バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

桃の節句に、桜と桃の三歳祝着を誂える(後編・被布編)

2023.03 13

1000人あたり、1.7人。この数字は一昨年、生後一年以内に死亡してしまった赤ちゃんの割合。この乳児死亡率は、諸外国(欧米では平均2~5人)と比較してもかなり少なく、日本は世界の中で、赤ちゃんの養育環境が最も整っている国と言っても良い。そしてそれは、高度な医療技術を持ち、衛生環境が整っていることの証でもある。

けれども、日本における子どもの生育環境は、長い間厳しい状況に置かれていた。厚生労働省の人口動態調査によれば、記録に残る最も古い年・1899(明治32)年の乳児死亡率は、1000人あたり何と153.8人。つまりこの時代、15%の子どもが一年も経たずに亡くなっていたことになる。こうした高い死亡率は、明治から大正、そして昭和戦前期にかけて続き、ようやく戦後の高度成長期になって、大幅に改善された。ちなみに死亡率が1%を割ったのは、1976(昭和51)年のことである。

お宮参り、七五三参り、十三参りと続く、子どもの通過儀礼。いずれも、その時々の子どもの成長を神さまに祈願し、報告し、感謝する儀式である。健やかに育つことが普通になった今では、ある意味で形式的な儀礼かも知れないが、厳しい環境下にあった戦前までは、それこそすがる気持ちで、子どもの無事を神様にお願いしていたことは、想像に難くない。そのため多くの人々は、生まれた土地の神・産土神(うぶすながみ)を、子どもの守護神として、厚く信仰したのであった。

 

先月末、昨年の子ども出生数が80万人を割り込んだと発表されたが、このまま少子化が進めば、いずれ社会保障制度や経済成長など、国の根幹に関わることに影響を及ぼすと、政府は危機感を強めている。けれども、この先如何なる少子化対策をしようとも、子どもを産むマインド、そして結婚を考えるマインドは、上向かないだろう。もちろん、経済的な要因が大きなウエイトを占めるが、同時に、若者が持つ人生観や価値観が大きく変貌したからではないか。子どもを健やかに育てる良き環境がありながら、肝心な子どもがいない。この国が「空洞国家」となる危機は、もうすぐそこまで来ている。

だがこうした時代にありながら、今懸命に子育てをしている若い親たちがいる。何よりも子どもの健やかな成長を望み、幸せな未来が来ることを祈る。その気持ちこそが、今なお「成長の儀礼」を大切にする心へ繋がっている。ということで今日の稿も、双子の三歳の女の子が誂えた祝着について。今回は、被布の誂えを中心に話を進めてみよう。

 

疋田絞りの小紋で誂えた、二枚の被布。双子ちゃんなので、寸法は同じ。

そもそも被布の歴史を辿ってみると、19世紀初頭・江戸享和期に考案された男物のコートに行き着く。別名で披風とも書くこの防寒着・外衣は、幅広く作った衿を折り返して着用し、前は衽を深く重ね合わせて、組紐で止めていた。これは茶人や俳人など、いわゆる文化人たちが好んで使用したと、江戸の風物類書・守貞謾稿に記載がある。

 

1820年代の文政年間になると、女子にも被布の着用は広がったが、それは町方の一部や大奥の女中など、上層階級に限られていた。そうした中でも「被布好き」として知られていたのが、13代将軍・徳川家定の正室・天璋院(てんしょういん)篤姫。何年か前のNHK大河ドラマで、宮崎あおいさんが演じた、あの篤姫である。

篤姫は、一日に5回もお召替え(着替え)を行っていたが、日常着の縞モノやお召縮緬を着用した際には、必ず被布を付けていたと言われている。この被布生地は、主に紫の紋綸子などで、広い幅の丸い衿を折り返して着用し、その衿元には房飾りが付いていた。被布には袷や綿入れがあり、袖は口を開けた広袖。そして、縫いか染抜きで五つの花紋(洒落紋)を入れるという、実に凝った上着であった。

 

現在被布は、一部のコートに「被布衿」として形が残るほかは、ほとんどが三歳祝着の上着として、認識されている。子どもの被布は袖が無く、丸衿に組紐で作った花結びの飾を付け、前を深く合わせて留める。形状的に考えると、被布の目的は上着やコートと同じだが、子どもの祝着として羽織る理由は、その姿に「可愛さや愛らしさ」があるからと思われる。明治以後、被布は女子用・子ども用として使われてきたが、祝着として、ここまで定着した理由ははっきりしていない。ともあれ、今回桜と桃の祝着には、どのような品物を選んで被布として誂えたのか、これからご覧頂こう。

 

桜と桃の祝着用被布として使用したのは、有松の総疋田(鹿の子絞り)着尺。

今回、八千代掛けから三歳祝着へと誂え直すにあたり、お客様の方から被布として使って欲しい品物があると申し出があった。それが、上の画像にある総疋田の絞り着尺である。反物としては、大人のキモノ分3丈以上の長さがあり、これで二枚分の被布を誂えることは、十分可能かと思われる。色は、やや赤みを持つ藤色で、見た所では少し落ち着いた印象が残る。

この方のお住まいは愛知県。ご存じの通り名古屋市の有松地域(現在の緑区有松)は、江戸・慶長年間から絞り染めの生産地として発展してきた。この有松で編み出された多くの技法は、後にもう一つの絞り産地・京都へ伝えられ、多彩な絞り製品を生み出す礎となる。有松絞りの中心は木綿絞りだが、現在は絹モノの生産も多い。この絞り着尺は、毎年初夏に行われるイベント・有松絞りまつりで購入したもの。地元の誇りとも言える絞り製品で、こだわりの被布を作りたいと言う希望が、今回の依頼となったのだ。

私の方で、被布用の品物を探す手間は無くなったので、請け負う仕事は誂えだけ。だが三歳祝着用の被布は、すでに出来上がた品物から選ぶことがほとんどで、凡そ誂えることは無い。つまり被布に関しては、これまで「仕立」を考えるケースが全く無かったのだ。そしておそらく、うちの仕事を担う和裁士に、被布を縫った経験のある者はいないはず。だから依頼を受けた時点で、「さて、どうなるか」と少し心配になっていた。

 

疋田絞り小紋の表情。四角に近い丸い形の粒が、巾一杯に散っている。この模様が、鹿毛の斑点に似ていることから、「鹿の子絞り」の名前が付いた。これはまず、布を指先で小さく摘まみ、糸を巻いて括った後で染める。そして乾燥させた後で括り糸を解くと、こんな白い粒の模様が現れてくる。この技法は、古く奈良期の文様染・纐纈(こうけち)として使われたもので、正倉院の所蔵品にも優れた作品が多く残っている。なお有松では、明治の末年に機械加工による鹿の子絞りが創案されており、京鹿の子に先駆けて、量産体制が整った。

被布の裏地には、胴裏を使って別染する。着姿からは見えないが、被布の色や祝着の色を考慮して、優しい桜色に染めてみる。折角反物から被布を誂えるのだから、裏地にもこだわりを持たせたい。使用したのは、旧北秀商事の色見本帳・秀美。

染め上がった被布裏地と、少し巾出しをした疋田絞り生地。これで誂える準備は整ったのだが、問題は「誰が仕立てをするのか」ということだ。先述したように、うちの三人の和裁士には、被布を縫った経験のある職人がいない。けれども、この中の一人に任せる以外には無い。伝手を辿れば、仕事に慣れた京都の職人に依頼することも出来ようが、私としては、やはり「気心の通じたうちの職人」に仕事をして欲しい。これまで縫ったことのない被布を上手く仕上げれば、自信につながり、それは仕事の幅を広げるチャンスでもある。

 

これは今から40年前、昭和の時代に誂えた被布衿の道行コート。折った丸衿の先端に、組紐で作った花飾りと房飾りを付けている。最近では、この被布衿に限らず、千代田衿とか都衿、ヘチマ衿など、いわゆる変わり衿の誂えを依頼されることは、めっきり少なくなった。だが、需要の多かった70年代や80年代の品物では、こうした変形衿コートが特に珍しくはなかった。

今回、この被布誂えを担当することになったのは、コートや羽織を得意とする和裁士の小松さんである。彼女は変わり衿コートの誂え経験が豊富であり、もちろん被布衿を作ったこともある。さらに道中着の仕立では、付ける飾り紐も、自分で組んで上手に花を作る。こうした技術を見込んで、彼女に仕事を依頼したのだ。すると「子どもモノの経験な無いが、被布の誂え見本があれば、何とか作れそうです」と言ってくれた。そこで誂える絞り小紋と一緒に、既製の被布を渡して、仕事を始めてもらうことになった。

 

完成した三歳用の被布。被布の寸法に関しては、祝着の寸法を測った時、同時に既製の被布を双子ちゃんそれぞれに羽織らせて、丈や幅を確認した。そして和裁の教科書には、基本的な三歳の被布寸法が明示されているので、これと実測寸法とを照らし合わせながら、実際に誂える寸法を和裁士と相談しながら決めた。

被布の後姿。双子ちゃんだけに、ほとんど二人の寸法は変わらないが、お姉さんの桜子ちゃんの方が2cmほど大きい。ただ被布丈は、1尺4寸5分(約55cm)で二人とも同じ長さ。キモノの着丈が1尺8寸なので、被布の裾はキモノから3寸5分(13cm)ほど上がったところに来る。他の主な寸法は、脇の開き6寸5分(25cm)・肩巾6寸(23cm)・前巾5寸(19cm)・後巾6寸(23cm)・脇のマチ丈1寸(3cm)。従来被布は、綿を入れてふっくらと仕上げるものだが、今回は生地が絞りなので、綿無しでも十分にふんわりとした風合いになる。

一番難しい曲線衿・被布衿は、型紙を用いて作る。衿の曲線や巾は、和裁士の判断によって少しずつ違うものの、基本形に変化はない。この衿部分は、作った型紙を生地に置き、縫いしろ分を考慮に入れて印を付けたところで、裁断したもの。本来直線裁ちが基本の和裁にあって、曲線を縫うことは稀。型紙による裁断は、被布や変わり衿コートに限定される。寸法は、タテ衿下り3寸5分(13cm)・衿巾2寸5分(10cm)。

仕事を終えた小松さんによれば、同様に型紙を使う大人コートの変わり衿よりも、子ども被布衿は、箇所各々の寸法が小さくて縫い難いと言う。それでも数をこなして慣れてくれば、スムーズに針を運べるようになりそうとも話す。全てにサイズの小さい子どもモノは、ある程度経験を積むことが必要かも知れない。

被布には付き物の飾り紐と飾房。飾り紐は、小松さんが自分で赤い紐を用意して、菊結びに組み上げた手作り紐。彼女はこれまでにも、大人モノの道中着やキモノ衿コートを仕立る際に、飾り紐を付けているので、やはりその経験がここで生きたのである。なお飾り房に関しては、手芸用材料品店・新宿のオカダヤで私が求めた既製品を、小松さんが取り付けた。

 

姉・桜子ちゃんの三歳祝着と被布

妹・桃子ちゃんの三歳祝着と被布。

キモノは中村さん、被布は小松さんと、二人の和裁士の手を経て、ようやく双子ちゃんの三歳祝着が完成した。被布に使用した疋田絞りの色が、最初はかなり地味なものに感じられたが、こうして仕上げて着合わせてみると、桜のサーモンピンク地色にも、桃の薄桜地色にも、うまくマッチしているように思える。そして絞りならではの、柔らかな着姿にもなっている。この生地を被布に選んだ双子ちゃんのお母さん、なかなかのセンスである。

 

桜子ちゃんのキモノと半襦袢。

桃子ちゃんのキモノと半襦袢

長襦袢はお母さんからの要望で、丈の短い半襦袢を誂えて使うことにした。胴は木綿のシンモスを使い、袖には別布で化繊生地を使う。どちらの襦袢か判りやすいように、桜子ちゃんは赤・桃子ちゃんは黄と袖布の色を変えた。そして、同じ小花の刺繍衿を取り付けて、衿元を可愛くする。なお襦袢は、中村さんがキモノと一緒に仕立てを施した。

 

八千代掛けを預かってから3か月。こうして三歳祝着一式を誂え終わり、無事に桃の節句に間に合わせて届けることが出来た。色とデザインにこだわって誂えた、糊置き友禅の桜と桃の小紋は、改めて宮参り着から祝着に仕立替えてみると、より愛らしい姿になったように感じられる。

この祝着は、この先七歳、十三歳と成長するごとに、その都度手を入れながら使い続けて頂くことになる。そのための備えは、今回の仕事の中で十分に出来たように思う。後はバイク呉服屋とうちの職人達が、4年後、そして10年後の依頼に応えられるよう、仕事を続けていることが求められる。その時までは、何とか、頑張っていたいと思う。最後に、桜と桃の祝着姿をもう一度ご覧頂きながら、今回の稿を終えることにしたい。

 

産着から十三参りまで、一枚のキモノを子どもの成長に合わせて誂えていると、否応なく時の流れを感じてしまいます。今回、三年ぶりに会った桜子ちゃんと桃子ちゃんですが、私にしてみると、赤ちゃんから一足飛びに三歳になってしまったような、そんな錯覚を覚えました。そして元気に成長した姿を見ただけで、本当に嬉しくなります。

次の通過儀礼・七歳の時には、私は67歳になり、十三参りでは73歳になっています。このくらいまでは、何とか呉服屋として仕事が出来ると思いますが、それ以降は、私自身もどうなるか判りません。ですので、これまでのように長いスパンで子どもモノを提案していくことは、この先難しくなるかも知れません。つくづく、あと20年くらい自分が若ければ、と思います。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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