バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

呉服屋は、どのように職人と向き合っているのか  補正職人編

2017.01 19

ヨーロッパでは、職人の社会的地位が高い。例えばドイツでは、「マイスター」の称号を持つ者が、人々から尊敬の眼差しを受ける。職人それぞれの仕事の中で発揮される技術を、誰もが認め、正しく評価される。

このような社会の環境があるからこそ、職人を目指す若者が多い。彼らは、手に職を付け、その道で生きるという、はっきりとした目標を持ち、人生設計をしている。日本のように、親も子も「とにかくまず大学へ」などという、あいまいで狭い将来への道筋のつけ方とは、対照的である。

各々の国の社会が、「職人の仕事」というものを、どのように見ているかということが、子どもの教育環境を変える。そして、それは培われた技の継承が、次世代に繋ぐことが出来るか否かという問題にも、大きく影響する。

 

ドイツで職人を志す者は、まず親方のところへ徒弟・見習いとして入り、そこで基礎的な技術を覚えながら、初級の職業学校に通う。また、Walz(ワルツ)と言って、一年間各地の工房を放浪しながら、技術を身に付けていく制度もある。この放浪修行中には、親の不幸でもない限り、自分の故郷から半径50k以内には入ることは許さないという、厳格な掟がある。これは、職人として生きる意志が、どれほど強いものなのかを、試しているものだろう。

ある程度仕事を覚えると、熟練した技術が身に付いたか否かを判断する試験を受ける。そして熟練工となると、ファッハシューレという高等職業学校に進み、さらに専門的な知識と技術を磨いた上で、マイスター試験に臨む。ここで合格して初めて、職人として高い評価が受けられる。

欧州諸国には、フレームワークと呼ばれる、レベル別に分けた公式な学位や資格認定制度がある。ドイツのフレームワークは8段階に分かれており、マイスターは、上から三番目・レベル6に位置し、これは大学卒業者・学士と同じレベル。つまり、それだけ社会的な評価が高いのだ。

 

日本にも、マイスター試験のような、国家による資格認定制度がある。それが、「技能検定」である。社団法人・全国技能士連合会では、検定特級・1級試験合格者で、20年以上の実務経験のある技術者は、「全技連マイスター」という称号を与え、差別化を図っている。厚生労働省が表彰する「現代の名工」とは、その中でも、特別優れた腕を持つ職人のことだ。

もちろん、呉服屋の仕事を請け負う職人にも、国による技能検定はある。キモノや帯を仕立てる和裁職人には、和裁士技能試験があり、1級から3級まで技術により等級が分かれる。そして、しみや汚れを落としたり、ヤケやカビを直す手直しの職人=補正職人にも同様の技能試験があり、等級は1級と2級がある。

今日は、キモノや帯を長く使うためには、どうしても欠かすことは出来ない補正職人と、日々の仕事の中でどのように向き合っているのか、お話してみよう。

 

色ヤケした地色を、元の色に補正する「補正職人」のぬりやのおやじさん

このブログを書き始めた頃、ぬりやさんの仕事場へお邪魔して、その仕事ぶりをご紹介したことがあった。あれからもう4年が経ち、おやじさんさんも70歳を越えた。今年の正月明けに、東京の下町・下谷のお宅へ挨拶に伺った際、おやじさんはたまたま不在だったが、奥さまから「もう少し頑張らせますので、今年も仕事をよろしくお願いします」との言葉を頂いた。

1級補正士として資格を得てから、すでに40年以上。ありとあらゆる経験を積んだこんな職人さんは、これから探そうにも探すことは出来ない。そして仕事を通して培った信頼関係は、簡単に築けるものではない。請け負う側も、依頼する側も、お互い気持ちを通じ合わせていなければ、良い結果は生まれない。私としては、おやじさんに一日でも長く仕事を続けて頂かないと、大変な事態となってしまう。

 

しみぬき・補正の職人は、品物にとって最後の拠り所となる職人だ。食べ物や化粧の汚れ、カビによる変色、地色そのもののヤケ変化など、着用の際や保管の間に出来た不具合を、元の通りに直す。これは、次の着用に備えるための役割を果たす仕事だ。

補正職人の仕事の成否は、品物の将来に大きな関わりを持つ。もし、しみや変色が修復不可能な場合は、その品物は使い難くなり、場合によっては着用不能となる。反面、どんな古いモノであっても、上手く直せたときには、品物が新たに生まれ変わり、再生されたことになる。思いがけず、母親の残したキモノが着用できるようになるということも、よくある。

 

ぬりやさんが1級補正技能士である証。横の看板は、染色補正士の組合「全国染色補正連合会」の会員証。

仕事を上手く進めるためにもっとも大切なのは、呉服屋と職人の間で、円滑に意思の疎通が図られていること。これは、仕立てを依頼する和裁職人との関係と同じだ。

中でも、品物の状態に関するお客様からの情報の共有は、最も重要なこと。この時の情報とは、不具合に結びつく原因である。例えば、酒をこぼしたしみとか、雨のしずくが付いたしみとか、口紅を落とした汚れだとか、お客様が認識している汚れの原因を聞き、それをそのまま職人に伝える。

また、カビを疑うようなものや古い汚れは、お客様が保管されていた場所や、使われなかった期間なども、呉服屋が聞いておくべき情報であり、やはりその様子も伝えておかなければならない。

依頼者である消費者は、実際に品物に手を入れる職人と、会うことはない。中を取り持つ呉服屋の仕事は、情報をきちんと聞いて、正しく伝えることである。これが出来ているのと、出来ていないのとでは、手を入れる職人の仕事の段取りが大きく異なる。

 

おやじさんの大好きな、オードリー・ヘプバーンのポスターの横に置かれた電熱器。その上のフラスコの蒸気で、汚れた箇所を水洗いした後の水気を抜く。

職人との関わり方で、もう一つ大切なのは、工賃である。職人が請求する費用は、汚れの程度や仕事の手間のかかり方で、違いがある。簡単に直る汚れは安く、難しい補正は、高くなる。当然といえば、当然だが、お客様からは、依頼される際にどれくらい費用が掛かるかを、よく聞かれる。

しかし有難いことに、ぬりやさんは、請け負う仕事に対して、掛かる費用の上限を決めてくれている。どれほど、難しい補正でも、一定額以上は請求してこない。本来ならば、手間に応じて金額は上がっていくのが当たり前なのだが、それをしないのだ。

つまりは、職人さんからの請求額の上限が決まっていることで、呉服屋側がお客様に支払っていただく工賃の上限も、おのづと決まってくることになる。もちろん、簡単に直る汚れは工賃も安くなっていて、仕事に応じたものになっている。これは、依頼する消費者に、出来る限り負担をがかからないようにとの、職人さんの気持ちの表れである。

そんな時に、間を取り持つ呉服屋が、必要以上に「手間賃」を上乗せすることがあってはならない。おやじさんの気持ちをないがしろにするような行為は、信頼を裏切ることになる。

 

色ハキのために溶いた染料は、引き出しの中に仕舞う。机の上には、しみぬきや色ハキ、地直しに使う溶剤や筆、刷毛が所狭しと置いてある。

そして、おやじさんは補正を試みて、自分の技術では直らないと判断すると、それ以上手を付けない。そして工賃も請求しない。消費者の依頼に十分に答えることが出来なければ、お金を頂く訳にはいかないと考えている。

当然、職人が請求してこないものを、私の方でお客様に請求する訳には、いかない。つまりおやじさんが、自分の仕事に納得がいかないものは、お客様の支払いが発生しないことになる。

 

昨年の暮れ、そんなおやじさんの心意気を感じたことがあった。それは、ブログでバイク呉服屋を知った、若いお嬢さんからの依頼に際してのこと。

その方は、趣味で刺繍を嗜む人で、自分で生地に刺繍をした壁掛けを作ったのだが、飾っているうちに生地そのものが、しみや汚れで変色してしまったと言う。自分が時間をかけて作ったものなので、何とか汚れが直らないかとの相談である。キモノや帯の手直しなら判るが、壁掛けの汚れ落としを依頼されたのは、初めてであった。

 

とりあえず、職人さんに送ることを約束し、品物を置いていってもらった。壁掛けになっているので、台に生地が貼り付けてあり、キモノを直すような訳にはいかないと思えたのだが、とにかくぬりやさんに試してもらおうと考え、送ってみた。

手直しして戻ってきたものを見ると、送った二枚の壁掛けのうち、一枚はかなり状態が良くなったが、もう一つの方は、変色が直りきってはいない。それなりに直した甲斐はあり、見た目も良くなっているというのに、請求は無しである。

おやじさんが、かなりの時間を割いて、手を入れたことに間違いないが、自分で結果に満足できないために、工賃がゼロなのだ。品物が戻ったことを知らせて、引き取りにきた女の子に費用が掛かっていないことを話すと、それは困ると言う。

職人さんが請求していない旨をお話して、ようやく納得して頂いた。若い方にも、今を生きる職人の心意気を感じて頂ける、そんなエピソードになった。余談だが、せめてものお礼にと彼女から頂いたものが、お菓子と年末ジャンボ宝くじ3枚。私も、彼女からつかぬ間の夢を頂戴した。

 

半世紀にわたり、補正職人として生きている塗矢さん。呉服業界の良い時も、悪い時も、淡々と仕事をこなし続けてきた。彼の手で甦った品物は、どれほどあるだろう。

高校卒業後、一度経理の仕事に就いた後、職人の道を志したおやじさん。神田の職人の下へ弟子入りし、7年ほど修行を積んだ後、独立した。住み込み修行の生活は、食事と寝る所はあっても、貰う賃金は風呂代くらいのものだったらしい。

ぬりやのおやじさんは、厳しい徒弟制度を経験した、最後の職人世代の中のお一人であろう。これからの日本社会では、一体どのように、技術を繋ぐ職人を育てていくのだろうか。その見通しは、全く立っていない。

次回は、洗張り職人との向き合い方について、稿を進めることにしたい。なお、ぬりやさんの仕事ぶりについては、2013.6.30と7.12、さらに7.26の三回の稿でご紹介している。もしよろしければ、そちらもお読み頂きたい。

 

それぞれの国で、未来の職人を育てていくためには、技術を持つ人間は、誰からも尊敬され、大切にされるような社会であることが、どうしても必要です。

欧州には、人を育てるための、系統立った教育システムがあります。ドイツを発祥とする「デュアルシステム」は、職域(現場)と学校で交互に技術を学ぶしくみになっており、それが他のヨーロッパの国々に広まって、現在実践されています。やはりこんな制度は、「職人は国の宝である」という国民の意識があるからこそ、生まれたものなのでしょう。

 

今の日本に必要なことは、若者が誇りを持って、職人の道に進むことが出来るような社会にすること。それはこの国の未来で、人の手による仕事がどれだけ尊重されるのかということと、背中合わせではないのかと思います。

この先、職人への道が、希望への道であることを、願わずにはおられません。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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