バイク呉服屋の忙しい日々

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2024年・辰の年始めにあたり  残り時間の少なさを認識せよ

2024.01 08

2024年の年明けを迎えました。元旦と二日に、思いもよらない大きな災害と事故が起こってしまい、到底新年を寿ぐ気分にはなれませんが、ともあれ、本年も相変わらずよろしくお願い致します。

天災が時と場所を選ばず、容赦なく襲ってくることを、今回ほど思い知らされたことは無いでしょう。今年の正月は、新型コロナによる行動制限が解除されたことで、多くの人が久しぶりに故郷での団欒を楽しむはずでした。けれども、元旦の夕方に北陸地方で起こった地震により、一気に暗転。しかも翌日には、その災害支援に向かおうとしていた海上保安庁の小型機と日航機が、羽田の滑走路上で衝突炎上する事故が発生し、やりきれなさと虚しさに覆われる一年の始まりになってしまいました。月並みな言葉になってしまいますが、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。

今回甚大な被害を受けた石川県は、古くから工芸品の産地で、現在10品目が伝統的工芸品として、国から指定を受けています。震源に近い輪島市と七尾市は、輪島塗と七尾仏壇の生産拠点ですが、未だに被害の状況が把握出来ていません。特に大規模な火災が起きた輪島市は、大変心配な状況が続いています。染職関係では、加賀友禅作家の工房の多くは、震源から少し離れた金沢市にあるので、おそらく大丈夫かと思われますが、能登上布を製織している山崎織工場が、能登半島の付け根に位置する羽咋(はくい)市に居を構えているので、少し心配になります。

 

波乱を予感させる辰の年。一体、どのような一年になるのでしょうか。年明けの稿として恒例ではありますが、年始の店内の様子とともに、今年の仕事にどのように臨むかを、少しお話させて頂こうと思います。例によって、まとまりの無い内容になりそうですが、お付き合いのほどよろしくお願い致します。

 

入口から見た、年明けの店内ディスプレー。正面の衣桁は黒留袖で、飾り台の上には黒地の付下げ。そして脇の撞木は紬と小紋、名古屋帯。

 

一昨年の秋頃から上昇していた物価高は、昨年になっても下落することは無く、消費者物価指数は、月平均で3%と高い上昇率を維持したまま推移しました。原因は、輸入品相場の高騰と円安によって、原材料費とエネルギー費が高止まりしていることと考えられていますが、思えば長い間物価下落=デフレの時代が続いていたので、国民全体がモノの値段が上がることに慣れておらず、心理的に多くの人が重い負担を感じています。

うちのような小さな店でも、この一年の間に、様々なモノの価格が上昇したと実感しています。例えば、品物を入れるたとう紙や納品の時に入れる箱などは、一気に30%ほど高くなりました。このような体裁を整えるために必要な道具は、質を落とす訳にはいかず、また製造するメーカーも限られているために、上昇した価格を甘んじて受け入れる他はありません。

そして、そもそも作ることが難しくなっているモノもあります。たとう紙の紐や呉服札として使っている先撚りの和紙は、以前は農家の内職仕事によって賄われていましたが、作り手の高齢化と低賃金による後継者不足によって、この先製造の見通しがつかなくなっています。古い人間の私などは、撚り紐以外のたとう紙はあり得ないと思うのですが、そうも言っていられない現状があります。たかが品物を入れる紙と思われるかも知れませんが、店の名前が記されるたとう紙は店の顔であり、簡単にこだわりを捨てることは出来ません。果たして、どうなるのでしょうか。

 

正面ウインドは、七宝の連続柄と破れ七宝の飛び柄の小紋。真ん中は松竹梅丸文の織名古屋帯。前に置いた小物は、松竹梅を描いた赤と黒の帯揚げと紅白の冠帯〆。シンプルながらも、新しい年を意識した品物構成。

 

モノの価格が上がる、そして作れなくなっているというのは、呉服屋の道具だけではなく、肝心な扱う品物にも顕著に現れています。以前なら苦も無く手に入った品物でも、探すのに時間が掛かるようなことも、度々起こるようになり、そこからはモノつくりの現場の厳しさが透けて見えています。

品物高騰の要因は、とりわけキモノや帯の原材料となる、白生地や糸の価格上昇が大きいと言えましょう。そして、ここ数年のコロナ禍の影響で、極端に受注が減っていたところへ、職人の高齢化が進んで、随所で職人不足が深刻化してしまいました。その結果として、これまで安定して供給出来ていた品物でも、生産に時間が掛かってしまったり、中には作れなくなってしまったモノも出始めているのです。

良質なキモノや帯は、熟練した職人の手と時間を経なければ、生まれては来ません。そして分業が大前提のモノ作りシステムですので、どこか一か所で職人が欠けてしまえば、即座に全体に影響を及ぼしてしまいます。原料の高騰と職人不在が相乗し、生産現場が追い詰められている。それが、今の現状なのではないでしょうか。

 

昭和期の加賀友禅作家・初代由水十久の黒留袖。模様のお題は、能の舞事である三番叟(さんばそう)。合わせている金地の帯は、紫紘の扇面引箔帯。

 

そして生産を難しくしているのは、職人の不足だけには止まりません。それは、職人が仕事で使う道具の枯渇、あるいは道具を修繕する職人の不在です。たとえ職人が残っていても、道具がなければ技術は生かせず、当然品物は生まれません。またそれまで使用してきた道具が壊れ、それを直すことも新調することも出来ないとなれば、生産はそこで終ってしまいます。こうしたことが、染と織の多くの現場で顕在化しています。

こんな事例の一つとして、帯の手機仕事では欠かすことの出来ない「杼の枯渇」があります。杼(ひ)は、平行に張られた経糸の間に緯糸を通す時に用いる道具。中央をくり抜いた舟形で、中に緯糸を巻いた木管が入る構造になっています。これがなければ、機械はあっても帯を織り上げることは出来ません。

そんな重要な道具ですが、現在杼を作る職人がいません。杼の材料は樫の木ですが、昔の杼職人は、織り人の手の大きさや指の長さに応じた道具を作っていました。織手がスムーズに経糸をすくえるよう、杼の先端を調節すること。ここが一番難しく、作り手には熟練した技が求められていました。杼は滅多に壊れることはなく、機場で半永久的に使う道具。職人は、こうした杼の重要性をよく弁えており、気概を持って道具作りに臨んでいました。

 

現在では、3Dプリンターを使えば、いくらでも杼に代用できるものは作れるでしょう。もちろんこの道具で、緯糸を経糸に通して模様を織りなすことは可能です。けれども、織人の手による木製の杼は、使い手のことを知り尽くし、そして織や機の種類に応じて作られたものです。やはり、人が人のために作る道具には心があり、それが判っているだけに、使い手はモノを大切に扱います。

一つの道具を通じて、職人と職人が結びつき、その連鎖によって良質な品物が生み出される。分業の中では、こうしてモノづくりへと向かう精神が培われてきたのです。しかしながら今、道具の枯渇が仕事の分断に繋がろうとしています。すでに西陣では、古い機を修繕する職人もほとんどいなくなりました。

 

四季の花が浮き立つ黒地の付下げは、今は無き菱一が制作した無線描きの友禅。モダンな蔓花菱の名古屋帯は、錦工芸が制作。二色組の帯〆は、中村正の江戸組紐。

 

材料の高騰、職人の枯渇とそれに伴う技術継承の中断、そして将来にわたって見込まれる道具の不足。いずれも簡単に解決できる問題ではなく、あるいはすでに絶望的と言えるかも知れません。将棋で言えば、すでに「詰んでいる」状態。もう投了は、時間の問題です。そしてこうした状況は、モノを作る現場だけではありません。

当然のことながら、キモノや帯は、着用する方の寸法に合わせて誂えなければ、装うことは出来ません。そして時には、品物に紋を入れることもあります。また誂えを施す以前に、品物の幅を整えたり、付着した糊を落としたり、後で生地が縮まないように水を通したりもします。さらに、着用後のメンテナンスはどうしても必要で、しみぬきや丸洗いはもちろん、時には全体を解いて洗張りしたり、元の縫い筋を消して寸法を直すこともあります。

この誂えと直しの仕事もまた分業で、各々の現場には、それぞれの仕事に精通した職人がいます。そしてモノ作りと同様に、加工のどこかの工程で職人がいなくなれば、即座に全体の仕事に影響を及ぼしてしまいます。

 

壁際のケースは、小紋と染帯。帯のモチーフは、店の入り口側から、椿・梅・桜と季節順に並んでいる。年が明ければ、春は近し。

 

そこで加工現場の職人の現状はといえば、ブログの中でも度々お話しているように、高齢化と後継者不足は年を追うごとに進み、全く解決の目途は立っていません。ここでも、すでに「詰んでしまっている状態」なのです。

うちの仕事に携わっている職人さんたちも、それぞれ年を重ねてきていますが、今は誰一人が欠けても、その影響は大きいと思われます。もちろん、代わりとなる方など簡単に探せる訳もないので、今まで受けてこられた依頼でも、これからは難しくなる仕事が出てくるかも知れません。和裁士も補正士も、徒弟制度の下で育った生粋の「昭和の職人」ですから、仕事に対する気概は人一倍。私にとっては、何人にも代えられない貴重な存在です。この人たちがいるからこそ、暖簾を下げていられると言っても、決して言い過ぎでは無いでしょう。

 

吊りケースと反対側の壁には、各産地の紬と帯。キモノは米沢草木紬・伊那草木紬・長井米琉紬。帯は読谷花織と伊那茜染。

 

呉服屋の仕事を支える両輪は、間違いなく、モノの作り手と加工の職人です。しかし双方の現場ともに、一線を退く職人は増え続けており、後を継ぐ者はほとんど出てきていません。今残る職人は、若くても50歳代で、多くは還暦を過ぎていることを考えれば、この先仕事が出来る時間は、否応なく限られてくると理解できます。

実際に、うちの仕事を請け負う三人の和裁士に話を聞くと、口を揃えて「仕事は70歳あたりまで」と言います。年齢からくる視力の衰えは、確実に影響を及ぼすそうで、反物の裁ちは、すでに明るい昼間にしか出来ないと話してくれます。いつまでも仕事はしたいが、かといって失敗は許されない。仕事に自信が無くなれば、辞めるしかないというのが、職人としての矜持なのでしょう。

この先、時間が限られているのは和裁士だけではなく、他の職人も同様です。もちろん、一日でも長く仕事をして頂きたいと思いますが、「もしもの時」に備える必要もあるでしょう。その時、店としての仕事はどうなるのか。今のうちに考えておかなければなりません。この残り時間の少なさを認識することこそが、今年の大きな課題と言えましょう。

 

カウンターの向かい側の撞木には、個性的な品物を掛ける。捨松の紬八寸帯、湯本エリ子の松模様友禅染帯、川島の織名古屋帯。キモノは、今河織物のお召と菱一の小紋。

 

そして最後に、仕事の残り時間が少なくなっているのは、モノの作り手や誂え手だけでなく、店を開けているバイク呉服屋=私もまた同様なのです。今年で65歳になるのですが、後継者がいませんので、いつまでも同じ状態で、ずっと店を続ける訳にはいきません。今はまだ先のことは決めていませんが、いずれどこかで必ず、暖簾を仕舞う算段を付ける必要が出てくるはずです。

呉服の専門店として、年々取り巻く環境が厳しくなる中で、どのように自分の仕事の幕を引くのか。事業は創業する時より、終う時の方が大変だと聞きますが、お客様にも職人さんにも取引先にも迷惑をかけないよう、ソフトランディングするのは、本当に難しいことかと思います。まだまだ店を辞める気は毛頭ありませんが、今年は頭の片隅で、少しだけその準備を始める年になるのかも知れません。

 

年明けから、すっかりネガティブな内容になってしまいましたが、今の呉服業界を取り巻く環境について、少しでも知っておいて頂ければ、消費者の方々のモノを見る視点、あるいは店に対する見方が、違ってくるように思います。但し、こうした様々な危惧は、職人の仕事を何より重要視する店に限ることですが。

分業であることが、仕事の足かせとなり、それが衰退の大きな要因に繋がっている。職人などいなくても、キモノは守れると考えている呉服屋が多くなればなるほど、和装の文化は廃れていくことになるでしょう。人の手を経ず、人の心がこもらない、形だけの品物。そして、海外や国内のどこかで、誰が誂えたのかも、直したのかも判らない品物。すでに、こうした品物が世の中を席捲していますが、この仕事を続ける限り、こんな流れには反駁し続けていきたいと思います。

先の読めない年になりそうですが、今年も出来る限り自分の言葉で、情報を発信していくつもりです。年明け早々、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

ご感想・ご要望はこちらから e-mail : matsuki-gofuku@mx6.nns.ne.jp

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