「体裁を整える」とは、外見を気にするとか、見映えを良くするという意味だが、呉服屋における体裁とは何かを考えた時、それはお客様への品物の見せ方や、誂えた品物の納め方に対する気遣いに当たるように思う。清潔で居心地の良い店舗は当たり前で、ウインドを始めとするディスプレイに工夫を凝らすことこそが、専門店としての存在を認識して頂くことに繋がる。これは商い以前のこととして、常に心しておくことである。
大切な商品であるキモノや帯は、普段から棚や引き出しの中で丁寧に仕舞われている。間違っても汚れが付いたり、生地に皺が出来たり、照明で色ヤケを起こすことが無いよう、常に目を配って管理する。高価であり、しかも簡単に同じ品物を作ることなど出来ないので、自ずと扱いには神経質になる。お客様に求めて頂く前に、品物をお釈迦にしてしまったのでは、呉服屋として失格である。
品物の体裁を考える上では、「呉服札」と呼ばれる、呉服屋特有の特殊なプライスタグ・値札の存在は大きい。呉服屋の反物や絵羽モノ、そして帯に付くこの値札は全て和紙製で、先端が細長く針のように縒られている。これは反物に札を付ける時、先端を捩って生地の中を通すために、このような細工がしてある。和紙の呉服札は強く、簡単に破れたり外れたりしないので、札が折れない限り付け直すことは無く、また最初に札を通した穴の位置を変えることは、ほとんど無い。
呉服札の別名は、越後札。その名前の通り、古くからこの札の生産地は越後・新潟である。江戸期、小千谷縮を買い付けに来た関西の商人が、雪に晒した和紙の白さに惚れ込んで、札を作らせるようになった。錐のような穴を開ける道具を使わず、生地に札を通すことが出来るのは、人の手で一枚ずつ丁寧に札先が縒り上げられているから。
多くの専門店はまだ、呉服札を使って値札をつけており、店のロゴや名前を入れた「オリジナル札」を使う店も多い。バイク呉服屋もその一軒だが、先日札が残り少なくなったので、用具屋に1000枚発注したところ、以前注文した時から5割以上も価格が上がっていた。値上げの大きな要因は、紙縒りをする人が限りなく減っていること。昔は農閑期の仕事として、大勢の農家の女性たちが請け負っていたのだが、手間に見合わない工賃の安さが、後を継ぐ者を消したのである。
需要があっても、作り手が少なくなれば、否応なく価格は上がる。そして作り手が無くなれば、品物は諦めて、別の手段を取らざるを得ない。呉服札ばかりか、商いの糧であるキモノや帯にも、この先同様のことが起こってくるだろう。果たしてその時価格は、どうなってしまうのだろうか。
未来に向かって、ますます不透明感が増す呉服業界だが、価格の不透明さや判り難さが、消費者に不信を抱かせる大きな要因になっていることは間違いない。それでは一体、価格はどのような過程を踏まえて決まっていくのだろうか。今日は、現代呉服屋事情の前稿「価格は、こうして決る」の続きとして、その一端をお話してみよう。
衣桁と撞木越しに見える店の棚。棚に入居している品物は、各々に仕入れた問屋やメーカーが違い、仕入れてきた時期もまた異なる。いつ仕入れたか、どこでどの問屋から仕入れたのかが、価格には大きく影響してくる。
最近は、あちこちに「道の駅」が出来た。そこには、朝採ったばかりの新鮮な野菜や果実が並ぶことから、人気を集めているところも多い。販売する場所に、農家が直接品物を運び込むのだから、当然価格は安くなる。流通過程を飛ばして「安くて新鮮」となれば、その評判を聞きつけて消費者が集まるのは当然のことだ。
農産物の場合は、生産者から出荷団体(JA・農協)を通して卸売市場へ運ばれ、そこから小売業者を経て消費者の手に渡っていくというのが、通常の流通ルートである。最近では、道の駅販売以上に流通が簡略化され、ネットを利用して直接農家と消費者が結びつくことも珍しくない。ITの進展に伴って流通の形式が多様化し、作り手だけで商いが完結される。生産者と消費者が直接向き合うことは、「品物の質や価格の確かさ」が明確化されることに繋がり、作り手の工夫次第で、得られる収入も変わってくる。そこには、いわば健全な競争の原理が導入されているとも考えられよう。
では、翻って呉服の場合はどうだろうか。品物を製造するメーカー、それを仕入れて小売に卸す問屋、そして最終的に消費者と向き合う小売屋。川上から川下へと、それぞれの立場で品物を動かしているのは、他の品物と同じである。だがメーカーと問屋を兼ねたり、小売りまで兼ねる会社がある一方で、卸専門の問屋も存在する。そして、染織全般に品物を扱う総合問屋、染モノや織物に特化する問屋、さらには帯だけを扱う問屋、そして加賀友禅の発注に関わる有力な地方問屋もある。こうした複雑に分れた問屋の存在は、なかなか消費者からは姿が見えない。
農産品の例では無いが、やはり流通過程が省かれていれば、それだけ価格は安くなる。そして、モノ作りをするメーカーから直接仕入れが出来れば、品物を選ぶ幅は広がり、製作工程や質に関わることも詳しく知ることが出来る。けれども、呉服屋の扱う品物は、全てメーカー問屋から仕入れられる訳では無い。そして、どこの問屋とどのような取引関係になるのかは、それこそ店ごとに違っている。価格の違いは、各々の品物がどのような過程を辿り店の棚に並んだのか、つまり「どこの問屋と、どのような取引関係を結んでいるのか」が、価格を決める大きなポイントになってくるのだ。
抽象的な話では判り難いので、これからバイク呉服屋の取引を通して、実際の流通過程を具体的に説明してみよう。
うちと直接取引をしているメーカーの帯。左から、紫紘・川島織物・龍村美術織物
店に並ぶ品物が作り手・メーカーから直接仕入れたものか、あるいは間に問屋を挟んだ間接仕入れなのかは、実際に仕入れを起こした者(ほとんどは店の主人)にしかわからない。そして、同じメーカーの品物でも、店によってルートが違うこともある。これは、消費者を始めとして、外部からは伺えないことであり、一部には「企業秘密」的な要素を持つような気もするが、ここはバイク呉服屋の現状をお話して、仕入れ方の違いを理解して頂こう。
帯を例に取るのは、店では様々な織屋の帯の扱いがあり、仕入れの違いという観点から話を進めやすいから。だが、仕入れの方法を語る以前に、モノづくりをするメーカー側の経営方針が、取引に大きく影響を及ぼすこともある。
画像で掲げた直接取引の帯メーカーだが、この三社でも違いがある。まず紫紘だが、この織屋との取引は祖父の代・昭和30年頃からで、すでに60年以上が経つ。現在ある取引先の中で最も長く、古くからのお付き合いを頂いている。紫紘の経営上の特徴は、取引をほぼ小売屋(デパートを含む)に限っていることだろう。
普通多くの帯メーカーは、小売屋と直接取引をするよりも、問屋へ流す方が多い。何故ならば、一定の小売屋との取引に限定するより、多数の取引先を抱える問屋に卸せば、当然商いの機会も増えて、それは数を捌くことに繋がるからだ。普通に儲けを考えれば、数多くの小売屋に扱わせた方が良いのだろうが、紫紘はそれをせずに、小売屋との直接取引にこだわりを持っている。
その理由は定かではないが、想像するにそれは、「品物へのプライド」があるからかと思える。小売屋とだけの直接取引となれば、自分のところで製織した帯が、どこのどんな店で売られているのかはっきり判る。この「売り手の見える化」によってこそ、質に対するこだわりが維持出来て、ひいてはそれが価格の安定化にも繋がってくる。
何故問屋に卸さないことが、価格の変動を抑えることになるのか。それは、ネット上にこの織屋の帯があまり出回っていないことを考えれば理解出来る。もし紫紘が多くの問屋に品物を卸せば、その問屋が売った先の小売屋(あるいは川下の別の問屋)がどこなのか、把握し難くなる。そしてこの「見えない売り手」が、どのように帯の価格を付けようと、その扱いは感知出来ない。品物が大量に市場に流れれば、ネットでは値崩れした価格が提示され、本来の価値を失うこともあり得る。誰が売っているのか「見えないリスク」というのが、これなのだろう。だから紫紘はメーカーとして、利益よりも質と価格の維持を選んだとも言えるのだ。
では、龍村と川島はどうか。直接取引が始まったのは、龍村は父が店を経営していた昭和40年代で、川島はまだ新しく、平成後半の私の代になってからである。この二社は紫紘とは違い、小売屋やデパートと直接取引するとともに、他の問屋へも帯を卸している。仕入れるところは総合問屋が多いが、言わずと知れた老舗帯メーカーで、その質が担保されていることから、問屋と言えども、ある程度上モノを扱うところに限られている。特に良質なフォーマルモノを扱う染中心の問屋が多く、「質の高いキモノには、やはり上質な袋帯を」ということで、龍村や川島の帯が扱いに選ばれるのである。
私は父から、龍村と直接取引をする時の大変さを聞いていたが、呉服業界全盛の昭和40年代では、売り手の小売よりも作り手のメーカーの方が力が強く、それは「買って下さい」というよりむしろ、「売ってやる」という姿勢だったのでは無かっただろうか。特に帯メーカーの最高峰・龍村は、簡単に取引出来ないことこそが、一つのステータスになっていたのだろう。
しかし現在、こうした意識は薄れるどころかほぼ無くなり、品物はネットで、誰の目にも簡単に止まるほど溢れ返っている。中には、直接取引のあるバイク呉服屋でも付けないような、「非常識」と思えるほど安い価格が提示された品物もあり、一体誰がどのような理由でこんな値段を付けているかと、不思議に思うこともままある。これは先述した紫紘とは対照的に、沢山の帯が卸を通して市場に出たことによる弊害と言えよう。
バイク呉服屋が扱う帯の中心になっているこの三社だが、うちで価格を決める時に、一つの目安となっているものがある。それは何かと言えば、デパートの価格。紫紘は三越伊勢丹で、龍村と川島は高島屋が主に扱う。老舗百貨店の値段は、仕入れ先の希望小売価格に準じており、それは高過ぎず安過ぎず、ほぼ適正と判断できる。だから、その価格を基準として考えれば、あまり間違いは起こらずに、作り手であるメーカーも納得する値札を付けられる。
私は仕入れに際して、百貨店の価格を聞くことがあり、またメーカーの担当者自らが、「デパートにおける標準価格」を教えてくれることもよくある。この小売価格が判れば、デパートへの売り渡し価格というものも、ある程度は類推できる。そして、百貨店は一部を除き(高島屋主催の上品会など)、品物を買い取って商いをせず、借りて商いをしているので、それも加味しながら、仕入れ価格を交渉する。
その結果として、デパートへの売り渡し価格と、私が買い取る仕入れの価格に大きな差が出来れば、その分だけ、デパート価格より安い小売価格を、消費者に提示することが出来るようになる。直接取引での利点は、品物を買い取ることをリスクとしないことでしか、生まれてこない。「良質な品物を、求めやすい価格で消費者に提供する」とは、商いに臨む者として至極当然の目標だが、単純に流通経路を短縮するだけでは難しく、そこに商いに臨む真摯な姿勢や、良品を扱うことに対する強い意志が無ければ、実現出来ないように思う。
売り手であるメーカーの者と買い手である店の者との、静かな中にも、相手の心を伺いながら値段を駆け引きする「商いの現場」。越後札に表示されている価格には、そんな裏側のやり取りが隠されている。今日は、直接取引のある帯メーカー三社を取り上げて、価格がどのように決まるのか話を進めてきた。次の機会では、間接取引で仕入れる品物の価格と、買い取り価格と浮き貸し価格(問屋から品物を借りて商いをすること)の違いなどを中心に、お話してみたい。
呉服屋が整えるべき体裁の最たるものと言えば、それはやはり、誂えた品物を入れるタトウ紙になるでしょう。別名で文庫と呼ばれる紙は、内外に二本ずつ付いた和紙製の縒紐で結わえるように出来ています。この四本の紐を結び手と考えて、タトウ紙のことを「四つ手」と呼ぶこともあります。このタトウ紙の紐も、人の手で縒って作っていますので、呉服札と同様、縒り手が少なくなったことから、製造の見通しが付き難くなっており、もしかしたらそのうち、和紙紐結びのタトウ紙は姿を消すことになるのかも知れません。
お客様からは、この和紙縒り紐の結わえ方をよく聞かれますが、縛らずに絡げる結び方は馴染みがなく、なかなか覚え難いようです。ですがやはりタトウ紙の紐は、ペラペラしたビニールや布製ではなく、先端がピンと張った和紙でなければ恰好が付きません。
作り手や加工職人の枯渇だけでなく、こんなところにも職人不在の影響が出てきています。こうした体裁など、あまり構わなくても良いと思われるでしょうが、私はあくまで「和紐」にこだわりたい。美しい紐の結姿があるからこそ、誂えた品物の価値もなお上がるような、そんな気がするのです。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。