バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

6月のコーディネート・2 お江戸日本橋 竺仙の夏姿 綿紬編

2018.06 21

東京に居を構えるうちの取引先の住所を見ると、ほとんど全てと言ってよいほど、「日本橋」の地名が入っている。富沢町・浜町・馬喰町・人形町・大伝馬町・堀留町等々。町名は違えども、どこもかしこも日本橋界隈の町ということになる。

東京でも、町をブロックに分けて、街区の符号と住居番号で表す(何丁目何番地)新しい住居表示制度が、昭和50年代より導入され、古い町名はかなり姿を消した。しかしこの時、江戸開府以来、商業の中心地として繁栄してきた日本橋界隈の人々は、伝統ある町名を消すことに反対する。それぞれの名前には、地域ごとの固有の歴史と文化が息づいており、簡単に失くすことは出来ないと考えたからである。結果として、江戸から続く由緒正しき町名を、今に繋ぐことになった。

 

日本橋の名前を冠る地名は沢山あるが、地域ごとに性格がかなり異なる。日本橋を中心とした昭和通り沿いや、日本橋三越やコリド室町が並ぶ本石町界隈は、日本有数の商業地であり、オフィス街。兜町や茅場町は、いわずと知れた金融の町で、日本のウォール街と言うべきか。

1873(明治6)年に開場した明治座のある浜町や人形町では、格式のある料亭や飲食店が多く立ち並び、大人の社交場だった明治の面影を今も残す。蠣殻(かきがら)町、小網町は、廻船問屋が立ち並んでいた日本橋川に沿ったところにあり、その名残を町名に残している。そして、横山町や馬喰町は繊維問屋街であり、その西側に位置する堀留町や富沢町、小伝馬町あたりには呉服問屋が幾つも軒を並べていたが、斜陽となった今は、その多くが高級マンションに成り代わっている。

 

竺仙が店を構える小舟町も、日本橋川の傍にあり、昔は鰹河岸(かつおがし)と呼ばれていた。川の上を首都高速道路が覆う前の1950年代までは、鰹節問屋が軒を連ね、昼間は外に莚を敷いて、鰹を天日で干していた。古老によれば、この町は「かつお節の香りが漂う町」だったそうだ。

1864(文久3)年、みずほ銀行の租・安田善次郎は、乾物屋兼両替屋の露店を、日本橋堀留町で開く。二年後には小舟町に移り、業務を拡大。維新後の1876(明治9)年に安田銀行を設立し、金融機関の先駆けとなった。今をときめく「みずほフィナンシャルグループ」も、元を正せば鰹節屋である。

前回に引き続き、そんな江戸日本橋の伝統を今に受け継ぐ、竺仙の夏姿をご紹介していこう。今日は、綿紬素材の浴衣を使って、コーディネートしてみる。

 

(藍地 ススキ模様・綿紬玉むし浴衣  白地 格子模様・麻八寸帯)

ネップ糸を織り込んだ、白い擦れのある紬地は、コーマ浴衣と違って、ちょっとした「夏キモノ」にもなりうる。襦袢を着用して衿を覗かせると、街着でも通用するだろう。そんな意味もあって、半巾ではなく八寸帯を使ってみた。この麻帯は竺仙の品物だが、シンプルで若々しい大きな格子模様が、印象的だ。

ススキの穂を花火のように大きく広げ、図案化してある。この花は秋の七草の一つだが、どちらかと言えば、寂しげな秋の風情を表現していることが多い。しかも、単独でモチーフになることが少なく、桔梗や女郎花、萩、撫子などとともにあしらわれる。七草の中でも、脇役であろう。

多くの人が持つススキのイメージは、お月見団子に添えられている白い穂が垂れた姿と思うが、この図案はそれとは全く違う雰囲気がある。花の一部分を切り取り、大胆にデザインする。作り手が視点を変えると、思わぬ面白い図案が生まれる。

ススキの穂に配色された黄色を生かし、黄格子の帯を合わせる。浴衣が植物模様の場合、帯は抽象柄の方がすっきりとまとまる。また、この格子はかなり大きく、帯地の白場が大きく取られている。その点でも涼感が着姿に出てくる。

 

(藍地 萩に蜻蛉模様・綿紬玉むし浴衣  生成地 格子模様・麻八寸帯)

先ほどのススキと比較すると、この浴衣は模様が小さくあしらわれている。地の藍色部分が広く空き、ネップ糸の白い擦れが目立つ。萩も蜻蛉も控えめに描かれ、浴衣にしてはおとなしい姿になっている。

萩の花には、ほんのりと黄色と若草色があしらわれ、ほとんど目立たない。蜻蛉に挿してある赤紫色がアクセントになる程度で、模様と同様に、色そのものも控えめ。浴衣だけを見れば、かなり地味に思える。

萩も蜻蛉も、ススキと同じく秋を旬とするモチーフである。けれども、このような秋の文様は、浴衣以外の薄物にも大変よく使われる。特に夏の植物は数が少なく、これだけでは図案のバリエーションが広がらない。暦を考えると、毎年8月5日頃が立秋。その意味でも、秋モチーフが夏に登板するのは、ごく自然なことと言えよう。

先ほどの格子帯と同じ図案だが、こちらの地色は真っ白ではなく、少しベージュが掛かっている。地味な浴衣だが、大胆な帯を合わせることで、使う人の年齢を下げる。こうすると、若い方にも使えそうだ。派手な浴衣にはおとなしめな帯を、地味な浴衣には若々しい帯を使うことで、着用する方の範囲が広がる。そもそも浴衣の色目や図案の大きさは、相応しい年齢など、あまり意識しない方が良いかも知れない。

格子というより、チェックと呼ぶにふさわしいこの帯を使えば、より街着に近づく着姿となりそう。帯で、着用範囲を広げる一工夫を、ぜひ試して頂きたい。

 

(ベージュ地 流水千鳥に雪輪模様・綿紬浴衣 紺地 ミンサー絣・首里半巾帯)

もっとも竺仙らしい図案の一つが、この流水と千鳥。毎年、この二つのモチーフは大きさを変えたり、配置をずらしたりしながら、様々に組み合わされている。少し太めに描かれる千鳥の姿は微笑ましく、この図案を見ると、つい仕入れたくなる。

涼やかさを表す水辺模様の中にあるのが、雪輪。冬の寒さを思い起こさせる雪の文様を、夏柄として取り入れたのは、江戸の庶民達。夏に雪輪柄を着用することは、気分だけでも涼しくなる。反対の季節を想起させる文様を身に付けることは、江戸の粋な洒落姿であった。

波と千鳥が紺で、雪輪が一回り薄い水色。青系の濃淡色を使うことで、涼感が増す。紬地色が白ではなく生成色になっているため、模様に落ち着きがある。流れのある特徴的な図案だけに、その着姿は、見る者に印象を残す。

千鳥と流水の挿し色より少し濃い、濃紺地の帯を使う。着姿を水系の色に統一することで、全体のバランスを取る。帯は、ミンサー絣が入る首里織の手織木綿帯。沖縄モノでも、道屯や八重山ミンサーとはまた違う雰囲気がある。

 

(ベージュ地 蝶に撫子模様・綿紬玉むし浴衣  水浅葱色・麻半巾帯)

浅葱色の蝶と撫子を組み合わせて、何とも優しげで可愛い浴衣。パステル調の色を使っているために、ふわりとした姿となる。爽やかな浅葱のミント色が、若々しさを表現している。竺仙の品物にしては、珍しい色の使い方かと思う。

同じ蝶模様でも、前回ご紹介した、コーマ藍地に白抜きの揚羽蝶の浴衣とは、まったく違うイメージ。撫子に蔓を持たせ、繋がりのある図案にしていることで、キモノっぽく仕上がっている。

蝶の浅葱とほぼ同色の、麻無地半巾帯を選んでみた。同系合わせだと、この浴衣の場合では、少し大人っぽくなる。可愛くまとめるのであれば、撫子挿し色のピンク系帯を使うと良いだろう。

二点ともに、浴衣配色の中から帯地色を選んでみた。雰囲気は違うが、どちらも「大人可愛い浴衣姿」になっている。単色使いの浴衣にはない、華やかさがあるので、個性的な着こなしを楽しみたい方に、向く品物かと思う。

 

(白地 鉄線模様・綿紬玉むし浴衣  茜色 花菱模様・首里道屯半巾帯)

こりもせずに、また鉄線である。バイク呉服屋にとって、浴衣の鉄線と桔梗、そして千鳥模様は禁断の図案で、見ると欲しくなり、つい余計に仕入れをしてしまう。私にはこのように、ツボに入りやすい「ヤバイ文様」が幾つか存在する。冬モノでは、唐花や七宝文がそれに当たろうか。

この鉄線は、赤・黄・緑の三色に分けた花の彩りが目を引き、気に入ったもの。案外、このようにすっきりとした明るさのある若々しい図案は、少ない。白地であることや、蔓を藍色で表現していることも良い。

割と地の白場が多く、模様の間隔が空いている。鉄線なので繋がりはあるが、スカッとした着姿にはなるだろう。白地だけに、清楚なイメージも十分にある。

鉄線の色から、あえて茜地色の帯を選んでみたが、もちろん他の二色の、山吹色や緑色を考えても良く、蔓の青系も合わせることが出来る。白地に多色使いの玉虫浴衣は、帯合わせを自在に楽しめる代表格であろう。

 

紬浴衣の最後として、毎年定番として扱っている万寿菊模様の品物を見て頂こう。小粋で洒落た雰囲気を醸し出す万寿菊は、もっとも竺仙らしい「江戸の夏姿」。この型紙は、綿紬の他に綿絽やコーマ地を使って染めているものの、やはり一番しっくりくるのが、藍地綿紬で白抜きされたこの姿。

番傘にも見える菊模様が、生地いっぱいに連なり、独特の表情を見せる。白く抜けている花芯が、実に効果的に、模様に立体感を与えている。今年は、従来の藍紬地だけではなく、黒紬地のものを新たに染め出した。

 

(黒地 万寿菊模様・綿紬浴衣)

黒の紬地に、花芯を白と濃茶で表現したシックで大人の浴衣。これは男女どちらでも使える。所々にネップ糸を織り込んだ白い筋が生地の表情となり、これが地の黒色を和らげる役割を果たしている。

同じ型紙を使っていても、地色と挿し色を替えると、印象が全く変わる。左の黒万寿菊は、やはり男モノとしての色合いが強い。

茶系のミンサー男帯を使い、万寿菊の男姿を作ってみた。地が黒なので、帯は茶や芥子系の色が、よく映る。くるわ繋ぎや三枡などの役者模様も、男の粋な江戸姿を演出出来るが、万寿菊もなかなかのものだ。

万寿菊ペア浴衣。ちょっと見ただけでは、同じ型紙を使っている品物には見えない。地色や配色を変えただけで、ここまで雰囲気が変わる模様も少ないだろう。粋な江戸姿を存分に感じてみたいご夫婦や、大人のカップルに試して頂きたい一組。

 

竺仙が染め出す浴衣は、毎年変わる。無論、毎年変わらないスタンダードな浴衣もあるが、同じ型紙を使っていても、生地の質や模様の挿し色が変えられ、新しい姿となって仕上がってくる。

伝統を守りつつも、常に創意工夫を凝らし、その時代のお客様に受け入れられる品物を作り続けることは、容易ではない。しかし、一枚の型紙図案を大切にしながら、常に前向きにモノ作りをする姿勢こそが、竺仙の真骨頂であろう。次回は、綿絽素材の浴衣を中心に、品物をご紹介しよう。

 

どうやら、日本橋に空が戻る日が来るようです。先月末、国土交通省や東京都、首都高速道路公団などが参加する検討会で、日本橋の真上を通る首都高速道路の地下化が、決定されました。

着工は、オリンピック終了後の予定ですが、道路を撤去して地下をトンネルで掘り抜くことは、相当難工事となるようです。日本橋川の地下は、地下鉄が通り、電線や上下水道が埋設されている、いわば過密な地下。それだけに建設費用は莫大となり、かなりの時間を要すると予想されています。

誰がどのように費用を負担をするのか。税金を投入するとなれば、また問題になるでしょう。景観を変えるための工事など不必要と考える人も、多いかもしれません。そこで、いっそのこと「高速道路そのものを失くしてしまう」というのは、如何でしょう。一本くらい高速路線がなくなっても、代用ルートはいくらでもあります。ですので、トンネルを堀り、この路線を維持する意味があるか否かを考える方が、先のように思われます。

道路建設以前の1950年代、日本橋川には物資を載せた舟が行き来していました。その時代に戻り、川と暮らす街として日本橋が生まれ変わることを心より願います。その時、本当の空が、この街に戻ってくるのではないでしょうか。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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