バイク呉服屋の仕事納めは、ここ数年、判で押したように、12月28日。ということは、お役所の仕事納めと同じである。一昔前までは、どんな店であれ、大晦日まで営業することが当たり前だったことを考えると、隔世の感がある。
最近では、大半の納品や集金は25日くらいで終わる。その後2日くらいかけて、店の煤払い(大掃除)をする。普段はおざなりになっていた掃除も、本格的にやるとなれば時間がかかる。
煤払いとは、正月の準備を始める「事始め」の一つで、年神様を迎えるために、神棚や仏壇の埃や塵を払い、きれいに清める行事。煤を落とすほどに、「迎える年の神様からご利益が受けられる」とされているため、念入りに掃除が施されてきた。そんな訳で、今も神社・仏閣では、年末の大掃除のことを、「煤払い」と呼ぶ。
バイク呉服屋も、たくさんのご利益は期待しないが、何とか無事に来年も仕事が続けられることを願い、隅々まで埃を落としておいた。
さて今年も、去り行く干支・申に関わる文様をご紹介して、稿を終えることにしよう。
(チャンカイの申 光波帯・龍村美術織物)
毎年、この最後の干支文様の稿で使うのが、龍村の光波帯だが、それだけこの帯のモチーフが、多彩ということだろう。
この帯の猿は、何とも不思議な図案。帯を縦に眺めると、渦巻きのヒゲが左右に付いた瓶の中に、一対の顔のようなものが見える。「チャンカイの申」と帯に名前がついているので、「猿の顔」らしきものと思われるが、そうでなければ、何だかよくわからない。
「チャンカイ」というのは、西暦1000年~1470年頃まで、南米・ペルーのチャンカイ川流域で栄えた文明・チャンカイ文明のことである。この場所は、現在の首都・リマの北方、70キロほどのところにある。
ペルーの世界遺産といえば、険しい山の尾根に残された「天空都市・マチュピチュ」。15世紀にこの地を支配した、インカ帝国の遺跡である。マチュピチュの標高は2400mだが、この国の首都だったクスコは、ここからさらに1000mも上にある。
インカ帝国の前身は、13世紀初頭にケチュア族が作った「クスコ帝国」である。1438年、皇帝・パチャクテクが即位すると、他民族の制圧に乗り出し、最盛期には、北はコロンビア、南はチリまで、80の部族・1600万人を支配し、ほぼアンデスの文明圏の全てを掌握する、広大な国家となった。
ペルー中部にあったチャンカイも、当時・クイスマンク王国の支配下にあったが、15世紀後半、インカ帝国により滅ぼされる。
アンデスの文化は、文字を持たず、鉄器がほとんど使われていない。その代わりに、土器が発達し、他では見られない独特の装飾や形のものが作られている。また、古くから染織技術が進み、地域ごとに個性的な織物が生産された。インカ帝国以前のアンデス文化は、「プレ・インカ」と呼ばれるが、チャンカイ文化もその一つであり、遺跡からは、個性的な土器と、多様な織物が見つかっている。
図案を横に拡大してみた。こうすると、確かに猿で、渦巻きのヒゲは尻尾で、壺のように見えたのは、二匹の猿が手を組み合っているところである。
チャンカイから出土した土器は、白地に黒模様のものが多く、中でも、人形の形をした壺は、人の顔をユーモラスに描いているものが多い。他のモチーフは、鳥や魚、果物、そして特有の幾何学文様なども使われている。
アンデス文明は、紀元前3000年に、南米中部の太平洋沿岸(現在のペルー)で起こり、紀元前2500年には、すでに綿織物とおぼしきものが織られていた。
材料は、アルパカ・リャマなどの獣毛と木綿。とりわけ綿は、毛先が長くて細い、いわゆる長繊維綿が使われており、現代の稀少品・海島綿の原型とされるものであった。アンデスの人々は、このしなやかな糸を紡いで、多様な織物を作った。
アンデスの染織品には、時代や地域ごとにそれぞれの特色がある。例えば、ナスカ文化(AD1~600年)・ティワナク文化(AD1~900年)・ワリ文化(AD800~1000年)等々。チャンカイの織物には、それまでの技法をほとんど網羅するかのように、多種多様な手の込んだ品物が見られる。
例えば、刺繍のように見える「縫い取り」は、模様を表現しているのは緯糸で、地糸とは異なる色糸で、織られている。モチーフには、鳥が多く、猫や猿、蛇などの文様も見られる。アンデス文明は、文字が無いため、織物に使われる図案には、何かを伝える意図がかい間見えることもある。
また、二重織やチャンカイ・レースなど、アンデス特有の技法を駆使したものがあり、交差した経糸を緯糸で止め、文様を表す捩(もじり)織は、中国や日本の羅と同じように、経糸を複雑に絡み合わせた「編み物」のような織物である。チャンカイの染織品からは、現代の日本の織物技術を、幾つも見ることが出来る。
糸の染料も、赤い色は茜やコチニール(カイガラムシから抽出されたもの)、青は藍、また黄色はウコンなど、それぞれに天然素材が使われている。これを多様に組み合わせて、多彩な色が生まれており、その色数は、200色にも及んでいる。
日本に「チャンカイ文化」を伝えたのは、秋田県出身の実業家・天野芳太郎。戦前、日本の事業で得た資金を持って、中南米・パナマに渡り事業を始める。その後、チリやエクアドル、ペルーと順調に事業を拡大したものの、太平洋戦争でアメリカと開戦すると、スパイ容疑で拘留される。
終戦後、一時日本へ戻ったものの、再びペルーに渡って事業を再開。同時に、リマに在住していた天野は、アンデス文明の研究を志し、1953(昭和28)年にチャンカイでの発掘調査を開始。そこで見つかった土器や染織品を、日本に紹介したのである。1964(昭和39)年、リマに天野博物館を開館し、貴重な織物や土器を数多く展示している。
龍村の帯文様を辿ると、沢山の知識が得られる。この「チャンカイの申」でも、アンデスの織物の歴史はもとより、文様の礎とも言える人物にまで行き着いた。
申年は去ってしまうが、来年も様々な文様のことを伝えていきたい。少しでも皆様に興味を持って頂けるように、楽しく、丁寧にお話したいと思う。
今年76回目になる最後の稿を、ようやく書き終えることが出来ました。今年、このつたないブログを訪問してくれた14万人もの方々に、本当に感謝致します。下手な文章でも、読んでくださる方の存在は、何よりの励みとなりました。
来年も、同じようなペースで、呉服屋に関わる多くのことを、書いていこうと思います。日々の仕事の中で気になったことや、職人さんの仕事、品物のことなど、内容が偏らないように、工夫していくつもりです。
最後に、今年このブログを通して、お会いすることが出来た多くの方々、本当にありがとうございました。遠方からわざわざおいで下さった方、またお邪魔させて頂いた方、私にとって、そんなご縁を頂けたことが、何よりの喜びです。来年も、多くの方とお会い出来ることを願いつつ、今年の稿を終わることにします。
皆様、来年もどうぞよろしくお願いいたします。良い年を、お迎え下さい。
なお、来年のブログは、1月6日か7日に再開する予定です。また店の営業は、1月7日の土曜日からです。