バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

3月のコーディネート  穏やかな風の中で、ふわりと花を装う

2024.03 19

自宅から店への通勤には、毎日バイクを使っているので、ちょっとした気温の変化や風の違いを体感出来る。冬から春へと季節が渡ることを実感するのは、毎年今頃。「暑さ寒さも、彼岸まで」の言葉通り、春分の頃になると、バイクが辛くなくなる。それまで、身を屈めるようにサドルシートに跨っていたのが、顔を上げて風を受けながら運転出来るようになる。

そして季節が入れ替わったことを、風の匂いで知る。四季には、それぞれに特徴のある匂いがあるように思えるが、例えば春なら、陽の匂いだろうか。それは、干したばかりの布団の匂いで、とても心地よい香りがする。これに包まると、穏やかに良く眠れそうな気がする。この柔らかな太陽の光の下では、吹く風もたおやかに感じる。

 

冬の風は、刺すようなツンとした匂いで、頭の先がピキッと締まるような空気感を持つ。それに比べて秋は穏やかだが、春とは違う深みがある。特に枯れた葉を飛ばす風には、土の匂いを強く感じる。そして夏は、何と言っても雨の匂い。夕立の後に吹く風は、モアっと体に巻き付く感じだが、その匂いには、どこか子どもの頃の記憶を呼び覚ますような、そんな懐かしさがある。

季節の匂いを、どのように感じるのか。それは土地の気候や風土、そして生活する環境によっても変わり、人それぞれに違うだろう。感受性には個人差があると思うが、強く意識されるか否かの違いだけで、匂いの記憶は誰もが持っているはず。温度や湿度のような気象条件だけではなく、心象的な背景を持つ「嗅覚」で、季節が意識されるというのは、いかにも繊細な日本人らしい感性である。裏を返せば、春夏秋冬の微妙なうつろいが、この国にはあるということだ。

 

さて、春の風に包まれ始めた三月。今回のコーディネートでは、そんな穏やかな陽の下で装うに相応しい、ふわりとした印象を残す「花のキモノ」と「花の帯」を組み合わせてみた。もちろん色合いは、バイク呉服屋得意のパステル揃え。少し可愛くなり過ぎたキライもあるが、どんな装いになったか、これからご覧頂くことにしよう。

 

(桜色地 小花模様・十日町絣  生成色地 花畑模様・九寸織名古屋帯)

カジュアルモノのコーディネートでは、制約など無く、キモノと帯とで、どのような色・模様を組み合わせようと構わない。季節や気分に応じて、装いの表情を自分で決める。これこそが、和装最大の楽しみであり、そこにこそ着る方の個性が現れる。であるから、その着姿に対して、他人が勝手に批判することなど、あってはならないと思う。

もちろんコーデにルールは無いものの、私がキモノと帯の合わせを考える時には、私なりの注意点がある。これは、毎月コーディネートの稿を書いているので、読者の中には気づかれている方もおられるかも知れない。では、気を遣う点は何か。実は幾つかあるのだが、その一つが「模様の密度」である。例えば、総柄のキモノには、なるべくシンプルな図案の帯を合わせること。キモノと帯双方が全体模様だと、着姿にまとまりが無くなり、視点が定まらなくなるような気がするからだ。

そしてもう一つ模様で注意しているのは、キモノと帯のモチーフを、出来るだけ重ねないこと。具体的に言えば、キモノが植物模様だったら、帯には幾何学的な文様や、花以外のモチーフを使うことだ。但し、全てこれに則っている訳ではなく、もちろん例外もある。そして、時と場合によれば、意識的に同じモチーフを重ねることもある。

 

今日のコーディネートは、その「例外」に当たるだろう。何せ、キモノも帯も花だけをあしらったもので、しかもその花はどちらも、可愛く図案化されている。いわば「同質の組み合わせ」になるが、私がこれを選んだ理由は、端的に春だからである。ふわりとした装いを考えた時、花と花であっても、違和感はない。そしてキモノは飛び柄の小花絣、帯の花柄もシンプルな模様付けで、これも共通している。その上、どちらも配色がパステル基調で、優しい。

つまりモチーフだけではなく、模様のあしらい方や配色も似ており、これは同じ方向性を持つ品物同士のコーデになる。では、同じ方向性・コンセプトは何なのかと言えば、それが、「春らしき姿」なのだろう。では、ふわっと装えるキモノと帯を、各々ご紹介していこう。

 

(桜色地 小花散し模様 十日町紬絣・菱一オリジナル 製織 根啓織物)

小紋であれば、この品物のような小花の飛び柄は、それほど珍しくない。よく茶席用の小紋として、こうした意匠を取り入れた品物が見受けられる。けれども紬、しかも絣として、こんな可愛い模様を織り出した品物は、あまり見かけない。

絣の柄と言えば、十字絣や蚊絣、亀甲絣に矢絣と、その多くが幾何学的図案である。また大島や結城紬には、草花や写実的な模様絣もあるが、どちらかと言えば、渋く落ち着いた雰囲気の柄行き。いずれにしても、軽やかに装えそうな紬というのは、実際のところ多くはない。

優しい桜色の地色は、やはり春を感じさせる。そもそも最近では、こんなピンク系地色の紬は少ない。花は図案化されていて何と特定できないが、どことなく野の花を感じさせる。そして模様は、飛び柄小紋と同様に、反物全体に均等に散らされている。

小花の絣模様には三種類あり、各々に2パターンの配色が見られる。つまりこの紬は、全部で六種類の小花絣で構成されていることになる。そして真綿糸を使っているために、その風合いは柔らかく、ふんわりとしている。絣の色は極めてシンプルで、花弁は臙脂と水色、葉は若草色、黄土、水色の三色でパターン化している。地色も模様も柔らかなパステル色なので、全体が優しい感じに包まれて見える。

この絣は、新潟・十日町で製織されたもの。十日町は、今でこそ織物と染モノ双方の産地として知られているが、元々の生産の主力は、夏薄物の明石縮であった。それが、戦後マジョリカお召の開発や黒羽織の量産で、一躍産地としての知名度が上がり、昭和30年代以降は、十日町友禅として、振袖や訪問着など染モノも、工場一貫の生産方式で作られるようになった。ただ以前からお召は作られていたものの、紬の生産は少なく、本格的に始まったのは、昭和42年頃からである。

紬は後発の産地だけに、絣の模様付けに機械括りを採用し、染料には化学染料を用いて、機械機による製織をするという、いわゆる量産化へと舵を切った。それは当然コストダウンへと繋がり、消費者は比較的安い価格で、紬を求めることが出来るようになった。紬の普及という点では、この十日町産地が一定の役割を果たしてきたのである。

この紬は、今は無き菱一が、自社のオリジナル品として製織したもの。なので、独自のブランド名・橡(つるばみ)紬の名前が付いている。以前はこのように、問屋が自分のところでデザインを考え、産地の織屋に製織させる「モノ作り」が盛んにおこなわれていたが、今はそんな意欲のある問屋はほとんど無くなってしまった。つまりそれは、「作るリスク」を負わなくなったということ。どこも経営に余裕がなくなり、モノが生み出せなくなる。作り手の個性が、品物に反映されなくなったことで、問屋の独自性が薄れてしまったのは、極めて残念なことである。

その意味でこの橡紬は、問屋が開発した珍しい紬絣であり、だからこそ、こんな可愛い小花絣が生まれたのかも知れない。菱一は、小紋もオリジナル品を染め出ししており、もちろん飛び柄も作っていた。だからこの絣意匠には、そんな作り手側の背景もあったように思われる。なお、実際にこの品物を製織した十日町の根啓(ねけい)織物は、今も明石縮や十日町絣の生産メーカーとして、頑張っている。

では、このふわふわな小花キモノを、よりふわりと春めかせる帯を考えてみよう。

 

(生成色地 花畑模様 九寸織名古屋帯・紫紘)

花弁と葉を別々に散らしたこの帯図案には、「花畑」と名前が付いている。このように模様に繋がりがなく、小紋調にばらけているデザインも珍しい。先の紬絣の小花も小紋的だが、この名古屋帯にも同様の雰囲気がある。

画像から地色は白に見えるが、実際は絹の糸色オフホワイト・生成色である。花の配色には、ミモザのような黄色と、中心にほのかなピンク色を使ったものが見える。葉は、薄い萌黄色。地色も花も、ことさらに淡く、帯全体としてみると、こちらもふわりとした印象を受ける。

これは前模様になるが、お太鼓と模様の配色は同じでも、図案自体は変えられている。前は横並びで、お太鼓の花は等間隔で全体に出ている。名古屋帯でも、太鼓と前模様の図案が違っていれば、その分紋図を起こす手間もかかるが、作り手がこの帯をどのように見せたいのか、その意図を感じることが出来る。

お太鼓を作ってみると、花の部分は立体的な織姿になっていて、淡い色調の中にも、それなりに主張がある。絣紬同様、帯の花は何とも特定できないデザインになっている。

製織したのは紫紘だが、前回のブログでご紹介した平安王朝を彷彿とさせる重厚な袋帯とは、まったく対照的な軽やかな帯姿である。このお花畑柄は、何となくモリスっぽくも見えるが、実は紫紘のお嬢さんの手によるもの。可愛さと優しさを前面に出した帯で、そのセンスには光るものがある。さすがは、山口伊太郎翁のお孫さんである。

それでは、このふんわり同士を合わせると、着姿はどうなるのか。試すことにしたい。

 

こうしてキモノの上に帯を載せてみると、どちらも似た雰囲気を持つ品物であることが、よく判る。双方ともに地の色は淡いが、桜色と生成色なので少し色の差があり、きちんとコントラストがついている。だから、全体がぼんやりとした感じにはならない。平面的に見ても、かなりふわりとした印象なので、着姿になれば、なおのことと思う。

花×花だが、模様を重ねたくどさが無い。おそらくそれは、キモノも帯も花が散らしてあり、間に空間が出来る、いわゆる「地空き」の模様構成になっているから。図案の間から地の色が前に出ていると、すっきりとした感じになる。また、キモノより帯の方が模様の密度が上がっているので、合わせた時にバランスが取れる。双方の密度が同じくらいだと、見え方が平板になってしまう。模様配置や密度の差は、ほんの少しの違いでも、コーディネートをした時に影響が出てくるので、注意が必要だ。

前の合わせからだと、花の姿がより印象付けられる。デザイン化された花特有の可愛さがあり、それがパステル配色を伴って、増幅されている。確かに、穏やかな春風の中で装うに相応しい、ふわふわ感を醸し出している。

小物はやはり桜を意識して、ピンク系でまとめてみた。淡い雰囲気の中でも、少しだけ着姿が引き締まるようにと、キモノの地色より僅かに濃い色にする。帯〆には冠組ではなく、白のドット模様が入った内記組を合わせて、アクセントを付けた。着姿では、ふんわりした姿を保ちつつ、小物の存在感も出したい。但し小物の色の匙加減を誤ると、全体のバランスが崩れてしまうので、そこは気を付けなければならないだろう。(江戸組帯〆・中村正 暈し帯揚げ・加藤萬)

 

今日は、春の訪れに合わせた「ふんわりコーデ」を試してみたが、如何だっただろうか。大人にはちょっと可愛すぎる組み合わせかもしれないが、この着姿を見れば、誰もが春を感じられるはずだ。身にまとう色と模様、そしてあしらい方のすべてが、一つの季節に向いている。衣装でこんな表現が出来るのは、和装だけである。旬の装いこそが、最も贅沢だと私は思う。最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度ご覧頂こう。

 

季節ごとに匂いを感じるというのは、どことなく微妙な色の違いを見分ける繊細さと、似ているように思います。そもそも色は、自然の中から生まれたもので、季節の移ろいと大いに関りがあります。もちろん、咲く花の香りでリアルに季節を感じることもあるでしょう。けれども、もっと漠然とした事象、例えば陽ざしや月明かりにも、季節ごとに匂いがあるように思えます。その匂いこそが、四季折々の色の明度や濃淡となり、表現されてきたのではないでしょうか。

今日取り上げたキモノの地色・桜色の匂いは、リアルに桜餅の葉の匂いでしょう。そして帯地色・生成色には、風に晒したシャツの匂いがイメージされます。生成とは、手を加えない生地や糸の自然な色を指すので、風の匂いがそのまま、色に結び付くのです。こちらは漠然とした、心象的な匂いに過ぎないのですが。こうして色と匂いの相関性を考えると、そこには、一瞬の自然の姿が見えてくるように思えます。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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