毎年、5月の連休が終わる頃には、花粉の飛散が無くなる。患者数は全国で約二千万人。今や国民病とさえ言われるこのアレルギー症に苦しむ人達にとっては、ようやく憂鬱な季節から開放されて、さぞホッとされていることだろう。
花粉が心配な季節には、当然、窓を開け放つことは避ける。そして今は、どの家でも室内の空調設備が整っているので、外温に関わらず室内では快適に過ごすことが出来る。だがそれにより家の中は、ほぼ一年を通して、密閉された状態に置かれる。だから思い切り窓を開け、体に風を感じることが少なくなった。
こんな日常は住空間だけではなく、ありとあらゆるところに及ぶ。例えば、公共交通機関。今や、電車も地下鉄もバスも、窓を開け放して走っていることなど皆無である。そしてそもそも、窓そのものが、開閉出来ない仕様になっている。
けれども、昭和の時代にはクーラーの付いている電車やバスは少なかった。夏になると、乗る電車が冷房付きならラッキーなことで、ほとんどは大きく開け放った窓から熱風を受け、乗客は汗をぬぐいながら暑さに耐えていた。特に朝のラッシュ時には、降りる駅に着いた時には、誰もが解放された気分になっていたと思う。
この頃私は、頻繁に旅に出ていたので、よく夜行列車にも乗った。この当時の夜汽車(寝台のない座席車)も、冷房が付いているのはグリーン車だけで、普通車には何も無い。暑さをしのぐには、やはり窓を開けて風を入れるしかない。いつのまにか眠り込んでいたが、夜風の冷気で目が覚める。そんなこともよくあった。
だが、夜汽車で迎える夏の朝の爽快さは、格別だった。走っている場所が海辺なら、潮の香りが漂い、山なら、草いきれがする。窓辺から車内に入る風は、旅心をかきたててくれる小道具でもあっただろう。
今や、一年中季節を問うこと無く、人が日常を過ごす場所では適温に保たれる。それは裏を返せば、強制的に自然を遮断していることになる。その結果として、気候への適応能力は衰え、少しの変化でも体に不具合を起こす。この先我々は、「作られた環境」の中でしか生きられないのではと、少し不安になる。気候変動が顕著になると予測されるので、仕方がないことかも知れないが。
さて、住み難くなった日本でも、今の時期から梅雨入りまでは、「窓を開け放ちたくなる」季節であろう。日中の気温は20~24℃。空調操作に頼らずとも、心地良く生活出来る。そんな時、部屋に吹き込む五月の風は、空気を一掃し、気持ちまでが自然に洗われるように思える。
新芽や若葉の香りを詰め込んだ五月の風・薫風(くんぷう)。古来より、時候を示す言葉として使われ、俳句では初夏を表す季語。そこで、今日のコーディネートでは、風薫るこの季節に相応しい、爽やかな品物を選んでみたい。どのような姿になったのか、早速ご紹介することにしよう。
(生成色 更紗模様・蠟引き紬小紋 青鈍色 パレット模様・真綿紬八寸手織帯)
このブログで紹介する品物のモチーフとして、もっとも多いものが唐花や唐草。正倉院の収蔵品の中に多く描かれている特徴的な植物模様は、平安期以前の日本に大陸から伝来したもの。その原型は、紀元前の古代ペルシャやエジプト、ギリシャに遡る。
この花の元々のモチーフは、それぞれの地域により違い、忍冬(スイカズラ)や蓮、棕櫚(しゅろ)、なつめ椰子、葡萄、牡丹、柘榴などだが、図案は時代を経るごとに他の地域に伝来し、そこで新たなアレンジが加わり、多様なデザインとなった。正倉院の唐花を見ても、それは一律ではなく、豊かに表現されたその美しさには、文様が通過してきた様々な国や地域の美意識が、内包されているように思える。
このように、唐花図案の起源は中東だが、このモチーフを使った模様染の発祥は、インドとされている。例えば、1世紀のものとされるシリア・パルミュラのシャムプリコ家の墓からは、花文の入った縞を染め出した木綿の模様染布が見つかっているが、この文様は17世紀以後のインド更紗にあしらわれた文様と共通点が多々あり、その関係が伺われる。
模様染について知ることの出来る最も古い資料は、古代ローマ帝国の博物学者・プリニウスの博物誌だが、これによると、エジプトでは媒染剤(染料と繊維の仲立ちをする金属塩)を用いた染色法が使われていたが、その染剤や染料が何かについての記載は無い。だが20世紀になり、インド・モヘンジョダロ遺跡から出土した木綿布を科学的に分析したところ、これが媒染剤を用いた茜染と判明した。このことは、インドが最も古い染色の歴史を持つ国との推測を可能にし、模様染発祥の地とする一つの根拠になっている。
インドの模様染めと言えば、多くの人が「更紗模様」を思い浮かべる。唐花をモチーフにした、異国情緒豊かなこのデザインは、今もキモノや帯の図案として多くの品物に見ることが出来る。ということで、今日は、この「更紗」を用いた型染小紋を使って、5月の街に映える着姿を考えることにしたい。
(生成色 更紗模様 型染蠟引き紬小紋・菱一)
インド更紗は、すでに4世紀頃には外国へ輸出されていたが、日本に伝来したのは、16,7世紀頃とされている。すなわちそれは、長崎の開港(1570年)や平戸にオランダ商館を設置(1602年)した時代と重なり、南蛮貿易における輸入品の一つであった。1613(慶長18)年に平戸へやってきた東インド会社の船長・ジョン・セーリスの航海日誌の中には、当時の平戸藩領主・松浦鎮信に対して、更紗四反を贈った記述がある。この後、更紗が日本へ輸入されていた経過は、江戸時代の貿易記録・唐蛮貨物帳や、オランダ商館の帳簿によって記録されている。
ただ、この長崎貿易以前の15世紀頃、すでに更紗は当時の琉球王国に入っていたとも考えられる。この時代は、勘合符を用いた日明貿易が盛んに行われていたが、琉球は貿易の中継地として役割を果たすと同時に、明や東南アジア諸国と積極的に交易を行っていたために、様々な品物が流入していた。おそらく更紗も、琉球王国の交易品の一つであっただろう。
その後更紗は、輸入品に頼るのではなく、日本でも地域ごとに模様を染め出すようになった。これが、佐賀・鍋島藩で作っていた鍋島更紗であり、熊本の本渡で染めていた天草更紗である。他に、長崎や大坂の堺、さらには京都や江戸でも作られるようになった。これを「和更紗」と呼ぶ。
更紗の染め技法には、様々なものがあるが、基本的には、手描き、木版や銅版を使う型染、そして蠟防染の三つ。
友禅と同様に、模様の糸目を手描して、手で色挿しをする手描き。木版型染めは、図案の一つの単位となる模様を木彫りし、これを「ハンコ」のように生地に押しながら、模様の輪郭を作る。蠟染めは、熱で溶かした蠟液で模様を防染した後、地を色染めして蠟を抜くと、そのまま先の模様が現れる。また、先に地染めをした場合には、模様はその色として残る。
今日取り上げる更紗小紋は、蠟を使って染め出した、「ローケツ小紋」である。
この小紋の地色は、僅かにベージュを感じる白で、本来の絹色と言うべきだろうか。生地は紬地で、画像ではよく判らないと思うが、ドット模様を織り出している。
図案は更紗特有の唐花だが、蔓があるので、図案に動きがある。また、模様は密ではなく、地の空いた部分が多いため、更紗としては、すっきりとした小紋仕上がっている。
模様の配色は、深い紺と藍色だけを使っているために、爽やかな印象を受ける。うちのお客様で、この更紗の葉が、「ヒトデ」に見えると言われた方がおられたが、確かにヒトデのようなデザインである。それだけ、この葉模様が印象的ということか。
蠟染めを施した模様には、自然と柔らか味のある色合いが出てくる。その特徴がよく表れている二枚のヒトデ葉。ローケツ小紋の制作方法には、筆で蠟を塗って染料の侵入を防ぎ、図案を表現する「蠟伏せ」によるものや、模様の型糸目に蠟を使い、色を型ごとに染め分けた後、模様を糊で伏せて地染めをする「型ローケツ」など、幾つもの技法が存在する。
さて、風が吹きぬけるような爽快さを感じるこの小紋には、どのような帯を合わせるべきか、考えてみよう。このキモノの配色を生かすとなれば、やはり帯の色も、青が基調となるだろう。
(青鈍色 パレット模様 oil painte 真綿紬八寸帯・藤田織物 織り手 上田顕子)
このブログで、これまでにも何回かご紹介した藤田織物の帯。点と線と面を意識して組み合わせた図案が、独創的な立体形状の織姿となって生まれる。帯製織には欠かすことの出来ない図案設計図・紋図を持たず、作り手の感性だけが模様として表れる。
図案のモチーフは同じでも、形状と配色は全て異なり、一つとして同じものにはならない。この「世界にひとつだけの帯」は、この織屋でしか織りなすことのできない、まさにオリジナルな品物である。作り手のイメージが凝縮された立体図案は、不思議な魅力を醸し出す。モダンで、洗練された都会的な雰囲気を持つ帯姿。この、既存の帯には見られない斬新さは、現代人が持つ今の時代の美意識に適応している。
この帯のモチーフは、パレット。副題にoil painteとある。つまりこれは、パレットの上に載せた油絵の具の形状を表現した図案なのである。なるほど、言われてみればそうかと思うが、何も知らずにこのデザインだけを見れば、パレットとは思わないだろう。私など、最初にこの図案を見た時は、水鳥に見えた。
もちろんこれまでに、「パレットの上にひねり出された絵の具の形状」を、図案に取り入れた品物など、見たことが無い。確かに形あるものは、どんなものでも図案にはなるが、普段我々は、帯あるいはキモノの中で表現される図案とは、既存の模様やそれをアレンジしたものしか認識せず、既成概念の範疇から抜け出すことが出来ない。
これは作り手が、帯という品物の上で、自分は何をどのように表現したいのか考え、自分の感性を研ぎ澄ませた結果として、生まれたもの。それは、図案をプロデュースした、社長の藤田さんの心のうちが具現されているとも言えるだろう。
白と薄グレーのパレットの上に載せられた、様々な形状の絵の具。土台になるパレットの色と絵の具の色は、模様の動きに変化を付け、より立体的に見せることを考えながら、決める。
藤田さんによれば、配色は基本になる色との相性を見ながら、色を組み合わせ、そこから余計な色を間引きして全体像を描く。これでほとんど完成だが、最後の詰めは、実際に織りを担当する職人と相談しながら、仕上げていくと言う。糸を束ね、捻り、解き、引っ張り、緩める。そして、図案の形状やバランスを考えて、色糸の出方を決める。一本の帯を、藤田さんと職人が試行錯誤を繰り返しながら、織り上げる。まさに、プロデューサーとクリエイターが、二人三脚で仕上げたオリジナル品である。
そして、この帯の地糸・模様糸ともに手紡ぎの真綿糸を使っているため、極めて軽く、しなやかに織り上がっている。斬新な柄行きの方ばかりに目が行きがちだが、織の命である使う糸の質にも、しっかりとこだわる。カジュアルな場所でさりげなく使う帯だけに、着用する方の締め心地をとても大切になる。
さて、この個性的なパレットを更紗小紋と組み合わせると、どんな姿になるのか。
浴衣の基本は、紺に白抜き、あるいは白に紺抜きだが、このキモノの配色もそれに共通する。そこに青系の帯を使えば、清涼感はなお際立つ。パレットの絵具の色も、ほぼ青系を使っているので、この帯とキモノの図案配色のコンセプトは、よく似ている。
前の合わせ。パレットの絵具が縦になると、また雰囲気が変わる。均等間隔で七つ並ぶ小さなパレットは、柔らかい青鈍地色が前に出て、すっきりとした着姿を作る。模様は小さいながらも、その立体感が、存在感のある帯姿を作っている。
小物も青系だけでまとめてみる。涼感や爽快さを意識した合わせなので、青系以外は使い難い。帯揚げは、薄水色のぼかし。帯〆は、白を入れた平組紐。(帯〆・龍工房 帯揚げ・加藤萬)
新緑が眩しい5月の街歩きを、颯爽とした着姿で楽しむ。今日は、そんなコンセプトの下で、品物を選んでみたが、如何だっただろうか。5月に相応しい品物を考える時、私はどうしても、青と白が基調になる。これまで、この月のコーディネートとしてご紹介した組み合わせも、ほぼこのパターン。芸がないことは自覚しているが、変えようが無い。藤田織物の社長のような、豊かな感性を持ち合わせていないので、仕方あるまい。
最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度どうぞ。
今は、袷から単衣へと変わる衣替えの時期。冬の間着用したキモノや帯は、一度よく目を通してから、仕舞って頂ければと思います。汚れ落としや様々な手直しを夏の間に済ませ、秋には新しい気持ちで手を通せるようにしておくと良いでしょう。
そして出来れば、箪笥の中のキモノや帯にも、風を入れて下さい。全部出して吊るすのが面倒ならば、タトウ紙を開いて空気を入れ替えるだけでも、湿気を抜く効果があります。人も部屋の窓を開けて、風を入れると気分が変わるように、品物も良い状態を保つには、風を入れることが必要になります。
梅雨入り前の、湿気のない爽やかな日を選び、少しだけキモノや帯のために時間を割いて頂ければと、願っております。
今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。