バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

7月のコーディネート  素にして、涼。 田畑喜八・秋草絽訪問着

2020.07 25

今月の8日、ブルックスブラザーズが破産法の適用を申請し、事実上破綻した。1818年・ニューヨークのマンハッタンに一号店を開いて以来、200年。アメリカで最も古い歴史を持つ、アパレルのトップブランドメーカーである。

歴代大統領を始め、多くの政治家や実業家、そして俳優たちにも愛された有名ブランド。アメリカで初めて男性の既製服を手掛け、海外へも積極的に輸出をする。日本に直営店を構えたのは、1979(昭和54)年のことだが、長い間アメリカントラッドとして、実績を積み上げてきた。そんな歴史あるブランドメーカーも、昨今は、オフィスのカジュアル化が進んだことなどでスーツ離れが進み、業績が低迷していた。そこに、今回のコロナ禍が追い打ちをかけた形となり、ついには倒産の憂き目を見てしまった。

 

アパレルの不振は、ブルックスブラザーズにとどまらず、国内メーカーの多くも苦境に立つ。すでに5月には、ダーバンやアクアスキュータムを扱っていたレナウンが破綻。三陽商会やオンワード、ワールドといった老舗メーカーも、苦戦が続いている。

売上不振は今に始まったことではなく、アメリカ同様にオフィス環境が変化したことで、「着るモノ」が変化し、従来のスーツを始めとする仕事着が売れなくなった。すっかり定着した夏のクールビズも、需要を押し下げた大きな要因である。

そして今回の感染症の蔓延。売り場の主力・百貨店が軒並み店を閉じたことで、売り上げは激減。慌ててネット販売に注力するも、これまでの主な販売ツールがリアル店舗だっただけに、そう簡単にはいかない。コロナの終息が見えない中、厳しい経営を立て直すことが出来るか否か。ホテルを始めとする旅行業や運輸業はもちろん苦しいだろうが、アパレルメーカーも繊維系の小売も、容易ならざる状況にある。

 

もちろん呉服業界も、多くの店舗やデパートが営業を止めたことで、品物はほとんど動かなくなり、作り手からは仕事が消えた。けれども、そもそも和装の需要はこの30年ずっと右肩下がりであり、不景気にはすっかり慣れっこになっている。

この騒ぎが終息した後、フォーマルの場は変化し、着用の機会が喪失することは目に見えている。だがコアな和装ファンは、どんな時代になろうとも、キモノや帯を捨てたりはしない。それどころか、今回の自粛下で生き方や暮らしが見直される中で、新たに和の装いに目を向ける方もおられる。キモノは、そう簡単に根を絶やすことはない。

おそらくこの先、そんな方々から望まれる品物は、安易に量産されるものではなく、きちんと人の手が入っているものになろう。つまりは、流行に左右されない本格的なトラッドである。長い間、脈々と表現され続けてきた文様やモチーフ。そして日本の色。季節の彩。何より、伝統的な技法や図案を具現化していることが、良品の条件となる。

今月のコーディネートでは、手描き友禅であしらわれた夏の訪問着を使い、楚々とした涼やかな装いを考えてみる。「これこそ、夏のキモノ」という印象を、着姿を見る人には持たせてみたい。なお、今回の組み合わせた品物は、すでにお客様に提案して、お求め頂いたものである。

 

(青磁色 秋草模様 手描き友禅・絽訪問着 黒地 観世水に秋草の丸模様・紗袋帯)

キモノには、様々な模様が表現されているが、その位置取りは小袖時代からある程度定型化している。そして時代ごとに、製作過程で参考にされてきたものが、模様の雛形見本・「ひいながた」である。

雛形とはその名前の通り、実物を寸法のみ縮小して作った模型=手本を指すが、江戸時代のそれは、木版刷あるいは肉筆で描かれた模様の見本帳、図案帳であった。ひいながたは、いわば今日のファッションブックに相当し、衣裳雛形あるいは、文様雛形とも小袖雛形とも呼ばれた。

現存する最も古いひいながたは、江戸初期・1666(寛文6)年に発刊された「御ひいながた」だが、以来江戸後期・1820(文政3)年に出された「万歳ひいながた」まで、その数120余りの図案帳が世に出ている。これを見ると、時代を追って文様や位置取りに変化があり、その時々の図案の流行や加飾方法の変遷を見て取ることが出来る。これは、歴史的にキモノの文様や技法を知る上で、大変貴重な資料になっている。

 

江戸初期の慶長時代(1614年頃)、小袖の加飾技法は摺箔(すりはく)と刺繍、絞りが中心であった。当時、武家女性の間で流行した慶長小袖の特徴は幾つかあるが、一つは、縫い締め絞りで、直線と曲線が交差した複雑な模様の区画を染め分けていることが挙げられる。そして、地紋を摺箔で表し、刺繍で主模様をあしらっている。

これが、初めてひいながたが作られた寛文期(1660年頃)になると、模様の配置は、背中から見て左肩から右腰、右裾へと弧を描くようにあしらわれるものと、右肩を起点に左肩と右裾の二方向に展開するものがあり、どちらも大胆で動きのある図案が用いられた。技法として絞りでは、縫い締めと鹿の子を主に使い、刺繍を多用するのと同時に、部分的に絵を描き入れたり、摺箔を併用したりして、模様を描いた。

これが、新しい加飾方法・友禅染が完成した元禄年間(1690年頃)には、模様構成も大きく変化し、草木を満載した「大きな花の丸」や、色紙、松皮菱をキモノ全体に散らすものが、数多くみられるようになった。1688(貞享5)年発刊の「友禅ひいながた」は、この時代に流行した友禅模様を集めた雛形本だが、その中では、糊置き・色挿しといった基本的な友禅染の技法が紹介されている。

その後時代が進み18世紀に入ると、色彩豊かな友禅染に、いくつかの変化が表れてくる。一つは、より絵画的な描写を求めて、不必要な色を排除すること。つまり、モチーフのリアルな姿を尊重したのである。そしてもう一つは、防染糊で引いた糸目をそのまま図案とする「白上げ」を多用し、地色に対して、ほぼ白抜きだけで模様を描くこと。これは、シンプルさや繊細さを着姿に求めた結果かと思われる。

 

今日ご紹介する絽の訪問着は、仕事の全てを人の手であしらった手描き友禅。小袖時代から脈々と繋がる友禅の仕事を、忠実に受け継いだ品物。模様は極めてシンプルで、挿し色も少ない。一見すると、「素っ気ないキモノ」に映る。しかし、不必要なものを一切排除した潔さが、キモノ全体から醸し出され、地の青磁色からは涼感が溢れている。そして、模様の中に巧みに使った藍色濃淡が、キモノの清楚さを際立たせている。

決して目立つ意匠ではないのだが、大勢のキモノの中で着用すれば、きっとこの姿は目に留まる。それが想像出来るほど、個性的な一枚である。では、模様や配色を具体的に見ていくことにしよう。

 

(青磁地色 秋草模様 手描き京友禅・絽訪問着  五代 田畑喜八)

江戸から続く友禅の家と言えば、真っ先に思い浮かぶのが、大彦・大羊居のご先祖である大黒屋・野口家。元を辿れば、1772(安永元)年、江戸蔵前で大黒屋幸吉が創業した呉服問屋・大幸(だいこう)に行き着く。ここから、大松・大彦・大羊居という今に続く江戸友禅の職人集団が生まれた。

では京友禅はどうかと言えば、双璧は上野家と田畑家であろう。明治の中期には、すでに友禅の図案師として広く知られていた上野家初代・上野清江(うえのせいこう)。その息子である為二氏は、日本画を西村五雲(にしむらごうん・京都出身の日本画家で動物画を得意としていた)に学び、父が開拓した京加賀的な友禅の作風を発展させる。1955(昭和30)年、人間国宝の認定制度が始まったその年に、重要無形文化財保持者と認められる。上野家の友禅は現在、嫁いできた街子さんへと、技術が受け継がれている。「清染居(せいせんきょ)」という屋号に、覚えのある方もおられよう。

田畑家は、1825年(文政8)年に京都で創業した友禅の染匠。初代は小房屋を名乗り、後に田畑となる。三代目の田畑喜八は、京都円山・四条派の日本画家・幸野楳嶺(こうのばいれい)とその弟子竹内栖鳳(たけうちせいほう)に学ぶ。なお、西村五雲は竹内の弟子に当たるので、偶然にも田畑喜八と上野為二は、同門の日本画家に師事していたことになる。

三代喜八は、優れた意匠力と技術を背景に、絵画的な写実作品を多く手掛ける。そして、古代裂を収集し(田畑コレクション)て、模様染めに関わる貴重な資料を現代へと繋ぐ。人間国宝への認定は、上野為二と同時の1955年であった。現在田畑家は、五代目に当たる喜八氏が友禅の家を守って仕事を続けている。今日ご覧頂く絽の訪問着は、この五代喜八が手掛けた品物である。

 

では、この絽の訪問着の意匠を具体的に見てみよう。画像で判るようにモチーフのメインは小萩。後身頃の背から裾に向かい、小さい萩の枝がまっすぐ伸びている。また、左前袖・右後袖と肩に連動した萩の枝が見える。

そして着姿で最も目立つポイントの上前身頃とおくみには、小菊と小桔梗が密集する。また身頃には、小さい撫子、おくみの裾近くに薄があしらわれているが、どちらもほとんど目立たない。

小菊と小桔梗のあしらい。丁寧に引いた糸目、そして藍一色で濃淡に挿された花の色が印象的。藍色は決して濃すぎず、薄色をランダムに使って強弱を付けているが、色のバランスは素晴らしい。一つの色で、これだけ模様に表情が付くというのは、技術の裏付けがあってこそ。

小桔梗、小菊ともに一輪ずつ、刺繍のほどこしが見られる。一輪だけというのが、かえって印象に残る。桔梗と撫子は、柔らかいローズピンクの刺し縫い。菊は金駒繍。小さなあしらいだが、意匠では大切な役割を果たしている。またそれぞれの花の色、藍濃淡の微妙さも、こうして拡大するとよく判る。

萩の藍色も、一輪ずつ微妙に藍の色に差を付けている。枝も葉も茎も、どれも同じようで同じではない。見れば見るほど手挿しでなければ表情に出せない精緻さが見て取れる。模様が小さくて簡素なだけに、一層色の緻密さが際立つ。

上に伸びる細い萩は、後姿にすっきりとしたイメージを残すだろう。模様は少なく、地が大きく空く。その分、地色の青磁が前に出る。青磁色とは、その名前の通り「磁器の色」であり、釉薬に含まれる鉄が焼かれて発色する。この色の濃淡は様々あるが、この色が伝わった平安期には、その神秘的な美しさから、「秘色(ひそく)」と呼ばれた。

地色の清々しい青磁色は、爽風が吹き抜けるようだ。そして模様は、背に伸びる萩の枝と、上前の小菊と小撫子だけ。典型的な秋草模様だが、ほとんど主張はしない。このさりげなさが、逆に藍濃淡の施しをより引き立たせ、友禅という手仕事の素晴らしさを印象付ける。余計な模様を付けず、嵩を削ぎ落す。このキモノをどのような着姿として見せるか、作者の意図がこの意匠に反映されている。

では、京友禅の技がささやかな模様の中に、ギュッと詰まった絽の訪問着。楚々としたキモノを、より涼やかに、そして一定のフォーマルさを醸し出すためには、どのような帯を使えば良いのか。考えることにしよう。

 

(黒地 涼韻彩夏文・紗袋帯  龍村美術織物)

薄物を考える時、帯にしろキモノにしろ、黒い地の品物は案外使い勝手が良い。無論、両方とも黒を使う訳にはいかないが、夏薄物の地色は、基本薄色が多い。定番の青、緑、鼠など寒色系には、黒を合わせると自然と引き締まった姿になる。また、それほど暑苦しくも見えない。

その利点を使って、黒地の紗袋帯を選んでみた。簡素さが前に出るキモノだけに、ある程度インパクトのある模様の帯で、フォーマルさを出すことにする。もちろん、おとなしい帯で「渋くまとめる」こともあるが、今回依頼を受けた方が若く、またこの一組は祝賀の席で着用することが前提なので、こうした合わせ方になった。

龍村では、この帯文様を「涼韻彩夏」と名付けているが、涼しい夏図案を帯いっぱいに繰り返す=韻を踏んでいると位置づけ、それを「夏姿の彩」としたのだろう。

図案は三つの花の丸紋で、構成されている。主役は、夏植物の女王・鉄線。半月に浮かぶような写実的な花と、蔓を丸めた鉄線の丸。そして、笹の丸。模様配色は、鉄線の花の空色と僅かなピンク、葉の若草色。それ以外は金銀が主体で、極めてシックな帯色使い。花の丸の間には、銀糸で観世流水を織り出し、水辺をイメージさせている。

お太鼓にバランスよく「花の丸」を出してみる。模様を繋ぐ水の流れが、きちんと役割を果たしている。そして、鉄線の青い花が爽やかだ。では、キモノに合わせるとどうなるのか、試してみよう。

 

背の位置にお太鼓を作ってみると、主張はするものの、キモノの素っ気なさが消えていない。今回のコーディネートで大切なことは、着姿に簡素さを残すこと。ひいてはそれが、涼やかさにも繋がる。

前の合わせ。鉄線の青花と葉の若草色が、キモノの青磁色とうまく融合している。やはり黒地は、キュッと着姿を引き締める。しかも、爽やかさは失われていない。

夏帯〆は、帯の葉色と同じ若草色で、透け感のあるレース。画像からはわかり難いが、絽の帯揚げは、市松模様にミント色を染め分けたもの。キモノ地色の青磁から離れない色目を、小物にも使う。(帯〆・龍工房 帯揚げ・加藤萬)

 

決して目立つことのない、さりげない意匠。けれども、そこには友禅の神髄が詰め込まれている。だからこそ、見る人の目を惹きつける。作り手は、常に着手を意識して品物を創る。友禅の家・田畑家では、お客様のことを「華主(はなぬし)」と呼ぶ習慣が、今に残っている。キモノを身にまとう人こそが、主人公。だからこそ、着手が華やぐ姿を印象付けるキモノを作る。作り手の心は、今なお、そのまま作品に反映されている。

「素にして、涼」な、秋草模様の手描き友禅。皆様が、凛とした美しさを感じ取って頂けたのであれば、嬉しい。最後に、ご紹介した品物を、もう一度どうぞ。

 

ブルックスブラザーズのボタンダウンシャツは、父の日のプレゼントとして定番。娘たちは、私にシャツを渡す時、「今年もブルックス兄弟にしたから」と言います。

彼女たちにとっては、ブルックスブラザーズではなく、ブルックス兄弟と呼ぶのがミソのようで、いかにおしゃれなブランドモノでも、不格好な私が着用すると、「ぴんから兄弟」のような雰囲気になってしまうことを意味しています。

娘たちには、宮史郎の「女の道」を熱唱して聞かせ、感謝の意に変えたいと思います。

今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日付から

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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