今週の水曜日、日帰りで京都に出張した。どうしても見ておきたい品物があったためだが、さすがに少し疲れた。
甲府というところは、新幹線に乗るまでに時間がかかる。バイク呉服屋は経費節約のために、一番安くて時間が掛からないルートを選んでいる。朝8時半の「あずさ」で塩尻まで行き、「しなの」に乗り換えて名古屋へ、そこから新幹線を使う。京都到着は12時半なので、約4時間を要す。
バックパッカーだった若い頃には、何日列車に乗り続けても、何とも感じなかった体だが、最近は苦痛になってきた。これは、「乗らされている」感が強いからであろう。昔乗った列車は、夜行や鈍行ばかりだったが、自分に時間の制約というものがなかったので、気分もゆったりとしていて、まったくストレスがなかった。
新幹線や特急は、時間効率を上げるためには、便利なものだが、目的地に早く着けるという以外には、あまり面白みの無い乗り物である。仕事なので仕方がないが、何かに追われているような気がして仕方が無い。
疲れてはいるが、ブログの稿に向かうと気持ちがしゃんとする。沢山の方が読んで下さると思えば、モチベーションも上がってくる。下手くそな文章だが、書くことは苦にならない。バイク呉服屋唯一の取柄かも知れない。
今日は、前回の続きで、三大友禅産地を比較するお話。それぞれにどのような特徴があるのか、個別に見ていくことにしよう。
(籠目に桐文様 京友禅黒留袖・菱一)
数学の中でも、とくに幾何学(図形)が大の苦手だったバイク呉服屋には、目も眩むような籠目文様である。竹で編んだ籠の網目を図案化したものが、この籠目文様だが、三角形と六角形と菱形が連鎖していて、近くで図案の輪郭だけを見ていると、目が回ってきそうだ。
不思議なもので、遠めからこの留袖を見ていると、籠目が立体的に浮き上がり、何かの建築物のようにも見える。六本の線が交差する形は、星型六角形と呼ばれているが、キモノの図案として、このような形が使われるのは珍しい。
籠目の中に付けられているのは、五七の桐。この文様は、日本国を表す桐花文であり、高貴で格式のある模様として知られている。上の画像は模様の中心となる上前のおくみと身頃を写したものだが、挿し色の数は少ないものの、それぞれの桐の花の雰囲気が違う。これは、異なる繍を使うことによって、単調な模様を表情豊かなものに仕上げているからである。
京友禅や江戸友禅では、繍や箔が効果的に使われ、品物のあしらいの中では重要な役割を果たしている。特に京友禅の場合には、多彩な繍で、品物を豪華に見せているものが多い。この品物にもその工夫がよく見える。それぞれの五七の桐に、どのような技が使われているのか、少し見てみよう。
葉の輪郭と葉脈を駒繍・駒詰めといった、金糸の繍で重厚に表現している。花の先端部分だけが菅繍。この花の位置は上前身頃上部あり、特に目立たせるために、このような繍技法が使われる。実際に光が当たると、金糸が反射してインパクトが出てくる。
こちらの花は、葉の輪郭が駒繍、花の細い枝が鎖繍、そして葉の中が全て金糸のすが繍で縫いつめられている。葉脈だけが白いが、ここは糸目。この部分に、このような繍をあしらうことをあらかじめ想定して、僅かな葉脈だけに糸目を引いておく。そして、刺繍職人は、その糸目を生かしきって、繍をほどこす。たった一枚の桐の花に、見事な職人の連係が見られる。
上の画像を見ると、二枚の桐花や花菱の輪郭が金の糸目になっているのがわかる。通常では糸目は白い筋となって残るが、このように糸目が金になっているものは、金線描きまたは筒描きと呼ばれ、この部分に違う加工が使われている。
これは、金と糊を混ぜたものを筒の中に入れ、それを白く残った糸目の上に引いていく技法が取られている。当然糸目糊置き同様に、人の手で引かれるために、糊の押し出し方一つで、微妙な擦れが出る。すでに引かれている糸目に上描きするため、熟練した技術が必要になる。
この金線描きも、京・江戸友禅に見られる特徴的な加工であり、加賀友禅に使われることはない。
金線描きされた桐花と、繍であしらわれた桐花が混在させることで、模様にメリハリが付き、多彩なシルエットとなる。様々な技を一つ一つの花に使いながら、全体の模様を形作る。この積み重ねこそが、分業である京友禅の真髄であろう。
このように、友禅の中で使われる繍や箔、さらに金線描きなどは、それぞれの模様を強調したり沈めたりと、変化を付けるための補助的な役割を担っている。だがここにこそ、「何人もの職人で一枚のキモノを作る」という、共同作業の難しさと、素晴らしさが凝縮されているように思える。
(松皮菱に四季花模様 加賀友禅黒留袖・藤村建雄)
極力色を押さえ込んだ色調といい、松皮菱に四季の小花を組み合わせた図案といい、典型的な加賀友禅と言えるような品物。一枚の絵を、そのままキモノの中に表現したような印象があり、優美で上品。
この品物を製作した藤村建雄氏は、1947(昭和22)年の生まれ、現在70歳になるが、なお作家として活躍している。加賀の作家には、親子二代や兄弟で、友禅師として活躍されている方が多い。例えば、押田正義・正一郎、初代由水十久・煌人・二代由水十久、毎田仁郎・健治などは親子、百貫華峰(俊夫)・広樹は兄弟である。
藤村建雄の父・加泉(かせん)氏も優れた技術を持った作家であった。加賀染振興会が発足した直後の、1978(昭和53)年4月に発行された落款登録名鑑を見ると、父・加泉氏と子・建雄氏の両方の落款が登録されている。建雄氏は、まず東京で江戸友禅を学んだ後、父から指導を受けるのだが、30歳すぎには、すでに第一線で活躍されていたことがわかる。
作風は、花鳥を題材にしたものが多く、丹念にスケッチした草花が図案に生かされており、いかにも写実性を重視する加賀らしい作家の一人である。
加賀友禅の図案は、伝統的に花鳥風月をモチーフにしたものが多い。しかも挿し色の基本は、加賀五彩といわれる臙脂(えんじ)・草・藍・黄土・古代紫の五色である。いずれも抑えられた色調であり、色そのもので模様を強く印象付けることを避けている。
しかし、ぼかしの技法や配色の妙により、濃淡を演出したり、模様を強調したりする。箔や刺繍、金彩などの加工に頼らず、あくまで色挿しの技術だけで、図案を表現していく。しかも色挿しは作家と言う一人の人間だけで、完結させる。
つまり加賀友禅は、京・江戸友禅とは違い、かなり制約された条件の下で仕事がされていることになる。そんな中で、一人一人の作家がそれぞれの個性を競い合い、品物が生み出されている。では、藤村氏の作品を参考にしながら、加賀の特徴を見てみよう。
模様の中心、上前身頃上部に付けられた、紅白二枚の牡丹の花。花の輪郭・蘂・葉・葉脈など、全ての部分に白い糸目が見える。加賀友禅には、作家が存在するが、全ての作業を一人でとり行うのではない。作家の仕事は、図案の構想と青花での下絵描き、色挿しである。
作家が描いた下絵には、他の友禅同様に糸目糊が置かれるが、この仕事は糊置職人の手で行われる。職人には、作家の微妙な筆運びを守り、模様に対する作家の意識が十分に伝わるような仕事が求められる。前回の稿でも書いたが、この糸目糊置きの出来如何が、作品の仕上がりを大きく左右する。このため各作家は、自分専属の糊置き職人を持ち、仕事における意志の疎通が計られている。
この糊置きのほか、色を挿した後の蒸し(下蒸し)や、地染めの前にされる柄部分の伏せ糊置き、さらに地色染めと後の蒸し、最後の水洗い(友禅流しと呼ばれ、余分な糊や染料を落とす作業)までは、それぞれの異なる職人の手で行われている。
薄いピンク色のぼかしを多用して色挿しされた梅の花。伝統的に加賀友禅で描かれる花は、どんな花でも小花が基調であった。これまでこのブログで御紹介してきた加賀の作品をみても、主模様の花や鳥は別にして、その他の模様の中に描かれている花はいずれも小さい。これも加賀の特徴の一つである。
最近では、写実に拘らず図案化した模様を描く作家も多く、花の大きさが意識されることは少なくなっているようにも思えるが、堅い加賀友禅のイメージは、やはり小花であろう。
葉に付けられた虫食いの技法。加賀の色挿しの中で、特徴的にみられるものの一つ。京友禅のように、繍や箔で模様に表情を付けることがなく、あくまで色だけで工夫していく。この虫食いだけを見ても、作家ごとに表現の違いがあり、それぞれの個性を見ることが出来る。
加賀友禅には、繍や箔などの模様を補助する加工がなく、挿し色も淡彩であり、京友禅のように図案の自由度も高くない。それなのに、見る者が惹きつけられる理由は、限られた制約の中で発揮される作り手の感性が、作品の中に息づいているからであろう。
藤村建雄氏の落款には、「建」の字が使われている。
品物の基本となる図案と色挿しには、作者自身が見て写し取った草花や鳥や風景が、そのまま表現される。模様には、作者の美的な感覚が凝縮されている。この辺りが、分業である京友禅との大きな違いであろう。そして、色挿しだけで変化を付けられた模様そのものは、あくまで上品で優しい。
(遠山御所解模様 江戸友禅黒留袖・菱一)
江戸(東京)友禅も、京都・加賀両友禅と同じように、品物の作り方は基本的には変わらない。江戸友禅には、繍や箔、金彩などの補助的加工が使われているが、ここは京友禅とほぼ同じである。つまり、技法に置いては、江戸友禅と京友禅の間においては、変わりはないということになる。
加賀友禅も江戸友禅も、もともとは京友禅の技法が持ち込まれて、そこに根付いたもの。加賀は、豊かな藩財政を背景にした前田家により、京都の工藝技術が金沢へ持ち込まれたことが契機になり、江戸友禅も江戸開府に伴い、多くの職人が京都から江戸へ移ってきたからである。
江戸友禅の技を今に伝える、大彦・大羊居・大松のルーツ・大黒屋が創業されたのが、1770年代の江戸中期。その後大黒屋彦兵衛の二人の息子、野口功造と真造が大羊居と大彦に分かれて、高度な技術とあか抜けた図案を駆使した高級な江戸友禅の製作を始めたのは、昭和初期からである。
当然江戸友禅も、京友禅と同様に分業であるが、現在では、大彦や大羊居のように、自分のところに全ての工程の職人を置いてモノ作りをしているところはほとんどなく、だいたいはメーカーから委託を受けた染匠(悉皆屋の親方)が、仕事を請け負い、それぞれの職人達に仕事を渡して、品物を作り上げている。
一概に言うことは出来ないが、江戸友禅の図案や挿し色は、京友禅よりも大人しく、あっさりしているものが多い。京友禅の方が、より自由な発想で品物が作られていると言い換えられるだろうか。
また、柄の好みと言う点でも、関東(江戸)と関西では違いがある。問屋に聞けば、今も関東と関西では売れ筋の色も模様も違うらしい。江戸小紋に代表されるように、江戸人のキモノの趣味は、派手で目立つものではなく、さりげなく大人しいものである。そんなこともあって、江戸友禅の黒留袖などのフォーマル品の模様には、上の御所解文様のような、伝統的な格式ある意匠を使うことが多い。だが、江戸友禅を代表する大羊居の品物などには、この原則が当てはまらず、大胆で大柄な模様と、鮮やかな挿し色が象徴的だ。
これは、東京の染メーカー問屋である菱一が、プロデューサーとなって作らせた品物。図案一つ一つにかなり細かい糸目が引かれていることがわかる。上の画像は、模様の中心に付けられている茶屋辻模様を写したものだが、家の屋根に付けられている筋の中には、繍(まつい繍)のあしらいが見える。
屋根を拡大したところ。こちらの方が繍がわかりやすい。金線描きされた糸目もあり、糸目そのものを模様として使っている部分も沢山ある。
こちらは、連山の一つの中に付けられている宝尽し模様。一つ一つの模様の色挿しが丁寧であり、ぼかしを使ったところもある。挿し色の細やかさは、どちらかと言えば、加賀友禅の色挿しに近い感覚である。中の白い部分には、胡粉(ごふん)を使っている。
それぞれの松には繍、金線描き、箔、染と異なる技法が使われており、多様な工夫がされている。全体の模様から見れば、ほとんど目立つことのないこんな細部にも、手抜きなしの仕事がされている。手の込んだ品物かどうかを見分けるのには、こんなところを見れば良いだろう。
大きい羊歯のような葉を拡大したところ。一枚の葉にも、実に丁寧に糸目が引かれている。輪郭だけでなく、短く付いている白い筋の一つ一つが糸目糊を置いたところ。糊置職人の苦労がかい間見える部分。
友禅の技術を思い切り詰め込んだような、江戸友禅の品物。繍や箔が使われているが、あくまでも模様を補助する目的であり、これらの加工が前に出過ぎることはない。この留袖に使われている御所解(ごしょとき)文様は、江戸期の御殿女性の衣装に付けられていた優雅なもの。山水や花、家屋などが細やかに配され、手描き友禅として様々なあしらいを施すには、格好の模様であろう。
京都・加賀・江戸とそれぞれの友禅の品物を駆け足で御紹介した。たまにお客様の方から、「どの友禅の格が一番高いのですか」などとご質問を受けることがあるが、無論産地による優劣の差などない。
どの友禅も、製作工程は基本的には変わらないが(補助的加工の繍や箔などを使うか否かという違いはあるが)、それぞれの品物には個性があり、雰囲気も違う。京友禅には、型にとらわれない自由な発想が、加賀友禅には絵画的な美しさが、江戸友禅には格式ある文様の中にあしらわれる繊細な技術が見える。
もちろん、これがそれぞれの友禅の全てに当てはまるのではなく、あくまでも、今日御紹介した品物での比較である。
京友禅にも、きっちりとした「古典そのもの」と呼べるような品物もあるし、加賀にもデザインと呼べるような斬新な図案の品がある。また、先にお話したように大羊居の作る江戸友禅などは、今日の江戸友禅の品物とはかなり印象が違う図案や色挿しがなされている。
お客様がどの友禅を選ばれるかは、ご自分のお好み次第である。それぞれの品物には、作り手の気持ちが十分に込められている。近いうちに、訪問着を使い、もう一度友禅の違いを見て頂こうと考えている。
出張に行くのは、大概が店を閉めている日、すなわち休日です。ということで、バイク呉服屋には、ひと月に2日から3日しか休みがありません。
労働基準法では、1週間の労働時間の上限を40~44時間と決めていますが、ほとんどの会社では守られていないでしょう。月に100時間を越える時間外労働(残業)を三ヶ月ほど続けて、病気(うつなどの精神疾患を含む)になった場合には、「労働災害」として認定されることが多いようです。
バイク呉服屋の残業は、休日出勤も含めれば、月150~200時間にもなるでしょう。もちろん、25%増の法定時間外手当(残業代)などもらえる訳もありませんが(そんなお金があれば仕入れの代金に廻します)、不思議にストレスがありません。
これは一人で仕事をしているからであり、残業も休日出張も、自分が納得しているからこそ、苦にならないと思うのです。出張するということは、お客様からの依頼があるということ。仕事があるうちが華であり、大いに感謝すべきことでありましょう。
新幹線や車が嫌なので、いつの日か「バイクによる京都仕入れ出張」を試みたいと思います。もちろん買い入れた品物は、荷台の紐にくくり付けて、即お持ち帰りです。申し訳ありませんが、その時には1週間ほどお休みを頂きます。
今日は、大変長い稿になってしまいました。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。