江戸の昔、商いというものは、凡そ三つの形態に分けられていた。目抜き通りに大きな間口で店を開いていたのが「大店(おおだな)」で、大勢の従業員を雇い入れ、主に高級品を売っていた。米や塩、醤油などの食品を始め、金物や化粧品、書籍などを扱う店が多かったが、その中でも、呉服をメインとする店は特に規模が大きく、当時日本橋界隈に店を構えていた越後屋(のちの三越)・白木屋(東急)・大丸屋(大丸)は、江戸三大呉服店と呼ばれて、大いに繁盛していた。
これと対照的に、庶民の日常を支える食品や日用品を売る店が、「小店(こだな)」である。間口は尺で2~3間(けん)というから、約3.6~5.5mほど。庶民が住む町の表通りに建つ長屋の一角に、店を構えていたが、そのほとんどが店主一人か、夫婦二人だけで営む家族経営であった。八百屋や魚屋、乾物屋などの食料品から、薬草、煙草、燃料の炭団(たどん)や白粉(おしろい)など、そこには多種多様の商いがあり、各々の店には個性があった。
そして最も小さい商いの方式は、「振売(ふりうり)」。別名で棒手振(ぼうてふり)の名前がある「物売り」は、品物を天秤棒で担いだり、ざるや木箱に入れながら、町の隅々までやってきた。いわゆる行商人だが、扱う品物は小店の商いより細分化されており、朝は納豆やしじみ、昼は桶や手拭を始めとする雑貨品、そして夜はおでんや枝豆などを売り歩き、他に季節物として夏には金魚売り、暮れには門松売りなども登場した。江戸庶民は、こうして毎日大勢の物売りが軒先までやってくるので、生活に不便さを感じることが少なかったようだ。
それでは、この時代の商い決済は、いかなるものだったのか。大店は、越後屋の有名な商法・現金掛け値無しに見られるように、正札を付けて、その値段通りの現金決済である。そして、その場の決済ということでは、店を持たない振売も同様。けれども、小商いの小店では、後払いの掛け売り決済が多くを占め、盆暮れの半期決済、いわゆる「盆暮れ勘定」も常態化していた。
商品を買う側にとっては、現金の持ち合わせが無くても、欲しい品物が手に入る便利な制度だが、ある意味で究極の信用取引であり、売る側と買う側の双方に、強固な信頼関係が無ければ、成立することは無い。これは、江戸という時代の中で、小店商人と客との結びつきの強さを物語る、一つの事象とも言えそうである。
そして時代は下がること、300年。目の前でお金をやり取りする場面は、本当に少なくなった。現金を持ち歩かなくても、モノを自由に買えるのが当たり前で、むしろ現金での決済は時代錯誤と捉えられるようになっている。スマホやクレジットカード決済が主流を占め、それが使えない店など、ありはしないと思われているのが現状であろう。
けれども、バイク呉服屋はその「ありはしない店」なのである。クレカも電子マネーもスマホ決済もできない。そしてローン販売は取り扱っていない。出来るのは、現金払いと振込みだけ。その上に、江戸の小店の商習慣・掛売=延勘定(のべかんじょう)が、未だ商いの中に残っている。今日は、決済の目安となる師走に入ったこともあるので、どうしてこんな「江戸的な商い」を今も続けているのか、皆様にお話してみたい。今回は前編として、丼勘定的な価格提示の話をさせて頂き、後編で掛売りについて稿を起こすことにしよう。
バイク呉服屋の店内。商いは、カウンターを挟んで、お客様と会話を交わしながら。
三井越後屋が「現金掛け値なし」の商いを始める以前は、品物を持参しながら顧客の家へ伺う「屋敷売り」か、店先で注文を受けた後、品物を自宅へ届ける「見世物売り」が、呉服商いの主流であった。そして支払方法は、期末に一括して払う「掛売り」、いわゆる延べ勘定で行われており、しかもその価格は、商いの際に客との交渉で決まるものという、非常に曖昧な設定になっていた。
そして当時は、こうした商い方法によって、同じ品物でも、一見客には高く、なじみ客には安いと言う、「一物多価(いちぶつたか)」の状態になっており、これが顧客の広がりを阻害する大きな原因の一つであった。
そんな商習慣が当たり前だった時代に、店頭だけの販売・店前(たなさき)売りにこだわり、そこで正札を付けて、客を差別せずに同じ価格で販売し、しかも掛売を受けずに取引を現金払いに限るとは、革命的とも言うべき呉服商いの変革である。そして同時に、反物を切り売りしたり、素早く誂えて日を待たずに品物を渡す「仕立売り」を実行したことで、それまで敷居が高く、店から足が遠のいていた中間層を、顧客として引き入れることが出来たのである。
またこの変革は、掛売による貸倒リスクを消滅させ、かつ現金売りに限ったことで、資金繰りの改善が大きく進んだ。そして顧客の増加は、多く仕入れて多く売るという「薄利多売」の商いを可能にしたのだ。この革新的改革は、主力顧客層を、富裕層から一般町人層へとシフトすることを念頭に置き、実行されたのである。
小紋の反物に付いた正札。越後屋の商いでは、これを値引くことなく現金売りした。
現在、バイク呉服屋の商いは、7割ほどが店前売りで、残りがお客様の家での商い、昔で言うところの屋敷売りである。そして、ネット上の販売は一切行っていない。また店売りでも、多くの呉服屋が催す「展示会形式の販売会」は、一切行わない。全ての商いが、日常時にお客様と向き合って話を交わしながら、進められている。当たり前だが、品物には仕入価格に基づく小売価格が、呉服札の上に明示されている。けれども、越後屋商いのように、いつでも誰にでも同じ価格とはなかなか行かない。もちろん、人を見て価格が変わることはないが、別の理由で価格が一定しない。
価格変動には、二つ要因がある。その一つが、時間。お客様からは、店の棚に並ぶ品物が、どれが古くてどれが新しいか、見分けることは不可能である。キモノも帯も、一定以上の質を伴っていれば、時間が経とうとも価値は変わらず、管理さえしっかりしていれば、劣化することは無い。ただ売る側の私は、全ての品物の仕入れ時期を把握している。以前もお話したが、古いモノは、長年棚で寝ている姿を見ていて、いわゆる「目垢が付く」状態になっている。だから、売れるチャンスがあれば、札値に関わらずに売ってしまいたいのだ。
呉服屋の商いは、とにかく品物を長い目で見なければ、続くものではない。仕入れた品物が一年以内に捌けるのは凡そ3割以下。これほど回転率の悪い商いも、あまり見当たらない。そこで、時間の経過と、品物の質を横目で見ながら、求めたい方との間で価格を交渉する。この時、札値より価格が下がるのは言うまでも無い。
常連さんの中には、店の品物に精通している方もおられ、時間の経過を値段交渉の材料にすることもある。このような取引の過程・駆け引きを楽しめるのも、小さな個人店だからこそ出来ること。私は、それも店の個性だと考えている。そして、人を雇わない「小店」だからこそ、価格が自由に裁量できる。結局は、バイク呉服屋の腹積もりが全てであり、札値は価格を決める一つの基準に過ぎない。
五つ玉算盤は、昔の呉服屋では定番。実際に祖父や父は、算盤で価格提示をしていた。
価格が変わるもう一つの要因は、季節。これはうちの店に限ることではないが、例えば浴衣や薄物は、シーズン終わりになれば、どこも値を下げて販売する。買い取って仕入れた夏モノは、売れ残ると、次の販売機会は約一年後になってしまう。だから、価格を少々下げても、早々に売ってしまいたいのである。
竺仙の品物などは、予め小売価格が設定されているので(全国どこの店も共通価格)、当然それに従って値札を付けている。しかし、よその店は知らないが、うちでは毎年お盆過ぎになると、設定価格は無視して浴衣を売ってしまう。但し、竺仙から文句を付けられないように、価格はそのままで、仕立て代や水通し代をサービスすることにしている。浴衣で、仕立て代を頂かないことにすると、凡そ30%値引きしたことになる。もちろん、誂える和裁士や地づめ職人には工賃を払うので、その分はバイク呉服屋の持ち出しになる。
そもそも竺仙の小売価格は、仕入価格と比較して安く設定されており、そのまま売っても利ザヤは少ない。これを3割も値引いてしまえば、ほとんど利益は出てこない。けれども、浴衣を和装の第一歩とされる方が多い現状を考えれば、少しでも求めやすくして、手を通す機会を作る方が良いように思える。これは、一つの先行投資に当たるかもしれない。こうした事情から、何が何でも正札通りの販売という訳には、なかなか行かないのである。
お客様へ渡す品代の計算書。右の朱色地は、悉皆加工を請け負った時に使う。
時間と季節を理由にして、価格はその都度変動する。けれども、品物の価格は生地本体だけでは無い。袷であれば、八掛と胴裏を付けなければならず、無地や絵羽モノでは、紋誂えが必要になるものもある。また紬など織物では、反物を湯通しして糊を落とし、生地を柔らかくしなければならない。もちろん、各々の誂えには仕立代も発生する。品物により、そして誂え方によっても、その加工方法は異なり、当然それは価格に反映される。
お客様への価格提示は、本体価格に加工代を上乗せしたものになり、その上に10%の消費税が加算される。例えば上の画像で掲げた145.000円の小紋を、胴裏と八掛を付けて袷で仕立てをし、そこに消費税を乗せるとなると、20万円を越えてしまう。だが本体価格は下げても、利幅の薄い裏地代や職人の加工代を下げる訳には行かない。そこで試みるのが、全ての経費を計算して、そこから値引きを起こす方法である。
つまり、加工賃と消費税まで含めて全部で22万なにがしとなれば、決済は17万円でと提示するのだ。この時、万円あるいは千円以下は出来るだけ切り捨てにした方が、判りやすい。本来消費税の金額は、最終価格に10%上乗せされたものだが、この方法では、実際に税額がいくらになっているのか判然としない。こんな税の提示は、ありえないと税務署員が飛んでくるかもしれないが、呉服屋商いでは、こうするより仕方がない。もし文句があるなら、「アンタ、キモノ売ってみろ」と言いたい。
こうして記すと、読まれる方は「なんて、どんぶり勘定な商いなのだろう」と思われるだろう。けれども、品代の中身には、値引き出来ることと出来ないことがあるので、こうするより他に方法が無いのだ。品物を加工しなければ商いが成立しない「呉服の特殊性」が、こうした形となって表れてくる。ただこれは、あくまでバイク呉服屋の商いなので、よその店がどんな価格提示をしているのか、全く判らないが。
キモノや帯が誂え終えて、初めて納品ができるということと、支払いを先に延ばす勘定・掛売・延勘定とは、大いに関連がある。そのことも含めて、後編では、なぜ未だにうちの店で掛売りが残っているのか、話を進めてみる。そして私が、現代の決済方法に背を向ける理由も、述べてみたい。
呉服屋の棚に置かれる商品は、古くても価値が下がることはなく、むしろ上がるものもあります。例えば、数年前に廃業した菱一のオリジナル商品などは、小紋にせよ紬にせよ、二度と手に入らないものです。また、竺仙の浴衣でも、型紙が破損して染められなくなったものがあり、そうした品物は希少品という位置付けになります。
ただ、そんな品物だからと言って、札値を上げることは無く、やはり仕入れてから年数が経っていれば、少々値引きしても、早く売り先を見つけたいことに変わりはありません。お客様が質と価格の両面で得をする品物と言うのは、こういうモノかと思います。キモノにせよ帯にせよ、いくらで売らなければならないという明確な基準が無いだけに、極めて難しい商いになりますね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。