バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

平成の加賀友禅(5) 柿本市郎・道長取青海波に春秋花模様 色留袖

2022.10 16

多くの日本人にとって、信仰の対象となっているのは神と仏。中には、キリスト教や他の新しい宗教と言う方も居られようが、神道と仏教が、日本人の心に息づいてきたのは、その歴史的経緯を考えても間違いないだろう。そして実はこの二つ、明治以前までは、長い時間の中で融合して、一つの信仰体系を作り上げていた。

日本に土着していた神道と、6世紀に伝来した外来の仏教。この二つの思想は、飛鳥から奈良期の天皇や有力豪族によって融合されていく。それは、天皇を神とする思想と、仏教信仰で国を守る「鎮護国家」の思想を重ねたもので、簡単に言えば、神と仏にタッグを組ませて、国家建設の基としたのである。それは後に、神と仏どちらが上位かという対立(本地垂迹説・反本地垂迹説)に発展するものの、中世の平安・鎌倉期までは、双方の蜜月が続き、神社に付属する寺・神宮寺(じんぐうじ)が各地に建立された。

 

ご存じの通り、金沢市は加賀前田家・百万石の城下町。兼六園や金沢城に代表されるように、歴史を感じさせる情緒豊かな北陸の中心都市である。其処此処には古い街並みが残り、由緒正しき建物が丁寧に維持されている。そして中には、重要伝統的建造物保存地区として、地域がまるごと文化財に指定されている場所もある。

金沢城の東、浅野川の北側に位置する寺町、卯辰山寺院群もその一つ。前田家三代藩主・前田利常により整備された寺町だが、ここには、北陸を席巻していた一向宗(浄土真宗)に対抗するため、他宗派の寺が挙って集められていた。その中に、曹洞宗の祥雲山・龍国寺(りゅうこくじ)という寺があるが、ここに眠っているのが友禅の創始者・宮崎友禅斎である。

龍国寺は、初代藩主・前田利家が所持した開運札・稲荷大明神をお守りするために建立されたため、お寺でありながら、参道には赤い鳥居がズラリと並んでいる。これもまた、先述した「神仏習合」の一つの形であろうか。この寺で宮崎友禅斎の墓が見つかったのは、今から100年ほど前・1920(大正9)年のことだ。発見者は、細野燕台(ほそのえんだい)。この人物は、金沢最後の文人として、そして、あの北大路魯山人を見出した人としても知られている。

 

石川・能登の生まれとされる宮崎友禅斎は、60歳の時(1712・正徳2年)に金沢へ帰郷。紺屋の棟梁・太郎田屋与右衛門宅に世話になりながら、与右衛門の息子・茂平が描いた染絵の掛け軸「石山寺観月図(国立博物館所蔵)」に関わったとされる。亡くなったのは、1736(元文元)年。83歳であった。友禅斎は謎の多い人物だけに、龍国寺の墓所について異論はあるものの、寺では毎年5月17日に、加賀友禅の関係者によって「友禅忌」が行われている。

そんな訳で今日は、ノスタルジアの稿として、久しぶりに加賀友禅の品物をご紹介してみたい。前回・三年前に取り上げたのは、井波勝男氏が手掛けた振袖だったが、今回ご覧頂くのは、昭和・平成・令和と三つの時代にまたがって活躍する重鎮・柿本市郎氏の作品である。また前置きが長くなってしまったが、始めることにしよう。

 

(鳶色地 道長取青海波に春秋花模様 色留袖・柿本市郎 兵庫県 Y様所有)

先述した龍国寺には、宮崎友禅斎の墓所の傍に、もう一つ加賀友禅にまつわる石碑が建っている。1978(昭和53)年に建立された、加賀友禅作家・木村雨山の顕彰碑である。これは、加賀友禅作家として、初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された雨山の功績を称えたもの。そしてこの碑には、「師在自然」と刻まれている。

モチーフを写生することが、作品の基礎となる加賀友禅。「自然こそが、師である」というのは、加賀の作家に共通する思いであろう。この花鳥風月を、独自の視点で絵画的に美しく描く作家として知られているのが、柿本市郎氏。昭和12年生まれというから、すでに80歳を超えているが、今も現役の加賀友禅作家として、作品を作り続けている。柿本市郎の師匠は、木村雨山が育てた6人の直弟子の一人・金丸充夫。孫弟子として、直接雨山から指導を受けた、数少ない現役作家でもある。

以前同じノスタルジアの稿の中で、「昭和の加賀友禅」として、氏の作品を紹介している(2015.7.12 几帳に四季花模様・黒留袖)が、今回は「平成の加賀友禅」として、色留袖を取り上げて見る。この作品も、春秋の花々を切りとって美しく描いた、いかにも柿本氏らしい繊細な意匠。どのようなあしらいがされているか、細部までじっくりご覧頂きたい。

 

ご承知のように、色留袖の意匠は裾に限られる。模様範囲が限定されることは、図案のあしらいにも一定の限界が生まれることになるだろう。着姿の中心となる上前身頃、あるいは後身頃にどのような図案を置くか、また模様の繋がりをどのように付けるか、そこが作り手の思案のしどころになる。とくに加賀友禅のように、作家がモチーフを決めている場合、それを模様としてどのように落とし込むかが、意匠の決め手になる。

そして裾以外が無地場であることから、地色に使う色は、品物の印象を決める大きな要素になる。この品物は、タカ科に属する鳥・鳶(トンビ)の羽色に近い茶褐色で、僅かに深紫の気配もある。このような渋みのある茶色は、この系統の色が流行した江戸期でも、特に人気を集めていた。繊細な友禅を落ち着きのある地色の中で表現すると、上品な中にも重厚な雰囲気が出てくる。この色留袖にも、そんな作者の意図が伺われる。

 

模様の構図は、着姿の中心・上前身頃と衽に窓を開けたような大きな円、そして後身頃に上前よりやや小さな楕円を描き、その中に春秋の花を描いている。上前と下前を繋ぐのは青海波で、これを継紙装飾のように模様を重ねる「道長取」によって表している。裾模様だけの黒留袖・色留袖では、模様全体に一体感を出すために、この道長取が多く使われている。

こちらは後身頃。上前と比較して円は楕円で小さい。モチーフとした花は、春が梅なら、秋は楓。どちらも季節を代表するオーソドックスな花だが、その表現方法には作者の工夫がみられる。そしてどちらにも、青海波が添えられている。

代表的な波図案ともされる青海波文様は、同心の半円が交互に重ねられ、扇のようにも見える。この文様の起源はかなり古く、群馬県伊勢崎市出土の古墳時代(6世紀)埴輪・「正装の女子像(国立博物館所蔵)」の女性が、青海波文の衣をまとっている。また写生的な文様が流行した鎌倉期には、硯や手箱にあしらった蒔絵の中にも、この独特の波文様の姿が見受けられる。お目出度い能・高砂の一節に「四海波静か(四方の海が波立たない=平和であること)」とあるように、この波文は吉祥文として位置づけられている。だからこうした目出度いフォーマルキモノに、数多く登場するのだ。

 

しなやかな枝ぶりの中に、満開の紅梅と白梅。鶯と思しき鳥の姿も見える。青海波はその名前の通り、青と鼠色で挿されている。描かれた梅花の直径は、5分(約1.8cm)程度。およそ十円玉くらいの花が、びっしりと円の中に埋め込まれている。

紅白合わせて100以上は十分にある梅の花。その一つ一つを見ると、花弁の形や向き、蘂の大きさ、色の挿し方が全て違っている。小さな花の輪郭を糸目糊で引き、ひとひらずつ丹念に色を挿し、暈しを入れていく。細部を見ると、この品物に対する作者の思いが伝わってくる。

花をついばむ鶯。春告鳥とも呼ばれる鶯と、初春を象徴する梅。この二つが組む「早春タッグ模様」は、春の訪れを最も印象付ける図案になる。そして、染だけで描き上げているだけに、なお優美さと上品さが際立つ。

 

後身頃へ向かう道長取青海波の中には、黄金色で色挿しした萩と小菊。模様が前から後へ動き、季節も春から秋へと動く。この二つの花が添えられることで、模様を繋ぐ波の中にも秋の気配が感じられる。

後身頃の秋花・楓。一枚一枚挿し色を替え、暈しの入り方にも工夫を凝らす。青のままの楓葉、少し色づいたもの、そして真っ赤に紅葉した楓。上前の梅ほど数はないが、ここにも丁寧な仕事が見られる。ここで描かれる青海波の色は、赤と鼠。着姿の前と後で、図案も色もきっちり対比させている。

秋景色の中で飛ぶ鳥は、モズか。長い尾に特徴があり、寒くなると越冬のために樺太あたりから飛来する。日本でも高地で生息している鳥は、秋になると気温の高い平地に降りてくる。近接して図案を写すと、多彩に描かれた楓葉の美しさが見て取れる。

 

八掛にもきちんとあしらいがあり、ちらりと裾が翻った時に模様が覗く。また、通常の着姿からは見えることのない下前にも、模様を描いている。これはキモノ全体を、一幅の絵と考えて製作している証。こうしたところで、加賀特有の絵画性が理解出来る。

こうして上前の姿を見ると、模様は剣先のすぐ下から付けられていて、かなり広範囲で大胆な意匠と判る。所有されているお客様は上背のある方なので、このように大きな模様はとても着映えがする。

黒留袖や色留袖のような裾模様では、品物それぞれで、模様の大きさや位置取りが異なる。なので装う方は、ご自身の体格とあしらわれた模様の位置を勘案して、品物を選ぶ必要があるだろう。例えばもし小柄な方が、ご覧のような色留袖を着用すると、模様が上にあるために、着用した時におはしょりの中に入ってしまうことになりかねない。

 

今日は、昭和から令和まで、長きにわたって第一線で活躍されている加賀友禅作家・柿本市郎氏の作品を取り上げ、ご覧頂いた。花びら一枚一枚は繊細に、そして枝や波はしなやかに伸びやかに描く。絵画的とされる、加賀友禅のお手本のような作品。この作家特有の細やかで優美な作風は、長い経験に裏付けされており、そう真似のできるものでは無い。そして最近は、名も無い野の花に魅力を感じ、モチーフにすることも多いようだ。最後にそんな作品をご覧頂きながら、今回の稿を終えることにしたい。

(薄桜色 山法師模様 訪問着・柿本市郎 2018年)

ヤマボウシはミズキ科の植物で、主に山林に自生する野花。同じミズキ科のハナミズキに似て、白い清楚な花を付ける。描かれた流れるような山法師の花からは、上の色留袖の春秋模様とはまた異なり、自由で伸びやか、そして若々しい印象を受ける。年齢など問題にしない、しなやかな感性が図案から垣間見え、「師在自然」の意識を強く感じさせる令和の柿本作品と言えよう。

 

日本人の多くは、特定の宗教・宗派にほとんどこだわりがありません。年明けには神社へ初詣に行き、お盆には菩提寺へお墓参りに行き、クリスマスにはキリスト教徒でもないのに「聖なる夜」を祝います。これはもう神仏習合どころではなく、天照大神と仏陀とイエスキリストのバトルロイヤルと言えましょう。ただ、世界で起こる戦争の大きな要因として、深刻な宗教対立があるので、日本人のこんな頓着の無さは、決して悪いことではないでしょう。おそらくこうした遠因は、古くから神と仏を融合させた、いわばブレンド宗教を、家代々で信仰してきたからと思われます。

ただそんな日本人の中にも、信仰心の厚い人はいます。「イワシの頭も、信心から」などと、そうした人を揶揄する言葉がありますが、本来信仰とは、信じている本人にしか理解出来ず、傍の者がとやかく言うことではないでしょう。但し、イワシの代わりに、怪しい壺や教典を高額で買わせて崇めさせるような宗教は、論外ですが。

節分の日、鬼が家に入らないようにと、柊の枝に刺したイワシの頭を、家の玄関に飾る。柊にはトゲがあるので鬼は近づけない。そしてイワシの頭は臭気を発するので、鬼は近づけない。そんな意味がこの風習にはあります。季節の節目・節分には邪気(鬼)が生ずるという云い伝えがあり、その厄を柊やイワシで祓って来たのです。だからイワシの頭には、信仰心が宿っている訳ですね。日本の諺は、なかなか奥が深いです。

 

なお、10月17日(月)~22日(土)は、私用のため店を休ませて頂きます。この間に頂いたメールのお返事も遅れてしまいますが、何卒お許し下さいますよう、お願い申し上げます。そして次回のブログ更新は、少し間が空いて28日(金)頃を予定しています。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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