バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

江戸小紋の手仕事を探る  染型紙編・2  錐彫と突彫

2021.06 13

一般的に、彫刻刀という道具を使う機会は、あまり無い。記憶にあるのは、小学校の図工の時間で、版画を作る時に使ったくらい。子どもが使うものなので、種類は、刃先が丸い丸刀、平らな平刀、三角の三角刀、尖っている切り出し刀などに、限られる。確か先生からは、片手でなくしっかり板を押さえて彫るようにと、指示されていたと思う。

ほとんどの人はあまり縁の無い彫刻刀だが、バイク呉服屋はひょんなことから、この刀を使う仕事をしていたことがある。それは、北海道を往復していた若い頃のことだ。

 

バックパッカー時代に、最も長く働かせてもらっていたのが、知床半島西海岸のウトロにある民宿兼民芸品店・酋長の家。以前のブログの稿でも、紹介したことがある。

この当時、北海道の代表的な土産といえば、熊の木彫。昭和の昔には、どこの家にも、鮭を咥えた熊を粗削りした黒い置き物が、一つくらいあったはず。この熊の彫り物は、値段が結構高かったが、手彫りのものなどほとんどなく、機械彫りで安直に大量生産したものがほとんど。もちろん酋長の家でも扱っていて、これとアイヌの神様を原型とする木彫りの「二ポポ人形」が、店の主力商品だった。

ただそんな木彫りは、年配者が多いバスのツアー客には売れても、若い旅行者には見向きもされない。そこで酋長の家では、若い人にも土産として求めてもらえるような、様々な木彫り商品を製作していた。アイヌ文様を彫り抜いたペンダントやブローチに始まり、マグカップや皿、さらにバターナイフやペーパーナイフのような手軽に使えて、値段が安いモノも多かった。

 

酋長の家には、私のようなバックパッカーが不定期で、常に何人か働いていたが、手先の器用な者は腕を見込まれて、難しいペンダント作りに駆り出されていた。けれども、子どもの頃から図工が大の苦手だった私は、複雑なアイヌ文様など、到底上手く彫れるはずがない。

そこで担当していたのが、バターナイフの製作である。このナイフは木製で、横に細長いキツネの形をしているが、ほとんどは「電動糸のこ」で木片を切り取って作る。ただ尻尾のところだけは、上に向けて尖がるようにするため、手を加える必要があった。この僅かな細工を、任されていたのだ。

この、一本300円の「キタキツネ・バターナイフ」は、値段の安さもあり、毎日かなりの数が売れていた。何しろ当時は、夏の三か月で一年分を稼ぐと言われていた、北海道の観光産業。知床の民芸品店も、例外では無かった。かくて私は、夏の間の毎日、木製キツネナイフの尻尾を削り続けていた。

 

芸術性の欠片もない、バイク呉服屋の道具に関わる思い出だが、こういうつまらないことを書くから、稿がやたらと長くなる。深く反省しつつ、本題に入ることにする。

一本の彫刻刀から、とても人の手とは思えない精緻な模様を生み出す、伊勢の彫師たち。それは、江戸小紋の中核をなす技術者である。今日も、この熟達者たちの話を続けてみたい。今回は、いわゆる小紋三役・「鮫・行儀・通し」の模様あしらいで使う技法・錐彫と、少し大きい中形小紋でよく使う・突彫に注目してみる。

 

小紋三役の一つ・通し(角通し)小紋。小さな点が、縦にも横にも垂直にも、規則正しく並ぶ。等間隔で並んでいる模様は、「どの方向にも=どなたにも、筋を通す」意味があるとも言われている。

精緻な小紋模様の発達は、江戸時代に武士の裃模様として、この柄を取り入れるようになってから。各藩では、他藩との差別化を図ろうとし、競い合うようにして、細かな小紋模様をあしらった。その結果として、大名家各々には占有する小紋柄があり、それは「定め小紋」あるいは「御留柄(おとめがら)」という名前で呼ばれるようになった。この代表的な模様が、鮫・行儀・通しの三つの柄であり、それを「小紋三役」と称している。

この裃小紋・三役柄に使う型紙は、何れも「錐彫(きりぼり)」という方法で彫り抜かれたもの。一見単純に見えるが、ほんの小さな丸い粒を一つでも失敗すると、全てが台無しになってしまうという、とんでもない緊張と集中の上で、描き出されている。まずはこの錐彫について、話を進めていこう。

 

江戸小紋の代名詞、「鮫(さめ)柄」の型紙。紀州徳川家は、一寸(約3.75cm)四方に900以上の丸い点を彫り上げた、「極鮫」模様を占有していた。伊勢の白子は紀州藩の領地で、いわば型紙作りのおひざ元。他藩には決して真似のできない、精緻な模様あしらいが出来たのは、当然と言えば当然であろう。

鮫の模様は、小さな点が扇状に並んでいる。この鮫の皮のように見える白い点が、悪しきものを排除すると考えられ、魔除けや厄除けの意味を持つ図案でもあった。

型紙を拡大してみた。こうすると、丸い粒が均一ではないことが判る。人の手によるあしらいだからこそ生まれる、自然な模様姿。これが、小紋の持つ最大の魅力だ。

模様姿からも見て取れるように、錐彫で使う道具は、半円形の刃先を持つ彫刻刀。この「錐」と呼ぶ刀には、丸錐と半錐の二種類があり、刃先の浅いものと深いものがある。

小紋の型彫は、柿渋地紙を数枚重ねて彫り抜く「重ね彫」でなされるが、重要なのは、一番下に置いた紙まで、きちんと同じ模様が彫り抜かれること。そのためには、両肘をしっかり固定し、右手で彫るべき模様箇所へ彫刀を垂直に持っていき、彫る位置を決めたら、左手の親指で刀を押さえながら、他の四本の指で刀を右に半回転させる。こうすると、丸い孔が地紙に開く。紙は、穴を開けて刃先を引き抜いた時、裏側が捲れてしまうので、押して穴を開けるのではなく、回転させて切り取らなければならない。

染上がって反物となった鮫小紋。小紋の中でも、最も細かなものを「極(きわめ)」と呼ぶが、これは先述したように、約3cm四方の中に、千個もの穴を開けることが要求される。もし、穴の場所が少しでもズレたり、大きさが揃っていなければ、染上がった時に不規則な模様になってしまう。単純な模様だけに、不揃いが目に付きやすいのだ。だから何をおいても、型紙の出来如何によって、商品としての価値が決まってしまう。

 

錐彫・技術保持者 六谷紀久男氏(1907~1973)の仕事姿

これまで、錐彫の無形文化財保持者として認定されているのは、六谷紀久男(雅号・梅軒)ただ一人。小学校卒業と同時に、父の下で型紙彫刻の修行を始める。後に京都で、同様に彫り師となっていた兄・芳方を手伝い、鮫や通し小紋の技を磨く。そして、著名な型付け師・小宮康助(後の人間国宝認定者)から、緻密な極柄の研究を勧められ、次第に錐彫第一人者としての地位を築いていく。

錐彫であしらう模様の美しさは、何といっても、細かな彫目揃いだろう。きれいな粒とするには、刃先をいかに調節するかが、鍵となる。刃先が厚くなれば錐の切れ味は悪くなり、薄すぎればシャープにはなるものの、模様が斑にもなりやすい。そして大切な刃を、紙の下に敷いた板で痛めることにも繋がる。彫師には、彫る技術はもちろんだが、模様に合わせて道具を使い回す能力も求められる。

 

遠目にはほとんど無地にしか見えない、行儀小紋の型紙。仙台・伊達家の定め小紋柄。

粒の並びが斜めに交差するのが、行儀(ぎょうぎ)模様の特徴。出来の良い型紙とは、彫り上がった時に彫り目が白く見える、いわば「白目」の状態にあるもの。これは、彫り孔がよく詰まっていて、型紙の透かし部分が白っぽく見えることを指す。孔の密度が粗いと、型紙は黒っぽく見えてしまう。

型紙を近接すると、粒と粒の間をきれいに揃えて、彫り抜かれていることが判る。特に行儀や通しでは、この間隔を整えることが重要で、時には、すでに彫り終えている元の型紙を地紙に重ね合わせ、その上から彫り進める、「被彫(かぶりほり)」という方法を採ることもあった。

錐彫小紋の型紙は、熟練者でもひと月くらいは掛かると言われていた。図案に少しの狂いも許されないため、彫り師は極度の緊張を強いられる。一つの図案は、同じ錐刃で彫り上げなければならないが、万が一途中で刃が破損するようなことになれば、最初から全て彫り直しとなる。それは刃先の僅かな狂いが、模様の狂いに直結するからである。

 

少し模様の大きい小紋柄には、突彫(つきぼり)という方法が用いられる。これは、針のように細く磨いた小刀を使い、引いて彫っていく縞彫とは反対に、刃を先にして、前へ突き刺すように彫り進めていく。この彫り方は、模様を自由に彫ることに適しているので、精緻な江戸小紋よりも、中型小紋のような大きな図案を彫る際に、よく使う。

この大きな花弁を見ても判るが、柔軟に曲線を彫り抜いて、模様の姿がリアルに表現されている。しかも彫り口には、微妙な揺らぎが垣間見えて、手彫りの味わい深さも表れる。寸分の狂いも許されず、まるで「息が止まるような作業」を強いられる縞彫や錐彫に対して、突彫には、この二つとはまた違う、言わば「自由な緊張」が感じられる。

 

突彫・技術保持者 南部芳松氏(1895~1976)の仕事姿。

型紙彫師の家に生まれた南部芳松は、技術を習得した後に、山梨県・谷村で県特産の甲斐絹(かいき)の模様染型紙作りに携わる。蛇足にはなるが、甲斐絹とは、経緯糸に色染めした絹練糸を用いて平織したもので、色糸の使い分けにより、無地や縞・格子など様々な模様があしらわれる。滑らかで、光沢があることが特徴。最近では裏地や傘、布団、ネクタイとして製品化されている。

その後芳松は、東京・日本橋へ転じて、中形模様染めに従事。そして戦後は、故郷・白子町の工芸学校で型紙彫刻を指導すると同時に、伊勢型の文書資料を収集して町に寄贈するなど、型紙の伝承のために功績があった。

 

突彫による型紙を用いた、絽の中形浴衣(竜田川模様・新粋染)

突彫は、丸い小穴を開けた板の上に、5~8枚の地紙を置き、刃先が1~2ミリの小刀で垂直に突くように、前へ彫り進める。彫り方は、右手の中指で刃物を押しながら、動く型紙に刀のリズムを合わせるようにして、切っていく。

丸く開いた板は、彫った時に出る切り屑を落とすために使う。そして彫師は、地紙に出し入れする時の刃先の音や、切り屑の形で彫の良し悪しを判断する。なお、注意しなければならないのは、疲れてくると、刃先が行き過ぎて揺れが大きくなり、型そのものを弱めてしまうので、同じリズムで彫り進めることが、肝要となる。

 

小紋とは、型紙染めによる細密な文様の品物を指すが、模様が大きい大紋や中形に対して生まれた名称である。江戸小紋も、もちろん小紋と同義であるが、1955(昭和30)年の、最初の重要無形文化財保持者認定の際、小紋型付の小宮康助を指定する時に、採用されたものである。

今日は型紙編の二回目として、錐彫と突彫を取り上げてみた。次回は、多種多様な図案をデザインとして彫ることが出来る「道具彫」について、話を展開させたいと思う。

 

北海道の観光シーズンは、やはり夏が中心ですが、今から40ほど前は、秋になると新婚のカップルが、大勢やってきました。まだ、海外旅行はかなり贅沢な時代であり、北海道は魅力ある新婚旅行先の一つとして、認識されていたからです。

夏の旅行者が一段落した後の民芸品店にとって、新婚さんは「とても良いお客さん」でした。そして、いかに「まとめ買い」をさせるかが、民芸品店で働く者の腕の見せ所。新婚さんは必ず、多くの人に土産モノを買いますが、道内で売る品物はどれも似たり寄ったりなので、それを知床で買うか、阿寒湖で買うか、はたまた帰りがけに札幌で買うか、それだけの違いになります。

私は、木彫製作はダメでしたが、新婚さんにモノを売るのは得意でした。さりげない観光案内から話を始め、次第にうち解けていくと、最後は予定していた全ての土産を購入してもらえることになり、私はそれを一括梱包して、家に戻る日に間に合うように発送していました。酋長の家のご主人や奥さんからは、「バックパッカーだけど、シゲル君はさすがに商売の家の子で、客あしらいが上手い」と、よく褒めてもらっていました。

後年、酋長の家の奥さんからは、「自分では、呉服屋には向いていないと言いながら、実は一番向いてる仕事に就いた」と言われました。やはり「門前の小僧、習わぬ経を読む」ということになりますかね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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