バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

価格は、こうして決まる(1) 怪しい店には、怪しい価格設定がある

2022.07 18

日光東照宮の表門をくぐると、すぐ左側に見えるのが、神厩舎(神に仕える馬をつなぐ小屋)で、この長押(なげし・柱の繋ぎ目)には、十六匹の猿の彫モノが施してある。その中には、両手で目・口・耳を塞いでいる猿が見えるが、これが良く知られた「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿。子どもを素直に成長させるなら、悪いことは見せず、言わせず、聞かせずに、良いことだけを受け入れられるようにする。この猿の姿は、そんな教えを表現したものだ。

ここ最近、世界や国内で起こる様々な事象を見聞きするにつけ、この東照宮の猿のことを思い出す。戦争、侵略、無差別虐殺、テロ、暗殺、感染爆発・・・。見たくない、聞きたくない、そして話したくもないことばかり。日本の憲法には、国民の「知る権利」が明記されているが、これとは逆に「知らない権利、あるいは知らせない権利」というのがあっても良いのでは、と思えるほど酷いあり様である。

 

本当ならば、携帯も通じない僻遠の地で、全てを断って暮らしたいところだが、まだ仕事をしている身なのでそうも行かない。だから今出来ることは、可能な限り情報を遮断すること。特に映像から離れることが大事で、五感の中の「見る・聞く」を使わなければ、かなりの効果が得られる。テレビはもちろん、ネットの動画や画像からも離れ、情報源は新聞だけとする。そしてそれとて、掲載写真は無視し、見出しを斜め読みするだけに留め置く。こうすれば、ある程度は嫌なことから身を背けられる。

私には、自分が行き過ぎた個人主義者だと言う自覚がある。但し自覚はありながらも、直せない。だから、世間様には申し訳ないが、今起こっている社会の出来事について、尽く無視することに対する後ろめたさを持たない。情報から離れることは、即ち自己中心的になること。だが自分が知りたくないことだけでなく、他人の欠点や誤りも合わせて見聞きしない方が、精神衛生上良いだろう。情報過多の時代に背を向け、あえて三猿の教えに立ち返ることが、今必要とされているような気がする。

 

しかし私には、呉服屋として仕事を続けている限り、消費者である読者の方々に伝えなければならないことが多々ある。自分が売ったり直したりする品物について、その内容を開示することこそが仕事の第一歩で、この情報を伝達できなくなれば、店を経営している価値は無いと思う。

たとえ私が社会の情報から身を引いていても、キモノや帯のことだけは語り続ける。お客様の知りたいこと、知っておきたいことについて、自分のつたない知識に照らして、自分の言葉で話すこと。これこそ、このブログを設けた最大の目的である。だから、「見せて、語って、聞かせる」ことは、この先も絶対に欠くことは出来ない。

そこで、これから数回にわたり、現代呉服屋事情の稿として、キモノや帯の価格について書こうと思う。お客様からは判り難い、呉服の値段。それは一体、どのように決まるのだろうか。そして、各々の品物の適正価格はどれくらいなのか。消費者最大の関心事でありながら、謎多き呉服の値段。そんなディープな世界に、皆様をご案内しよう。

 

宮野勇造製作 加賀友禅訪問着「みよしの」 2018年・扱い品(菱一仕入)

このブログでは、沢山のキモノや帯を掲載してきたが、これまで一度として価格をお知らせしていない。その理由は、呉服屋として何をしているのか、その仕事の内容を知らせることこそが、ブログの役割と心得ているから。もちろん、読者の方からメールで品物の照会を頂くことが度々ある。そして記事がきっかけになって、商いに発展することも珍しくない。ただ、そうした実際のやり取りは、それこそ個別に別の場で行えば良く、品物の価格もそこでだけお知らせすれば良いこと。ブログと商いをはっきり分離させるために、価格は非表示にさせて頂いている。

だが時折読者の方が、自分の求めた、あるいは求めようとしている品物の価格、あるいは品質が正しいか否かを相談してくることがある。それは購入した店の価格や、品物内容の説明に疑いの目を持っているからだ。こうしたことは、誰に聞いて良いのか判らないが、とりあえずブログで能書きを死ぬほど書いているバイク呉服屋なら、何か判ることがあるかもと当たりを付けて、聞いてくる。

 

そんな中で、つい先日問い合わせがあったのが、宮野勇造が手掛けた加賀友禅訪問着・みよしのについて。上の画像の品物は、今から4年ほど前に扱ったもの。当然、すでにお求めを頂いており、ブログにも「平成の加賀友禅」という項目で、紹介している。

メールを送られた方によると、この「みよしの」と図案は全く同じで、地色と配色の違う品物を某呉服屋で見つけて、購入しようと考えているが、提示された価格に疑問を持っているので、バイク呉服屋が扱った時の小売価格を教えて欲しいというもの。メールには、その品物の画像が添付されており、宮野氏の作品であることが確認できた。

皆様は、作家各々が手掛ける手描きの加賀友禅が、全て一点モノと思われているかも知れないが、そうではない。ここでは詳しく述べないが、加賀の作家それぞれには、仕事を依頼する地元の問屋が付いていて、そこから頼まれれば、同柄の地色違いや配色違いの品物も製作する。作れば、当然工賃は貰い受けられるので、「作家のプライドとして、二枚と同じものは作らない」と思っていても、断り難い。すでに物故した著名な作家たちの中では、こうした要望を受け入れなかった方もおられようが、商業ベースに乗って仕事をしている現代の作家たちでは、おそらく難しいだろう。

 

さて前置きが長くなったが、読者が呉服屋から提示を受けた「みよしの」の価格はどのくらいかと言えば、最初は帯(織屋や帯図案の名前は不明)とセットで300万円。これを120万円に値引きすると言われたそうな。このあまりに大きい値引きの幅に、疑いを持ったのである。これだけ価格を引いて売れるのなら、本当の値段は一体どれくらいなのか。品物の本当の価値を知りたくて、ネットを検索しているうちに、同じ品物を扱ったバイク呉服屋の稿に遭遇し、そこでメールを打って質問したという次第。

このケースのように、最初高い値段を吹っかけて、少しでも品物に関心のある消費者を見つけたら、極端に値引きをして購入を促すという販売方法は、以前から呉服屋の商い手管として、広く蔓延している。「キモノや帯は高額品」と思い込む消費者の意識を逆手に取り、極端に値引きして「お得感」を出して、販売につなげようとする。

 

これは、悪い言葉で言えば「消費者の無知」に付けこむ商いであり、ある意味「消費者を舐めている」といっても良いだろう。無論、品物を購入する時、値引きをしてもらえば誰だって嬉しくなる。しかし、度を過ぎれば、価格そのものに疑いの目を向けられる。そんな単純なことさえ、こうした呉服屋には認識されていない。

品物に対する知識はまるでなく、品物を借りた問屋(こうした店に品物を貸与する問屋自体、低レベル)の伝票だけを見て、そこに適当に、かつ思い切り利益を乗せて、値札を付けただけの商いということが透けて見える。本当に品物の質が判っていれば、また少しでも良心的な価格にしようとする意識があれば、こんな商いにはならない。

メールを下さった方には、とりあえず以前私が販売した「みよしのの値段」をお教えした。ここではあえて価格を述べないが、バイク呉服屋価格を知ったこの方は、一旦は購入を決めていたこの訪問着をキャンセルしてしまった。扱ったこの店が、小手先のごまかしなどせず、正々堂々と良識のある価格を提示して品物を勧めれば、こんな結果にはならなかったはず。それはこの方が、この加賀友禅の意匠を本当に気に入っていたから。それだけに、きちんとした価格で求めて頂けなかったことが、残念でならない。

 

手を尽くした描かれた加賀友禅。作品に対して、不誠実な価格提示がなされていることなど、作家は知る由もない。また判ったとしても、どうにもならない。価格設定は、遠く手の及ばない流通の現場で行われていることだから。品物に対する思いが、作り手と売り手でとんでもなく乖離している。儲けの道具としてだけしか品物を見ていない現実が、ここにある。

今回の場合、品物は質が担保されている加賀友禅なので、まだ話はマシだと思うが、これが、箸にも棒にも掛からぬ「悪質なモノ」を、予め高い値段を付けて、極端に値引きをする商いも散見される。判りやすく言えば、例えば原価2~3万のモノを50万の値札を付けて、それを半額で販売するような事態である。

これを展示会などで、「今日から三日間だけ、この価格になります」などと言って、来場者を煽る。ほとんど無価値な品物を、高いモノに見せかけて、売り捌こうとする。こうした展示会場には、品物の傍らに、陣羽織のようなおかしな衣装をまとった作家(理由も無く、これみよがしな髭を蓄えていることがある)と称する怪しい者がおり、そしてこの、怪しい品物を扱う怪しい問屋の営業マンも、連れてきた怪しい販売員と共に、品物を勧める。そして、勧められるまま展示会に来た呉服に不慣れな消費者は、怪しい連中に囲い込まれ、知らぬ間に怪しい品物を購入する羽目になるのだ。そしてこの利益は間違いなく、怪しく、そして恐ろしく不誠実な呉服屋の懐へと吸い込まれていく。

 

これだけ情報が簡単に行き渡るネット時代に、まだこんな商いが成立すること自体、誠に不思議という他は無い。これは、消費者にとって、未だにキモノや帯の価格が判り難く、また質の判断も難しい証左なのだろう。ただ、こうしたことは、上質な品物をきちん仕入れて商う専門店とは、全く別の世界で起こっていること。専門性の高い店に集う方々は、きちんと質を弁えられ、適正な価格を理解されているので、ごまかしなど通用しない。だから、怪しい店の怪しい戯言に惑わされることは、絶対に無い。その一方で、調べれば簡単に真偽が判ることを、言われるがままに、受け入れてしまう人。そんな「お人よし」の消費者が存在する限り、怪しい小売屋は決して無くならないだろう。

悲しいことだが、各々の呉服屋の質は、そこに集ってくる消費者の質に比例してしまう。はたからみれば、同じ呉服屋として暖簾をかけていようとも、内実は全く違う。豊富な知識を持つ消費者と、全く不慣れな消費者。二極化した消費者が、二極化した店で交錯することはほとんど無い。そして結局、怪しい店に顧客として取り込まれた人々は、ほとんどそこから抜け出すことは出来ない。残念なことに、専門性の高い店からは、そんな消費者の姿を窺い知ることは出来ず、他人事になってしまっている。

 

今回は、怪しい店が存在し、そこには怪しい価格設定があると言う、「怪しさ」だけの話で終わってしまった。本文にも書いたが、これは専門店の品物に付く価格とは、全く関りの無い話であって、このブログを読まれている知識豊富な方々にとっては、今日の稿はつまらなかったのではないかと思う。

次回からは、きちんとした専門店の価格はどのように決まるのか、その内実を探っていくことにする。価格設定は、呉服の複雑な流通過程と大きく関りがある。まずそんな切り口で、次稿を進めていこうと考えている。

 

怪しい呉服屋が何をして、どれほど儲けようと、日々の私の仕事とは関りがなく、自分の商いに影響することは全くありません。ですので私の立場では、あえて実態を書く必要性など認められないでしょう。

けれども、消費者から見え難い呉服屋の商い、それも一番重要な価格に関わることは、出来る限り透明性を高める必要があります。私なども、呉服屋という括りの中で、世間から怪しい店と同列に見られることに対しては、忸怩たる思いがありますが、それには「一緒にしないでくれ」と叫ぶだけでは駄目で、何が問題なのか、その怪しさを白日の下で明らかにしていくことが大切ではないでしょうか。

「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を封印し、己の知り得る情報を提供する。呉服屋の商いに対して、消費者からの信頼を得るためには、伝えるべきことを地道に伝え続けていく他はありません。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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