毎年、11月も半ばを過ぎると、そろそろクリスマスのことが気になりだす。すでに街では、イルミネーションが煌き、赤と緑のクリスマスカラーが、目立っている。この、年末最大のイベントほど、人それぞれの状況で、過ごし方が変わるような「年中行事」は、無い。
子どもを持つ家庭では、渡すプレゼントに悩み、若いカップルなら、浮き立つような気持ちで、プランを立てるだろう。もっとも、バイク呉服屋のように、子どもが独立してしまったような夫婦ならば、クリスマスそのものに、高揚感は無い。もし孫でもいれば、何がしかのプレゼントでも求めるだろうが、それもまだだ。ここ数年は、ケーキさえ買わない年が続いている。
こう考えると、このイベントをお祭りと受け止めるのは、ある年齢から下の人達と思われる。特に独身者にとっては、一緒に過ごす相手の有無で、かなりモチベーションが変わる。だが最近では、カップルでなくとも、皆で楽しむイベントの一つとして位置づけている人も多い。気の合う友人だけが集まる女子会なども、大変盛んだそうだ。
バブル全盛の頃には、半年も前から、眺めの良いホテルの部屋や雰囲気の良いレストランを予約することが、当たり前であったり、若いカップルが、貴金属店に列をなして並ぶ光景も見られた。だが、平成不況後に生まれた今の若者達には、そんな身の丈に合わない贅沢は、考えもせず、それを良しとはしない。この20年の社会の変容は、若者の懐を堅実にし、消費動向を変えた。
本来のキリスト教徒のクリスマスは、教会で礼拝をし、その後家族で過ごすもの。キリスト教にも、プロテスタントやカトリック、聖公会など宗派は色々あるが、少しの違いはあっても、信仰する家族にとって、イエスキリストの生誕を祝うのと同時に、日頃神から受けている寵愛を感謝し、家族でその愛をわかち合う、大切な日でもある。
これを、宗教に寛容(いい加減)な日本人が、イベントとしてアレンジしてしまった。もっとも、初詣にしろ盆帰りにしろ、似たようなもので、神道だろうが仏教だろうが、年中行事化されている点では、同じだ。
文化庁が発行した昨年度の宗教年鑑を見ると、日本の宗教の信者数は、神道系が約8871万人(47%)、仏教系が約8952万人(47.4%)、キリスト教系が約192万8千人(1%)。全部足すと1億8千万人となり、実人口の50%増しにもなる。
これは、神社の周辺に住む人を全て「氏子」としたり、初詣の参拝客を全て「信者」としたり、寺と縁が無くなっていても、何代か前に属していた家ならば、「檀家」としてしまうなど、信者認定の方法が極めて大雑把だから、こんな数が出てしまう。
その点、キリスト教における信者のカウントは厳格であり、教会へ通っていても洗礼を受けなければ認定されなかったり、教会との連絡が取れなくなると、信者であることを取り消されたりする。
日本には、僅か1%しかいないキリスト教徒の重要な日・クリスマスを、他宗教の信者達、あるいは無宗教の者がこぞって、お祭りにしてしまう。こんな珍現象は、他の国ではあまり見られず、理解されないかも知れない。ただ、日本固有の宗教・神道には、「自然万物の中には、どんなものにも神が宿っている」=「八百万神(やおよろずのかみ)」の思想があり、それが日本人の心の中に根付いているからこそ、どの宗教をも寛容に捉えられるように思われる。
多くの戦争は、互いの国の宗教に不寛容だから起きる。それを考えると、日本人ならではのこんな宗教観は、決して悪いことではない。しからば、ここはイベントと割り切って、大いに楽しむのも良いではないか。
という訳で、今月のコーディネートは、クリスマス模様の帯で、少し気の早い街歩きを楽しめるものを御紹介することにしよう。蛇足だが、コーディネーターのバイク呉服屋には、信仰心がほとんど無い。
(苺色地 雪輪に雪華文様 クリスマスカラー 八寸織名古屋帯・帯屋捨松)
色相環の中で対極にある色は、互いを補い、引き立てあう効果をもたらす「補色」の関係にある。赤と緑のクリスマスカラーは、補色の中でもっともインパクトがあり、目立つことこの上ない。
地色や模様の配色の中で、赤と緑を大胆に使う帯やキモノには、普段ほとんどお目にかからない。薄色同士ならまだしも、これほどビビッドな濃さだと、色がぶつかり合い収拾が付かなくなるのが普通だ。けれども、クリスマスをイメージした模様にあしらうと、何の違和感もなく、むしろこの二つの色を使う以外には、考えられなくなる。
サンタクロースの赤。クリスマスツリーの緑、そして雪の白。一般的にはこの三色が、クリスマスカラー。もちろんそれぞれの色には、キリスト教としての意味合いを含む。赤は、キリストが贖罪を受けるために、十字架で流した血であり、神の愛を表わす色。緑は、永遠の命を映し出す色。だからツリーには、枯れることのない常緑樹・モミの木や柊を使う。白には、穢れのない純潔さや清らかな心が表される。
では、クリスマスを彩る色と模様を、帯でどのように表現するか、ご覧頂こう。
地色を苺色としたが、実は少しピンクを含んだ「蛍光的な赤」。この色は、キモノや帯ではあまり見られない、非日本的な西洋感覚のもの。つまり、洋服感覚の色であろう。
模様は、雪輪と雪華、霰。自然現象である雪が文様化されたのは、桃山期から。それ以前は、雪が降り積もる風景を写実的に描いた、いわば雪景色模様であり、図案化はされていなかった。それが、松や笹など樹木・植物に雪が被さったものを「雪持文」として文様化する。そこから、雪を独立させて表現したのが、「雪輪文」である。
雪輪の基本形は円で、その円周に付けた凹凸は、積もった雪の嵩を表現している。この帯で織り出されている雪輪も、画像で判るように、図案によって凹凸に差がある。
あまりくびれがなく円に近いもの、なだらかに凹凸があるもの、一番右に見える大きな雪輪は、円に切り込みを入れて、極端に凹凸を強調している。こうしてみると、一口に雪輪文と言っても、微妙な違いがあることが判る。このように同じ形ではなく、異なる雪輪を混ぜると、帯図案としてはメリハリが付く。
雪輪文と同様に、雪華文も、幾つかの異なる図案で表現されている。雪の結晶した姿が文様化されたのは、江戸後期から。そして、この文様がバラエティに富んだ姿でデザイン化されたことには、ある書物の存在があった。
江戸末期に近い1832(天保3)年、下総(現在の茨城県)古河藩の4代目当主・土井利位(どい としつら)は、雪結晶の観察書・雪華図説を刊行する。この本は、オランダ輸入の顕微鏡で結晶を観察し、それを86種類もの形に分けてスケッチしたもので、いわば「雪のデザインブック」であった。
この本は、雪華という文様を考える上で、大変貴重な資料となり、以後多種多様な雪華文が表現される契機となった。現在、雪華図説は、国立科学博物館に常設展示されているが、一つ一つの雪結晶をこれほど個性的にデザインした「雪の殿様・土井利位」の観察力には、驚くべきものがある。
この帯は、今年の春に捨松を訪ねた際に、帯見本布・メザシの中で見つけて、別織をお願いした品物。この時、帯屋捨松の木村博之社長から、見本布の中で気に入った図案があれば、秋までには織り上げて納品出来るとのお話を頂いたので、完成品ではなく、見本布から三枚の図案を選び、製織を依頼した。
今日御紹介している帯図案には、もう一つ配色の違うものがあった。これは赤と緑のクリスマスカラーだが、もう一方は白と水色で「雪らしさ」を強調したもの。どちらにするのか、かなり迷ったが、クセの強いクリスマスバージョンの方を選んでみた。
仕入れる時には、無難な方を選ぶか、冒険してみるかで、いつも迷う。最近は、どちらかと言えば、冒険心の方が勝っているかもしれない。この帯が、9月に織り上がって店に届いた時には、「果たして売れるかどうか」と不安になっていたが、あっという間に求めるお客様が現われて、バイク呉服屋の心配は杞憂に終わった。
ということで、すでに売れてしまった帯だが、先にコーディネートを考えて画像に残して置いたので、今日はそれをご覧頂こう。
(薄ピンク色 ねじり梅絣模様 米沢琉球絣紬・米沢 粟野商事)
地色は、ごく薄いピンクで、柔らかい印象を与える優しい紬。絣模様は、大小のねじり梅が間隔を開けて飛んでいる。この「ねじり梅」は、梅の花弁をひねるように図案化したもので、独特の可愛らしさを持つ。そのため、子どもの祝着用小紋などにも、よくあしらわれる。
製作したのは、米沢の紬メーカー・粟野商事。ここは、卸問屋だが、独自に図案を起こしてモノ作りをする、メーカーとしての役割も持つ。画像に見える「季織苑」は、この絣が粟野のオリジナルな品物であることを示している。
帯に強烈なインパクトがあるため、キモノは模様が密ではなく、どちらかといえばおとなしいものが合う。模様が飛び飛びになった「地空き」の品物や、無地に近いモノ、そしてみじん縞、格子などでも良い。キモノ地色は、この紬のような薄ピンクの他、白地でも良く、また濃茶・深緑のような落ち着いた色にも使える。何しろ、帯に強い主張があるため、一緒に使うキモノ地色は、どんな色でも抑えきってしまう。裏を返せば、この帯を楽しめるキモノの範囲は広い、ということになる。
キモノの優しさと帯の大胆さ。その対比が面白い。前の合わせを見ると、雪華文の主張は強いが、形も模様も多様で、平板にはなっていない。間を埋めている小さい丸の霰があることで、図案のバランスが取れているように思う。では、どんな小物を合わせれば良いか、試してみよう。
(ターコイズグリーン ゆるぎ帯〆・今河織物 濃緑色 ちりめん帯揚げ・加藤萬)
濃厚な帯色を抑える帯〆の色は、ビビッドな緑色より他に考えられない。また単に緑と言っても、古典的な色では駄目で、蛍光的で、ある意味洋服的な感覚が求められる。使用した帯〆は、木屋太・今河織物の若い奥さんが作っている、青緑色・ターコイズグリーン。
クリスマス帯には、小物にもクリスマスカラーのひと色を使うと、決まる気がする。帯揚げは、帯〆の色から少し抑えた濃緑。これも他の色を混ぜない緑ひと色の方が、まとまりが付く。
話が長くなっているので、もう一つのコーディネートは、簡単に御紹介する。
(サンタクロース・雪輪雪華文 リバーシブル紬半巾帯・西陣 芳彩織)
こちらはリアル・クリスマスとも言うべき、トナカイの引くソリに乗るサンタクロースの模様。ただ、裏バージョンとして、雪輪と雪華文様があり、クリスマス限定にはなっていない。リバーシブルに使える半巾帯の特徴を、より生かした工夫が見られる。
(鉄紺色 十字蚊絣模様 米沢琉球絣紬・長井 渡源織物)
先ほどのねじり梅絣同様、こちらも米琉絣。同じ米琉でも、かなり雰囲気が違う絣。製織したのは、長井紬織元のうちの一軒・渡源織物。地色は黒に近い深い紺で、絣は十字蚊絣。キモノだけを見れば、古典的で地味な印象を持つだろう。これに「サンタクロース半巾帯」を合わせるとどうなるか、試してみよう。
キモノ地色の暗さを夜の闇に、そして十字蚊絣を雪に見立て、その中をサンタクロースを乗せた橇が走る。そんな意味でこのコーディネートを考えたのだが、どうだろうか。もしかしたら、バイク呉服屋の妄想が過ぎるのかも知れないが。
今月のコーディネートは、季節を先取りして、クリスマスを意識した帯合わせを御紹介してみた。聖夜まであとひと月。街はもうクリスマス気分を、あちこちに漂わせている。皆様もぜひ一度、クリスマス帯で、師走の街歩きを楽しんで頂きたいように思う。最後に、もう一度品物をご覧頂こう。
バイク呉服屋は、学生時代の一時期、三浦綾子の小説を愛読していました。きっかけは、当時付き合っていた女の子から勧められたという、極めて単純なものです。
朝日新聞社の懸賞小説として入選したデビュー作品・氷点を皮切りに、塩狩峠、天北原野、泥流地帯、銃口、道ありき、ひつじが丘、海嶺、積木の箱等々、おそらく作品のほとんどを読破しているはずです。旭川市在住の三浦さんが描く小説の舞台は、多くが北海道。当時北海道を行き来していた私には、清冽な描写がとても魅力的でした。
けれども、三浦文学の本質はキリスト教。「汝の敵を愛せよ」は、新約聖書・マタイの福音書とルカの福音書に、その記述が見えます。小説には、原罪と許しという二つのテーマが貫かれています。彼女が小説に込めたものは、「信仰を持って、どのように人は生きるか」ということに尽きるでしょう。
俗っぽい私ですが、読み続けているうちに、キリスト教的な考え方には、少し傾倒しました。デビュー作品・氷点の中に、「一生を終えて後に残るものは、我々が集めたものではなく、我々が与えたものである」という一節があります。今でもこの言葉は、箴言のように思えます。
今年の冬は、しばらくぶりに、三浦さんの本の扉を開いてみましょうか。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。