0~9まである数字には、縁起の良いものと悪いものがあると、誰もが認識している。例えば、ラッキーナンバーとされている7だが、これが良い数字として定着した根底には、キリスト教において、7が完成を意味する数として理解されていることにある。キリスト教における数字の3は、三位一体である神世界を表し、4は自然界を示す。そしてこの二つを足した7日目において、神の天地創造は完成に至り、即ちその日が休日=安息日となった。このことが、七日を一週間と区切った理由でもある。つまり7は、神が天地創造に費やした日数であり、それを祝福すべき幸運な数字としたのである。
考えて見ると、日本の良き数字は奇数に偏っているようだが、それはおそらく、古代中国の陰陽五行説の奇数を陽(発展)、偶数を陰(退行)とする思想に端を発しているのだろう。古くから大切にされてきた年中行事・五つの節句日を見ても、いずれも、奇数が重なる日になっている。
1月7日・人日(七草)、3月3日・上巳(桃)、5月5日・端午(菖蒲)、7月7日・七夕(笹竹)、9月9日・重陽(菊)。この奇数・陽の月と陽の日を足し合わすと、偶数・陰に転じるが、陰陽道ではこれらの日を、陽が強すぎるとかえって邪気が入り込むと考えて、「厄払いをする日」と定めたのであった。
さてそんな奇数優勢の中でも、8だけは異彩を放っている。この字の形・八が、下に行くほど広がっていることから、「次第に栄える末広がり」として、その縁起の良さを認識している方も多いのではないだろうか。では何故、この数字が日本で尊重されるようになったのか。その理由を探る時には、神話の時代にまで遡らなければならない。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」。この「八重垣」という言葉が三回繰り返され、八が四つも入る歌は、天皇の祖神・天照大御神の弟・須佐之男命が詠んだもので、古事記の最初に記される日本最古の和歌。妻となった櫛名田比売(クシナダヒメ)と共に籠る宮を作るにあたって、詠まれた歌である。
この中の「八雲立つ」とは、出雲に掛かる枕詞であり、この宮を作ろうとした場所が、出雲であることを示している。さらに八重垣とは、妻と過ごす居所の荘厳さを示し、そして「垣を作る=結婚」という意味をも持っている。ということで、後にこの歌は「結婚を祝う歌」として、儀礼の中で詠われるようになっていく。この三十一文字の中で、四回記されている「八」には、沢山の重なりがあり、それが「喜びの重なり」であったことに間違いないはず。それが末に広がる字形と繋がって、縁起の良い数字として理解されるようになったのであろう。
そこで今月のコーディネートでは、お目出度い「末広=扇」をモチーフにしたキモノと、吉祥文の代表格・三つの植物を題材にした松竹梅文の帯を組合わせて、フォーマルな姿を作ってみようと思う。末広の八と松竹梅の三を足し合わせれば、十一。数字では1並びとなり、何となく新春の寿ぎに相応しくなりそう。では、早速始めてみよう。
(クリーム色地 檜扇に宝尽し文様・付下げ 黒金地 松竹梅文様・袋帯)
末広とは扇のことではあるが、その形状や使う場所によって、意味が異ってくる。例えば、婚礼時の衣裳・黒留袖や色留袖に持つ末広は、「祝儀扇子」と呼ぶ扇であり、一般的な扇子のように、広げて風を送るような所作をしてはならない。末広を挿し入れる場所は、帯の左側で、帯と帯揚げの間に先端から3cmほど姿を覗かせて挿し置くという、決まりもきちんとある。
最初は、扇いで涼を得る実用的な道具だった扇は、平安期になって儀礼に持参したり、贈答品として使うようになる。そして、扇の中に和歌を書き入れたり、また扇の上に花を載せて送ったり、あるいは扇面に言葉を書き、手紙代わりとして交換し合うような役割を果たすようになった。始まりは、貴族が宮中の公式行事の際に持つ道具として使った扇だったが、時代を経るに従って公家や武家に普及し、それが後に一般庶民にまで下がって、今日の祝儀用の扇子・末広として残ったのである。
扇には時代ごと、素材別、また用途別に様々な種類がある。それは、平安貴族が用いた雅やかな檜扇(ひおうぎ)や、文代わりや臣下に与える道具として使用した蝙幅扇(かわほりおうぎ)であり、室町期に使われ始めた、能に使う能扇、舞踏用の舞扇、お茶席での茶席扇、そして絹製の絹扇や木製の白壇扇(びゃくだんおうぎ)などであった。また特殊な扇として、神社仏閣で用いられる有職扇(ゆうそくおうぎ)があり、今に続く祝儀扇もこの時代辺りから、使われ始めた。
キモノや帯の文様、あるいはモチーフとして表現されるのは、華麗なあしらいを施してある美しい扇の姿であり、それは骨が付いた扇文として、あるいはまた、骨を取り除いた地紙(じかみ)文として表現されている。また扇は、開いていても閉じていても、また半開きになっていても、形状として面白さがあり、それが意匠デザインとして多彩な姿を生んでいる。
それでは吉祥文として位置づけられる扇が、どのように図案として用いられているか、今日は付下げの模様で見て行くことにしよう。
(一越クリーム色地 檜扇に宝尽し文様 京友禅付下げ・トキワ商事)
数々の扇の中で、最も雅やかな雰囲気を醸しだすのが、この付下げのモチーフになっている檜扇(ひおうぎ)。この扇は、すでに平安前期には存在が確認されており、貴族は、宮中の公式行事において、これを携行して臨んでいた。
檜扇は、檜の薄片を末広がりに合わせて、先端を絹の撚り糸で編んだ板製。この材質や形状から考えれば、奈良期以前から文字を書く道具として使われた板・木簡から派生していると見ることが出来る。当初は、男子貴族の正装時・束帯で身に付けられていたが、次第に女性も持つようになり、それに従って装飾性を強めて行った。なお、最も古い檜扇は、京都・東寺の千手観音像の腕の中から発見されたもので、そこには元慶元年(877年)と記載がある。
檜扇の形状は、時代が進んで次第に骨の数が増え、それに伴って扇面の上には、草花を始めとする写実性の高い模様が描かれるようになる。そして扇の淵からは、色鮮やかな糸を長く垂らすようになり、より一層雅やかな道具として、存在感を高めて行った。
着姿で一番目立つ上前の衽と身頃にかけて、二つの扇を描いている。色は柔らかな橙色と空色。そして扇を囲むように、宝尽しと呼ぶ数々のお目出度い道具が散りばめられている。この付下げは、「扇面・宝尽し」という代表的な吉祥文を重ねて使う、まさに「寿(ことほ)ぎの衣装」と言えよう。
なお扇面を文様としたのは、平安末期からで、鎌倉期に流行のピークを迎えている。中でも、大倉集古館所蔵の「長生殿蒔絵手箱蓋表」では、箱の表面いっぱいに扇が散らされ、その中の開いた扇面には、各々に美しく写実的な自然の風景が描かれていて、この時代を代表する工芸品になっている。その後扇面の文様は、檜扇文、扇面散らし、地紙文、扇面流し、三扇丸文と意匠の広がりを見せて、桃山期の辻が花染めや江戸期の能衣装、小袖類に優れた図案を残している。
橙色の扇の骨は10本。扇面の図案は、御所車に花を載せた「花車文」を描いている。花は牡丹と菊。周りには、宝尽し文を構成する図案・隠れ蓑と分銅、丁子が見える。扇面やお宝模様の一部に金箔があしらわれ、華やかさを際だたせているが、全体から受ける印象は、優しいクリーム地色を生かした、上品で優美な付下げである。
もう一つの空色の檜扇。こちらの扇面図案は、舞台の上に松と菊を載せている。どちらの檜扇も、骨組は糸目をそのまま使って表しており、一つ一つの図案を丁寧に色を挿して描いているので、扇が奥行きのある姿になっている。そして、扇から伸びる五色の結び糸が、模様に流れを作っていて、これが有ると無しでは、図案のバランスがかなり違ってくるように思える。
では控えめながらも、華やかで、お目出度さを前面に出したこの付下げには、どのような帯で、より新しい春に相応しい装いとするか、考えてみたい。
(黒金地 招福三友錦 袋帯・龍村美術織物)
以前もご紹介したが、冬の寒さに耐えて美しい姿を見せる松・竹・梅は、「歳寒の三友(さいかんのさんゆう)」として、古くから多くの人に愛されてきた。この三つを組合わせて文様化したのは、室町期あたりからである。龍村はこの帯を「招福三友錦」と名付けているが、三友はもちろん、歳寒の三友に擬えたもの。
帯を見ると、幅一杯に大きく、三つの松竹梅図案を織りなしている。松には変わらぬ緑の色を配し、竹は管の部分を図案の区切りとして使い、笹の葉は紋の「根笹紋」のような形にして使っている。また梅は、花弁を幾重にも重ねて、その中に小さな梅花を入れるという、面白いデザインになっている。そして地を、黒と金が混在した独特の箔色にしたことで、微妙な柔らかさが帯全体を覆っている。
使っている色の数は案外少なく、松の黄緑色濃淡、梅の橙色濃淡と黒、白、笹の橙と空色、白、そして竹の薄茶。単純な色使いの方が、各々の模様をインパクトのある姿に印象付け、大胆な松竹梅図案が帯姿から浮かび上がる。こうしてお太鼓を作った姿を写してみると、その画像からも模様の迫力が伝わってくる。
キモノの扇面と宝尽し、帯の松竹梅。どちらも、吉祥なお目出度い文様の代表格で、組み合わせれば、より「喜びの姿」になることは間違いないだろう。ただ、めでたさを重ねることでくどさが出てこないか、それが気になるところ。果たしてどうなるのか、試してみよう。
キモノが器物文の檜扇と宝尽しに対して、帯は植物文の松竹梅。コーディネートを考える時に、このようにモチーフを変えていると、すんなりとまとまりやすい。キモノにしても帯にしても、意匠を考える時には、どうしても植物に題材を求めてしまうが、もし両方を花の図案で重ねると、着姿が単調でつまらなくなりそう。
キモノの地色が優しいクリームで、帯地は柔らかい光を放つ黒金地。こうして合わせて見ると、色のコントラストはきつすぎず、上手くマッチしているように思える。また、お太鼓には大胆な松竹梅がマトモに出てくるが、印象が重厚になって、檜扇と宝尽しの図案がより引き立つような気がする。
前の合わせを見ると、帯は松竹梅が横並びになっている。中心にどの柄を置くかで、雰囲気が違ってきそうだ。キモノと帯のお目出度い図案が、相乗効果で、全体にそのまま優美な印象を残しそう。新しい春を寿ぐに相応しい組み合わせになったと、私は思うのだが、どうだろうか。
小物の色は、キモノと帯に共通する橙色を考えてみた。寿ぎを前に出すフォーマル衣装なので、出来るだけ明るく、そしてきちんと襟を正す姿に見せたい。帯〆は、帯地色や図案の色に埋没させないために、濃い橙色と金を通した貝ノ口組を使う。帯揚げは、同系で蜜柑色の段暈し。(帯〆・平田紐 帯揚げ・加藤萬)
今日は、新しい年初めのコーディネートとして、吉祥模様の代表とも言える扇文と宝尽し文、そして松竹梅文を組合わせた「寿ぎの姿」を作ってみたが、如何だっただろうか。今年はここ三年と違い、行動制限が緩和されて、元の日常に少しずつ戻ることも期待されている。もしかすれば、どこかで和装の出番が回ってくるかもしれない。皆様には機会があれば、ここまで箪笥にしまわれていたキモノや帯に、ぜひ陽の目を見るチャンスを与えて頂きたいと思う。最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度どうぞ。
私はゲン担ぎをしない方なので、特定の数字にこだわることはなく、自分のラッキーナンバーも持ってはいません。ただ困るのは、最近どんなこともパスワードで管理されるようになっていること。このパスワードの設定の多くは、数字五文字でとか、数字と英語の大文字を組合わせて六文字以上とかと決められています。
ついこの間も、「マイナンバーカード」の暗証番号を何にするのか、困ってしまいました。当然、自分の誕生日や電話、住所など、他人から類推されやすい番号は使えません。そこで自分だけが判る番号となると、これがなかなか難しいのです。そして、それを自分が忘れては元も子も無いので、覚えやすい番号にしなければなりません。
そこで自分で、色々と候補を考えてみました。まず一つ目は、8198KAO5814。これは、「バイク屋顔怖いよ」と覚えます。二つ目は、5298HE9314。こちらは「呉服屋屁臭いよ」と覚えます。どちらも、他人が簡単に解読できそうもない暗号と思いますが、あまりにアホな語呂合わせで、人格が疑われそうなので、止めることにしました。しかし、暗号や番号を使って国から管理されてしまうのは、あまり気持ちの良いものではありませんね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。