バイク呉服屋への仕事依頼のほとんどは、まずメールから始まる。それはいつも突然のことであり、その多くは、店が位置する山梨県以外に在住されている方からだ。都内を含めた関東圏からがほとんどだが、仙台や名古屋、大阪や兵庫など遠方からもあり、中には一つの仕事をきっかけにして、長くお付き合いを頂いている方もおられる。
初めて依頼を下さる方のほぼすべてが、このブログを読んだことが契機になっている。ただ面白いのは、読者になって日の浅い方は少なく、何年も読み続けているコアな方が、意を決したようにメールを送って来られること。こうした方の依頼は、私の仕事の方法やお客様との向き合い方を、ブログで知った上でのことなので、頂いた文面からはその真剣さが伝わってくる。
新しい品物の誂えならば、着用する場所や時期を具体的に明示してある場合が多く、何を求めたいかが、具体的に記されている。例えば訪問着ならば、技法は加賀友禅で地色はクリームか銀鼠の薄地、図案は控えめな花鳥柄で春秋問わず装えるものとか、袋帯なら帯メーカーを指定した上で、地色や文様名まで書いてくることもある。仕事を受ける私としては、漠然とした依頼よりも、詳しく希望を話して下さる方が品物を提案しやすく、こうした提示はかえって有難い。
そうした中で、すでに形になっているモノを探すのではなく、装う方が望む色や模様を、品物として製作する「オリジナル誂え」の依頼があるが、これが一番難しい。既製の品物では満足できないと考えるからこそ、自ら誂えようとする訳であり、そこには、並々ならぬ意欲と強い希望がある。その上でブログを読んで、「バイク呉服屋なら、この仕事が請け負えるはず」と期待して声を掛けてくるのだから、私に掛かる仕事のプレッシャーは、強烈である。
当然ながら難しい仕事が多く、依頼品のほとんどが「ここぞ」という場所で装うフォーマルモノ。なので、請け負った限りは失敗は許されず、何としても満足のいく品物として誂えなければならない。依頼されるお客様とバイク呉服屋、そして実際にモノ作りをする職人の三者が心を一つにしなければ、絶対に成功に結び付かない仕事である。
こうした特別な誂えの一つとして、昨年、実に呉服屋冥利に尽きる仕事を請け負った。それは、婚礼衣装として装う無地振袖を別染し、それに相応しい帯と襦袢、小物までを一式揃えて納めるという依頼。これはまさに、一生に一度の晴れやかな場面で装う「特別な振袖姿」だ。この衣装姿こそが、本来の振袖が持っている「第一礼装としての佇まい」である。
そこで新年初めの稿として、今回の婚礼衣装をどのように完成させたのか、手順を追ってお話してみたい。そこには、二十歳の集いと名前を変え、すっかり形骸化した成人式典用のコスプレ的な振袖とは全く異なるコンセプトがある。稿を読まれた方が、振袖と言う品物が持つ意味を、少しでも考える機会になればと思う。三回シリーズの今日の内容は、自分だけの振袖をどう考えて誂えたのか、生地や色を中心に話を進めてみよう。
別染・鬼しぼ縮緬振袖(三つ紋付) 染色は、鮮やかな牡丹色と躑躅色の中間色
今回依頼を受けた方から、初めてメールを頂いたのは、昨年の六月初旬のことだった。年齢は、私の長女とそう変わらない若い女性である。文面の最初には、以前からブログを読んでいる旨が書いてあり、相談事は、秋に自分の婚礼を控えているので、そこで装う花嫁衣装を誂えたいとのことであった。希望する品物は、無地の振袖。二十歳の時に振袖を作らず、写真も写していなかったので、結婚に際しては、地毛で日本髪を結い、ぜひ自分だけの振袖を誂えたいと考えていたと話される。
10代からキモノは好きだったが、持っている品物は頂き物がほとんどで、これまで呉服店で、きちんと誂えをしたことは無い。しかしだからこそ、ここ一番の衣装だけは、自分の納得した品物を、信頼できる店で誂えたいと考えていたと言う。そして今回、読み続けてきたブログの内容から「ここなら出来る」と判断して、バイク呉服屋を選んだのであった。
友禅や刺繍を施した振袖も良いが、心底納得できる品物に出会えるかが判らず、自分で色が選択できる無地モノならば、一番自分らしい装いになるはず。そして後々の着用を考えても、無地ならばこそ可能で、合理的誂えになると。色も、鮮やかな赤紫の系統にしたいと具体的で、希望とする装いの全体像がはっきり定まっている感がある。
ここまでしっかり方向が判っていれば、後はそれをどのように実現するか、である。私も、無地の誂えならば幾度も経験があり、以前には振袖の誂え染も請け負ったことがある。ただ、使う生地によって発色が違い、どの色にするのか見極めることは難しい。いずれにせよ、きちんと向き合ってお話を伺わなければ、話は始まらない。依頼を受けた時に、いつも思うことだが、「バイク呉服屋なら、希望を叶えてくれる」と見込んで頂いた心持には、何としても報いたい。今回もその一心で、依頼に答えることにした。
最初お客様からは、東京から甲府に来るとのお話を頂いていたが、お住まいを聞いたところ、私の家内の実家から三駅隣で、同じ沿線。車だと、20分ほどしかかからない。馴染みのある場所なので、私の方からお伺いすることにした。何回かやり取りして話を詰めた後、最初のメールからひと月後の六月末、白生地と色見本帳、振袖用の長襦袢に刺繍半衿などを携えて、お会いすることになった。
用意した振袖誂染用の白生地・七反。上の四反が紋綸子、下の三反が繻子織と一越縮緬
まず最初に決めなければならないのは、振袖にどのような生地を使うかということ。袖丈が三尺も必要な振袖なので、使う白生地は、八掛を別に付ける五丈モノか、あるいは通常のキモノに使う三丈モノを二反使いするかである。選んだ七反も、三丈モノと五丈モノが混在しているが、縮緬地の方が、長尺のものを探しやすい。
四反の紋綸子白生地。左から、菱波文・羊歯文・四君子紗綾形文の大小二点
織の組織や糸の使い方を変化させることで、様々に織り出される地の文様。従来は、経糸や緯糸が長く浮く繻子(しゅす)織を使っていたが、最近は、経糸と緯糸の交点が斜めに連続することで文様を浮き上がらせる斜文(しゃもん)織を用いている。いずれにせよ、この生地の特徴は、各々が持つ地紋に個性があり、織によって生まれる独特の美しい光沢を持つこと。また地の質感は柔らかく、皺が付き難い性質がある。
ぼかし雲と名前が付いた、繻子織の白生地。
先述した繻子織を用いて、雲を暈したように模様を織り出した白生地。この織り方では、糸の屈曲が極めて少なく、隙間なく密に並ぶ。そのため、生地は厚くなるものの、極めて柔らかくしなやかな風合いを持つ。基本的には、五本ずつの経糸と緯糸で組織されることが多く、この白生地もそれにあたり、「五本繻子」と称されている。ただ難点は、摩擦に弱いことか。
縮緬の白生地は二点。左はシボの細かい一越、右はシボの大きい鬼シボ
ご存じのように縮緬は、左右に強く撚った糸を平織した後、繊維の不純物を除去する精練の工程で、撚糸の撚りが戻って糸が伸び、縮みが生まれる。その結果として生地表面に凹凸が出来、これがシボとなる。このシボこそが縮緬の特徴であり、生地の持つ凹凸に対して様々な角度で光が反射する。なので色を染めることにより、なおのこと生地の質感が高まってくると考えられる。
左の細かいシボの縮緬地は、経糸に平糸を使い、緯糸に右撚りと左撚りの強撚糸を一越ずつ交互に織り込んでいるので、「一越」と呼ばれている。右の大きいシボの縮緬地は、経糸は一越と同様に平糸だが、緯糸には右撚りと左撚りの強撚糸を四本、あるいは六本ずつ交互に織り込んで、特殊な大きなシボを出している。この大シボ生地には、「鬼シボ」あるいは「鶉縮緬」という名前が付いている。重みがあり美しく色を映す良い生地だが、縮緬と付く名前の通りに、水にぬれると縮んでしまうのが玉にキズ。
鬼シボ・鶉縮緬の生地表面。拡大すると、確かに凹凸の大きさが鶉のようにも見える。
一長一短のある白生地の特徴をそれぞれに説明し、紋綸子各々の模様も見て頂きながら、どれを使うか考えて頂く。その結果として選ばれたのが、大きいシボが特徴の鬼ちりめん生地。決め手となったのは、他では見られない重厚感のある生地の質感と、染め映えすることを十分に予感させる美しいシボであった。私も、生地を持参する前から、鬼シボに決まるような気がしており、奇しくもというか、やはりと言うべきか、お客様と意見の一致を見た。
生地が決まったところで、もう一つの大きな課題は染める色。お客様が希望される色は、ハマナスの色や牡丹の色、あるいはマゼンタ色・紅紫色のような、赤紫の気配を感じさせる濃いピンク。ただ、画面や印刷物の色見本では、色味や明度が異なるため、特定することは難しいと事前に話されている。そしてこの系統の色は、きつすぎればけばけばしくなり、落ち着きすぎると、婚礼振袖らしい華やかさに欠けてしまう。基本的な色目は決まっていても、条件を満たす色を判断することが難しい。失敗は絶対に許されないので、どうしても慎重にならざるを得ない。
色見本としてお客様が保管していた残り布。生地は紋綸子で、扇面の地紋が付く。
持参した幾つもの色見本帳で、牡丹や躑躅系統の色を探すが、これと決めるにはなかなか踏ん切りが付かない。慎重になっていることもあるが、帯に短し襷に長しで、どうにも決め手に欠ける。これまでの経験から、別誂で色を染める場合には、色を見た瞬間に「これだ」と直感出来なければ、上手く行かないことが多い。私にもお客様にも、インスピレーションが働く色が出てこないのだ。
袋小路に入りかけた時、お客様から「保管しておいた残布があるのですが・・・」と持ってこられたのが、画像にある深い赤紫の綸子生地。紋綸子なので、地紋のあるところと無いところでは、色の気配が違うものの、色の質感そのものは、まさにお客様の希望されている牡丹や紅紫色である。小さな色見本帳ではなく、大きな布で色を見たせいなのか、この色に「ビビッ」と反応する。
「この色、良いかもしれませんね」と提案すると、お客さまも頷いて下さる。話を伺うと、この布は埼玉の旧家の蔵で見つけたもので、その家から貰い受けたと言う。実は今回、仕事を依頼されたこの若いお客様は、「意匠形態学」という学問を大学で専攻されている方。この学問は、人が作り出すあらゆるモノの成り立ちや構成要素の特性を、形態学的な視点から考察するというもの。時には、デザインをリサーチした上で、新たな作品を制作することもあるようだ。
この見本布は縁があって、とある旧家の蔵に残る大正~昭和初期のキモノを見せてもらった時に見つけたもの。彼女はこの赤紫の色をとても気に入ったので、頼んでその家から譲って頂いたそうである。ともあれ、この布の色がずっと気になっていたことは確かで、裏を返せば、これが求めていた色とも理解出来る。モノの構成要素やデザイン性を研究している彼女だからこそ、色には特に敏感であり、ならばこの残り布の色で間違いは無い。
ということで、この紋綸子の残布にあしらわれた牡丹色で、振袖生地を染めることに決まった。そして、深い色の方が縮緬生地に映えるとの考えから、残布の中でも扇面地紋の無いフラットな場所の色を抽出する。染め方は、刷毛に染料を含ませ、薄い色から濃い色へと順に染め上げる引染めを使うことにする。
染上がった鬼シボ縮緬の振袖生地・共色染の八掛。反物の左側にあるのが見本布。
色を決めてひと月半、8月のお盆前には、依頼した京都の引き染職人から反物が染上がってきた。画像でも判るように、色の気配や明度、深み、そして受けるイメージなど、すべて見本布の色を忠実に踏襲している。以前色染めの職人さんからは、100%同じ色には絶対にならないと聞いていたが、こうして画像で比較しても完璧に近い。実際に実物を目でみると、より色の精度が高いことが判る。
見本布と染めた振袖生地の比較。左が見本布、右が染めた白生地。
生地の方が、見本より僅かに色の深みがあるが、色から受ける印象は変わらない。色染めで大切なのは、質感よりも気配かと思う。鮮やかな色だが、派手過ぎてきついイメージではなく、深みとツヤを持ち、重厚さが伺える落ち着きのある華やかさ。それが、染め終えた白生地から受ける印象だ。
シボが生地表面から浮き立ち、染め色が光に映える。この生地を選んで、正解だった。
色は濃紅に僅かに淡い紫をくぐらせたような、牡丹色と躑躅色の中間色。明るい色だが、浮き立つばかりでなく、どことなく落ち着きが残る。洋的な気配を持ちながらも、和の深みも感じられる不思議な色。おそらく依頼されたお客様が、旧家の蔵でこの色を目にした時、こんな感情を持ったのではないだろうか。染上がった生地の画像をメールで送り、確認の上納得して頂けたので、三つ紋を入れた後に和裁士に誂えを依頼する。
誂え終えた振袖。やはり反物で見るより、色の鮮やかさが増している。早く装った姿を見たい、そんな思いに駆られる振袖に仕上がったように思えて、大きな山を一つクリアした気持になる。けれど花嫁衣裳は、これだけではコンプリート出来ない。これから相応しい帯と小物を提案し、この艶やかな振袖を生かすコーディネートを、完成させなければならない。
剣先の下から、裾までの上前衽に縫い記されている「ぐししつけ」。精緻なぐしの表情が、鮮やかな生地の上から見て取れる。和裁士にとっても、腕の見せ所。生地も染も満足のいく出来になったので、最後の仕立は、装う方の寸法に慎重に合わせることはもちろん、見映えの良い誂えにすることを目指さなければならない。このような仕事を安心して任せられる和裁士の存在は、店にとってかげがえのない財産だ。
誂えの仕事をご紹介すると、どうしても長くなってしまい、どこで区切りを付けたら良いのか判らなくなってしまいます。きっと、ここまで読まれた方も、お疲れになったことでしょう。今日は、振袖生地と色染めに関することで終わり、次回の中編では、この振袖に入れた紋のことから始めて、どのようにコーディネートした帯を選んだのかを中心に、話を続けることにします。なおこのシリーズは三回で、最終回に美しい花嫁姿をご紹介させて頂く予定にしております。また、折角の美しい振袖の色が、画像によって変わってしまい、きちんとお伝え出来なかったことを、最後にお詫びさせて頂きます。
なお今回、ブログの掲載にご協力頂いている依頼されたお客様、東京・足立区のMさまには、この場を借りてお礼を申し上げます。
呉服屋の仕事とは、お客様の希望をどれだけ反映出来るかなのだと、私は思っています。手直しにせよ新しい誂えにせよ、「こうして欲しい」とか「こうなったら良い」という望みが必ずあるので、それをきちんと伺った上で、出来る限り満足できるものに仕上げていくことが求められます。
もし10人お客様がいれば、それぞれに異なる和装への意識があり、もし100件仕事があれば、それは一つとして同じ施しにはなりません。つまり依頼されるお客様、また仕事に対しては、画一的なマニュアルなんぞで対応することなど、到底出来ないということです。では、仕事を請け負う時に、何をバックボーンとするか。それは「経験」に他なりません。どのように直したのか、また相応しい品物をどのように誂えたのか。それが次の依頼に必ず生かされており、この繰り返しが仕事の幅を広げ、いわば年輪のように積み重なっているのす。
難しい誂えや、悩ましい直し仕事を受けることは、年輪をまた一つ重ねること。今年も、こうした依頼をして頂けることに感謝しつつ、仕事に臨みたいと思っています。 今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。