バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

バイク呉服屋への指令(6) サクラを尽くした装いを、提案せよ

2019.04 05

四月一日、次の新しい元号が「令和(れいわ)」と決まった。645年、孝徳天皇の下で始まった大化から数えると、これが248回目の改元である。

これまでの元号名は、中国の書物(漢籍)を典拠としてきたが、令和は初めて日本の書物(国書)を拠り所としている。出典は、万葉集第5巻の中にある「梅花32首」の序文。これは、730(天平2)年の正月、大宰府に長官として派遣されていた大伴旅人(大伴家持の父)が、自分の邸宅に32人の役人を招いて開いた宴席で、梅を題材にしてそれぞれが詠んだ歌である。

序文には、「新春の夜の月は美しく、風は和らぎ、梅は白粉の如く白く咲く」と書かれている。この「初春令月 氣淑風和」を引き取る形で、「令和」となった。

 

今回、新元号の由来となったことで、万葉集と梅の花は思わぬ脚光を浴びることとなったが、梅はこの天平の時代には国花と呼べる存在で、人々に最も親しまれた花であった。梅の原産国・中国から日本に伝来したのは、奈良期以前で、おそらく大陸間交流の副産物として入ってきたと思われる。

だが、梅が国の代表的な花と意識されたのは、奈良期までで、平安期に入ると、その地位をサクラに取って替わられてしまう。それは、和歌の題材となる頻度を見るとよく判る。約4500首ある万葉集の中で、梅を詠んだ歌118首に対し、桜は44首である。これが古今和歌集になると、梅と桜の数は逆転し、春の歌に限れば、梅が20首・桜が55首となる。

大伴家持が、万葉集の編纂を終えたのは、783(延暦2)年。醍醐天皇の手による古今和歌集は、902(延喜2)年に出来ている。ということは、国花が、梅から桜へと変わったのは、この120年間のどこかになるのだが、果たして特定できるだろうか。

 

史料によると、桓武天皇が都を平安京に移した際、内裏(天皇の住まい)の紫宸殿(ししんでん)に梅の木を植えている。ここは、皇室の儀式を執り行う最も厳かな場所。これで、平安遷都の794年には、まだ梅が優位と判る。

この木が、承和年間(834~848)年に枯れて、当時の仁明天皇により再建されているが、この頃、天皇の日常生活をする場所・清涼殿(せいりょうでん)に、桜の木を植えた記載が見える。即ちそれは、「承和年代 清涼殿 東二三歩 有一桜樹 樹老代亦変」。出典は、菅原道真が醍醐天皇に献上した漢詩集・菅家文草(かんけぶんそう)。仁明天皇が、自分の身近な場所に桜の木を植えたことは、もとより梅よりも桜を好んでいた証拠となる。

そして、後に内裏が焼失し、紫宸殿の梅の木が一緒に焼け落ちた際には、重明親王(醍醐天皇・第四皇子)の家から桜の木を移して植えたという記述の史料がある。当時の天皇は醍醐天皇で、即位は894年。この頃にはすっかり、桜が花の主役として定着していたようだ。だから、古今和歌集に梅よりも桜の歌が多いのも、大いに頷ける。

このように様々に思いを巡らしてみると、梅から桜への分水嶺は、おそらく仁明天皇の頃(840年頃)かと思われる。この天皇は、幼少より病弱で薬を多用し、そのために薬に関する知識に秀で、時には自分で調合していたらしい。体の弱い天皇が、花の命が短いサクラに、我が身のはかなさをも感じ取っていたのかも知れない。

 

世間的には梅が注目されている中、サクラも今が盛り。今日は、あるお客様から依頼を受けた「サクラを尽くした着姿」を、バイク呉服屋がどのように提案したのか、ご覧頂くことにしよう。

 

(薄桜色裾ぼかし 桜散し模様・訪問着  金引箔 桜散し模様・袋帯)

桜だけをモチーフにしたキモノや帯は、旬を意識して使うとなると、どうしても期間が短くなる。桜は蕾が膨らみ始めてから、花が落ちるまでおよそ二週間足らず。あまりにも季節が前面に出る植物なので、これは仕方がない。けれども、季節を先取りする意味で使うならば、3月初旬からでも、構わないだろう。桜は春の訪れを象徴する花であり、誰もが待ち焦がれる花。開花時期が話題に上り始めたら、いつ着用しても良いのではないか。

また、桜を国花と位置付けるのであれば、季節を問わずに使うことが出来よう。竺仙の浴衣には、サクラの花だけをモチーフにした品物があるが、これなどが良い例で、日本人に最も愛される国の代表花として、桜を捉えているからこそ、夏の装いの中でも意匠化される。

今回、サクラを尽くした装いを依頼された方は、毎年4月の第一週の週末に、必ず和装で出席する場所があると言う。せっかく桜の時期に着用の機会があるのだから、一年に一度は、桜にこだわる装いをしてみたい。バイク呉服屋へ指令が下ったのは、こんな希望が寄せられたからである。

 

(桜色地薄桜鼠裾ぼかし 桜花散し模様 京友禅訪問着・菱一)

桜の装いと一概に言っても、漠然としていて、どんな提案をしたら良いのかわからない。まずは、お客様がどのような姿を意識されているのかを理解しなければ、何も始まらない。

聞いてみたところ、この方が希望するポイントは、さりげなさだと判った。自然な色と控えめな図案で、奥ゆかしい姿を望まれている。私には、この目的に添う品物を選び、提案することを求められる。

自然な色を意識するとなれば、やはりキモノの地はリアルな桜花の色に近いものを選ぶことになる。そして春特有の、どことなくぼんやりした「霞が掛かったような図案」であれば、なおはんなり感が増してくる。そこで、意匠で桜を強調せずに、全体の雰囲気で桜感を出す手法を取ることにした。

このコンセプトを踏まえて選んだのが、この訪問着。木も枝も無く、重ねた花びらと散らした花びらだけのシンプルなもの。地色は、白に近いほんのりとした淡い桜色で、裾廻りが鼠色を含ませたくすみ桜色。全体にくぐもった印象を持つために、どことなく霞のイメージがある。

模様の中心、上前おくみのサクラ模様。花びらの配色はほぼ白だが、きちんと蘂を描き、手で色挿しをしている。所々には、桜色の花の影が、ぼんやりと浮かんでいる。

花を拡大してみた。蘂を若草色と金で細密に描いている。小さな模様だが、一枚一枚に丁寧なあしらいが伺える。

散らした花びらには、刺繍を施す。縁取りは金の駒繍。中は、胡粉を使って白くしたものと、白糸で菅縫いを施したものが見える。

「さりげない桜姿」をコンセプトにして選んでいるために、全体がふわりと優しい。このキモノに合わせる帯が同系の色使いだと、着姿が必要以上にぼやけてしまうだろう。少しだけインパクトを出さなくてはならないが、さりとて帯だけが目立ってもいけない。このさじ加減が実に難しいが、探さなければならない。その結果、バイク呉服屋が選んだ帯はどのようなものなのか、次にご覧頂こう。

 

金引箔 源氏物語錦織絵巻 扉見返し桜模様・手織袋帯  山口伊太郎(紫紘)

桜の帯は意外に多く、その意匠も様々だ。やはり日本の代表花・桜は、織屋にとっても魅力的なモチーフであり、着用する時期が短いと感じながらも、作らずにはおられないのであろう。

多く手掛けられている桜図案の中で、貴族の雅やかな生活を桜と共に映し出すものと言えば、やはり紫紘の品物である。創始者・山口伊太郎翁が心血を注いだ「源氏物語錦織絵巻」は、平安優美な王朝物語絵を精緻な織りで再現したものだが、それは、線描きの絵画を紋織で表現するという、誰も試みたことのない壮大な挑戦でもあった。

伊太郎翁が手掛けた絵巻は、現存している絵巻の19場面と詞書。これを4巻に分けて織り出している。この各巻の見返しに織り出されているのが、金引箔の地に桜枝と散り行く花を描いた、上の帯図案である。

桜の花びら一枚ごとに、表情が違う。そして、地の色の表情も微妙に違う。絵画を細密な織で表現するためには、文様を表す部分の緯糸の密度を上げて、細かく織り込むことが求められる。また、地に色の変化を施す場合、まず糸に使う箔を加工する段階で、色の棚引き(暈し)を施し、さらに金砂子を蒔いたり、切箔を入れたりする。この箔を裁断して糸にしたものが、緯糸となり、地を構成する。

花びらを拡大してみると、織りの細密さが手に取るように判る。微妙なサクラの色を、糸の色を細かく変えながら、微細に表現している。これだけ生き生きと立体感溢れる花を織り出すためには、一体どれほどの時間を掛けているのだろうか。

左の本に掲載されているのが、錦織絵巻の扉見返し。右が実際の帯。

金引箔の地にあしらわれた青磁色の暈かし。そして満開のサクラ枝から、はらはらと舞う花びら。春の霞んだサクラ景色を、これほど上品に表現している帯は、なかなかお目に掛からない。おそらくこの花は、「内裏のサクラ=天皇家の庭桜」である。桜を「日本の花」とした貴族の心持が映しだされているように思える。

先に選んだキモノも、花びらだけのシンプルな図案で、霞のようなぼかしが施されている。この帯の模様にも同じ視点があり、雰囲気が似ている。この双方を合わせると、淑やかでさりげない「桜姿」を表現出来そうだ。

 

「サクラ尽くし」のキモノと帯のコーディネート。

キモノ、帯どちらも、満開から少し時間を置いた「散り際のサクラ」がイメージされる。舞い落ちる花びらが、その美しさをいっそう際立たせ、サクラだけが持つ独特の「はかなさ」が感じ取れる。

こうして合わせてみると、キモノの裾に施された墨桜色暈しと、帯の青磁色霞模様が絶妙で、散りサクラの姿を印象付ける役割を果たしている。また、帯の地は白ではなく、少し主張を持たせた金引箔の方が、着姿としてまとまる。ただ、その金地も平板ではなく、微妙に変化が付いているために、強さよりも柔らかさが印象に残る。

前の合わせ。やはり青磁色の霞が効果的で、着姿に深みを増す役割を果たしている。

こうしてバイク呉服屋が悩みつつ選んだ品物は、幸いなことにお客様が描いていたイメージと重なり、受け入れて頂く事が出来た。けれども同時に、一緒に使う小物にも、「桜を尽くす品物を提案して欲しい」との指令を受けた。

襦袢や刺繍衿、あるいは帯揚げや帯〆に、どのような「桜」を使って着姿を完成させたのか。話が長くなりそうなので、この続きは次回にまたお話することとしよう。

 

春さめの ふるは涙か 桜花 散るを惜しまぬ 人しなければ 大伴黒主・古今集88(春の雨降りは、桜の花が流す涙。散ることを惜しまぬ人など、いるはずがない。)

サクラは満開を過ぎ、散り際を迎えると、少しの雨や風で花を落としてしまいます。平安歌人たちも、この間際の桜を愛しみ、多くの歌を残しました。上の歌を詠んだ大伴黒主は、古今和歌集の序文で紹介されている六歌仙の一人で、この時代の代表的な歌人。六歌仙は、黒主の他に、平安のプレイボーイ・在原業平、絶世の美女・小野小町、僧正遍昭、喜撰法師、文屋康秀の五人。

昨日、東京へ出張した際に、様々な場所で桜を眺めましたが、まさに散り際で、とても美しかった。今年の桜に残されている時間も、あと僅かです。今週末は、ぜひ皆様も名残の花を愛でて下さい。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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