現代は、不寛容な社会と言われている。「みんなが同じであること」に強い意識があり、少数派の主義や信念を認めず、強く批判をしてしまう。そしてそれは、時として人格の否定にまで及んでしまうことがある。この原因は、社会全体に蔓延るゆとりの無さや、急速に発達してきた情報社会にあるとされている。
心理学者によれば、自分に気持ちのゆとりがある時は、それほど他者の行動が気にならないが、心的にストレスが掛かると、取り留めのないことでも攻撃的になるらしい。特に自分より立場の弱い人に対し、蔑んだり理不尽なふるまいをする。これがいじめやハラスメントが起こる大きな要因である。考えてみれば、昔から「弱い者ほど、弱い者いじめをする」と言われてきたが、その心的背景は現代でも変わっていない。
この傾向は、SNSなどソーシャルメディアの普及に伴って加速したと考えられるが、発言者個人が特定されることなく、自由に他者を批判できることは、少し話は飛躍するが、安全地帯から無人爆撃機で無差別攻撃をするようなもの。その言動により、相手がどのように傷つくのかを全く慮ることはなく、無責任の言いっぱなしになる。
自分の主義主張に合わない者、あるいは全体からはみ出して目立つ者などを、言葉によって、完膚なきまでに叩く。そんなことが簡単に出来てしまう情報環境が、不寛容社会を増幅させたことに間違いはない。必要以上に人の評価を気にしつつ、出来る限り目立たないよう、後ろ指をさされないように生きる。背景には、集団からはみ出すことへの強い恐怖がある。この国はいつから、こんな閉塞的な社会になってしまったのか。日本の幸福度ランキングは、47位でG7(先進主要国)の中で最低。国民に幸福感が実感できないのも、さもありなんと言えよう。
このような心理的な背景からか、昨今、店と客(あるいは事業者と取引先)との間でトラブルが頻発している。いわゆる、カスタマーハラスメントと言われる問題だが、優位性を持つ立場の客への対応に苦慮する事業者はかなり多い。お客様の機嫌を損なわず、店の立場も理解してもらうというのは、大変難しいことである。
けれども、バイク呉服屋が日々依頼される仕事の中には、これと真逆なケースがある。それは、まさにお客様の寛容さが背景にあって、生まれる仕事だ。今日の稿は、私や職人たちを慮って頂きながら受ける手直しについて、お話してみよう。
今回、兵庫県のお客様から手直しの依頼を受けた、灰桜色の花織紬。
うちの店に依頼される悉皆仕事は、大きく分けて二つある。一つは、品物そのものに不具合が発生し、修復するケース。しみ汚れが付いたり、カビが発生した時、また生地が色ヤケを起こして変色した時の手直しがこれに当たる。もう一つは、品物の寸法を直すケース。これは、袖丈や裄、身巾など部分直しに止まる時と、一旦解いて全てをやり直す場合とに分かれる。もちろん、両方を複合して直すこともあり、時には品物に施されている加工、刺繍や箔の脱落、胡粉の引き直しなども請け負うことがある。
直しの仕事は、品物の状態次第で手順と施す職人が変わるが、ほとんどの場合で、複数の職人の手を必要とする。例えば、単純な裄の寸法直し一つにしても、まず袖付と肩付の部分を解き、付いていた縫い目のスジを消す。この時に、中に入っていた生地と表に出ていた生地とで色の齟齬があれば、色ハキをして同じ色に整える。この作業が終わって、ようやく寸法直しに入る。この仕事の過程では、解きスジ消し、色ハキ補正、縫いと三人の職人が関わることになる。
このように受ける仕事は千差万別なのだが、品物の状態により、完璧には直せないこともよくある。それは、汚れや変色が残ってしまう場合や、ヤケが上手く治せないケース。また寸法直しに関しては、元々の生地巾が足りずに裄が出せなかったり、縫込みが少なくて、身丈や袖丈が希望する長さにならなかったりすることなどである。出来る限りの努力をしても、どうしても難しいことはある。
こうした時には、まず品物がどのような状態にあるのか、お客様に伝える。そして、どこまで直せるのか、またそのためにはどのような方法を使うのかも、お話させて頂く。その上で、今後の方針を決めることになる。もちろん相談した結果として、直しを諦めてしまうこともある。けれどもこれまでの経験では、お客様が「出来る限りで良いので」と言って下さり、仕事を頂くことの方が多い。つまり、「完璧を求めない」という寛容さによって、手直しが始められるのである。
ではこの、「今より状態が少しでも良くなれば、それで十分」というお客様の期待に、私と職人はどう答えるのか。その仕事内容を手順に従って、これからご覧頂こう。
今回依頼を受けた花織紬で、最も問題になるのは、地色のヤケが全体に広がっていること。上の画像は、衿の剣先下の上前衽と身頃を写しているが、一見して、地色には変化は無いように見えるかもしれない。しかし実際には、前身頃と後身頃、さらに両袖を比較してみると、かなり色のバラツキがある。元々が薄い桜色なので、ヤケて白っぽくなったところは、近くでみると目立つ。
この品物が、どのような経緯で全体にヤケを起こしたのかは、わからない。ヤケは、品物を太陽や照明の光に長くさらすことで起こることが多いが、箪笥の中で発生するガスによったり、使っている染料の堅牢度が低いことが要因になったりもする。変色してしまった状態からでは、なかなか原因は特定できない。
画像は袖付を境に、身頃側と袖側を写したところ。このように近接してみると、色の違いがはっきり分かる。明らかに左の袖側の色がヤケを起こして、白っぽく変色している。もちろん元の色は、右の身頃側の柔らかい桜色。遠くからの着姿では判らない色の齟齬だが、この違いを目の当たりにすれば、放って置くことは出来ない。お客様も、着用する時にこのヤケが気になるからこそ、何とかしたいと依頼を思い立ったのだ。
そして同じ袖の中でも、袖口に近い方が色のヤケ方がひどくなっている。画像で青い糸印をつけたところの右側と左側では、明らかに色の違いがある。つまりキモノ全体からも、各々のパーツごとからも、不均一な色が表れてしまっている。
そしてヤケを起こした生地の中に、黄色く変色したシミが数か所付いている。この場合は、地の色を整える前にしみ抜きを行う。シミを放置したままでは、元の色に戻そうとしても、色が上手くのらない。
依頼を受けた品物は、このように、まず私がしみ汚れの有無やヤケの進み具合など、状態を細部まで確認し、具体的に補正を要する箇所に糸で印を付ける。そして、「出来る限りで良いから」という条件を伝票に記して、ヤケ直しとしみ抜きを担当する補正職人・ぬりやさんのところへ、品物を送る。そして翌日、品物が到着した頃合いを見計らって電話をかけ、現状と具体的な直しの方策について意見を伺う。
品物の状態を見たぬりやさんは、これだけ全体にヤケが広がっていれば、部分的に色ハキを施しただけでは、あまり効果がない。色ハキは、あくまでも局所的な手直しの方法だから、全体の色を元通りに戻すことはほぼ不可能だと話す。つまり、色ハキと補正だけでは、この品物の直しは難しいということなのである。
一番汚れとヤケがひどい、左袖の表側・袖口部分。ヤケていない部分と比較すると、状態の悪さは明らか。なるほど、これを元通りにするのは難しいかも知れない。
実際に手を入れる職人さんから、厳しいと言われれば、諦めざるを得ないが、往生際の悪いバイク呉服屋は、まだ何か他の道はないかと考える。そこで目を付けたのが、この品物が花織だけを施した紬であること。織物であるなら、生地の表裏をひっくり返して、誂え直すことが出来る。これまで表に出ているところはヤケていても、その裏側は変色していないのではないか。つまり、補正で直そうとせず、生地の取り方や位置を替えることで、全体を同じ色の方向に持っていくという、発想の転換である。
ぬりやのおやじさんには、しみぬきと部分的な色ハキだけをお願いすることにして、一旦品物を店に戻してもらう。そこで改めて、生地の裏側の状態を確認する。この花織紬は単衣なので、視認しやすいのだが、やはり裏側にはほぼヤケは起こっていない。そこで和裁士の保坂さんを呼んで、生地の表裏入れ替えや、配置転換について相談しつつ、誂え直しの目算を建てる。そして、「完璧とはならないが、今より色は統一されるはず」と判断できたので、この方針で直しを進めることに決める。
直しの方向が固まったので、お客様に仕事の手順と方法を伝え、各々に掛かる工賃について話をする。そして、了解を得ることが出来たことから、ここで初めて本格的な修復に手を付け始めた。
品物はまず、解いて洗張りを行う。元々お客様は、この紬を短い寸法で着用していたので、この際に仕立直しをすれば、裄や身丈を出来るだけ出して、これまでより着やすい品物に出来る。この洗張りの目的は、生地そのものの修復と状態確認のためだが、同時に寸法を直して着心地も改善出来れば、それに越したことは無い。
解いて、元の反物の幅に戻った生地を確認すると、表に出ていた箇所と、中に入っていた箇所との色の相違がより明らかになる。これは、後身頃に使っていた生地だが、尺差しを当てたところ・7寸5分ほどが表で、少し白っぽく変色しているのが判る。左側に残る2寸ほどの薄桜色が本来の色で、ここが裏に入っていたところ。これだけ色の差がある身頃部分も、袖のヤケに比べればまだ状態が良く見える。
洗張り後は、各々のパーツを繋ぎ合わす「ハヌイ」が施される。こうして画像でつなぎ目を比較しても、色の違いがはっきり分かる。送られてきた品物は、洗張りをすると同時に、しみぬきと部分補正(ヤケ直し、地直し)を済ませて戻されているが、この品物に限らず、洗張りで落とせななかった汚れは、必ず補正職人に回して修復を試みる。職人の間のスムーズな連携が、こうした難しい手直しの時には欠かせない。
表裏入れ替えや配置換えで、全体の色を整えると決めた手直しの方針。これに基づき、洗張りされた生地をパーツごとに確認する作業から始める。まずハヌイしてある糸を解き、布をばらす。そこで改めて生地の表裏や天地(生地の先端と後端)で、どれだけ状態に差があるのかを比較する。
左右両袖で、表に出ていた生地と裏に入っていた生地を比較する。画像で判ると思うが、右側が表に出てヤケを起こした袖、左が中に入っていた裏側の袖。こうしてみると、やはりひっくり返して裏を使えば、元の色を着姿の上に戻すことが出来そう。
一応、裏に返した状態で、左右両袖の色を比較してみる。最初の袖の状態とは、雲泥の差。これなら、ヤケを起こしていない身頃部分に繋いでも、それほど違和感は無い。色ハキで色を戻すより、はるかに簡単に確実に見映えは良くなるだろう。
なお確認のために、袖付のところで、身頃側の生地と色を比べてみる。完ぺきとは言えないが、このくらいの色の差なら許容されるだろう。そして最後に、和裁士の保坂さんと二人で、袖、身頃、衿とパーツごとに表に出す生地面や位置を決めながら、キモノの形に作って置いてみる。全体から色の映り方を見て、「これなら大丈夫」と最終判断をする。
衿は、掛衿と本衿を切り替えて仕立直した。最初の状態では、上前側の衿もかなりヤケが酷かったが、ご覧の通りきれいに生まれ変わり、身頃との色の差もほとんど無い。
前衽と身頃を写してみた。僅かに違いがあるが、目立つものではない。前後の身頃と衽も、場所によっては位置を替えたり、裏側を使ったりして、出来る限り全体の色と合うように試みている。
袖口から覗いているのは、元は表に出ていた生地。画像の左側が、新たに袖に出した生地の裏。一番ヤケが酷かった両袖も、限りはあったが修復に結び付けることが出来た。
生地の修復と寸法直しを行い、誂えを終えた花織紬。完全な直しとはならなかったが、限りのある条件の中で、やれるだけのことはやれたように思う。それもお客様が、「今より、少しでも見映えが良くなれば、そして着心地が良くなれば、それで十分なので」と、優しく依頼をして頂いたおかげである。
「何が何でも直さなければ」と言うのと、「出来るだけで良いので」と言うのでは、心の負担が全く違う。最初から、お客様側が一歩引いた形で依頼をされているので、その寛容な気持ちには何としても答えたいと思う。それが、仕事を進める上で、私と職人の原動力になる。こうして、小さな呉服屋を信頼し、日々大切な品物を預けて下さるお客様方には、感謝の他は無い。
今日は、「全体のヤケを、どのように修復するか」ということをテーマに、話を進めてきた。どのような直しであっても、根底にお客様との信頼がなければ、上手くはいかない。言葉を変えれば、何より意思を通わせることが大切と言えよう。そのためには、やはり「話すこと」が欠かせない。全てが修復出来るとは限らないが、手直しを依頼する品物への思いを共感しながら、これからも、出来る限りの仕事をしたい。
なお今回は、皆様には馴染みの薄い悉皆の話だったので、判り難いところが多々あったと思う。直しの仕事を言葉で説明するのは難しく、バイク呉服屋の力不足は否めない。何卒お許しを頂ければ、有難い。
私はかなりの「ものぐさ」なので、何に付けても、面倒なことは嫌いです。なので、SNSでマメに情報発信をしたり、ラインで頻繁に他者とコミュニーケーションをとるなど、考えたこともありません。そして、自分がどこで何をしているのかという情報を、リアルタイムで公にすることなど、まっぴらごめんです。
自分の存在や仕事を、広範囲に、そして迅速に知らしめると言う点で、ソーシャルメディアは大きな役割を果たしていますが、この得体のしれない道具に、日常の時間を掠め取られている方が、どれほど多いことでしょう。私自身もブログで情報発信をしているので、全部を否定するものではありませんが、やはり何かが違う、そして依存すれば大切なことを失うように思います。ですので、この先ブログ以外の発信手法をとる予定はありません。
情報発信をしていれば、受け取り手(このブログでは読者)の評価は、多少なりとも気にはなるものですが、私は、「面白いと思えばまた読んで頂けるし、つまらないと思えば一度限りになる」くらいの緩さで、いつも考えています。人の評価に無頓着でいられるというのは、バイク呉服屋ならではの個性かもしれませんね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。