法人として会社を組織する限り、どうしても名前が必要になる。これを、正式な名称として法務局に登記することで、組織として法律上の人格が認定されることになる。うちも夫婦二人だけの店ではあるが、一応有限会社として組織しているので、登記上の正式な名前は、松木呉服店となっている。
けれどもこれとは別に、「趣味の呉服・松木」という名前も持つ。この名称は、いわば屋号に当たるもので、対外向きにはこちらを使用している。なので、このブログトップに記載する店舗案内も、松木呉服店ではなく、趣味の呉服・松木として紹介している。さらには、このブログのタイトルにある「バイク呉服屋」である。これは屋号と言うより、ブログを認知して頂くための工夫とでも言おうか。普通に考えれば、バイクと呉服は結びつかず、誰もが一体どんな店かと思うはず。ありきたりな名前を付けないことで、読者の興味を惹く。そんな狙いもあって、バイク呉服屋を名乗ってみたのだ。
意味不明なバイク呉服屋はともかく、屋号として、自分の苗字の前に「趣味の呉服」を前置きしたのは、何故だろうか。これは、創業者である祖父が考えたことなので、今となっては確かめようも無い。だがきっと、趣味の良さ、センスの良さを売りにする店であることを、強調したかったには違いないだろう。そして自分のことを、それだけ高い美意識を持つ主人(あるじ)だと、自覚していたからではないだろうか。
どのような商いも同じであろうが、個人経営の場合では、経営者・主人の考え方一つで、商売の様相が異なって来る。会社組織とは違い、ほぼ個人プレーであるから、経営者が代替わりすると、扱う品物や商いの方法が大きく変わることは珍しくない。うちの店を考えても、祖父、父、私と三代続く間で、全く変わらないこと、大きく変わったことがそれぞれにある。
呉服商いとして、私と先代、先々代とで大きく変わったことは、扱う品物がカジュアルモノへと傾斜したことと、悉皆仕事の重視であろう。以前はフォーマルモノが中心であり、新しい品物への需要の多さから、結果として、手直しにはあまり手が回っていなかった。こうした業務転換は、呉服需要の極端な低下が大きな理由である。そしてもう一つ変わったことは、人を全く雇わない経営になったこと。先代までは数人だが従業員がおり、もちろんそれだけ忙しかったとも言えるのだが、私は父から経営を受け継ぐ時、仕事の全てを自分一人で担うと決め、今もってそれを忠実に守っている。
では変わらないことは、何か。それは、品物は自分で仕入れ、自分で売り、自分で品代を貰い受けるということ。「お客様とのやり取りを、他人任せにしない」というのが、従来からうちの店の大原則であった。そして、何よりも品物の質を重視する姿勢。これも、全く変わらない。特にフォーマルモノに関しては、求めたお客様が世代を越えて装えるような、「質と意匠を兼ね備えた品物」を扱うことが、商いの前提になっている。
ということで今回は、今日まで店が大切にしてきたフォーマルモノのコンセプトを、皆様に判りやすく説明できるようなコーディネートを考えてみた。おそらくは、祖父や父も選んだであろうオーソドックスな品物を使い、試してみようと思う。
(黒地 熨斗模様・型友禅訪問着 金地 七宝花菱模様・袋帯)
代を繋いで品物を装うことを考えれば、意匠はどうしても古典的な堅い図案に落ち着く。特にお目出度い席で着用するフォーマルモノの場合には、「吉祥文」と認識されている文様を使えば、まず間違いが無いはず。何故ならばこの図案各々には、それを良い兆し、あるいは縁起が良いとする理由があり、それによって長く使われてきた歴史があるからだ。
吉祥文様のモチーフは、特定の植物を組合わせたもの(松竹梅文・四君子文)や、一つの植物それ自体で縁起が良いとされるもの(橘文・南天文・桃文など)、また動物や鳥で吉祥と認識されるもの(鴛鴦文・鶴文・鳳凰文など)があり、さらに器物や包装飾りの中にも、代表的な吉祥文として、誰しもが理解している図案(薬玉文・宝尽文・熨斗目文など)が存在している。これらが意匠として使用されていると、否応なく重厚な着姿となり、フォーマル感が増してくる。
そして、キモノと帯が単独ではなく、双方ともにこれらの吉祥文様を使用していると、なおのこと装う姿は重みを増してくる。それは、どんな時代でも決して色褪せない、伝統的な和の装いである。今日ご覧頂く、熨斗模様の訪問着と七宝文の袋帯は、そうした姿を念頭に置いたコーディネートになろう。では、始めることにしよう。
(黒地 紗綾型紋綸子 熨斗紐結び模様・型友禅訪問着 菱一)
言うまでもなく、最上位のフォーマルとして装う留袖や喪服の地色は、黒である。礼装の象徴たる黒なので、他のアイテムで地色として使っても、そこには重厚感が醸し出される。他のフォーマル品となると、振袖や訪問着、付下げなどだが、実際に黒地の品物はあるものの、それほど数は多くない。だが、この品物群で黒地を用いる時には、作り手に格を上げようとする意図があり、必然的にあしらう文様に厳かさが生まれてくる。
この訪問着も同様で、フォーマル度の高い黒地に見合う吉祥文様・熨斗(のし)文を用いている。熨斗は、現代でも「のし袋」として儀礼に際して使用されているものだが、元々は鮑の肉を長く剥ぎ伸ばしたもので、これが儀式の酒の肴となり、後に慶事の進物として使われ、それが結果としてお目出度い図案として文様化した。
上の画像でも判るように、熨斗は細長い紙を切った形状で、リボンのようにも見える。江戸時代には、吉祥文様として小袖や振袖に多く用いられ、その形状は何枚もの熨斗を紐で結んだ「束ね熨斗」や、縦横無尽に乱れている「暴れ熨斗」など、様々にアレンジされた熨斗文が生まれた。
上前衽から、後身頃に向かって流れる熨斗模様。まるで風にそよぐかのように、ゆったりと上から下へ動いてる。この自由な伸びやかさが、熨斗文の大きな特徴。この訪問着の場合は、他にあしらいが無く、熨斗だけの意匠になっているので、地空き部分がかなり目立つ。そのため、より以上に黒の地色が強調されて、華やかさと落ち着きがすっきりとした形で表現されている。
それぞれの熨斗の中には、小菊や橘、桜、楓などの春秋の植物文の他に、亀甲や紗綾型、唐草など幾何学文や有職文が入っている。輪郭には駒繍を使い、所々に切箔や摺箔を入れ、文様の姿を工夫しながら丁寧に描いている。型友禅ではあるが、よく考えられた多彩な図案構成と言えよう。
所々には朱色の紐が入り、熨斗と熨斗を結んでいる。このように模様を繋ぎ合わせる図案は、「結び文」として、平安中期頃から意匠化されてきた。それは、折った文(手紙)を千代結びにしたり、被布の飾紐のように花の形に似せて円状に繋いだり、また、薬玉や檜扇などの器物を紐で美しく装飾するなどして表現されている。この結び文は、家と家を結び繋ぐ文様と捉えることもあり、礼装としてより相応しい姿と考えられる。
肩から両袖にかけて、きちんと熨斗の文様が繋がっている。流れがある図案だけに、キモノ全体に繋がりを持たせることが大切になる。この意匠ならば、熨斗が体を包み込むような着姿になるだろう。それでは、この重厚にして吉祥な熨斗文・訪問着を、より以上にフォーマル感を高揚させるためには、どのような帯を合わせれば良いのか、考えてみたい。
(金地 七宝花菱文・袋帯 紫紘)
紡錘形の四つの円の各々に、菱文、亀甲文、青海波文、七宝文を組み込んで図案とした七宝花菱文様の帯。この柄はかなり以前から製織されており、紫紘の帯としては、スタンダードな品物の一つ。これは金地だが、同柄で白地や黒地、朱地など地色が幾つかあり、何れも重厚な振袖や訪問着と組み合わせて、使うことが多い。そしてこの大胆な七宝図案は、どのようなキモノでも、抑えて込んでしまう力を持つ。
お太鼓を作ってみると、四隅に均等に図案が配置されていることがよく判る。こうしたバランスの取れた模様の見え方は、七宝文特有。中の配色はそれほど多くなく、朱と緑、白が主体。四つの柄が同じ色の気配を持つため、きちんと決まる帯姿に映る。この文様はシンプルだが、はっきりと背中で主張するために、キモノが引き締まって見える。吉祥文としてもポピュラーな文様だけに、これを使うことで、装いにはぐっとフォーマル感が高まってくるはずだ。
七宝は、宝尽し文を形成する一つの要素で、単独でも、他のお宝図案と一緒に描かれても、とりわけ目立つ。多くの場合には、この帯のように中に模様を取り込んでいるが、こうした複合的な文様姿であることが、使う場面を広げている。七宝が、代表的な吉祥文として多用されるのは、こうした独特の図案構成によるところが大きいのだろう。
では熨斗と七宝、二つの吉祥文様を組みあわせ、正統なフォーマル姿を作ってみよう。
力のある黒地のキモノに対抗できる帯地は、おそらく金地だけであろう。他の地色だと、帯として着姿でしっかりと主張することが難しくなる。その上キモノには、縦横に流れる熨斗の姿があり、これをきっちり抑え込むには、七宝のような立体感のある図案が必要だ。私はこの帯を、地色と文様両方の観点から、相応しいと捉えて選んだ。
そして考えてみれば、キモノの熨斗の中には、植物文や幾何学文が幾つも入り、一方で、帯の七宝の中にも、四つの図案が入っている。キモノと帯双方の吉祥文は、どちらも、他の文様を取り込んだ複合文様であしらわれており、その図案の構成形態は非常に似通っている。つまりこれは「似た者同士」のコーディネートであり、それが吉祥文である故に、フォーマル感を高めることに結び付くと考えられる。
帯の前姿は、こんな感じになる。蝶の羽のようにも見える帯の七宝が、流れる熨斗を上手く抑え込んでいる。どちらも古典柄の代表ではあるが、こうして合わせて見ると、それほど堅苦しい印象は受けない。キモノの黒地と帯の金地は、全体を見た時に、やはりバランスが取れているように思える。
小物の色は、キモノと帯双方の模様に入っている橙色を合わせてみた。着姿を引き締めるには、もう少し濃い朱色を使う手もあるだろうが、黒地キモノ・金地帯という強い色同士の組み合わせでは、着姿のどこかに柔らかさを出したい。そのためにあえて選んだのが、この帯〆と帯揚げである。(貝ノ口組帯〆・平田紐 横段暈し帯揚げ・加藤萬)
今日はいつもの、少しモダンなカジュアルモノのコーディネートから離れて、正統なスタンダードフォーマルの姿を考えてみた。お目出度い席の装いには、誰もがそれと判る「吉祥文様」でキモノと帯を組み立てれば、ほとんど間違いは無い。ありきたりと思われるかも知れないが、場所を弁え、襟を正すことを優先させるとなれば、誰もが相応しいと納得できる色や文様を使うべきと思う。
身を正す礼装姿とは、やはりどうしても、どこかに厳かな堅苦しさが残る。しかしながら、それもまた、一つの形として完成された「美しき日本の装い」と、見ることも出来るのではなかろうか。最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度ご覧頂こう。
この十数年の間で、フォーマルの簡素化は、社会の中で徐々に浸透してきました。そこにコロナ禍が加わったことで、この三年の間は冠婚葬祭や通過儀礼が自粛され、フォーマルな姿を作る場面はすっかり影を潜めてしまいました。儀礼がすっかり消えることは無いでしょうが、将来的にはより一層形骸化が進むことは、容易に想像できます。
きちんと場所を弁えて身繕いをする「正統的な和装」は、一体何処まで残れるのでしょうか。もしかしたら、本当に一部の方々以外は、キモノは不要なモノになってしまうかも知れません。その時にモノ作りはどうなるのか。そして仕事に携わる職人は、果たして存在し得るのか。未来への見通しは全く立っていないのが、現状でありましょう。
打開策を見つけることは出来ず、後は座して死ぬのを待つばかり。すでに、そんな状況に追い込まれているかも、です。私も危機感は持つものの、どうしたら良いのか全く判らず、もう諦めの境地。これではいけないと思いつつも、毎日時間だけが過ぎて行くような気がします。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。