バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

6月のコーディネート 木綿を着尽くす(後編) 綿紬・綿絽・コーマ

2025.06 27

江戸初期の寛永年間(1624~44)頃までは、一般庶民や農民のキモノには、麻や苧(からむし)の粗末な素材が使われ、これに細紐や縄を帯代わりにして結んでいた。当時は、木の皮から繊維を取って糸を紡ぎ、それを草木染料で染める。この糸を使って布を織り、それを自分で縫い上げる。驚くことに、原料作りから染織、縫製までを一貫して、自分の手だけで行っていたのである。

木綿は、平安初期の延暦年間に伝来したが、すぐに消滅してしまう。それが、桃山期の天文・弘治年間(1532~57)になって、本格的な綿栽培が始まった。そして製織された綿織物は、江戸中期以降になると、麻に代わる一般庶民の衣料として普及した。そんな綿布の代表格が、湯上りとして着用された「浴衣」である。但し、江戸後期を代表する類書・守貞謾稿(百科事典・喜田川守貞著)の記述では、浴衣はあくまで家着であり、遊びに出かける時以外、日中の外出時には着用されなかったと記されている。

 

木綿は肌離れが良く、通気や吸水にも優れている上に、繰り返し洗っても生地が傷まない。なので江戸の人々は、浴衣として着用するだけでなく、様々な用途を考えつつ、最後の最後まで使い切った。もちろん最初は、家着や散歩着として着用したのだが、古くなると、旅に出た際の塵除けや雨具としてコート代わりに使うようになり、それが済むと、防寒用の室内着・丹前の下着として身に付け、最後には寝間着になった。

今、旅館やホテルで貸し出される浴衣は、ピシッと糊が利いているので、その分ごわごわとして少し動き難い感じだが、着尽された上で寝間着となった浴衣地はとても柔らかく、体を包み込むような優しい着心地になる。昭和30年代までは、多くの家庭で浴衣を寝間着として使っていたが、それは寝具として、実に理に適ったものであった。

 

さすがに最近の浴衣は、寝間着にするまで着倒されてはいないが、その一方で家着という範疇を飛び出し、夏のカジュアル着・お洒落キモノとして認識され、装われることも多くなった。綿の素材そのものも、以前から使われているコーマ生地だけでなく、綿絽や綿紬、紅梅など多彩な品物があり、各々にあしらわれる意匠によって、相応しい装いの場所が違ってきている。

そこで、「木綿を着尽くす」と掲げた最終回の稿では、最も身近な浴衣生地を取り上げて、素材ごとに印象が変わる着姿を演出してみる。合わせる帯は半幅帯に限定して、出来るだけ気軽な装いとなるように考えてみよう。

 

(左:男モノ綿紬 首里道屯男帯・右:女モノ玉むし綿紬 首里道屯半幅帯)

浴衣を夏キモノとして装う時には、女モノであれば、下に襦袢を着て半衿を付ける、いわゆる「衿付き」で着こなすことになる。散歩着では無いので、履物は下駄ではなく草履で、当然ながら足袋を履くことになる。そして帯には、半幅帯より名古屋帯を使うことが多くなるかも知れない。

けれども、夏キモノになる浴衣と、夕涼みや花火大会へ出かける時に装う浴衣との違いはどこにあるかと問われれば、その境界は非常に曖昧としか言いようがない。と言うより、元々そんな区分けは全くされていないのだ。上で述べたように、衿の有無や合わせる帯の違いによって、その使い分けをする他は無いのだが、そんな中において、生地の種類やあしらわれる模様、さらに模様の染め方などにより、若干だが使い道が分かれるようにも思える。

昔から馴染みのある白地に紺抜き柄、あるいは紺地に白抜き柄のコーマ浴衣は、やはり家着や夕涼み着のイメージが強い。その一方で綿絽や綿紬など、生地の表情に特徴のある浴衣は、すでに作り手の方で夏キモノとして使って欲しい意識があるため、あしらう模様も、どちらかと言えば小紋的な雰囲気を持つ品物が多い。そこで今日は順を追って、生地別にコーディネートを考えてみる。まずは綿紬から始めてみよう。

 

(左:グレー地 市松 綿紬 右:生成地 丸繋ぎ草花 綿紬 共に竺仙)

生地に、木綿の繊維が絡み合って生まれる「ネップ糸」を織り込む綿紬は、少し地厚ながらも、さらりとした着心地。絹の紬地にも近い風合いを持つことから、夏キモノとしても使いやすい材質。色はこの二点の他に、藍色と白がある。最近では、6月や9月も夏そのものの気候だが、この紬浴衣ならば、盛夏だけではなく、夏の入り口や秋口に装ったとしても、その生地の質感から、ほとんど違和感を感じない。つまりこれは、季節を通して長く使えて、街着にもなる重宝な浴衣と言えるだろう。

(合わせた帯 首里ロートン手織 男綿帯 織手・比嘉麻南)

この市松柄紬浴衣は、反幅が1尺5分(約40cm)と長いので、1尺9寸程度の裄丈に十分対応できることから、一応男性仕様の品物と位置付けられる。配色違いの正方形を交互に敷き詰めたこの文様は、江戸の歌舞伎役者・佐野川市松が好んで舞台衣装にしたことから「市松文」と呼ばれ、その当時大流行した。なのでこの文様には、江戸の小粋さが強く感じられ、女性が誂えても違和感は無い。こうした幾何学的な図案を使う浴衣は、男女兼用となることも多い。

男帯として使ったのは、木綿の首里道屯(ロートン)。表裏共に、経糸を浮かせて模様を織り成していることから、両面どちらでも使うことが出来る。横に三本並んだ縞は、模様が地から浮き上がって刺繍をしたように見える。木綿生地なので、柔らかくて締めやすい。市松に縞を合わせると、何とも粋でモダンな着姿になるような気がする。

(合わせた帯 首里ロートン手織 半幅綿帯 織手・起田奈津子)

生成色の中に白い縦筋が入る綿紬の地色は、着姿に明るい印象をもたらす。何種類もの草花を丸の中に置き、それを繋いで、全体を流れのある図案にしている。模様の所々に暈しが入り、型絵染のようなあしらいにも見えるので、小紋的な感じがする。こうした意匠は、夏キモノっぽい装いになりやすい。

こちらも男モノ同様、木綿の首里道屯半幅帯を使ってみた。帯地色は、浴衣の中に挿してある黄色とリンクさせた。キモノの模様がかなり込み入っているので、細い縞だけの帯ですっきりとまとめる。見れば、浮織の黒い横縞が装いを引き締めている。

 

(左:白地 雪輪に千鳥 綿絽 右:白地 露芝に蛍 綿絽 共に竺仙)

シャリっとして肌離れの良い竺仙の綿絽生地は、細番手の強撚糸を使っていることで生まれる。また白地の綿絽生地は、特に透け感があることから、より涼やかさが感じられる。そして素肌に直接着用する訳には行かず、下に襦袢類を付けなければならないので、衿付きになりやすい。そう考えれば綿絽は、浴衣にも夏キモノにもなる使い勝手の良いアイテムだと思う。

(合わせた帯 琉球絣手織 半幅綿帯・織手・大城豊)

竺仙の鉄板図案とも言うべき、雪輪と千鳥を併用した意匠。紺抜き雪輪には撫子と杜若を配置し、白抜き雪輪には黄と緑に色を挿し変えた千鳥を置いている。使い尽くされたモチーフだが、豊かな発想でデザイン化している。特に雪輪の淵と千鳥の暈しが、模様に爽やかさを与えている。こうした少しの手間が、品物の価値を上げることに繋がる。

帯は、千鳥の暈し緑色に近い柳色を合わせてみた。絣の図案は、三つの正方形が段々にさがるヒチサギー(引き下がり)模様。少し地味だが、かえって、落ち着いた大人の印象を残しそう。

(合わせた帯 琉球絣手織 半幅綿帯・織手 大城豊)

露芝も蛍も、浴衣のモチーフとしては一般的だが、この二つの組合わせは、今まで有りそうで無かった模様。この浴衣の蛍は、割と大きい姿で模様付けされているが、露芝の方は、蛍が潜む草むらとして描かれている。紺と淡い紫だけの挿し色が、白い絽の生地によく映っており、それが蛍の姿と相まって、個性的な夏姿に感じられる。

こちらも、琉球絣の綿半幅帯を合わせた。図案も同じヒチサギーだが、上の帯と違って、絣模様の間隔を空けずに重なり合っている。帯色の基本は紫と藤色なので、浴衣の色目ともよく合う。白地の浴衣は、選ぶ帯の色によって雰囲気を変えることが出来るので、装いのバリエーションが広がりやすい。

 

(左:褐色 菊束ね 地染綿絽 右:白地 菊模様 綿絽 共に竺仙)

この二点の綿絽浴衣は、母と娘が一緒に装う姿を考えながら選んでみた。どちらも綿絽だが、片方は紺抜きに白という、一番シンプルに模様を映すトラッド浴衣。もう一方は、白地に淡い挿し色を施した若々しい浴衣。同じ菊モチーフでも、かなり雰囲気が違っている。どちらも模様は大きく描かれているが、浴衣では、これくらい模様が目立つ方が、着映えがする。

(合わせた帯 黄色無地暈し 麻半幅帯・竺仙)

花の文様は、筏や籠や御所車などの器物に入れ込んであしらうことも多いが、こうして結んだり包んだりして、表現することもある。花を結ぶ道具は水引や熨斗、あるいは簡単な色糸など。この深い紺地浴衣の菊は、竹ひごで結び束ねた姿だが、かなり大きく大胆な姿で模様付けされている。挿し色が無いオーソドックスな浴衣だが、こうした面白い図案は、その方が浴衣としての良さが出る。

帯は、バイク呉服屋コーデ定番の麻無地半幅。普通より2分ほど帯幅が広いので、その分帯の色目が、着姿の前に出て強調される。浴衣のモチーフが菊なので、明るい黄色を選んでみた。挿し色の無い浴衣に無地系の帯を合わせる時は、模様の花色を帯色に使うことがよくある。例えば、薊にはピンク、鬼灯には橙、菖蒲には紫という風に。

(合わせた帯 ピンク色無地暈し 麻半幅帯・竺仙)

紺白浴衣の菊は、どちらかと言えばキモノの図案らしく、きっちりと本来の花姿で写実的に描かれているように思うが、こちらの方は、一見して花弁が菊には見えず、芥子のようにも芙蓉のようにも見える。ただ葉の形が菊のそれなので、一応菊モチーフとしたのだが、もしかしたら違うかも知れない。キモノの図案には、何とは特定し難い花デザインがあり、それも文様としての個性になる。

帯は大きな花のピンク色に合わせて、同じ色の麻暈し。白地に淡い挿し色が施されていると、雰囲気は明るく優しくなる。ご覧の通り、挿し色の有無によって、浴衣の印象はかなり変わる。江戸っぽく装うか、現代的に装うか。ぜひ両方を試して欲しい。

 

(左:白地 薄に雁 白コーマ 右:藍地 波にカモメ 地染コーマ 共に竺仙)

最後は浴衣の定番・コーマ生地の品物をご覧頂こう。この二点は鳥をモチーフにしたもので、模様姿は白地に水色、藍地に白抜き。こうして青みを強調することで、着姿にはより一層涼やかさが表れてくる。

なおコーマとは、綿糸を作る段階で、短い繊維や夾雑物を除去し、選ばれた繊維だけを平行に揃えることを意味するが、その工程を踏んだ糸で織られる木綿生地は、しなやかで柔らかな風合いを持つ。そして竺仙では、そもそも細番手の糸を使っているので、滑るように心地よい手触りが得られている。浴衣の質を考える時は、どんな糸でどのように織られているか見極めることが、品物の良し悪しを左右する大切な要素になる。どうしても色目や柄行きに、目を奪われがちになるが、やはり基本は生地質なのかと思う。

(合わせた帯 青水色暈し 麻半幅帯・竺仙)

誰の目にもスキッとした印象を持たせるには、もう青系の帯を使う以外には無さそう。しかもこうした無地暈しならば、青の色が着姿から前に出て、否応なく涼感を醸し出す。この浴衣に関しては、白地の清楚さを如何なく生かし、その上で色を上手く挿し分けた品物と言えよう。

薄も雁も、秋を感じさせるモチーフだが、それも季節の先取りで良いのかも知れない。模様を少し地が空いた形で描いているので、白い地の色が前に出て眩しく映っている。

(合わせた帯 青磁色無地暈し 麻半幅帯・竺仙)

縦に変則的な波を表現した、かなり個性的な図案。流水模様は、浴衣としては全然珍しくないのだが、ここまで大胆にデザイン化されていることは稀。面白いことに、横から見ると安全ピンのようにも、また帯を織る道具の投げ杼のようにも見える。

模様が目いっぱいに付いているので、帯は無地でシンプルに。藍の地色が少し強いので、ふわりとした淡い青磁色を合わせて、全体の色を抑えてみた。個性的な浴衣には、やはり控えめな帯の方が、何となく腑に落ちる気がする。

 

(左:白地 ブルーベリー 白コーマ 右:黒地 楓 コーマ玉むし 共に竺仙)

最後の二点は、モチーフのユニークさで選んでみた。白コーマに付けられた青い実は、ブルーベリー。この果実の旬は6~8月なので、浴衣の図案としては季節感を損ねていない。あまり馴染みのない果物だが、こうして浴衣の上で描かれてみると、爽やかな感じを受ける。一方の黒地にあしらわれた楓は、ヒトデのようにデザインされている。黒地は、朱と白とグレーの三種の楓が散らされているが、大きさも配置も不統一なので、誂える時にどのような模様にするのか、かなり悩ましい。

(合わせた帯 首里ロートン手織 半幅綿帯・宮国文愛)

ブルーベリーの緑葉に合わせて、帯色を考えてみた。浮織の中に二本のグレー縞が入っており、それが模様のアクセントになっている。白地浴衣だけに、若草色の鮮やかさが目に留まる。これまた、爽やかさが際立つコーデになっている。

(合わせた帯 首里ロートン手織 半幅綿帯・山里千佳子)

こちらは楓配色の中で最も目立つ橙を、帯色に使ってみた。白のラインが浮き上がっているので、楓葉の白色ともリンクしていて、収まりが良い。浴衣姿のメインコンセプトとなる「涼やかさ」からは少し離れるかも知れないが、この模様の大胆さは注目を集めるだろう。浴衣だからこそ装える図案というのが、確かにある。それを思い切って試すと言うのも、一つの楽しみ方になるはすだ。

 

今月は三回にわたって、様々な綿織物を紹介し、各々に向くコーディネートを試してみたが、如何だっただろうか。江戸期以降、庶民の日常着として定着した木綿。その特徴ある品物は、技を受け継いだ職人の手によって、今日まで連綿と守り続けられてきた。しかし、昨今のキモノ事情を考えれば、この先モノ作りを継続させていくことは、本当に大変なことと思える。仕事の灯を消さないためにも、多くの方が「ホンモノの木綿」に目を留め、手を通して頂きたいと思う。

最後に、今日ご紹介した10点のコーディネートを、もう一度どうぞ。

 

浴衣が寝間着としての役割を終えると、その利用法は、着るモノから布としての役割へと変わっていきます。そこでまず使ったのが、キモノの肩や膝の裏を補強する当て布。庶民はモノを沢山持っている訳では無いので、擦れや綻びを直しつつ、一枚のキモノを長く大切に使いました。その際の修繕用として、着れなくなった浴衣生地が利用されたのです。そして時には、裾の裏地・八掛の代用品にもなりました。

その後柔らかくなった布は、赤ちゃんの敏感な肌にも優しい「おしめ」となり、それが終わると、布を裂いて鼻緒や「はたき」に使い、最後は雑巾になりました。けれども江戸の人々は、まだそれで終わりにはしません。

使い古してボロボロになった雑巾は、かまどで焚き付けの道具になりますが、その布の灰は、植物染料を抽出する際に使う「媒染剤」となって、さらには洗濯用の洗剤・灰斗(あく)としても利用するのです。まさに徹底的に着倒し、使い尽くす。現代のどんな「エコロジー・自然環境保全」も敵わないほどの庶民の知恵が、そこにはありました。

おそらく江戸人の発想と工夫は、その場凌ぎの効率ばかり追う現代人に、到底真似は出来ず、理解することも難しいでしょう。「便利の正体」って、一体何なのでしょうね。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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