バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

12月のコーディネート  王朝的な貝桶文で、良き日を優美に装う

2022.12 19

一応、呉服屋の息子として生まれ育ったので、子どもの頃、店がどのような雰囲気だったのか、何となく覚えがある。もちろん、何をどのように売っているのかは、小学生の私に理解できるはずも無かったが、「きれいな布を扱っていること」だけは、判った。当時は両親の他に、番頭さんと女性の事務員さん数人が店で一緒に働いていて、いつも忙しそうにしていた。

そんな中でも師走の忙しさは特別で、丁度今の時期は、年内に納める品物を届けたり、節目である暮れの勘定を受け取りに行ったり、また急に依頼された仕事を和裁士のところへ頼みに行ったりと、それこそ朝から晩まで休みなしだった。当時は11月と12月に店の休みが無く、大晦日もギリギリまで店を開けていた気がする。高度経済成長盛りの昭和40年代は、呉服屋にとっても一番良い時代で、業界も活気に満ちていた。

 

暮れも押し詰まった、今頃の店の光景として覚えているのは、日本手ぬぐいの裁断。毎年この時期になると、誂え染めを依頼された手ぬぐいが、型染めした長い布のまま送られてきていた。もちろんこのままでは使えないので、店で裁断して一本ずつに分け、熨斗紙をかけた上でお客様に引き渡すことになる。

手ぬぐいの主な依頼主は、芸者衆や三味線のお師匠さん。その頃、うちの店の近くに若松町という花街があり、芸妓の事務所・検番が置かれ、料亭なども数多く並んでいて、華やかな雰囲気を醸し出していた。まだ甲府の街にも、お座敷遊びをする人が大勢いて、それを提供する場所も沢山あった時代である。そんな芸妓さんたちが、新年初めのお座敷に来た旦那衆に、自分の名前が入った日本てぬぐいを手渡したのだ。今でこそ「誂えの手ぬぐい」を注文する人などいないが、昭和40年代は当たり前のように依頼があり、その仕事は呉服屋の暮れの風物詩にもなっていた。

 

半世紀が過ぎ、年末の風景も呉服屋の仕事ぶりも、すっかり様変わりした。それでも、まだうちの店では、暮れに勘定払いをする方もあり、また年内の誂え依頼をされる方もある。昔の祖父や父の仕事姿にはほど遠いが、それなりに師走の忙しさは残っている。ブログも、年内の更新はあと二回。今日は、今年最後のコーディネートをご覧頂こう。

 

(藤袴色地 貝桶模様・友禅色留袖  白地 帯繋ぎ模様・袋帯)

文様のモチーフとして使われる器物は、衣食住に関わる用具や調度品が中心だが、その内容は生活の形が進歩するにつれて変わり、時代ごと、そして社会の階層ごとにも変わっていった。例えば、平安貴族の住まいには欠かせない几帳や御簾、さらに化粧道具としての鏡や手箱は、それが文様として使ってあるだけで、優美な雰囲気を醸しだす。

貴族が外出時に用いた御所車や、和歌を書き連ねる時に使う色紙、さらに檜の板を糸で繋いで扇にした檜扇(ひおうぎ)、またキモノを掛ける道具・衣桁も、特徴的な中世貴族の器物文様と言えよう。このような王朝的な道具は、江戸時代以降は吉祥的な意味を持つモチーフとして認識され、小袖の図案としても数多く使われるようになった。

今回のコーディネートに取り上げる色留袖と袋帯は、共に器物文をモチーフとしている。色留袖は、お目出度い時に装うフォーマルモノらしく、貝桶を意匠の中に配し、袋帯は、帯を横に並べて繋げた、何ともユニークで不思議な図案。どちらも器物各々には春秋の花々を装飾し、彩り豊かに描いてある。では、各々どのような文様姿になっているのか、これから見て行くことにしよう。

 

(藤袴色地 貝桶に花筏模様 友禅色留袖・北秀商事)

地色は淡さが残る薄い紫色で、秋の七草の一つ・藤袴の花色に似ている。柔らかみと落ち着きが同居する品の良い色だが、図案の配置はなかなか斬新。画像で判るように、剣先のすぐ下の上前衽から身頃にかけてと、もう一か所裾に近いところに、鋭角な切込み模様が入っている。また反対の下前衽から後身頃にかけても、同様に切込みがあり、こちらは型疋田があしらわれている。

この切込み模様の中には、貝桶や花筏、網干などが模様付けされている。全体的に見ると、あしらわれているモチーフ一つ一つの図案は大きくないが、切込みの大胆さが、この色留袖の模様姿をシャープに見せている。

模様の中心になっているのが、紐を付けた貝桶。そしてそれを囲むように、松竹梅や秋草の花々が描かれている。おとなしい地色に添うように、模様の配色も控えめ。貝桶の紐の朱色が目立つくらい。吉祥な貝桶と春秋花の組み合わせは、季節を問わずに装うことが出来るので、色留袖としては、極めてオーソドックスな柄行きと言えよう。

 

着姿の中心・上前の衽と身頃には、四つの貝桶が置かれている。ベージュ色の切込みの上に二つ、藤袴地色の上に二つ。上の二つの貝桶は寄り添い、下の二つは離れた位置に置かれる。メインのモチーフ・貝桶をバランス良く配置して、この図案が着姿として印象に残るよう考えられている。目出度い席に着用する色留袖だけに、吉祥の象徴・貝桶を強調したのだろう。

皆様はすでにご承知かと思うが、貝桶は、貝合わせ遊びに使う二枚貝を入れる箱。二枚貝は、対になるのはただ一組だけなので、それが夫婦相和すことの象徴と捉えられ、江戸時代の大名家の婚礼では、貝桶を欠かせない嫁入り道具として重んじていた。その証拠には、嫁ぎ先へと向かう花嫁行列の際には、貝桶は先頭で運ばれ、到着したら真っ先に婚家へ運び込まれたのである。

このように、男女の契りを象徴するモチーフとして位置づけられていた貝桶は、打掛や振袖の文様に頻繁に用いられ、黒留袖や色留袖など婚礼に関わる装いにも、数多くその姿を見せている。貝桶の被蓋は、蓋と身の外面が平らになっている印籠蓋で、桶の形状の多くは八角形。中には、四角や六角、さらに丸形などもあった。

二枚貝が一対であるように、貝桶も二個を一対とする。桶には金蒔絵や手彩色が施されているが、それに従うように、キモノの貝桶図案にも鮮やかな模様を施している。画像をよく見れば、二つの貝桶にはそれぞれ、松竹梅や業平菱、亀甲、青海波などお目出度いモチーフが並び、各々の蓋には、貝文と花菱文が描かれている。

また図案を強調するように、六角貝桶の区切りには金糸の駒縫いを用い、側面に描かれた松模様の幾つかは、縫い切りとまつい繍を施してあしらわれている。美しく装飾された貝桶を友禅で踏襲するために、細かなところにも丁寧な仕事が見て取れる。

後身頃に描かれた青海波と網干。粒が不揃いな型疋田の中には、桐文様が見える。青海波は、糸目をそのまま模様とする「白上げ」で表現。着姿から目立たないところでも、あしらいには手を抜かない。

さてこの色留袖は、今は亡き北秀商事の品物である。北秀が店を閉じたのが平成7年なので、すでに30年近く店の棚で、装う人を待ち続けていることになる。キモノや帯の凄いところは、何年経っても、その模様姿やあしらいが色褪せないこと。実際に、こうして画像を写して細部を見ても、全く古さを感じさせず、むしろ今になってみれば、価値の高い品物と言えよう。ただそれが、この30年のフォーマル需要の落ち込みにより、何となく今に至るまで、残ってしまったのである。

では貝桶をモチーフに使い、控えめながらもフォーマル感を前に出したこの色留袖に、どのような帯を合わせれば、なお品の良い着姿になるのか。考えることにしよう。

 

(白地 四季花帯繋ぎ文様 六通袋帯・紫紘)

白地の帯幅一杯に、様々な模様を施した帯を繋ぎ合わせた意匠。帯のモチーフに帯を使うというのも、なかなか発想に無いが、器物文と考えれば、様々な織姿を映しだす帯は使われてしかるべき道具かと思う。白地の帯というのは、どのようなキモノに合わせても、雰囲気を柔らげる効果がある。この帯は配色も、パステル系の淡い色を多用していることから、なおその感が強い。

繋いだ帯には、梅や桜を始めとして、椿に菖蒲に藤に楓と春秋の花模様が織りなされ、鱗や花菱のようなポピュラーな幾何学文の姿も見える。また上の画像に写る図案の中に、金銀で縁を織り出した六角形の図案(下から二番目の帯短冊)があるが、これは六角貝桶を上から見た姿と捉えることも出来る。多色な色糸を使って、精緻な模様を写実的に織り込んでいる姿は、いかにも紫紘の帯らしい。

左右交互に、流れるように行き交う帯の帯柄。お太鼓を作ってみると、しなやかに動くモチーフの姿が、しっかりと帯模様となって表れていることが判る。これならば後姿からは、結構動きのある図案に映るだろう。

模様の中に織り出される花や文様は小さいが、配色には細かい心くばりが見られる。菖蒲の花は紫で、葉は緑と併用して、少し枯れたように見せるために黄土色を使う。梅花は橙と白と金で、蘂の色を花の色ごとに変えている。桜は枝垂れ桜で、白と薄ピンクと濃い目の橙。楓は一枚の葉を二色に分け、蘂は白。このような色のこだわりがあるからこそ、帯姿に奥行きが出てくるのだ。

それでは、この柔らかさと華やかさを兼ね備えた「帯モチーフの帯」を、貝桶模様の色留袖と組み合わせたら、どのような着姿になるだろうか。早速、試すことにする。

 

キモノと帯双方共に、主体となる器物の傍らに四季の植物を添えた、複合的な文様形式を採っていて、配色も淡い色が主体。品物のコンセプトが「似た者同士」ということになると、合わせれば自然に互いの雰囲気が尊重されて、自ずと優しくそして美しい姿になる。

帯の前姿は、お太鼓とは反対に縦に模様が現れる。こうした前姿とお太鼓姿の縦横の変化は、案外インパクトがある。図案は、一見単調な帯短冊の羅列だが、このように模様に動きがあることで、変化に富む着姿を形作れる。

フォーマルなので、帯〆には少し重厚な貝の口組を使う。但しあまり主張しすぎないように、柔らかな桜色と薄鼠色の二色組。帯揚げも、同じ雰囲気の色を使った二色ぼかし。全体の優しい雰囲気をそのまま生かし、小物で余計な色の変化を付けなかった。(帯〆・龍工房 帯揚げ・加藤萬)

 

今日は、器物をモチーフにした色留袖と帯を使い、優美なフォーマル姿を考えて見たが、如何だっただろうか。私のコーディネートにおけるコンセプトは、いかにして上品で飽きの来ない着姿を作るかということに集約されると思う。フォーマルモノは、それほど頻繁に出番がある訳でなく、それでいて長いスパンで着用することが想定されるので、どうしてもこのような考え方になる。

スタンダードなモチーフを、どのように工夫して、文様としての斬新さを出すのか。平凡な意匠はつまらないが、かといってデザインに走り過ぎたら、品物の品格に影響を及ぼし、相応しい着姿にはならない。平凡と非凡は紙一重で、この辺りが実に難しい。

来年は、これまでと同様に、優しい印象を残すコーディネートを念頭に置きながらも、時には目を見張るような、思い切った組み合わせにも挑んでみたい。月に一度だけのコーディネートの稿だが、ご覧頂く方に少しでも参考になるよう、出来る限り季節に応じた品物を取り上げていくので、引き続きお読み頂ければ嬉しく思う。

 

この二本の日本手ぬぐいは、どちらもオリジナルな誂染めを施したもの。

上は、私の祖父がデザインした・松木特製の「三十五狸手ぬぐい」。五七という変わった自分の名前の上下を掛け合わせて、無理矢理に三十五(さそい=誘い)とし、モチーフの狸は、太って狸のように腹が突き出た自分の体形に因んでいる。祖父はかなりユニークな人物で、こんなオリジナル手ぬぐいの図案を自分で考えて、来店したお客様に配っていました。もう半世紀も前に染めた手ぬぐいなのでかなり汚れていますが、これを見るたびに、じいちゃんのことを懐かしく思い出します。

もう一枚は、龍工房のオリジナルてぬぐい。先週展示会に伺った際に、お礼として頂戴しました。龍の一文字を染め抜いた個性的なデザイン。以前は、多くの問屋やメーカーからオリジナルの手ぬぐいを頂きましたが、最近では珍しいですね。縦8寸(約30cm)・横2尺3寸(87cm)が、日本手ぬぐいの定型サイズ。画像にある二枚の手ぬぐいは、染めた時期は50年も違いますが、同寸です。

 

昭和が終わってから、30年以上。年末もお正月の風景も、すっかり変わってしまいました。けれども私は、呉服屋の商いの中では、どこかに過ぎ去った時代の匂いを漂わせておくことが必要ではないかと思っています。変えて良いことと、変えてはならないことが、この仕事にはあるように思いますので。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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