「サクラサク」。「サクラチル」。文面がたった五文字のこんな電報のことを知る方は、もう50歳以上かもしれない。
現在、大学入試の合否発表は、当日、学内に掲示されるのと同時に、それぞれの大学のWEB上で判るようになっている。つまり、本人が大学へ行かなくとも、結果を知ることが出来る。遠方から受験した者にしてみれば、大変有難い時代になったものである。
バイク呉服屋が受験生だったのは、70年代の後半。東京での試験日の当日、大学の校門近くには、電報屋が机を並べていた。電報を請け負っていたのは、電電公社(NTTとして民営化される以前の公社)の社員ではなく、その大学の学生である。
彼等は、合格発表を見に来られない地方出身者のために、当日掲示板を見て合否の確認をし、電報を打つ。もちろん大学当局が公認したものではなく、当時の学生が自分達で考えたアルバイトであった。学校内には、電報に関する責任は持たないとの、張り紙がされていたのを覚えている。
一般的な電文は、合格ならサクラサク、不合格ならサクラチル。けれども、大学によっては、かなりユニークなものがあった。いくつか御紹介してみよう。
「エルムハマネク・合格 ツガルカイキョウナミタカシ・不合格」(北海道大) 「クジラシオフク・合格 リョウマノメニナミダ・不合格」(高知大) 「イセエビタイリョウ・合格 イセワンニテザショウ・不合格」(三重大)
地方色豊かな表現が並んでいるが、合否電報であることを知らなければ、何のことやら意味不明である。三重大の電文に至っては、伊勢海老を獲りに出た漁師が、漁協へ宛てて打った電報と間違えそうである。
今となっては、絶滅してしまったこんな合否電報だが、昭和時代の受験生達には、懐かしくもあり、ほろ苦い思い出もある。地方出身者にとって、「サクラサク」の電報は、都会へのパスポートでもあった。
前編では、桜の花そのものを意識したコーディネートをご覧頂いたが、今日は「サクラの色」に関わるキモノを選び、それにふさわしい染帯を合わせてみよう。
(サクラ染め 格子模様・米沢紬 内田万理子 ツクシ模様・塩瀬染名古屋帯)
多くの人が、ピンク系の色に春を感じるのは、桜の色を思い起こすからだろう。その意味で、前回の紅花紬は、まさしく春を印象付けるキモノだが、その縞模様に配色されていたピンクの色は、本来の桜の色とは少し違う。
一概にピンク色といっても、色相は多様である。植物に例えても、桜と桃と撫子では、微妙に色が異なる。また、桜だけを考えても、種類ごとに違いがあり、咲き始めと散り際では色が変化する。
平安貴族は、桜の花を愛でるようになると、サクラの色をも好むようになった。源氏物語の中には、光源氏が桜色の直衣をまとった姿が描かれているが、この衣は、表の白い絹に赤い裏地を重ねることにより、桜の色を感じさせていたのである。
この時代、桜系の色を染める時に使われていたのが、紅花や蘇芳。これらの植物染料の配合を変え、調節することにより、多様な桜の色を演出させていたのだ。つまりは、イメージした桜の色を、染め手の方で作り出していたことになる。
では、リアルな桜の色を作り出すためには、どうしたら良いのか。それは、サクラそのものを使い、染料を作る以外にない。そこで今日は、サクラ100%染料の米沢紬で、ほんとうのサクラ色をご覧頂くことにしよう。
(置賜草木染紬 サクラ100% 米沢 野々花染工房)
野々花工房では、山形県産の紅花だけでなく、様々な草木を全国から集めて染料を抽出している。藍や紫根(しこん)、揚梅(やまもも)、クリ、サフラン等々、その数は20種類以上。草木染の糸を組み合わせ、模様に合う配色を考える。品物は、どれも自然の色がそのまま生かされ、優しい色合いに織り出されている。
サクラは、多色性染料なので、媒染剤を替えることで、様々な色に発色させることが可能だ。アルミ媒染を使うと、ほんのりした桜色や墨桜色、あるいはベージュや生成色を作ることが出来る。また、銅では薄い茶色、鉄であればグレーに発色する。
桜染めに使われるのは、枝である。米沢は雪深い町なので、冬の間に雪の重みで桜の枝が折れてしまう。この「雪折桜」や、剪定した時に切り落とされた枝を使っている。
まず、乾燥させた枝を細かく砕き、水の中に入れて煮沸する。最初のうちは、オレンジ色や黄色っぽい液体が出てくるが、繰り返すうちにピンクの桜色に変化する。そして、この染色液を作るとともに、発色の仲立ちを果たす媒染剤を準備する。
どんな色に染めるかにより、媒染剤が変わってくるのは、前述した通りだが、桜色やベージュ系の色を求める場合には、アルミ媒染ということになる。この品物の地色・ほんのりとしたベージュの中に、僅かに桜を感じさせる色は、それにあたるだろう。
染料として、サクラだけが使われていることを示す証紙。
「そよぐ」とは、風にそよぐ桜の花びらをイメージしたものだろうか。
アルミ媒染剤で一般的なものは、椿の灰汁である。化学剤では、酢酸アルミニウムや塩化アルミニウムなどが使われている。だが野々花工房の桜染めは、桜の枝を燃やした灰汁を使用している。染液・媒染剤ともに、原料は桜100%ということになろうか。
また、この紬の格子を形成している縦横縞のグレー色は、桜灰汁によるアルミ媒染ではなく、鉄媒染による発色かと思えるが、どうなのだろう。反物には、使っている植物材料は記載されているが、媒染剤については、何も書かれていない。色相を見て、勝手に私が推測したもので、本当のところは不明だ。
品物をご覧になって判るように、本当の桜から産み出された色は、あくまでも控えめである。ほんの少しだけ桜を感じさせるこの色は、他の植物染料からでは難しいように思える。それは、桜だけが持つ、やさしい微妙な色だからであろう。
では、この桜染め紬に合わせた、帯を御紹介する。
(白鼠色 ツクシ丸紋 塩瀬染名古屋帯・内田万里子)
サクラ染紬は、明るいベージュに、ほんの少しだけごく薄いピンクを落としたような色調なので、春を感じさせる色ではあるが、秋や冬でも使うことが出来る。もし、この紬で季節感を出すとすれば、帯を工夫する以外にないだろう。
サクラ染であっても、キモノにサクラの模様がある訳ではないので、前回に使ったような、桜図案の帯を合わせても悪くは無いだろうが、ここはあえて桜を外してみよう。
作者の内田万里子さんは、1955(昭和30)年生まれ。バイク呉服屋よりは、少しだけお姉さんなのだが、帯を見てもわかるように、とても愛らしい図案と配色をされる方である。
1979(昭和54)年、東京の工房に入って友禅の基礎を学び、三年後に京都に転じて友禅作家・清水光美氏に師事し、糸目糊置きの手描き友禅作家となる。日本工藝会の準会員であり、日本伝統工芸染織展などにおいて、数多くの入選を果たしている。
白抜きされた丸紋の中で、かわいく図案化されたツクシ。一本一本のツクシは、縞や渦巻き、水玉などで表現され、見ているだけで楽しくなるような帯。また、模様の間に配されている、ツクシ斜線もユニークである。
ツクシはスギナという雑草の子どものような存在で、頭には胞子を乗せ、茎には輪のような葉が付いている。内田さんのイメージは、胞子が水玉で、茎を取り巻く葉は王冠なのだろうか。
途中から折れてしまったツクシも、模様のアクセント。配色も、少し蛍光的な紫色や群青色、エメラルドグリーンなどが多用され、既存の友禅に使う色とは異なる。この現代的で個性的な挿し色が、内田作品の特徴である。
この帯には、春先の浮き立つような気持ちが、よく表れているように思う。これだけ模様を図案化し、思い切った色の使い方をしているのに、なお、季節のイメージが増幅するということは、作家に優れたセンスによる他はない。
さあ、サクラ染の紬とコーディネートしてみよう。
サクラ染紬は、かなり控えめな色なので、薄いグレー地色のこの帯でも、色の差異をある程度出すことは出来る。普通、薄く柔らかい色の品物を組み合わせると、どうしても単調になってしまう。だが、このユニークなツクシ模様のおかげで、春の個性的な街着になっていると思う。
斜線のようなツクシ模様が、この帯のポイントかも知れない。これがあると無しとでは、印象が変わるだろう。茎の節に付いた山吹色が、良いアクセントになっている。
作家は作品の中で、自分が選んだ素材を、出来る限り自分らしく表現しようとする。そんな作家の感性に触れて、共鳴することがなければ、我々は品物を扱うことが出来ず、お客様へ奨めることも出来ない。特にカジュアルモノでは、この傾向が強く表れる。
前の合わせ。一般的に太鼓腹の帯の前模様は、ほぼ真ん中に付けられているのだが、この帯は、ポイントになる二つの図案が、左右にずらされている。模様を強調せず、ふんわりとした印象だけが残る。作り手の意図を感じさせる模様の配置である。
小物を合わせてみた。帯揚は桜色で、帯〆は桜と藤紫の二色使いのもの。あまり強い色を使うと雰囲気が壊れてしまうので、あくまで優しい色で春らしくする。キモノと帯の地色を損ねないことと、蛍光的なツクシの色を際立たせることを考えれば、淡い桜系の色しか思い浮かばなかった。
(帯揚 桜色桜吹雪小紋模様・野沢組紐舗 帯〆 桜と藤紫二色組・龍工房)
三回にわたって御紹介した、サクラのコーディネートは如何だっただろうか。キモノや帯の中で表現されている桜の色や桜の図案。さらに桜そのものから色を染め出したもの。どの品物にも、桜への思い入れを感じることが出来る。
にっぽんの良き花、良き色である「サクラ」を、ぜひ皆様にも楽しんで頂きたい。最後に、今日のコーディネートをもう一度どうぞ。
開花を前にして、少し花冷えのするような日が続いています。とはいえ、4月の入学式までには、毎年散ってしまいます。
この春、見事にサクラを咲かせ、新しい生活を始める若者達には、エールを送りたいと思います。今は、難しい時代ですが、自由に、伸びやかにキャンパスライフを楽しんで欲しいですね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。