岐阜県の最北部、根尾という村に、一本の大きな桜の古木がある。樹齢は1500年以上、植えられたのは467(雄略天皇11)年頃と、言い伝えられている。
愛知県・一宮市の真清田(ますみだ)神社。この社に所縁が深い、土田という家から真清探當證(ますみたんとうしょう)という古文書が見つかっている。その記述によれば、ヤマト王権の皇位継承を巡り、雄略天皇から迫害された大迹王(をほどのおおきみ・26代継体天皇)が、根尾村に隠れ住んだ後、この地を離れる時に桜の木が植えられた。
古事記や日本書紀によれば、継体天皇は、応神天皇の5代後の子孫で、越前(福井県)で育ち、この一帯を支配していたとされているが、何せ謎の多いヤマト王権時代のことゆえ、本当のところはわからない。この継体天皇が、現在の皇室へと続く、最初の天皇という説もあるようだ。
由来はさておき、この桜の木は、高さが16m、枝は東西26m・南北20mにも及ぶ大木。種類はエドヒガンザクラで、その名前の通りに、春のお彼岸の頃に花を咲かせる。ソメイヨシノの開花よりも一週間ほど早いが、この桜は、長寿の種を持つ花としても、知られている。
根尾の桜の別名は、「淡墨桜(うすずみざくら)」。蕾の時には薄いピンク色で、満開時は白、散り際になると淡い墨色に変わる。この淡墨色に特徴があり、それが印象的なために、この名前が付いた。
淡墨桜は、1500年もの古木故に、これまで何度と無く枯死の危機を迎えている。すでに1922(大正11)年には、国の天然記念物として認定されてはいたが、戦後すぐの調査で、3年以内に枯れると判断される。この時は、山桜の若木の根を200本以上接いで、再生に成功する。
最大の危機は、1959(昭和34)年9月に襲来した伊勢湾台風で受けた被害。豪雨と強風により、ほとんどの枝が折られ、無惨な姿となった。村では、修復に尽力したものの、なかなか元の姿に戻すことは出来なかった。
転機が訪れたのは、8年後の1967(昭和42)年。一人の作家が根尾村を訪れ、衰えた淡墨桜を見たことに始まる。その人の名は、宇野千代。小説家としてはもとより、彼女がデザインしたサクラ模様は、「宇野千代ブランド」として、今も健在だ。
誰より桜の花を愛した宇野千代。この朽ち果てようとしている淡墨桜の惨状を、世間に知らしむるべく、「太陽」というグラビア誌に寄稿する。そして、当時の岐阜県知事に書簡を送り、何とかこの桜の保全を善処するように求めた。これが契機となって本格的な保護事業が着手され、今もその美しい姿を見ることが出来るのである。
「桜の作家」として知られる宇野千代らしいエピソードだが、彼女に限らず、桜ほど日本人の心の琴線に触れる花はないだろう。3月末から4月初めという、人生の節目の季節に彩りを添える。人々は時を経ても、花とともに思い出が甦る。
ということで、今月のコーディネートでは、「桜二題」として、桜をテーマにしたキモノと帯の組み合わせを、三回に分けて御紹介していく。なお、最初のコーディネートは、二回の稿に分割させて頂いた。
気軽に春を感じて頂こうと思うので、草木染紬のキモノと染帯を使ってみよう。
(ピンク濃淡縞 米沢紅花草木染紬・塩瀬白地 桜模様染名古屋帯)
赤系統の色を、天然素材で染め出す時に使われる代表的な植物は、茜、蘇芳、紅花。中でも、茜染の歴史は古く、現存する正倉院裂や法隆寺裂にその色を見ることが出来る。染料として使われていたのは、根の部分で、採取した後、三年ほど乾燥させたものを使う。これを水洗いして漬け込んでから、釜で煮沸し、そこで出来た汁を使う。
植物染料には、一つの系統の色しか抽出できない単色性のものと、複数の色を産み出すことの出来る多色性のものがある。この二つでは、色を発色させる工程がまったく違う。茜のような多色性染料の場合、色を染めるためには、その仲立ちを努める金属塩・媒染剤が必要となる。この媒染剤により、発色が違ってくる。
媒染剤には、アルミニウムや鉄を含んだものが多いが、古代茜に使われていたのは、主に木灰の灰汁。木灰とは、生木を燃やして出来た灰だが、中でも、椿の木が使われることが多かった。
古来から追求されてきた色を染める技術とは、どんな媒染剤を用いるかという所に、大きなウエイトが掛けられていたように思える。植物素材それぞれに適合した媒染剤を探しながら、求める色に近づけていく。おそらく、ここに沢山の智恵を傾注したのだろう。
さて、鮮やかな桜の色・ピンク系統色を表現できる草木染といえば、誰もが紅花を思い出す。今日御紹介する品物は、この紅花と幾つかの植物染料を組み合わせて、春色ピンクを演出したもの。化学染料を全く使わず、天然素材100%の置賜・米沢紬である。
(置賜草木染紬 紅花・ラックダイ・たまねぎ・オオバヒルギ 米沢 野々花染工房)
江戸時代、山形県を流れる最上川の流域は、一大紅花栽培の基地であった。紅花から産み出される美しい色は、布を染めるだけでなく、口紅やほお紅としても使われ、当時は大変な貴重品。
摘み取った花は、発酵させた後、餅のように臼の中に入れて杵で突き、これを手で丸めて「干花餅(ほしはなもち)」という形状にする。この花餅を、北前船の寄港地である酒田まで持って行き、そこから京都・大坂方面に運ばれていった。
だが、明治になって安価な化学染料が輸入されるに従い、次第に紅花は市場から淘汰されていく。栽培が復活したのは戦後になってからで、1963(昭和38)年、米沢袴の織屋・新田秀次氏により紅花を染料とする紬が織り出されることになる。
今日の品物を製作した野々花染工房は、現在、新田と並んで米沢を代表している草木染の織屋。当主の諏訪好風氏は5代目であり、息子の豪一氏共々、紅花のみならず、藍・紫根・サフランなど、植物染料にこだわったモノ作りをされている。
濃ピンクと、淡い桜色、それに黄土色や茶に配色された縞。天然染料だけを使った糸なので、鮮やかながら自然の温もりを感じる。まさしく、柔らかな春を感じる色。
ここに使われている植物は、全部で四種類。紅花・ラックダイ・たまねぎ・オオバヒルギ。野々花工房の品物には、どの植物染料が使われているか、品物に明示されている。
反物に付けられている表記。伝統工芸品の証紙を始め、使われている植物材料や、織り方、さらには染料の配分まで書かれている。
かなり以前、ブログの中で紅花紬を例にとり、それぞれの品物において、草木染か否か見分ることの難しさを(2013.11。19と22の稿)書いたことがあったが、野々花工房の品物は、表記を見るだけで、どんな材料でどんな作り方をしてあるのかが、一目で判る。これだけで、モノ作りに対する真摯な姿勢が伺える。
代表者・諏訪好風氏は、紅花染・草木染のブランド化、差別化を進めるために、品物に対して、厳しい基準を設けている。上の画像に、ピンク色の証紙・紅花染之証が見えているが、この証紙色は紅花と他の天然染料を併用した品物に付けられる。それを裏付けるように、染料の配分が、紅花22%・天然染料78%と記載されている。
なお、紅花100%の証紙の色は赤で、紅花と化学染料が併用されている品物の証紙色は、黄色である。判り難い染料の中身を明確化したことは、我々のような小売の者にとって、大変有難い情報である。どのような作り方がされているのか、消費者に説明しやすくなる。それは、品物の価値そのものを明らかにすることであり、当然差別化に繋がる。呉服を扱う者にとって、もっと様々な品物に、製造過程を明記して頂きたいと思うが、なかなか難しいことだ。
染料の材料表記。四種類の染料が、どの色に使われているのか、考えてみよう。
まず、ピンクの濃い縞とすこし薄い縞。これは紅花とラックダイによるもの。反物の記載に、下染にラックダイが使用されているとあるが、この染料には、聞き覚えがない方も多いだろう。
ラックダイは、植物材料ではない。これは虫の分泌物を抽出したもの。東南アジアやネパールには、樹木に生育するラックという介殻虫がいる。この虫が排出する樹脂状の排出物は、シェラックという樹脂と、ラックダイという染料に分けられる。
この染料は、すでに江戸時代以前に、「花没薬(はなもつやく)」の名前で、濃赤や赤紫系の色を染める材料として使われていた。このラックダイ(ラック液)に媒染剤として錫(すず)を使うと、濃い鮮やかなピンク色が出てくる。おそらく、ピンク縞部分には、ラックダイが関わり、それを下染めに使い、さらに紅花染料を用いたのであろう。
紅花は単色性染料なので、発色方法は、媒染剤を使う多色性のものとは違う。前述したように、まず、花を発酵させて餅状にしておく。それを水で溶き、上の水を捨ててから、藁(わら)の灰汁=アルカリ液に入れる。こうして出来た液に、梅の実を蒸し焼きにして作った酢・鳥梅(うばい)=酸液を加えて、より美しく紅を発色させる。
この紬には、二色の細縞が見える。一つが黄土色で、もう一つが少し濃い目の赤茶色。おそらく、黄土色がたまねぎであろう。染料として使われるたまねぎの部位は、外側の皮。これを熱して煎じた汁は、媒染剤により様々に発色する。アルミは黄色、錫は赤っぽい黄色、アルカリだと赤茶、鉄では昆布茶。黄土色に使われているとすれば、アルミ媒染のたまねぎということになろうか。
そして最後の植物、オオバヒルギ(大葉蛭木)。これは沖縄以南の島々にみられるマングローブの中で育つ樹木。八重山諸島に多く、ヤエヤマヒルギの別名がある。染料として使われる部位は、樹皮。ここにはタンニンが含まれているので、取れる染料は茶や茶褐色になろう。ということで、濃い茶の縞には、オオバヒルギが使われていると推測される。
材料は明示してあるが、それぞれの色に何が使われているかは、判っていない。あくまで、植物の特徴などから、私が想像したものである。
さあ、この春色紬に合う桜模様の帯を見つけて、目にも鮮やかな街着を考えてみよう。
とはいうものの、あまりにも長々と草木染の話を書いてしまった。この先、帯とのコーディネートまで御紹介すると、読まれる方も疲れてしまうだろう。もちろん、書いているバイク呉服屋も、疲れてしまった。
最初の画像で、合わせた帯をお目にかけてはいるが、小物合わせなども含めて、具体的なコーディネートは、次回の稿へと廻させて頂こう。
淡墨桜の開花情報は、本巣市(2004年、根尾村を含む四町村が合併して出来た市)のHPで見ることが出来ます。
今年の開花予測は4月3日。満開が4月9日で、散り始めが4月13日。淡墨色の花の色が見られるのは、来月10日過ぎということになるでしょうか。仕事を休んで、ふらりと出掛けてみたいですね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。