バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

3月のコーディネート  桜地色とサクラの水引刺繍で、弥生を彩る

2019.03 30

不思議なもので、毎年お彼岸を過ぎると、急に暖かくなる。私のように、毎日バイクに乗っていると、微妙な季節の変化を肌で感じ取れる。今年は、走っていて、思わず固まってしまうほどの寒い日は少なく、体も楽だった。その証拠に、いつもの年ならバイク運転には欠かせないマフラーを、一度も使わずに済んでしまったほどだ。

そして先週からは、ポツポツと桜の便りが届くようになった。東京では春分の日に開花が発表され、一昨日に満開となった。おそらくこの週末、上野や九段下では、多くの花見客で賑わうだろう。甲府も少し遅れて花をつけ始めたが、まだ3~5分咲き。だが、今日仕事で出掛けた県の南部・身延では、ほぼ満開だった。

山梨県は、地域により温度差があり、気候も違うので、桜の開花がずれる。八ヶ岳周辺の県北や富士五湖地方は、甲府より半月以上遅れて見頃を迎えるが、静岡に近い県南部は、3月中に満開になる。だから県内では、ひと月にわたって、どこかで桜を楽しむことが出来る。

 

旧暦の呼び名で、三月は弥生。では、何故この月を弥生と呼ぶのだろうか。辞書を引いてみると、「弥」の訓読みの中に「いよいよ」とある。この字は、益々とか段々との意味を持つようだ。これに「生=うまれる」を足すと、「いよいよ生まれてくる」。寒さに震え、固く閉じていた木の芽が膨らみ始める季節。そんな春の兆しが、「弥生」という名前には含まれている。

そしてこの「弥」は、「いや」とも読ませる。例えば「弥栄(いやさか)」で、意味は字の如く、益々栄えること。「皇室の弥栄をお祈り致します」と使っている場面を、思い出す方も多いのではないか。こう考えていくと、「弥」という字には、様々な喜びへの期待が込められているように思える。

 

平成の弥生も、これが最後。5月には、「いよいよ」新しい天皇が即位する。新しい時代を迎える今は、まさに「弥」の時期にあたる。ということで、今月のコーディネートでは、桜の色と、慶事には欠かせない水引とを組み合わせた品物を使って、「春が到来した喜び」を着姿で表現してみよう。

 

(桜色地 水引桜模様・手刺繍付下げ  銀地 七宝花菱文・手織唐織袋帯)

何故、多くの人はサクラに惹かれるのか。開花の時期が、冬の終わりと春の始まりという季節の節目。それは、年度の境目と重なり、卒業と入学という人生の分岐点にもなっている。別れと出会いが錯綜し、期待と不安がないまぜになる。心が揺れる3月。人をこんな心情にさせる季節は、他にはない。

毎年、そんな人々の心を、サクラの花は見つめている。人生のターニングポイントと共にある花だからこそ、思い出が重なり、印象が深く刻まれる。そして、「パッと咲きパッと散る」ことも、潔さを良しとする日本人の心情に適う。サクラには、見つめる人それぞれの「想い」がある。

 

色には、それぞれに相応しい季節があるように思うが、桜色は特別だ。この色ほど、季節と密接な色は無いだろう。ピンクではなく、サクラ色。あくまでも淡く、優しく、時にははかなげに見える色は、浅い春の頼りなさを感じさせてくれる。

卒業式や入学式、あるいは春を寿ぐ装いの中では、やはり桜色は際立つ。無地紋付でも良いが、色を前に出しながらも、少しだけ模様にも季節を意識させ、合わせる帯で着姿に春の柔らかみを出してみたい。果たして、そんなコーディネートになるか否か、ご覧頂くことにしよう。

 

(一越桜色地 水引サクラ花刺繍 付下げ・千切屋治兵衛)

ご覧のように、この付下げの印象は無地に近く、模様は極めて控えめに映る。だが、そのあしらいを見ていくと、実に手が込んでいて、地の桜色をより引き立てる役割を果たしている。決して目立つものではないが、旬を強く意識した上で製作された品物だと、理解出来る。

キモノ地色に使っている桜色は、僅かに紅の気配を感じ、少しだけ憂いを含んだ色。実際のサクラの色に近く、この色だけでも十分に今の季節を感じ取ることが出来る。

 

日本の伝統色において、この桜色は、「退紅(あらぞめ)」をさらに淡くした色で、紅花を用いた紅色の中で、最も淡い色と位置付けられている。ご存知の通り、古来から赤やピンク(赤紫)系の色染めには紅花を使ってきたが、発色の濃淡は、染色時に使う紅花の量で変わる。

以前にも稿の中で書いたが、「一斤染(いっこんぞめ)」は、絹一疋(キモノ二反分)に付き、紅花一斤(約600g)を用いて染めた色。紅濃色は高価な紅花染料を沢山必要としたために、贅沢品と捉えられ、平安期には位の高い者以外は、着用を禁じられた色=禁色(きんじき)だったが、一斤染は、庶民に許された紅の限界色であり、そのため聴色(ゆるしいろ)=許色という別名が付いた。

退紅は、その色名が「褪めた紅」を意味しており、かなり色が淡い。使用する紅花の量も、一疋に付き小八両(約13g)と、一斤染めとは比べものにならないほど少ない。そもそもこの染には、紅花の残り滓を使っていたとも言われている。そして桜色は、この退紅よりもさらに淡く、白にほんの僅かな紅を含ませたもの。

この付下げの地色では、あくまでも控えめで優しいサクラ花の色を、そのまま映す作り手の意図が表れていて、それがリアルな季節感を生んでいる。

 

模様の中心、上前おくみと見頃にあしらわれた、金銀の水引を思わせる桜花刺繍。

祝いの時に差し出す金包みは、もちろん「熨斗袋」だが、この袋には、二つの飾りが付いている。一つが、細長い独特の形をした「熨斗」。これは、古来より縁起モノとして使われてきた「干し鮑」の形を模している。仰々しい袋だと、きちんと和紙を使って作ったものを貼り付けているが、大概は印刷で記してある。

 

もう一つの飾りが、袋の中心で結ばれている紐。皆様ご存知の、「水引」である。これは熨斗袋だけでなく、大切な方へ贈る品物にも施されることが多い。水引を付ける習慣は、室町期頃から始まったとされているが、その結び方や紐の色で、使う場所が違う。

結び方の基本は「鮑結び」で、祝儀の際に使い、真ん中の輪と左右二つの輪を重ねて、しっかり結わえてある。この結形が「鮑」に似ていること、あるいは、もう一つの飾りの「熨斗」の原型が鮑だったことで、この名前が付いたと考えられている。その他に、紐の端を切らないで結ぶ「輪結び」には、縁を切らないという意味が含まれる。

そして、使う紐の色も使い分けがある。赤と白の組み合わせは、ごく一般のお祝い。そして金銀の組み合わせは、一生に一度のような特別な祝い、例えば婚礼の席などに使う。また、黒白、黒銀は、葬儀など不祝儀事の香典袋やお供え物に使う。

 

金・銀・白の三色だけを使った刺繍。水引の輪結びのように、五枚の花弁を繋げて、桜を表現している。幾重にも花を連ねた模様には、細密な刺繍でのほどこしが見える。この付下げの模様は全て、この「水引的な縫い」で表現されている。

水引サクラ花繍いを、拡大してみた。

桜花の輪結びを表現している縫い技法は、纏い(まつい)繍。これは、線を表現する時に用いる技法。縫い方は、下絵の線に沿い、針足(縫い糸の間隔)が「ノの字」になるように、下から上、上から下へと刺す。この繰り返しの中で、縫い糸の間隔を少しずつずらしながら、重ねるように縫い進める。

画像をよく見ると、ほぼ同じ間隔で「ノの針足」が並んでいることが、判る。この間隔は、5~10ミリ程度が美しく見えるとされており、長くならないように注意が払われる。また線の太さは、糸の重ね具合を変化させることで、表現出来る。

まつい繍は、日本に最も古く伝わった技法の一つで、6世紀の飛鳥時代に製作された帳、中宮寺・天寿国曼荼羅繍帳に用いられている。

桜地色の上に、くっきりと浮かび上がる水引・輪結びのサクラ。図案といい、技法といい、春の喜びを表現するには、これ以上ないあしらいであろう。花びら一枚には、ひと目ひと目を丁寧に縫いあげた、職人の息遣いが聞こえる。

この品物全体から見れば、決して模様は目立ない。だが、この控えめなあしらいこそが、サクラという花の奥ゆかしさを、より印象付けているように思える。そして、模様よりも地の桜色を前に出して、季節感を高めている。

では、この水引繍のキモノにどんな帯を合わせたら、弥生らしい「はんなりとした着姿」になるのか、考えることにしよう。

 

(銀地 花菱七宝模様 手織唐織袋帯・おび弘 織り手 井上明子)

そもそもキモノが、たおやかで優しい。この雰囲気を消さずに、より印象付けるためには、帯もキモノと良く似たイメージを持つものが良いのだろう。となると、白か銀系の地にパステルを基調とした配色と、無地感覚が強いキモノをさりげなく押さえる図案の帯になろうか。清楚で明るい春の姿をイメージすると、このような結論になる。

図案は、少し大きめの七宝繋ぎ文。中に花菱を配している「七宝花菱」は、帯の図案としてオーソドックスなもの。地色は白地で、配色は、金、銀、白、さらにピンク、若草、水色のパステルカラー。

この七宝文の別名は「輪違い文」だが、これは、合わせるキモノの「輪結び水引繍」と、基本的な図案の構造が似ているように思える。さらには、この帯が、唐織であること。この織技法は、模様が浮き上がり、まるで刺繍を施したかのように見えるので、これもキモノの繍技法と重なる。その上、帯の配色が、花菱のパステル色以外は金・銀・白の水引カラー。つまりこの帯は、図案、技法、配色が上のキモノと良く似ている。

 

垂れ先の花菱七宝模様を、裏から覗いてみた。

唐織の技法は、綾織や繻子織といった地組織の上に、多彩な色糸や金銀糸(絵緯糸・えぬきいと)を使い分けて浮き上がらせ、模様を表現する。帯姿を見ると、模様が刺繍を施したように見える。

上の画像は、垂れの花菱模様を裏から写したものだが、表に見える模様の通りに、絵緯糸が通っていることが見て取れる。

ご覧のように、絵緯は文様に応じて、必要な色糸を縫い取るように織り込むため、杼の数は使う色糸の数だけ、必要になる。この杼を文様に応じて経糸にくぐらせ、さらに地緯を通して、初めて一越織ることが出来る。画像で判るように、絵緯糸は帯幅いっぱいに通すことなく、文様の部分だけに往復させている。だから唐織技法は、色数が多ければ多いほど、手間がかかることになる。

では遅くなったが、よく似た雰囲気を持つキモノと帯の合わせを、試してみよう。

 

やはり桜地色と、白銀地色の相性は良い。これならば、着姿全体が柔らかい色で包み込まれる。そして、パステル配色の帯模様が、目に優しく映る。より「春らしく、はんなりと優しく」のテーマには、添える姿になっていると思えるのだが、どうだろうか。

帯の前姿。配色は優しいが、模様が浮き上がって見えるので、帯としての存在感があり主張がある。これは、唐織の特徴を生かしたコーディネートとも言えよう。

小物合わせをしてみた。帯〆と帯揚げは、オーソドックスに桜色の共色を使ってみた。当たり前すぎる色合わせで、工夫が無いと言われてしまいそうだが、弥生という時期を考えれば、やはりピンク系を選んでしまう。帯の花菱配色に見えるパステル色、例えば若草とか水色も試してみたいところだが。(帯〆・龍工房 ぼかし帯揚げ・加藤萬)

 

今日は、桜の季節に相応しい品物を使い、春そのものを感じる着姿となるように、コーディネートしてみた。キモノも帯も、決して目立つ品物ではないが、どちらも職人が手を尽くして作り上げた逸品である。「上品さが際立つこと、この上なし」と、バイク呉服屋は一人で納得しているが、果たして読者の方々には、どのように感じて頂けるのだろうか。

最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度どうぞ。

 

私が8年間暮らした東京・西荻窪の下宿は、大家さんの庭の中に建てられた小さなアパートでした。その庭には、大きな桜の木が二本あり、私は毎年春になると、二階の小さな部屋の窓から、花を飽きずに眺めたものです。

中でも、故郷を離れ、初めて東京で見た下宿のサクラは、今も心に残っています。これからどんな生活が始まるのか、どんな出会いがあるのか、期待と不安の中で、満開のサクラを見ていました。

きっとあの頃の私と同じように、この春、新しい生活を始める多くの若者が、「都会のサクラ」を様々な思いで見つめていることでしょう。その前途に、心からエールを送りたいと思います。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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