バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

百花の王・牡丹を尽した90年代の晴れ姿  牡丹唐草振袖と大牡丹袋帯

2024.01 21

今年初めて店を開けたのが、8日の月曜日。この日は成人の日であったが、甲府市の式典は、一日前の日曜日・7日に執り行われた。なのでバイク呉服屋は、成人式に店を閉めていたことになる。世間からは、呉服屋が一年で一番忙しい日と考えられているこの日に、シャッターが閉っているというのは、ある意味非常識というか、よほど品物が売れていない店と思われるはず。こうした事態を他の業種で例えると、クリスマスに店を閉めているケーキ屋のようなものか。

うちの商い形態を知らない人からは、「1月は忙しくて大変でしょう」などと言われる。一般に呉服屋の仕事のメインが、振袖関係とイメージされているからだが、事実多くの呉服屋は、振袖を扱うことに注力している。毎年DMやパンフレットを送付したり、電話などでコンタクトをとって集客し、対象者に購入やレンタルを促す。そして求めた人や借りてくれた人には、当日の着付けや写真の前撮りをする。諸々のサービスがすべて料金の中に含まれるので、今では消費者の意識として、呉服屋ワンストップで式典の支度が済んでしまうと考えられている。

成人式のその日には、朝3時頃から店を開けて、着付けを始める店もあると聞く。自治体の式典のほとんどが9時~10時頃に始まるので、それまでに会場に行けるようにしなければならないからだ。数十人、あるいは数百人に売ったり貸したりした店では、それこそ大変で、本当に寝てもいられないだろう。毎年成人式の報道の中で、こうした忙しさが伝えられるので、1月の呉服屋は大変と思われているのである。

 

けれども、一般を対象とする振袖商いに全く関心が無いバイク呉服屋では、式典当日の忙しさなど無縁。そもそも、現在の二十歳の集いなるものに全く意義を見出せないので、その日にどうしても振袖を着てもらおうとも思えない。こんな経営方針なので、「成人式にはキモノで」と考える普通の消費者からは、スルーされる店になっている。

振袖を求めて頂く努力をまるで怠っているものの、ごくごくたまに名指しで、誂えの用事を頂くことがある。そして、振袖に関わる仕事の中で最も多いのが、母親や親戚が使った品物の手直しや、小物の見直しである。以前里帰りしてくる品物の多くは、祖父や父が扱ったものだったが、最近は、私が若い頃に扱った懐かしい振袖がほとんど。呉服屋になって、40年。自分が売った品物が世代交代するのは、感慨深いものがある。

そこで今日は、昨年手直し依頼を受けた品物の中から、特に印象に残る「牡丹尽くし」の振袖一式を皆様にご紹介することにしたい。「百花の王」と称される牡丹。この花だけをモチーフにした振袖と帯の組み合わせは、他の意匠にはみられない迫力を持つ。 では今から30年前、平成初期に誂えた豪華で大胆な一組を、ゆっくりとご覧頂こう。

 

(黒地 牡丹唐草模様・型友禅振袖  金地 大牡丹模様・袋帯)

現在市場に出回る振袖の中で、きちんと職人の手を経て作られたものは、どれくらいあるだろうか。確固とした統計資料が無いので、あくまでバイク呉服屋の体感的な推測になるが、少なくとも8割以上は、インクジェットやシルクスクリーンなどの機械印刷によるもの。型紙を使って模様を表現し、染や箔置き、刺繍などの加工を人の手で行う型友禅は1割前後、そして全ての工程を人が施す手描友禅は、コンマ以下と思われる。

この傾向は、年を追うごとに顕著になっているが、分業化されている友禅の仕事において、職人の高齢化と後継者不足は明らかであり、作りたくても作れない状況に追い込まれつつあることを、肌で感じている。その上、購入よりもレンタルでの着装が増えていることに伴って、低価格帯のプリント振袖の需要が相当に増えている。そして、ここ30年ほどの間に、冠婚葬祭や通過儀礼の形式が大きく変化したことで、一般消費者の和装への意識も変化し、市場規模は最盛期の十分の一以下に落ち込んだ。結果として消費者は、その場限りの衣装として、容易に振袖を装うことが出来るようになり、質に留意する機会が無くなってしまった。それが、現在の振袖事情と言えよう。

 

そんな中で、手直しのために店に帰ってくる母親の振袖は、その多くが、今から30年ほど前の90年代・平成初期に誂えられたもの。まだこの時代には、振袖の着用を考える時には、借りるより求める意識を持つ人の方が多かったように思う。そしてインクジェットの技術がまだ確立しておらず、プリントモノの占める割合は、今より格段に低かった。つまりママの振袖には型友禅が多く、それは昨今巷にあふれる品物より、ずっと人の手が入っていることになる。だからこそ、次代の娘さんが使う価値があるのだ。

今日ご紹介する「牡丹尽くし」の振袖と帯一式も、そんな時代に誂えられた良質な品物。そこには、職人の丁寧なあしらいと共に、伝統文様を強く意識した意匠の美しさがある。「百花の王」と呼ばれ、華麗さでは及ぶ花は無いとされる牡丹を、キモノと帯に重ねたコーディネート。その斬新さと迫力ある姿を、これからご紹介していこう。

 

(一越黒地 牡丹唐草模様 型友禅振袖・菱一 1993年 山梨県内 O様所有)

同じ牡丹の花をモチーフにしたとしても、図案化して文様となったものと、写実的に描いた花の模様では、かなり雰囲気が違っている。この黒地の振袖は、「牡丹唐草」と名前が付いている文様を、そのまま意匠に使っている。この文様は、室町から桃山期あたりまで、名物裂の代表的な文様として、茶入れの仕覆などに数多く用いられていた。

この図案自体は、中国の宋や明から伝えられたものだが、牡丹は古くから唐草のモチーフに取り込まれており、すでに唐の時代には、西方から伝来してきた唐草模様をアレンジした「牡丹唐草文」が現れている。中国では古くから、牡丹を花の中の王様と位置付けていたことから、こうした早い文様化へと繋がったのである。但し、古代の牡丹唐草と近世に近い室町のそれでは、かなり文様の様相は異なっている。

模様の中心・上前衽から身頃、そして脇から後身頃へと繋がる牡丹唐草。

花の挿し色は、紅色が基本で所々に薄グレーが入る。箔や染疋田のあしらいがあり、加工の工夫により多彩な牡丹の姿が描かれている。上に伸びた蔓と葉の色は、薄グレーと芥子が中心。色の配し方が絶妙で、鮮やかな牡丹花を強調するアシスト役を果たしている。葉には、普通に考えれば緑系の色を挿したいところだが、あえて使わず、限られた色でメリハリを付けることで、文様を際立たせている。地色が黒であることから、挿し色を少なく絞ることが、文様を印象付けるために効果的な役割を果たす。

紅を挿した牡丹と、花弁に金箔を張った牡丹。黒の地に赤と金はかなり目立つ。そして唐草の蔓の伸びる間には、所々で金の箔加工を施した霞文が入っている。これがあることで、地空き部分が少なくなると同時に、箔の輝きによって豪華さが文様に添えられている。

他の花弁にも、多彩な施しが見える。輪郭に駒繍、中は染疋田を使った花、あるいは朱色の花弁に、斑状に箔を散らした花、そして中心を駒詰技法で縫いあげた花。一輪ずつ牡丹の花を詳しく見ていくと、その姿はすべて違いがあり、そこでは色挿しをする職人、箔を置く職人、刺繍を施す職人それぞれの「仕事の息遣い」を感じることが出来る。それがすべて合算されることにより、品物の美しさや華やかさ、そして重厚さが生まれる。

唐草の蔓は、裾から背や肩に向かって伸びており、両袖にも同じリズムで模様が付いている。そのため、牡丹唐草という文様が、着姿からはっきり印象付けられる。この文様は、京都・高台寺に伝わる名物裂・高台寺金襴に雰囲気がよく似ているが、金箔を織り込んだ金襴織物の豪華さを、振袖の中で表現しようとする意識が感じられる。

この品物は型を用いた友禅だが、意匠に使った文様は、その出典が明らかであり、作り手には意図が感じられる。そして図案を古典に求めつつも、オリジナリティも加味されている。多くの人の手を経て、持ち場ごとの職人の創意工夫があるから、こうした優美な仕上がりになる。これがインクジェット品だと、パソコン上で作った模様と挿し色のデータに基づき、寸分違わずにプリンターが色を吹き付けて、品物を完成してくれるはず。けれども、その姿は明らかに平板で、しかも画一。これは、キモノの質が判らない方でも、手を掛けた友禅との違いは明らかであり、その差は即座に見通せる。

工芸品として質を意識したモノつくりと、効率を主眼に置く工業品の製作。あえて、どちらが良い悪いは言わないが、その価値の差ははっきりしている。この先、和装を普及するために、そしてキモノという文化を残すためには、「工業品化はやむなし」という声を聞くことがあるが、将来それしか生まれないのならば、もはや民族衣装としての文化的価値は、「終わったも同然」である。

 

(金地 紅白大牡丹寄せ模様 袋帯・織屋不明 1993年)

振袖に合わせる帯となると、他のキモノよりも大胆で目立つ柄行きを選ぶ傾向はあるが、それにしてもこの帯のように、一つの花模様だけで完結されている図案は珍しい。そして画像を見ても判るように、帯幅一杯に織り出されている牡丹には、かなりの迫力を感じる。

幾重にも重なった花弁をリアルに織り出し、花色の基調は紅白二色に分かれる。このように、全体が牡丹で埋め尽くされている図案のことを、「牡丹寄せ模様」と呼ぶ。帯の織模様表現では、どうしてもある程度デザイン化されることが多いが、この牡丹に限っては写実的。それがまた、帯の豪華さを助長しているように思える。

二つの大牡丹は、一つが赤というより濃いピンクのリアル牡丹色。もう一つは白で、所々にピンクと水色を置いて淡く仕上げている。大ぶりな葉には緑系の配色をしているが、蛍光的な淡緑色を多用しているので、模様全体からは柔らかい雰囲気が表れている。ただ地色が金なので、花模様が浮き立って豪華な帯姿となる。

模様を拡大すると、シボが浮かんでいるように見えたり、畝のような織姿になっていたりする。これは、経緯二本以上の糸を引き揃えて平織した斜子(ななこ)織と、平織を拡大して畝のような姿にした畝(うね)織によるもの。斜子は、経糸と緯糸が交差するところに隙間が出来て、糸は籠で編んだように浮き沈みする。このように斜子と畝、そして平織を併用して組んだ織を、変化斜子織と呼ぶ。こうした織技法の工夫により、大牡丹の織姿が部分ごとに変化し、それが最終的に立体的な帯姿となって現れてくる。帯をどのように見せるかは、図案だけではなく、製織方法にも大いに関わりがある。

豪華な帯だが、模様にパステル的な優しい色を使っているので、上品さも感じられる。振袖に相応しい帯として、全ての要素を含んでいるように思う。なお、この帯の織屋がどこなのかは、判然としない。龍村や紫紘ではなく、かといって梅垣でも川島でもない。店に里帰りした帯は、色や模様、そして織り方を見れば、どこで織ったものかほとんど特定できるのだが、ことこの帯に関してはわからない。

さてインパクトのある大牡丹の帯を、黒地の牡丹唐草振袖に合わせると、どうなるのか。最後に、牡丹尽くしの晴れ姿をご覧頂こう。

 

牡丹という同じモチーフを使いながらも、意匠の表現方法がキモノと帯で全く異なっているので、模様が重なるくどさを、全く感じさせない。むしろ、キモノ全体に広がる牡丹唐草が、帯の大牡丹によって、より印象付けられるように思う。同じモチーフを重ねたことによる相乗効果が、着姿に反映されている。こうして改めてコーディネートした画像を見ると、牡丹の豪華さが目立ち、やはり「花の中の花」「百花の王」であることを再認識させられる。

質を尊重しつつ、装う人の個性を考えて選んだ品物なので、その着姿に明確な意図が感じられる。そしてその装いの印象は、品物と一緒に次の代へと引き継がれる。豪華さと気品を併せ持つ牡丹を尽くした振袖姿は、この先30年経とうが50年経とうが、全く揺るがないだろう。最後にもう一度、前姿の画像をご覧頂きながら、稿を終えよう。

 

呉服屋として暖簾を掲げる限り、品物の質を追求しないことなどあり得ません。そして同時に、いかに長くその質を担保し続けるか、その継続性が重要になります。良質な品物とは何か。そして、手直しはどうあるべきか。この二点を伝えることこそが、和装を未来に残すためには、最も大切なことと私は思います。こうしてブログを書いていることも、まさにそのための手段と言って良いでしょう。

「面壁九年」とは、少林寺の壁に向かって9年間座禅を組み、悟りを開いた達磨禅師のことですが、意味するところは、辛抱強く努力すれば道が開けるということです。それは、誰が見ていなくても、一つ一つの仕事に真摯に向き合うことになるのでしょう。 今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

ご感想・ご要望はこちらから e-mail : matsuki-gofuku@mx6.nns.ne.jp

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