ドイツの国歌は「ドイツの歌(Dentschandlied)」。歌詞冒頭のフレーズから、「世界に冠たるドイツ」とも呼ばれている。ワールドカップやオリンピックの表彰式で度々流れるので、この歌の旋律には聞き覚えのある方も多いだろう。
作曲者は、交響曲の父と呼ばれたフランツ・ヨーゼフ・ハイドン。よく中学校の音楽室に掲げてある肖像画にも登場する、ヨーロッパの古典音楽家の一人。1797年に作られたこの曲は、神聖ローマ帝国の皇帝・フランツ2世のためのもので、タイトルは「神よ、皇帝を守り給え」。
この曲の詞を書いたのは、アウグスト・ハインリヒ・ホフマン。ヨーロッパ各地で革命(諸国民の春)が起こった1848年、国の統一と自由、正義を求めたドイツ人の意思を、この詞で表現した。ホフマンの詞はハイドンの曲に載せられ、1922(大正11)年、ワイマール共和国下のドイツで、国歌として正式に採用された。現在では、統一と正義、自由の言葉が歌詞の中にある3番が、公式な場面で歌われている。
そして30年前、ドイツにはもう一つの国歌があった。それがドイツ民主共和国・国歌「廃墟からの復活(Anferstanden aus Ruinen)」である。ドイツ民主共和国と書くと判り難いが、東ドイツのことだ。
第二次世界大戦後の1949(昭和24)年、ソビエト占領下の国家として成立した東ドイツで、戦争で荒廃した国土からの復活と、統一への願いを込めて作った歌である。作詞は、ミュンヘン生まれの詩人・ヨハネス・ロベルト・ベッヒャー、作曲は終戦までアメリカに亡命していたユダヤ人作曲家・ハンス・アイスラー。
焦土と化した国から、立ち上がろうと決意したドイツ人の心が、この旧東ドイツ国歌にはよく表れており、曲調はとても美しい。ドイツの人には叱られるだろうが、私は単純に歌として、現在のドイツ国歌(旧西ドイツ国歌)よりも、「廃墟からの復活」の方が好きである。そして歌詞も、見事に復興・統一を遂げたドイツに、相応しい気がする。
ただ残念なことに、東ドイツでは国歌に歌われた理想とは程遠く、共産主義国家ならではの、自由の無い、非常に硬直した社会であった。経済は他の東欧諸国よりも多少マシだったが、如何せん自由が無かった。国民は、秘密警察・シュタージの監視下に置かれ、政権(ソビエト傀儡)へ歯向かう者、つまり反共産主義者がいないか、国民が互いの行動を監視し合う日常があった。もちろん、言論や出版、思想は統制され、自由に旅行へ行くこともままならなかった。
蛇足だが、この東ドイツ国歌の中には「einig Vaterland=一つの祖国」という一節があるが、これがソ連政府から、当時東西に分裂していた二つのドイツの現状には相応しくないと横やりが入り、この部分の歌詞を歌うことが禁じられていた。
3月18日、ドイツのメルケル首相は、コロナウイルスに関する非常事態宣言を、国民に向けて発した。その中で、首相は次のように述べている。少し長くなるが、一部を要約して記してみよう。
「政府と州で合意した様々な閉鎖命令は、国民の生活だけではなく、民主主義そのものの理解に、決定的に影響を及ぼすことを承知している。(中略) 旅行の自由、移動の自由は、厳しい戦いを経て得た権利。いかなる制限も、絶対的な必要性がある場合にのみ、正当化される。この制限は、民主主義において、軽々に決定されるべきではなく、一時的な場合のみである。だが、この制限が今、命を守るためには、どうしても必要なのだ」。
「ドイツ国民の母」と称されることも多いメルケルさんは、決して危機を煽ったり、声を荒げたりはしない。子供を諭すような、穏やかな語り口で、国民に向かってゆっくり語りかける。そして先の宣言の中にあるように、人々に「国民の自由を制限する」ことは、民主主義の根幹に関わることと強く意識させてくれる。それはおそらく、彼女が「非民主的国家・東ドイツ」の生まれであり、民主主義においてはどれだけ自由が尊いことか、身をもって理解しているからだろう。
旧東ドイツ科学アカデミー出身の物理学者。今度の事態に対して、科学的な根拠を示して説明することは出来る。けれどもそれだけでなく、危機の中でも民主主義の本質を忘れずに重要視し、そして何より、自分の言葉で国民に話す。ドイツ国民の8割が、メルケル首相を支持率するのも、当然ではないか。
どんな組織でも同じだが、リーダーの資質や人間性が物事の成否に大きく関わる。今回のコロナ禍では、それが如実に表れていると思う。果たして、今の日本はどうなのか。それを論じることは、あえて避けたい。
先日、39県で非常事態宣言が解除されたが、その際政府が国民に求めたことが、コロナ禍に対応する「新しい生活様式の実践」である。しかし、この様式を続けていくと、将来成立しない仕事が沢山出てくるはず。おそらく、呉服屋もその一つに入るだろう。
今日は、このウイルスの恐怖の中で、これからどのように仕事を続けていくべきか、少し考えることにしたい。おそらく、正しい答えなど無いと思えるが。
初夏らしく模様替えした店先。来店される方はなくとも、店の前を通る人はいなくとも、きちんと季節感を出して飾り付けをする。これは、無観客で試合をするスポーツのようなものだろうか。とりあえず仕事として、「やるべきことはやる」ということだ。
さて、強い自粛は解除されたものの、ウイルスを完全に抑え込めていないので、元の生活様式には戻れるはずもない。そこで付いた条件が「新しい生活様式」の実践である。この様式の基本は、三密を避けること。これはすなわち、人とのリアルな関りを制限することに他ならない。考え方の根底には、「ウイルスに感染しない、感染させない」ことがあるので、どうしてもこうなってしまう。
そこで、この現実を踏まえた上で、これから呉服屋の仕事はどうなるのか。少し考えてみよう。但しこれは、あくまでバイク呉服屋の考え方なので、皆様には参考程度に聞き流して頂きたい。
呉服の需要は、生活や儀礼に大きく左右され、中でも「集うこと」が、着用には絶対に必要な条件となる。和装を使うフォーマルの場は、冠婚葬祭や、子どもの通過儀礼、または入卒業式などの人生の節目。こうした、一生に数度しかない限られた場面だからこそ、特別な装い・和装が望まれる。だが現在のように、密集を避ける前提では、当然のように式の縮小や中止が求められ、オンラインで代用されることが多くなっている。このままだと来年の成人式も、実施される確証は無いと思われる。
また和装が欠かせない習い事も、集うことが出来なくなると、根本から成り立たなくなる。茶道では、お稽古は何とか出来ても、大勢が集まるお茶会を開くことは難しい。また筝曲や尺八、三味線など和楽器の演奏会も困難だ。また、歌舞伎や能楽などの伝統的なエンターテイメントも、しばらくは公演が出来ないので、人々がキモノで観劇を楽しむことも無理だ。
そして今年の夏は、庶民の身近な娯楽である花火大会や祭りが、ほぼ中止になっている。これでは、浴衣を楽しむ機会さえ無い。そして、そもそも人と会って、ゆっくり会話を楽しみながら食事をすることさえ、憚られるのだから、キモノで街歩きを楽しむ余裕など、なお持てるはずもあるまい。
まさに「八方塞がり」と呼べる現状だが、人々が和装に目を向けるのは、社会が平穏であり、着用する方に気持ちの余裕がなければ難しい。だから裏を返せば、今のような緊急時には、「不要不急」の最たるものとなる。
こう考えると、和装の需要が戻るには、元の生活様式に戻らないかぎり、あり得ないと位置付けられる。それは、売り手がいくら需要を喚起したところで、どうにもなるまい。現状の打開を図ろうとして、消費者に何を呼び掛けても、響くことはあるまい。
では本当に、「コロナ終結後に、キモノ需要は以前の状態に還るか」。つまりは、「どの程度前の生活様式に戻れるか」なのだが、一部の有識者には、「同じ生活にはなり得ない」という声もある。果たして、本当だろうか。
残念ながら私も、こうした意見にはある程度頷かざるを得ず、生活は同じに戻らず、従って和装の需要も漸減していくと考える。その理由は、今後人との接触を避けることが、儀式の簡素化や省略化に繋がり、全部は無くならないまでも、かなり減っていくと想像出来るからだ。つまり、今回のウイルス禍が原因で中止した儀礼が、これを契機として、「無くても構わない、または略しても大して影響が出ない」と人々が考えるのではないかということである。
無論、特効薬やワクチンが早急に開発され、人との関りを避ける「新しい生活様式」が早く解消されれば、影響は少ない。しかし、現状では難しい。そして、コロナ撲滅までに時間を費やせば、その分だけ、元に戻ることが難しくなる。
従って、キモノの需要は極めて不透明で、先の見通しは全く立たない。但し、皆無にはならない。そしてフォーマルは消えても、カジュアルは残る。事が無ければ使えない礼装用とは異なり、普段着や街着は、着用する人の自由な意思で使うことが出来る。キモノを愛する方がいる限り、絶対に無くなりはしないのだ。
今、こんな状況の中でも、品物の依頼をされるお客様が僅かにいる。それはもちろん、以前からバイク呉服屋を贔屓にして下さる方々だが、注文を受ける品物は、おしなべてカジュアルモノで、旬を意識したものが多い。「今は必要ないが、いつか着用する日ののために、誂えておく」。それは、キモノや帯を愛し、かけがえのない衣装と認識しているからこそであろう。苦しい状況にある私には、こんなお客様は神様である。
店内の小ウインドには、アイスコットンと絽麻の型染帯を入れてみた。最近では、このアイスコットン生地を、夏用マスクの素材として譲って欲しいという依頼をメールなどで多く受ける。けれども、反物を切り売りしてしまったら、キモノや襦袢として使うことは出来ない。だから申し訳ないが、全てお断りしている。
さて、キモノの需要は全く無くならないと判ってはいるが、この状態が続く限り、少なくなることは目に見えている。そして問題は、いつコロナウイルスが、インフルエンザウイルスと同じく、人が制御出来るようになるか、である。
また、問題が解決出来れば、需要はすぐ回復するものでも無い。おそらく、最低でも半年くらいは掛かるだろう。ということは、薬の開発が順調に進んでオリンピック前に出来たとしても、来年の暮れ辺りまでは、呉服屋の商いは元通りにならないと考えておくべきで、もしかすれば、もっと遅れるかもしれない。
果たしてそれまで、呉服屋の経営は「持つ」のだろうか。そして、新しい生活様式は、これまでの商いの方法に、どのような影響を及ぼすのか。次回は後編として、この危機に当たり、呉服屋はどのように商いの将来を考えれば良いのか、それをバイク呉服屋自身のこととして、お話してみたい。
スマホやパソコンを使ったテレワークやリモートワークなど、いわゆる在宅オンラインの仕事が、これからの働き方として、主流を占めることになるでしょう。今回のコロナ禍は、間違いなくこれを加速させます。
感染症を防ぐことと、経済活動をすること。両立を図るツールとして、確かにITの力は必要不可欠でしょう。しかし、人は生身の体を持っています。ネットだけのバーチャルな繋がりでは、決して満足できず、長く続けているうちに、息苦しさをも感じます。
人間らしくあるためには、まず、自由に動けること。自由が規制されると、人は息苦しくなる。メルケル首相の言葉に感化された訳ではありませんが、この非日常が続く中で、改めて「自由」とは何かを、よく考えてみたいと思います。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。