キモノ雑誌の代表と言えば、ハースト婦人画報社の「美しいキモノ」。1953(昭和28)年の創刊以来70年近く、和の装いに関わる情報を多岐にわたって発信し続けてきた。戦後の復興が端緒に付き、ようやく人々の関心が「食から衣」へと移りつつあった頃に、この雑誌は生まれた。
その後、高度経済成長期を迎えると、呉服の需要も年を追うごとに、右肩上がりで増えて行く。生活に密着した日常着から、家族の大切な礼装用の品々まで、この時代、人々にとってキモノや帯は、「どうしても、無くてはならない品物」であった。そしてこの需要の高まりが、数多くの上質な品物を生み出すことになる。和装にこだわりを持つ目の肥えた顧客に向けて、贅を尽くし技を極めた作品が次々と作られ、しかもこれが飛ぶように売れて行った。このピークは、オイルショックが起きる直前の70年代初期。しかし呉服業界の特需も、経済成長の陰りと共に終焉を迎える。
そして昭和が終わり、平成初めのバブル経済崩壊の後は、生活様式の変化や儀礼の変容に伴い、坂道を転げ落ちるように、キモノや帯の需要は加速度的に落ち込んでいく。結果として、手を尽くした高品質な品物ほど、売れなくなっていき、それは質にこだわる老舗メーカーを苦境に追い込むことになる。実際に平成10年前後には、数多くのメーカーが破綻、廃業に追い込まれてしまった。時代は進み、令和の世の中となった今、呉服業界を取り巻く環境はなお厳しさを増す。そしてこの二年の疫病の蔓延が、決定的な鉄槌を下してしまったとも感じられる。
呉服業の栄枯盛衰と共に歩んできた「美しいキモノ」だが、今年になってから、時代を回想するコラムが掲載されている。それが、1973(昭和48)年から編集に関わってきた元副編集長・富澤輝実子さんの「キモノ回想録・あの頃の名商名匠」である。
今年の春号から始まったこのコラム、第一回で取り上げたのが江戸友禅の大彦。第二回の夏号では高級友禅のメーカー問屋・北秀、先ごろ発売された秋号は、3年前の春に幕を下ろした東京最後の高級専門問屋・菱一について。各々の店の軌跡を追いつつ、美しいキモノに掲載された品物も交えながら、その時代の彩を今に伝えている。
1998(平成10)年の正月明けに、突然破綻してしまった北秀。そして令和が始まる直前、役割を果たしたかのように、静かに終焉を迎えた菱一。どちらもバイク呉服屋にとっては、思い入れの深い、そして無くてはならない仕入れ先であった。このキモノ回想録を読むと、それは自分の呉服屋生活とも重なり、とても感慨深いものがある。
9月になったので、棚は薄物から冬モノへと入れ替わる。いわば店の「衣替え」なのだが、ここでは、夏の間仕舞っておいた冬物の状態を確認し、折れた値札・呉服札があれば新しく付け直す。一点ずつ品物を見直すと、改めて仕入れた時のことを思い出す。
この中には、菱一の品物もまだ少なからず残っていて、僅かではあるが北秀の品物もある。菱一が店を閉めたのは3年前なので、未だに残るのも判るが、北秀の廃業は24年も前である。つまり、今店にある北秀の品物は、四半世紀以上も売れなかったことになる。訪問着や黒・色留袖、さらに絽の黒留袖など、フォーマルモノばかり5、6点が残るが、果たして店を閉じるまでに、見初める方が現れるだろうか。
そんな気持ちを抱きながら、一昨日、薄物から秋モノへと品物を入れ替え終えた。ブログでは、これまで何回か衣替えの模様をご紹介しているが、今年も、新しく仕入れたニューフェイスと、少し棚の留守番が長くなったベテランを取り合わせながら、秋姿を作ってみたので、今日はこれから、季節を動かした店内の様子をご案内してみよう。
軒先をライトで照らした夕方の店先。店はアーケード内にあり、夜でも暗さを感じないので、このように、煌々とした光でウインドを明るくすることは、あまりない。
薄物から秋モノへと品物を入れ替えた時には、すっきりとした姿でウインドを飾ることを、心がける。夏の間は、浴衣や紅梅、縮など綿麻のカジュアルモノが商いの中心になるので、どうしても沢山の品物を店先に並べることになる。季節が変わり、品物の質が変わったことを印象付けるためにも、前に出す品物は少ないほうが良い。
バイク呉服屋の商いの中心は、季節を問わずにカジュアルモノ。秋モノに変われば、小紋や紬、そして染織両方の名古屋帯が中心。なので、ディスプレイに使う道具は撞木が中心になり、キモノの形になっている絵羽モノ(振袖や留袖類)を飾る道具・衣桁は、一本しか使わない。普段店内に飾るフォーマルモノは、この衣桁に掛ける一点だけで、振袖など年に数度しか出すことが無い。
うちに来られている常連さんでも、振袖が飾ってあるのを見たことが無いという方がほとんど。中には、在庫で振袖を持っていないか、扱っていないと思っている方もいるかも知れない。多くの呉服屋ではメイン商材となる振袖が、バイク呉服屋では、一番縁遠い品物なのだ。では、カジュアル中心の呉服屋は、どのように店内の季節を変えたのか、元の夏姿と変えた秋姿、双方の画像をご覧頂くことにしよう。
メインウインドは、撞木にかけた三点。左から、鴇色立涌文様・お召(今河織物)、白浅緑色モリスカーネーション模様・九寸織名古屋帯(紫紘)、深緑色唐花模様・小紋(千切屋)。小物は、ピンクドット模様・内記組帯〆(中村正)と桜桃グレー・波暈し帯揚げ(今河織物)。
秋と言えどもまだ暑さが残る季節なので、単衣にも向く淡いピンクのお召を飾ってみた。合わせた紫紘の名古屋帯は、浅い緑色とごく薄いピンクの可愛いカーネーション模様。欧風庭園を想起させるモダンな織姿は、ウイリアムモリスのデザインに題材を得たもの。一番右の深緑地色小紋は、モチーフが大きめの唐草だが、挿し色は淡く、優しい仕上がりになっている。キモノばかりでなく、羽織として使っても良さそうな意匠。小物の色は、お召に合わせることを考えて、帯〆帯揚げ共にピンクが基調。
今夏最後の、薄物ウインド。左から、ローズピンク色桔梗模様・絽付下げ(菱一)、ピンクベージュまだら暈し・絽綴れ八寸名古屋帯(川島織物)、水色青楓模様・絽小紋(千切屋)、白地市松幾何学模様・型絵染九寸名古屋帯(トキワ商事)、微塵鱗文様・絹麻紅梅(新粋染)、鉄紺と芥子色・琉球ミンサー綿半巾帯(祝嶺恭子)。小物は、橙色・レース組帯〆と橙色撫子・絽飛絞り帯揚げ(共に加藤萬)。
浴衣を奨める時期はとうに過ぎているので、絽の付下げや飛柄小紋など、少しフォーマルっぽい染モノをメインにして、ウインドを構成していた。夏モノに合わせた絽綴れや絽型絵染帯は、単衣にも使うことが出来るので、まだこれから少し出番がある。
店の入り口横の小ウインドは、希少品になったウールポーラ。薄ベージュ色十字小絣・混紡シルクウールポーラ(桃山民藝)。毛65%絹35%の混紡で、ざっくりとした生地感を持つポーラは、価格も安く手入れも簡単なことから、単衣時期のお稽古着として重宝する。桃山ポーラはすでに製造が終わっており、うちで持っているのも残り二反。
店内中央の飾り台には、単衣に向きそうな飛柄小紋とそれに見合う名古屋帯を置く。空色変わり縮緬糸瓜模様・飛柄加工小紋(千切屋治兵衛)、白地デイジー模様・九寸織名古屋帯(川島織物)、山吹色冠帯〆(翠嵐工房)。
店の入り口にある台の品物は目立つので、旬を感じさせる品物を置く。縦にスジが入る変わりちりめん生地の小紋。唐花に見えるモチーフは、珍しいヘチマの花。このように、模様の色を手で挿した小紋は、加工着尺と呼んで他の小紋とすみ分けられている。帯のモチーフ・デイジーは、和名ではヒナギクになるが、川島はこのヨーロッパ原産の花を、唐花っぽく織り出している。水色のキモノに白い帯の組み合わせは、やはり爽やか。山吹色の小田巻房帯〆を使って、若々しくまとめてみた。
夏の間、飾り台と壁際の撞木には、各種の浴衣と絹や麻・木綿の半巾帯を置く。また、ウインドの背中合わせにも台を置いて、浴衣を積み重ねる。シーズン始まりには、四段重ねに置いた浴衣も、一段減って三段になっている。今年は、浴衣に少し動きがあったものの、コロナ前とでは比較にならないほど少ない。売れたのは、紺に白抜き、あるいは白に紺抜きの色の入らない浴衣。好まれた模様も団扇とか萩、流水などをシンプルにあしらったものばかりで、お客様の意識の中に、伝統的な浴衣への回帰が伺えた。
浴衣を外した壁際の五本の撞木には、オーソドックスな小紋と名古屋帯を掛ける。左から、クリーム色七宝文・飛柄小紋(一文)、濃蜜柑色樹下双鳥文・刺繍九寸名古屋帯(貴久樹)、墨グレー色雪輪文・飛柄小紋(千切屋治兵衛)、白地正倉院花文・九寸織名古屋帯(みやこ織物)、薄桜色小花の丸文・刺繍飛柄小紋(一文)。
オーソドックスな七宝や雪輪、花の丸をモチーフにした小紋は、秋限定ではなく、袷のシーズンを通して使える意匠。鮮やかな蜜柑色の帯は、それだけでも目立つが、木の下に寄り添う二羽の鳥模様も可愛い。このように、大樹の下で対称に配置される鳥や動物(象や鹿・羊など)の文様は、ササン朝ペルシャに起源を持つ伝来の天平図案。正倉院宝物の中には、この文様をあしらった品物が何点か見られる。またみやこ織物の白地帯も、蓮の花をデザイン化した正倉院的な花文が織り込まれている。
壁の撞木の向かい側にある吊りケース。三つ並ぶ棚の中には、それぞれ雰囲気の違う紬と帯を組合わせて飾る。左のケースから、薄ピンクストライプ・横双大島(伊集院リキ商店)と白地唐花文・型捺染石下紬帯(奥順)、藍地横段縞・横双大島(伊集院リキ商店)と白地クローバー模様・型絵染紬染帯(岡田その子)、藍色格子・真綿紬(米沢・新田)とクリーム色格子模様・紙布八寸帯(米沢・粟野商事)
飾った横双大島はピンク縦縞と藍横縞で、縞でも異なる印象を持つが、そこに個性的な帯を合わせることで、より面白いカジュアル姿になる。特に型絵染作家・岡田その子のクローバー帯は、インパクトが強い。白い紬地に、黒とグレーのモノトーン配色が効果的。真紅や山吹色の帯〆を使うと、なお楽しくなりそう。右端は、キモノも帯も米沢の織物。米沢織の老舗・新田の紬色は、どれも優しい。合わせた帯は、緯糸に和紙を使う面白いもの。ペタル(フランス語で花弁)と名付けた格子模様が、なかなかモダン。
吊り棚に飾った最後の薄物は、小千谷縮。三点とも縞柄で、合わせた帯三点も同じ竺仙の型染麻帯。夏のカジュアル着として最もポピュラーな小千谷縮は、今年も何人かのお客様に、「はじめての夏キモノ」として誂えて頂いた。こうした気軽な薄モノを、毎年コンスタントに扱いたいと思う。
最後にご覧頂くのは、店内に飾った唯一のフォーマルモノ。キモノ・薄鼠色 光琳菊に秋草模様・京友禅訪問着(よねはら)、帯・黒地 桧垣取丸文秋草・袋帯(紫紘)
優しい薄鼠地色にあしらわれたのが光琳菊に秋草という、典型的な秋意匠の訪問着。単衣として装っても良さげな風情を醸し出している。キモノがおとなしいので、重厚な帯でフォーマル度を深めてみた。桧垣の模様取りに狂言の丸という、いかにも紫紘らしい古典図案。一緒にあしらわれている花が、菊や桔梗、女郎花など秋草ばかりなので、この訪問着と合わせれば、自然に秋の装いとなる。
こうして今年も衣替えが終わり、秋のキモノシーズンを迎える準備が整った。昨年も同じ時期に模様替えの様子をブログでご紹介したが、その時の稿の結びとして、コロナ収束の願いを書いている。そして、「マスクと消毒液が必要なうちは、需要は回復するまい」とも述べているが、その念は、一年経った今も全く変わらない。
ただこれまでと違うのは、自粛するのではなく、対策を立てながら共存することが、生活様式の基本と考えていることで、それだけでも少し気持ちが晴れるような気がする。心に余裕が無ければ、和の装いには関心が向くはずはない。コロナ前には戻らないまでも、キモノに楽しみを見つけて頂く方が僅かでも増えることを、心より願っている。
三年前に店を閉じた菱一の品物は、振袖や留袖のような晴れの場に装うフォーマル品から、気軽なカジュアル着として使う小紋や紬まで、まだ幅広く店の棚に残っています。その数は、20点以上あるでしょうか。「キモノを創る」を社是とし、しかもこの業界には珍しく、東京に足場を置いていたメーカー問屋でしたので、「江戸好み」と呼べるような小粋さや、都会的な洗練されたセンスを感じさせる品物を数多く作りました。
菱一や北秀のような、最後まで質にこだわりを持ち続けた問屋は、もう現れることはないでしょう。呉服業が隆盛を極めた時代だからこそ、存在出来たとも言えるでしょうが、こうした作り手の品物を扱えたことこそが、呉服屋冥利に尽きるとも言えましょう。縁あって店に残された品物は、最後の一反まで、丁寧に売っていこうと思います。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。