2.3日前から20℃を越える日が続き、急に暖かくなった。それとともに、サクラの蕾も一気に膨らみ始め、開花も秒読みである。昨年、東京での開花日は3月21日。平均開花日が26日なので5日早かったが、今年は上回るスピードで花が開くようだ。
サクラの開花を予測する方法として、600度の法則と400度の法則というものがある。600度は、2月1日から日ごとの最高気温を足していき、合算して600度を越えた日が、開花日に当たるというもの。400度の方は、日ごとの平均気温を足したもの。
サクラの芽は前年の夏に生まれ、寒さが続く冬の間は、眠った状態となる。そして気温が上がるにつれて目を覚まし、花が開いていく。開花の条件は、春先の温度上昇だけでなく、冬場にしっかり気温が下がることも重要であるらしい。
季節は確実に春を告げているはずなのに、バイク呉服屋は、未だに冬を抜けきれていない。というのも、インフルエンザを発症したからだ。前回のブログで、発熱して体調が悪いことをお話したが、翌日病院で検査した結果、B型ウイルスに感染していることが判明。3日ほど店を閉めてしまった。
どうやら、先週東京出張の際に、菌を貰い受けてしまったらしい。自分には縁のない病気と、たかをくくっていたのだが、甘かった。このところ仕事が立て込んでいて、知らず知らずのうちに無理をしていたのかも知れない。抵抗力が無くなっていたから、ウイルスの侵入を許したのだろう。
とんだ「インフル初体験」だが、過信は禁物ということが、身にしみて判った。皆様も、十分注意されたい。
ということで、前回ご紹介出来なかった「サクラ・オールインワン」を試したもう一つの品物を、今日はご覧頂こう。
(宍色 サクラ染 米沢草木紬・宍色 花弁の丸文様 九寸織名古屋帯)
前回は、同じ桜系でもかなり薄く、白に近い色同士を組み合わせたもので、その帯とキモノの間で、ほんの僅かだが色の濃淡差が付いていた。しかし今日の組み合わせは、色の傾向や明度、濃さもほぼ同じである。つまり、帯とキモノが一体となり、着姿をひと色で染めようとするものだ。
とはいえ、キモノも帯も桜の単色ではなく、各々に異なる色の配色も見られる。しかし、そこに使っている色は淡く、目立つものは何も無い。あくまで地の桜色が、着姿の中では主役になっている。
通常では、キモノに合わせるそれぞれの帯には、ある程度コントラストを付けて、一定の主張をさせようと考えるが、この場合は、同化あるいは埋没させる意図が伺える。キモノと帯の境界を無くさずして、着姿からひと色を印象付けることは出来ない。
(宍色 サクラ・栗草木染 米沢置賜紬 野々花染工房)
宍(しし)色とは、日本人の肌の色のことで、わかりやすく言えば「肌色」である。これは、薄ピンクの中に少し橙色を感じさせるような、淡い色。
人間の肌は、熱を帯びてくると紅潮し、赤みが差す。戦前・戦中に活躍した横綱に、照国(てるくに)という力士がいたが、彼は仕切りをくり返すうちに、体がピンク色に染まっていった。元々は秋田出身で色白のため、肌の色が変化していく様子が、誰の目にもよく判った。
そしてこの横綱は、押しと寄りをリズミカルに繰り返す相撲を取ったため、人々は彼のことを「桜色の音楽」と呼んだ。桜色とはもちろん、ピンクに染まる肌の色を指す。実に、雅やかで美しい渾名である。
三本と六本の横段縞を、交互に織り込んだ紬。これは、昨年4月のコーディネートでご紹介した、米沢の野々花染工房の品「nostalgic・ノスタルジック」と同じシリーズで、配色・染料違いのもの。前回は濃藍地で、染料に藍と五倍子を使っていたが、この紬の糸染めは、サクラと栗を用いている。
以前にもお話したが、サクラから染料を得る時に使うのは、枝である。まず、雪の重みに耐え切れず折れた枝・雪折桜を集め、乾燥させる。これを水で煮て、色素を抽出した液を作り、そこに糸を入れて繰る。繰(く)るとは、糸が満遍なく染まるように、染液の中で動かすことだ。
サクラは多色性染料なので、発色の仲立ちをする媒染剤を変えることで、様々な色が得られる。この紬の地色・宍色や模様の中の薄い桜色は、アルミニウム塩によりもたらされるが、野々花工房では、サクラの枝を燃やした灰の汁を媒染剤として、使っている。この灰汁の中に、先ほどの色素抽出液の中で繰った糸を入れ、ここでもまた繰る作業を繰り返す。こうして得られた色が織糸となり、ひいては品物の表情となる。
栗も、サクラと同様に枝を使う。そして同様に多色性染料のために、媒染剤により得られる色が変わる。アルミ媒染では、柔らかい黄土系の茶色となり、鉄媒染だと濃い褐色が得られる。作り手が予め使う色を見定めた上、媒染剤を変えながら、糸染めをする。草木染紬は、植物ごとに違う発色の手段を理解していなければ、上手くはいかない。
野々花工房の草木紬には、どんな植物染料を使ったのかが、表記されている。証紙の上に、「くり」「さくら」が明記されているのが、判ると思う。
(宍色地 花弁の丸文様・九寸織名古屋帯 斉木織物)
様々な花弁を図案化した模様を丸紋で囲み、散りばめた文様。丸文の間には、小桜を付けた枝が伸びている。地色は先のサクラ染紬と同様、宍色。画像を比較しても、ほぼ共の色(同じ色)である。
模様の配色は、白と金、さらに地色とほぼ同色の宍色だけで、帯そのものに色の主張がほとんど見られない。各々の丸紋には、僅かに色の差があるものの、決して目立つものではない。
何とは特定できない花をデザイン化した模様。花菱や放射状に開いた花弁、星を模った輪郭など、モダンな印象が残る。
この帯には、インパクトが無いといえばそれまでだが、色彩に変化がないからこそ、一つ一つの織模様が浮かび上がってくる。平安期の貴族装束は、男性の束帯にしても、女性の十二単にしても、単色の織物であった。そのため、いかに織りの模様を工夫するかが、お洒落の重要なポイントでもあったのだ。
この時代に生まれた、有職(ゆうそく)文には、そんな背景がある。この帯も、色合いを限りなく落とし、織模様だけを強調した、有職文的な見え方を意図したもののように思える。
では、この宍色同士の組み合わせはどうなるのか、見てみよう。
こうして並べて見ると、双方の色の重なり具合がよく判る。ほぼ同化していると言えるのではないか。これならば、着姿から受ける印象は、ふんわりと柔らかい宍色に限定されるだろう。
前の合わせを見ると、なお色の差が無いことが判る。キモノが単純な横段だけに、たとえ同色であっても、帯の織模様は生きてくる。キモノ・帯それぞれに春の演出をほどこすのではなく、全体から受ける色の印象で、見る者に今の季節=旬を感じさせる。そんな意図は、達成出来ているように思える。
小物には、少し濃いピンク色(撫子色と桃色の中間色)を使うが、あまりきつい色になったら、この共色合わせの雰囲気を壊してしまう。だが、帯〆や帯揚げまでもが、同様の宍色では、着姿が平板になってしまう。
キモノや帯に対し、少しだけ差の付いたほんのりした色の小物を使うことで、なお春らしさが強調できる。この「ほんのちょっとの色気」が、実は大切ではないかと思う。(ゆるぎ帯〆・飛び絞り帯揚げ、ともに加藤萬)
二回にわたって、着姿全体をサクラ色で染める「サクラ・オールインワン」の組み合わせを試してみたが、如何だっただろうか。
毎年今の季節になると、色でも文様でも、サクラに関わる品物を題材に取り上げたくなる。日本人の誰もが好むサクラだからこそ、その着姿は目に止まり、印象深くなる。皆様も、自分らしい「サクラ姿」を演出して、ぜひ楽しんで頂きたい。
なお、今月のコーディネートでは、オールインワンではなく、キモノと帯それぞれの色と模様に、春姿を映し出すような品物を選び、ご紹介しようと考えている。「サクラばかりがテーマになること」を、サクラ開花に免じてお許し頂きたい。
最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度どうぞ。
「鬼の霍乱(かくらん)」とは、強くて丈夫な人が、珍しく病気になることですが、バイク呉服屋は、まさにこれに当たるのでしょう。
先日、インフル検査のために出掛けた近所の医院には、前回通った時の記録が残っていて、実に9年ぶりに熱を出したことが判りました。寒風の中、バイクで走っても何ともなかったのに、東京の電車や人ごみでは、あっけなくウイルスを引きこむ。人から人への感染力の強さは、やはり凄いですね。
私だけでは、まだ良かったのですが、家内にもしっかりとうつってしまい、夫婦で寝込む羽目になってしまいました。幸い、奥さんは予防注射を受けていたので、高熱を出さずに済みましたが。
せめてもの罪ほろぼしに、連れ立って少し遠くのサクラでも見に行きますかね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。