日本の「伝統色」と呼ばれる「和名の色の名前」は、それぞれの時代に使われた植物染料の名前や染め方、その色が使われた道具など色の由来は様々で実に興味深いものがある。
呉服屋が「染織品」を扱うのであれば、「伝統色」についての知識がなくてはいけないのだと思う。このカテゴリーでは「伝統色」と「伝統文様」について、当店で扱っている品を使いながら話を進め、私も書きながら勉強して行く。
さてこの項の第一回は、と店の中の品物を見渡したところ先日入荷した「竺仙」の「ゆかた地」が座売りの隅に積んである。「ゆかた」を見分ける(どの柄を買うか)のは大体1月~3月の寒い時期で、新しい柄の発表は年初に行われるのが普通だ。そして問屋から小売店に買い付けた品物が納められるのが5月の連休明けである。これは「ゆかた」に限らず夏物全般がそのようになっている。
「竺仙」の「ゆかた」は最近様々な色が使われるようになってきたが、当店で扱う物は、シンプルなものが多い。もっともオーソドックスな「コーマ染め」の中でも一番シンプルな「紺白」(紺地に白柄抜き)や「白紺」(白地に紺柄抜き)は「竺仙の象徴」と言っても良い商品だ。中に使われる柄行きは、「和花」をモチーフにしたものが多い。
今回取り上げるのは上の画像の「紺白」と呼んでいる品物である。問題はこの「紺」と呼んでいる色が「紺」なのかどうか?という点である。確かに「日本の伝統色」の中には「紺色」という「色」が存在する。「紺色」が「日本の色」として登場するのはかなり古い。647年(大化3年)の「冠位の制」で「位色」を定めた時にすでに存在している。「冠位十二階」はご存知の通り推古天皇の時代(603年)に定められたものだが、「位によって色を定める」ことが明記されたのは前述の時のようで、ここでは「七色十三階」の「冠位」とされている。
「紺色」を様々な「日本の伝統色」について記載されたネットや書籍で調べてみると、確かに「少し紫がかった深い青」である。しかし、「紺色は赤みを含む」との記載が長崎盛輝氏の「日本の伝統色」にあり、なぜ赤みを含むかといえば「藍染」の中に含まれる染料によると記されている。「紺色に染める方法」は当然、当時は「藍」を使用するしかないであろうが「藍」に「赤みを帯びる成分」があるとは少々意外である。
さて「竺仙ゆかた」を改めて見てみると、どうも「紺」より濃く深い色のような感じがする。この色の感覚は「私が」感じたもので、人により印象は様々だと思う。だからこの「私が感じた色」が正確で正しいというものではもちろんない。
「褐色(かちいろ)」という「色」がある。この色をみると「紺」よりも暗く沈んだような深みを持つ色である。調べてみると、「褐」の語源は「搗つ(かつ)」から来ていて「搗つ=突く」という意味だそうだ。藍染で染めた生地を「搗つ」、今で言えばおそらく叩いて深く染料を染み込ませたのではないだろうか?そして深みのある色合いを出していったのであろう。
「褐」は、「勝つ」にかけて「縁起の良い色」と鎌倉時代の武士たちに好まれて使われていたとされる。また江戸時代には「かちん」ともよばれ「かちん色」という名で呼ばれていたようである。「褐色(かちいろ)」とひらがなで括弧付けをしたのは理由があって、この「褐色」を「かっしょく」と呼ぶ色が存在するからだ。
「褐色(かっしょく)」は赤茶色で現代でもよく使われており、海などで日焼けした肌の女性を「褐色の肌がまぶしく見える」などと使われる。「褐色」は、同じ文字を使いながら読み方でまったく違う意味になってしまうという、実に興味深いものであった。
あざやかな色とりどりの「多色使い」のゆかたもそれはそれで、よいと思いますが、この伝統色「褐色(かちいろ)」のゆかたを見直して見ませんか?
昔私は、「昼間明るい時は紺地のゆかたを着て、夜暗い時は白地のゆかたを着るものだ」と聞いたことがあります。「伝統色」が時を越えて受け継がれる条件は、単純であるが奥深いということだと思います。
今日も最後までご覧下さいましてありがとうございました。