バイク呉服屋の忙しい日々

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バイク呉服屋女房の仕事着(11) 淡い「浅紫」で、春めく姿を映す

2021.03 07

一年に十二ある月の名前には、数字ではない、月ごとそれぞれに呼び名がある。睦月・如月・弥生・卯月など「旧暦での月の名前」は、「和風月名(わふうげつめい)」と呼ばれている。

月の異名の由来は、大変古い。江戸時代後期の文政~天保年間に、国学者・屋代弘賢(やしろひろかた)の手で編纂された「古今要覧稿(ここんようらんこう)」は、自然や社会、人文の事象を幾つかに分類し、その起源や沿革を考証した類書だが、そこには、旧暦の呼び方に関する記載が、年代を追って拾われている。

例えば、一月の別名・睦月が、正月の和名として最初に文献に現れるのは、日本書紀・神武紀四十二年の壬寅春・正月であり、その後万葉集にも、「武都紀多知 波流能吉多良婆(むつきたち、はるのきたらば)」と表現されている。つまり、一月を睦月と呼んでいたのは、遥か神武天皇の頃(紀元前620年あたり)からということになる。

 

和風月名の由来は、月ごとに幾つかの説があるが、一月は、新しい年の初めとして、多くの人が親しく集うことから、「睦まじい月=睦月」となったとされる。また二月は、寒さが続いてキモノを重ね着する「衣更着の月=如月(きさらぎ)」として、その名前が付いたようだ。

さて今週は、季節が進んで、春三月・弥生を迎えた。弥生の弥には、「ますます」とか「いよいよ」という意味がある。だからこの月の名前は、暖かくなって、いよいよ草木が生い茂ってくることに由来して、付けられている。

草木や花が芽吹き始める三月は、長い冬を越えた安堵感から、何となく心も春めき、明るい色で装いたくなる季節。一緒に仕事をしている家内の仕事着も、日を追って少しずつ、春らしい色合いのコーディネートが多くなった。そこで今日は、そんなバイク呉服屋女房の仕事着で、一足早い「春の装い」をご覧頂こう。今回テーマにした春の色は、柔らかな浅紫色。果たしてどんな着姿になったのか、早速ご紹介してみよう。

 

(浅紫色 細縞・十日町平織紬  白地 変わり青海波模様・絞り名古屋帯)

日中の気温が15℃ほどに上がってくると、誰もが「春近し」という感覚を持つ。そして街行く人の装いは、厚手のコートを脱いで、明るく柔らかい色の春姿が目立つようになる。これは和装も同じで、日常着として紬や小紋を着用する場合でも、淡い色や薄色を使ってみたくなる。このように、衣装の色が「濃から淡へと」はっきり変化するのは、今の季節をおいて他には無い。

家内も、秋から冬にかけては、濃紺や鉄紺、また深泥のようなくすんだ色の紬を着用することがほとんどで、着姿の変化は、帯の色や図案で付けていた。けれども3月に入ると、キモノの色が明るくなり、白地やパステル系の薄色を使い始める。基本的に柔らかい色を好む人なので、私が見ていても、春姿のほうに「彼女らしさ」が出る。

 

そこで今日のテーマは、色。キモノと帯はもちろんのこと、合わせる小物にも同系色の意識を強く持たせ、目指す色の気配が漂う着姿に創る。前回の稿では、「襲の色目の構成方法」として、同色濃淡で全体の色調を表す「匂い」と呼ぶ手法があることをご紹介したが、今回の目的はまさに、この「色の匂い」が感じられるコーディネート。

使う色は、薄く浅い紫色。この紫という色目は、その色の気配によって、イメージが大きく変わる。深い古代紫や紫紺色は、重厚で高貴な紫という色を象徴し、江戸紫には江戸町人が好んだ粋な気配が表れる。そして、葡萄色・藤色・菖蒲色・杜若色など、時々に咲き誇る紫の花の色は、それぞれの季節を表す「旬な色」となる。

今回家内が選んだ「浅紫色」は、古来高貴な色とされた紫を薄めた色。この淡い紫は、その上品な気配から、公家女性にも愛用されてきた。そして、優しく柔らかな色の雰囲気は、春に相応しい色とも言えるだろう。では、その品物をご紹介していこう。

 

これは、私の母親が仕事着として長く使っていたキモノで、ごく細い縞の平織紬。化学染料で染めた糸を使い、機械機を用いて織っている。おそらく十日町か長井(山形)あたりの品物だろうが、いずれにせよ高価ではない。だが私には、母親がこの紬を、かなり頻繁に着ていた記憶がある。撚りの無い平糸を緯糸としているので、表面には自然な光沢が表れる。おそらく、この滑るような生地感と軽さを気に入っていたのだろう。

衿の先端・剣先あたりを写してみた。遠目では、ぼんやり見える浅紫の色だけが印象に残るが、近づくにつれて細かい縞の表情が現れ、それが縞色のグラデーションによるものだと、判ってくる。

こうして見ると、かなり多色な糸で縞が形成されている。そして太さや間隔も一本ずつ違っていて、不規則な縞模様になっている。こんな不均一な縞のことを、「勝手縞(かってじま)」と言う。

縞色は浅紫系の濃淡だけではなく、若草色や灰桜色、鼠色なども見える。色の並びもランダムで、濃淡にも規則性は無い。だが、一本一本の柔らかな色の筋が一体となって、キモノ全体を包んでいるように見える。その結果として映る色が、「浅紫色」なのだ。単純に見えても、実は複雑に組み合わされた色。そして光沢のある生地質が、光の当たり方により、微妙に色映りを変えている。

この紬は、洗張りを終えた状態で、家内が受け継いだ。おそらく母親は、まだ自分で着用するつもりだったのだろうが、仕立をする前に、体を悪くして使わなくなった。銀鼠色の八掛は、家内には少し地味だが、状態も悪くないのでそのまま使う。中上げに2寸以上縫込みがあったので、10cmほど身長が大きい家内でも、自分に合った身丈の寸法で誂えることが出来た。

 

帯の模様は、縦横無尽に「青海波」をあしらた不思議な図案。総疋田の絞り名古屋帯だが、模様は小紋染めしたもの。絞り技法による模様あしらいではないが、ふわりとした絞りらしい表情が、帯から見て取れる。波の色合いは、濃い赤紫と浅紫、そしてごく薄い藤紫色で構成されている。この三つの色を規則的に挿すことによって、青海波の流れが際立って見える。

だがこの帯は、もともと帯地ではなく、羽織用の生地・羽尺だった。それも最初は、絵羽の形・いわゆる絵羽織として売っていたもの。仕入れをしたのは、もしかしたら、平成以前の昭和の時代かもしれない。絞りメーカーとしてよく知られている名古屋の藤娘・きぬたやの手による品物だが、いずれにせよ羽織の需要が顕著だった頃のもので、相当古いことは間違いない。

この画像は、以前羽織として使うことを考えた方へ、衿の形を作って送った時のもの。生地全体に広がる波はかなりインパクトがあり、羽織とするにしても、相当個性的な図案である。そんなこともあってか、20年以上店の棚で眠り続け、半ば「店晒し品」となっていた。

ということで、もう私は、この小紋羽織を「売り物」と見ていなかった。そんな時家内が、帯として自分が使いたいと言い出したのだ。この動きのある青海波の図案は、帯でこそ生かせると考えたらしい。そこで、日ごろ苦労を掛けている女房に感謝を込め、品物は進呈することにした。しかし、セコイことでは定評のあるバイク呉服屋は、帯の仕立て代を自腹で払うようにと、彼女に言い渡したのである。仕事着ならば、経費で落としても良いと思われるかも知れないが、売り物だったものは、そう簡単にいかない。

この生地は羽織用なので、長さは2丈7尺ほどある。名古屋帯として誂えるならば、1丈3尺ほどあれば生地は十分。ということは、残りでもう一本帯を作ることが出来るのだが、家内はこれを来店したお客様に勧め、お求めを頂いた。それはもちろん、自分で使ってみて良いと感じたからだが、求めた方もご満足された様子だった。上の画像は、そのお客様用に誂え終えた帯。

 

後ろのお太鼓姿。無地感覚のおとなしいキモノを、動きのある青海波で、個性的に引き立たせる。帯で着姿のイメージが変わる典型例。キモノも帯も、基点となる色は薄紫なので、春らしさは出せている。絞りの持つ柔らかさが、着姿に生きている気がする。

総柄の小紋羽織で作った帯なので、前模様もお太鼓も、模様位置を自由に動かしながら使うことが出来る。不規則な青海波模様だけに、面白い。

小物の色も、紫系を意識して組み合わせている。帯〆は、ワインレッドと白の二色使いの角組紐。波模様の赤紫色を帯〆に使うと、全体の淡い雰囲気が引き締まってくる。帯揚は、薄藤色の飛絞り。(帯〆・龍工房 帯揚げ・加藤萬)

今日は、春を感じる優しい装いを、家内の仕事着の中でご覧頂いたが、如何だっただろうか。普段、呉服屋の女房が使うものなど、手を尽くした高価な品物とは縁遠いものばかり。今日の紬も、母親の仕立て直し品であり、帯は売れ残りの店晒し品である。これまでブログで紹介したものも、倉庫の片隅に放置されたキモノや、バイク呉服屋の不注意で「ヤケ」を起こした帯など、そのほとんどが「訳アリ品」だった。

けれども、コーディネートの工夫や小物の使い方で、また今日のように、全体に色を匂わせるなどとテーマを決めることで、季節に沿う個性的な着姿を作ることが出来る。

さりげない品物を、工夫しつつ着廻す。それこそが、呉服屋女房の日常の姿なのである。最後に道中着を羽織った姿と共に、もう一度画像をお目にかけることにしよう。

着用している道中着は、小紋着尺を使用して誂えた品物。以前、ブログの中でご紹介したことを、覚えておられるだろうか。春秋花の総模様だが、色目がおとなしく、こうした無地っぽいキモノには良く合う。

 

ご来店されるお客様は、ほとんどが女性。しかもうちの店は、カジュアルモノを主体にしています。ですので家内の着姿は、否応なく注目されてしまいます。仕事着なので、高価な品物を使うことはほとんどありません。もし結城や大島を着用していたとしても、それは私の母から受け継いだものや、実家から持ってきた若い頃の品物で、新たに誂えたものではないのです。

ですが、お客様が見ているのは、何を着ているかというより、どんなコーディネートをしているか、あるいは、どんな工夫をして品物を使っているかという点です。手直しの方法や、古い品物の使い回し方こそが、参考になるのでしょう。

和装を畏まった「晴れの姿」としてではなく、「褻の姿」として、日常の中で体現できるのは、もう呉服屋の女房くらいかも知れませんね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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