毎朝、バイクで店へ通勤する途中、娘達が卒業した小学校の前を通る。一昨日は、入学式。少しおめかしした新入生が、両親に付き添われて、学校に入っていく。そして校門前では、写真を撮ったり、ビデオを回したりしている。おしなべて、親は嬉しそうな表情を浮かべているが、子どもは、恥ずかしそうにしていたり、誇らしげであったり、とまどいがちであったり、千差万別だ。
この小学校は、甲府市の中心部にある、いわば街中の学校。ここは、今から10年ほど前、中心市街地での小学生の減少に伴い、付近の三つの学校を統合して出来た、新しい小学校である。
娘達が通っていた頃は、まだ統合する前で、全校生徒が70人に満たない小さな小学校。一クラスが10人ほどなので、もちろんクラス替えなど出来はしない。そして街中の学校ゆえに、サラリーマンよりも商店の子どもが多かった。親達も、全校児童の名前と顔を知っていて、親同士も自然に親しくなる。刺激には乏しいが、アットホームで居心地が良かった。
多くの公立小学校には制服は無いが、バイク呉服屋が通った学校にはあった。入学したのは、昭和41年。その当時、甲府市内の公立小学校のうち2校だけに制服があったのだが、たまたまその一つに当たったのである。
制服とは言っても、今のように全てが整っている訳でなく、上っ張りのような上着があるだけ。これは、幼稚園の園服と似たようなモノで、シャツやズボンやスカートが指定されている訳では無い。だから、「制服」と呼べるような代物では無く、この学校の子どもと見分ける「印」みたいなものだった気がする。
簡単な上っ張りは、高価ではなく、誰もが二着は持っていたと思う。当時の子どもは、毎日放課後校庭で遊んでいたので、どうしても汚れてしまう。母が、家に帰った私の姿を見て、「どうしたらここまで汚すのか」と嘆いていたのを、よく覚えている。
もしそれぞれの小学校に制服があれば、入学や卒業など、節目の儀式で着用するのは当たり前である。私立の小学校や、中学・高校には制服があるので、式典に何を着用すれば良いのか、迷うことは全く無い。
問題は公立小学校である。制服が無いばかりに、何を着せるのか親は悩ましい。一般的な服装は、男の子はスーツかジャケットにズボン、女の子はボレロの付いたワンピースやスーツを使っている。このスタイルは、入学式・卒業式ともに変わりはない。
価格は1万円前後から、5~6万もするようなブランドモノまで、様々である。式服だけに、購入しても使う場は限られており、その上子どもはすぐに大きくなる。勿体無いといえば、勿体無い。
けれども最近、和装を取り入れる子どもが増えている。特に卒業式における女の子の袴姿は、かなり目に付く。そして、この姿を容認するか否か、各学校で問題になるケースを多く見聞きする。
果たして、制服の無い公立小学校で、和装はどのように捉えられているのか。門出の式で、容認されるべきものか。はたまた否定されるものなのか。今日は、我が家の娘が卒業式の衣装として、どのような考えで袴姿を作ったのか、それもお話しながら、この問題を考えてみたい。もしかすると、現代社会の中で和装が、どのように認識されているのか、その一端が見えてくるかも知れない。
2013(平成15)年3月 長女の小学校卒業式・袴姿
上の画像は、今から15年前に、私の長女が袴姿で小学校の卒業式に臨んだ時に写したもの。今とは違い、和装で卒業式に出席する子どもが、誰もいなかった頃である。
娘が和装を望んだ理由は、前年秋の運動会で、応援リーダーの女の子がはいていた袴姿が印象に残っていたからと聞いた。親としては、他の子どもと同じように、スーツを購入する予定であったが、娘の気持ちを尊重し、キモノを着せてあげたいと考えるようになった。無論そこには、私や家内が「うちは呉服屋だから、娘にキモノを着せなければ」などという意識は、全く無い。あくまで、本人の自由意思から出た話である。
それまでに、卒業式に袴を着用した例は、おそらく無い。そこで、袴を使うにあたり、それが許されるか否か、家内は学校に相談してみた。すると、袴姿は式服として認められるとの許可を頂いた。これは、うちの仕事が「呉服屋だった」ことも、考慮されてのことかも知れない。
この時、長女のクラスは僅か11名。そのうち女の子は6人である。小さな学校なので、普段から親同士の意思の疎通は十分出来ている。そのせいもあり、他の子の親は、うちの娘が「卒業式に袴を使うこと」に対して、好意的であった。ここでも、「呉服屋さんの子どもだから、それも自然なこと」という意識が働いていたように思われる。
親とすれば、「スーツを買う必要が無くなった=出費が無くて助かる」というのも、本音である。着用したキモノは、私の妹が若い頃使っていた、白地に朱色の雲取模様の訪問着。彼女は小学校の頃から日本舞踊を習っており、派手なキモノを沢山持っていた。
袴は、紺無地のウール袴。以前うちの店では、袴だけは貸し出しをしていたので、サイズをそろえて10点ほどある。半巾帯は、浴衣用の赤い無地の博多帯。ということで、新しく誂えた品物は何も無く、手持ちのものだけで済ませた。無論、費用は何も掛かっていない。
式典での着姿。古い写真なので、写りが悪いことをご容赦頂きたい
当日、袴を着付けたのは家内。この時、長女はショートカットだったので、髪をアップにすることも出来ず、ほぼそのままの状態。もちろん、化粧などすることは無い。また、草履は履かずに体育館履きを使用。これは、不慣れな袴での転倒防止のため。
最も大切なことは、厳かな式にふさわしい着姿を考えること。そのため、余計なものは出来る限り排除し、あくまでシンプルに着こなすことが必要となる。
そして心掛けたことは、袴姿をあくまでも「式服」として意識し、それにふさわしい振る舞いをすること。歩き方や姿勢など、きちんと身を正していないと、和装本来の良さはまるで無くなってしまう。これを忘れたら、正式な場で使うものと、誰からも認識されなくなる。「きちんとしている」と周囲から見られることは、とても重要だ。
折角校長先生をはじめとして、皆さんが気持ちよく許してくれた袴姿である。出席される方々に、「卒業式には、和装も良いものだ」と、感じて頂かなければ、申し訳ない。着用を望んだ娘には、その責任がある。
現在流行している、小学校卒業式における袴姿。これに対する批判の声は、強い。自治体によっては、自粛を呼びかけたり、規制をかけるところもある。学校側でも、対応に苦慮しているとも聞く。
なぜ、袴姿はいけないのか。その理由は、幾つもある。慣れない袴での転倒や、トイレ時の始末、また着崩れた時に直す人がいないなど、着用した時に起こる様々な不具合が、実際に予想出来るからだ。親も教師も、和装の心得を持つ人がほとんどいない中では、式典の妨げになる事態が起こっても、対応することが難しく、式進行に大きな影響を及ぼすと見られるからである。
そして、着用したくても出来ない家庭の子もいるという事実も、問題視される。厚生労働省の調査による子どもの貧困率は、昨年13.9%。6人に1人が貧困状態にあるという、深刻な現実がここにある。公立小学校には、様々な家庭の子どもが通う。だからこそ、弱い立場の子どもに対する配慮がなお必要とする意見も、当然理解出来る。
そして、もう一つ。私は、これが問題となる最大の理由と思うのだが、それは、袴姿が「華美」と捉えられていることだ。そして、卒業式の式典の衣装にはそぐわないと感じられている。つまりは、式服として和装が認められていないということになる。では何故、式にふさわしくない姿と意識されてしまうのか。その原因を考えてみよう。
今、卒業式で袴を着用する子どものほとんどが、レンタルを利用していると思われる。自分のキモノでとか、母や祖母の使った品物を使ってというケースは、少ないだろう。そして袴に関しては、キモノ以上に手持ち品を使うことは、稀であろう。
レンタルの価格を見ると、キモノと袴一式に、着付けや髪のセットやメイクまで含めて、3万円前後というのが相場である。写真スタジオなどでは、記念写真とセットにしているところも見受けられる。レンタルで扱う品物を見ると、キモノ・袴ともに化繊素材のものがほとんど。キモノはプリントの小紋が主流で、袴はぼかしや刺縫を施したものも多い。子どもらしく、かわいく華やかに見えることが、意識されている。
レンタル品は、色や模様に落ち着きはないが、この品物を着用しただけで、「華美に過ぎる」と判断されるとは思えない。では「式典にそぐわない姿」と見られてしまう原因は、一体どこにあるののか。
それはおそらく、不必要な飾りをつけたり、メイクを施すことで、着姿全体の印象が、厳粛な式服から「和装コスプレ」へと変化してしまうからではないか。つまり、目立つ必要はないのに、目立たせてしまっているということだ。
本来の袴姿は、「凛とした美しさ」を感じさせるもの。だが、この引き締まった和装のあり方がどこかへ追いやられ、「華やかでかわいいこと」だけに、主眼を置いて着姿を作ることで「コスプレ化」し、ひいては、卒業式の衣装としては如何なものかと、批判されてしまうのだ。
では、なぜコスプレになってしまうのか。これは、親も子どもも、そして衣装を貸す業者も、きちんとした和装フォーマルの着姿を、理解していないからである。
卒業式は、厳粛な儀式であり、小学校の課程を終える大きな節目。そんな式典の装いには、何が大切なのかを弁えていないと、場を壊してしまうことになりかねない。節度を守ることは、和装でも洋装でも同じであり、その上に立って着姿を考えなければならないことは、言うまでも無い。
この卒業式袴のコスプレ化は、成人式の衣装・振袖のコスプレ化と同根のように思える。どちらの衣装も、式の意味を弁えずに着姿を形成するところは、全く同じである。厳粛な卒業式に使う袴、未婚の第一礼装として存在する振袖。どちらも、華美に走り、目立てば良いというものでは決してないはずだ。
きちんとした和装フォーマルが、認識されていないことが、この問題の根底にある。だが、若い親、まして子どもがこれを理解するのは、難しいだろう。だから、衣装を貸す側が、式典の場にふさわしい衣装は何かを認識し、それにふさわしい品物を提供することが求められるのだが、残念ながらレンタル業者や写真スタジオには、その理解はほとんど無いのが現状である。そして振袖の状況を見れば、多くの呉服屋にも欠けている。
私は、袴姿が卒業式にそぐわないとは、全く思わない。キリリとした着姿で、姿勢を正して望めば美しく、多くの人に和装の素晴らしさを感じて頂くよい機会かと思う。
時代と共に、キモノを装う方が少なくなり、「キモノを着ていること、即ち華美で、贅沢なこと」と考える人が多いことは事実だ。けれども、式典にふさわしい節度ある和装を、ただ華美として切り捨てるのは、違う。そんなことを言ったら、民族衣装として和装は成り立たない。
けれども現状のように、式服の意味を理解せず、はき違えた「コスプレ和装」が続くようでは、小学校の卒業式に規制をされても仕方あるまい。
バイク呉服屋は、袴姿に憧れる多くの子ども達が、厳粛な式典にふさわしい着姿で、式に臨むことが出来るようにと、願うばかりである。
うちの娘が、袴姿で卒業式に出席出来たことには、幾つかの幸運な事情が含まれていたからと思います。一つは、呉服屋の娘だったこと。もう一つは、規模の小さな学校だったこと。周囲の理解を得るには、条件がとても整っていました。
先生方や同級生、そして父兄の方々に気持ちよく認めて頂いたからには、より式典にふさわしい着姿にしなければならないと、強く意識したことを、15年経った今でも覚えています。
注目されるからこそ、より以上に衿を正して式に臨む。フォーマルの場でキモノを装う時には、これを避けて通ることは出来ないように思います。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。