あけましておめでとうございます。
例年通り、年末年始の休みを長く頂きましたので、バイク呉服屋は、今日が仕事始めとなります。予定では、明日まで休むつもりでおりましたが、年末に持越しをした直し依頼の品物が、畳の上に山と積まれており、これを連休明けには方々の職人さんに発送しなければならず、一日早く仕事を始めることに致しました。
このブログも、6年目を迎えた訳ですが、最初の頃のように、月に10回以上の稿を起こすことなど今はとても難しく、皆様にお伝えする情報の量は、当初よりかなり減ってきました。これはもちろん、このところの仕事の忙しさもありますが、私の体力的な要因が大きいように思います。
以前ならば、店を閉めた後、深夜に及ぶまで記事を書いても、疲れを感じなかったのですが、今は10時過ぎまで仕事場にいると、頭が廻らなくなってきます。従って必然的に、モノを書くスピードが鈍り、よって更新する回数が少なくなるという訳です。
このブログの大きな特徴は、「一つのテーマで、一回読みきり」。となれば当然、読者の方々に判りやすく、一つの記事の起承転結を明示しなければなりませんが、この文章を組み立てる力が、最近とみに衰えてきたようにも思えます。
世間では盛んに、「働き方改革」が叫ばれていますが、バイク呉服屋のような個人経営では、自分で決めて自分で実行する以外に、方策はありません。今年は、出来るだけ無理なく、このブログを持続することを念頭に置きながら、これまで同様、皆様に様々な観点からお話をさせて頂きたく思います。
どうぞ本年も、よろしくお付き合い下さるよう、お願い致します。
新しい年のウインド。とするつもりで10月中旬に撮影しておいた画像だが、右端に見える白地・雪輪に千両模様の帯が、この後売れてしまったので、今日は由水十久の黒留袖が入っている。
こちらは、今日の店内。振袖を一枚も飾っていない呉服屋は珍しい、とよく言われる。
さて、年の初めなので、何か改まったことをお話しなければならないところだが、毎年、経営的な数字の目標を持たず、淡々と自分らしい商いを貫ければそれで良しとするという、きわめて曖昧な仕事やり方なので、新しい年を迎えても、特別な抱負など何も無い。
だが自分のポリシーを貫いて、呉服屋を続けることが、いつまで出来るのか。このことについては、年を追うごとに不安が増している気がする。今まで当たり前のように出来ていたことが、いつかは出来なくなるのではないか、そんな懸念である。
毎年、店を開ける前に、職人の所へ挨拶に出掛ける。今年も人間ドックを済ませた4日の夕方、東京入谷の補正職人・ぬりやのおやじさんの仕事場と、人形町の洗張職人・太田屋加藤くんの家を訪ねた。
日頃、難しい直しモノを相談する時以外は、ほとんど電話で要件を済ませ、顔を合わせることが少ないので、新しい年が始まる時くらいは、会っておきたい。そこには当然、「今年も面倒をかけますが、よろしく」という気持ちがある。もちろん、ぬりやさんや加藤くんばかりでなく、紋章師の西さんや仕立を依頼している三人の和裁士さんに対しても同様だ。
信頼出来る加工の職人さんがいるからこそ、「良質の品物を長く使う」ことを念頭に置いて仕事が出来る。この職人さん達こそが、バイク呉服屋の仕事の生命線なのである。
ぬりやのおやじさんは、昭和18年生まれなので、今年75歳になる。最近、馴染みの店で、このブログを読んだ人から声を掛けられたそうだ。この人とは、以前から店で何度も会っていて、旧知の間柄だったそうだが、ぬりやさんがどんな仕事をしているのか知らなかったらしい。それが何かのきっかけで、私の稿を読み、「染色補正士」とはどんな職業なのかを知ったのだ。
ぬりやさんの仕事の稿は、もう5年以上も前に書いたものであり、おやじさんにはその時、ブログに掲載する旨も伝えてあったはずだが、今頃になって、ようやく「世間に自分が紹介されていたこと」に気付いたようだ。
一昨日も、「いや~、こんな詳しく書いてあって、びっくりしたわ」などと話す。どうやらブログを読んだ方が、私の稿をコピーして、おやじさんに手渡したらしい。「私は電気関係のことなど、何もわからないからね」と言うおやじさんに対して、「私も電気のことなど何も判らないですよ」と話すと、「松木さんは、あれだけの話が書けるのだから、電気には強いに違いない」と譲らない。
おやじさんにとって、コンピューター=電気(電気で動くモノという意味か?)であり、その電気上で紹介記事を書くバイク呉服屋は、「電気に強い」ということになるのだ。私は、ブログがどのようなしくみで成立しているのか、おやじさんに説明することは至難として諦め、とりあえず「私は電気に強い」ということにさせて頂いた。
おやじさんは、「電気には弱い」かもしれないが、しみ汚れやヤケにはかなり強い人だ。先ほどの知人の方も、「染色補正士」が国家資格であり、しかも等級があることに、大変驚いたそうである。この1級資格を取得してから、すでに半世紀あまり、この仕事一筋に生きてきた。今まで扱った品物は、一体どれほどあるだろう。
着用後の品物を点検、手直しすることで、安心して箪笥に仕舞っておけるようにする。また、長く使われず、不具合が出来たモノを再生し、新たに着用の場を与える。全ての仕事が、まず第一に着用する方のことを慮り、出来るだけ良い常態で長く使えるようにする施しである。着る方に対しても、品物に対しても、誠意を持って向き合う。この姿勢こそが、おやじさんの真骨頂と言える。
おやじさんは、まだまだ元気で、仕事に対する気力も十分あり、もちろん技術の衰えなどは微塵も感じさせない。だが、10年先は、どうか。無論、変わらずに仕事を続けてくれているなら、それが一番だが、そうも行かなくなる時がいつか来るかも知れない。
問題は、おやじさんの後を継ぐような、優れた染色補正士が育っていないことだ。信頼出来る職人を探すことは、年を追えば追うほど、困難になることは、誰の目にも明らかだろう。そして補正ばかりでなく、呉服に関わる職人の仕事全てで、後継者を探すことが難しい。
一昨日、洗張職人の加藤くんと会った時にも、やはり深刻な職人不足の話が出た。洗張りを終えた品物は、最後に湯のしをして経緯糸を均等にし、巾を整えなければならないが、その湯のし職人がいずれ探せなくなるだろうと言う。無論、洗張屋自身が湯のしの機械を購入し、自分で仕事を請け負うことは難しく、そもそもそんな技術は持っていない。
だから、専門の湯のし職人に任せる他は無いのだが、職人の年齢が高く、廃業する人が相次いでいる。そして押しなべて、子どもは後を継いでおらず、機械は残っていたとしても、その技術を継ぐ者がいない。分業で成り立っている加工の現場では、それぞれの仕事を受け持つ職人の仕事の間でも、この後継者問題が影響を及ぼして始めている。
世間では今、AI(人口知能)による仕事の大変革が始まると叫ばれている。だが、おいそれと仕事の内容を変える事が出来ない伝統産業の現場では、AIも何も関係ない。しみぬきや色ハキが出来るロボットなど、出来るはずは無いだろう。また、自動洗張り機や、自動色染め機など、出来たとしても限定的な需要を考えれば、採算が取れるはずもなく、開発は断念されるに違いない。そして、いかに機械(ミシン)による一括縫製・海外縫製が仕立の主軸になろうとも、手縫いを求めるお客様がいなくなることはあり得ない。
ぬりやのおやじさんではないが、民族衣装を司る呉服の現場は、「ロボットにとっては弱い業界」であり、裏返せば「人の智恵や経験に基づく技術が、どうしても必要な業界」なのだ。
私が呉服屋として仕事が出来るのも、年齢的に10年から先は知れたものだろう。その間に、職人が枯渇するか否か、それはわからない。だが今すでに、危機的な状況を迎えつつあることに、間違いはあるまい。
直すことが出来ない故に、キモノや帯は借りて使うモノとしか認識されなくなったり、また使い捨てても良いような安易なモノしか作られなくなったとすれば、その時は民族衣装の終焉であろう。新しい年にあたり、そんな未来が訪れて来ないことだけを、切に願いたいと思う。
フォーマルでもカジュアルでも、きちんと人の手が入っている品物は、長く使うことを前提として、丁寧に作られています。それはこれまで、着用ごとに手を入れて汚れを落としたり、着用する人が変わるごとに寸法を直したりしながら、時には世代を越えて、使い続けられてきました。
多くの方からは、「キモノや帯には他のモノとは違う、特別な思い入れがある」と聞きます。しかし、「手を入れる仕事」を請け負う職人がいなくなれば、品物を受け継ぐことはどうしても困難になります。
私は、本来日本人には、「モノをいとおしむ心」が備わっていると信じていますが、民族衣装たる和装だからこそ、より多くの人に喚起されるのではないかと思います。大切なモノを大切のモノとして、いつまでも残したい。そんな人々の思いを果たすために存在する職人さんについて、今年も多くの話が出来たらと考えています。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。