは、事業はなり立たない。お前は経営者として失格」と言われてしまうでしょう。確かに、そうかもしれないし、批判は甘んじて受けます。けれども、私は経営者である前に、呉服屋の主人でありたい。だから、人も雇わず、出来ることはすべて自分の手で行います。すでに呉服屋の商いは、ひと所で大勢が飯を喰える仕事では無いでしょう。それを弁えていないと、間違いを起こします。
小さく店を構え、気長にお客様と向き合う。私は、最後までこの姿勢を貫きたいと思います。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。