英語のインフラストラクチャ(infrastracture)は、基盤あるいは下支えと言う意味を持つが、日本では「インフラ」と略して使われ、人々が生活や産業等の経済活動を営む上で不可欠な「社会基盤(社会インフラと称する)」のことを指す。
道路や鉄道、港湾、空港などの交通インフラ、そして上下水道や発電、送電施設のような生活通信インフラは、人々が生きる上で一日たりとも欠かすことの出来ない重要な基盤。その多くが、公共的で公益的な施設や構造物であり、国や自治体にとっては、その整備や改修に関わる適切な維持管理が、最も基礎的かつ重要な仕事となっている。
しかし、インフラ整備という名を借りて行われる無駄な公共事業も、後を絶たない。不必要な道路や鉄道、また住民サービスの名の下に建てられた施設は、時代を越えて残り、維持することは重い財政負担となる。これが、税の無駄遣いと指摘されるのだ。
公共事業の場合、一旦計画が認められて予算が付いたものは、なかなか止められない。そして道路や鉄道のような公共性が強く、複数の地域にまたがって人々の利便性に関わる事業は、中止にすることがほぼ不可能だ。たとえどんな事情があるにせよ、途中で建設を止めてしまえば、それまで作ったものが無駄になり、しかも使わずに放置となると、事業の失敗を曝し続けることになる。だから、計画した国や自治体では、予算はオーバーしようと、時間は超過しようと、何としても最後までやり遂げたいのである。
けれども、あまりに難工事のため、建設途中で計画を放棄せざるをえなくなった道路が、北海道・日高山脈の山深くに眠っている。長らく人の往来を拒んでいた「北海道の背骨・日高山地」のど真ん中を貫く「日高横断道路」の建設が始まったのは、1984(昭和59)年のことだった。
しかし、急峻な地形と不安定な土壌、そして厳しい気象条件により、工事は難航につぐ難航となる。2003(平成15)年、改めて工事費を見積り直したところ、完成までには、さらに40年の歳月と980億円もの追加費用が見込まれることとなり、ついに事業主体である北海道開発局は建設を断念する。そして、それまで19年・540億円を費やして作った道が放棄されることになった。
以来20年近く、険しい日高山中には作ってしまった道路や橋梁、覆道などが今もその姿を留めている。だがしかし、現在この棄道に近づくことは容易ではない。入口には厳重にゲートが掛けられ、車はもとより二輪車の通行も出来ない。もし探索しようとするなら、歩く他に手段は無いが、携帯は圏外で繋がらないため、何か突発的な事故が起こっても、誰も助けには来ない。無論、こんな道をわざわざ歩こうとする者など、皆無。つまり訪れる時には、自己責任が求められる「危ない道」なのである。
毎年12月の稿として、恒例になっている北海道旅のお話。今秋の訪ね先は、この日高の奥地に消えた幻の道、そして危険な道である。いつものことながら、バイク呉服屋の自己満足的な「旅ブログ」になってしまうので、興味のある方だけがお読み頂ければと思う。キモノの話が出来ず、自分勝手をして申し訳ないが、どうかお許しのほどを。
廃棄された日高横断道路(北海道道111号) 中札内側・札内川源流部 七の沢橋
毎年私が北海道へ出掛ける時、家内は「あまり無理をしないで」と言って私を送り出す。けれども彼女自身は、「言っても無駄だけど、一応声をかけておくか」程度のつもりなので、心配したところでどうにもならないと思っている。しかし、今回歩く計画を立てた日高横断道路は、私自身もかなり危ないと考えていた。
実は4年前の秋、この道路の通行止めゲート手前まで来ていた。そこで目にしたのは、清冽な札内川と神々しいまでに美しい日高の山々。長いこと北海道を歩いているが、まるで絵の具をまき散らしたかような山の光景は、これまでに見たことのない、特別な鮮やかさだった。それが、今回の旅の契機になっていると言っても良いだろう。だが、放棄されてから18年も経過した道であり、ほとんど人を寄せ付けない場所にある。覚悟も無く、興味半分で出かければ、きっと痛い目に合う。
今はネットの時代なので、調べることで、道の現状はある程度把握することが出来、また探索者の記録や画像も出てくる。もちろん、こんなところを歩こうとする者は、私と同様かなりのモノ好きであり、普通ではないので(ほぼ変態)、情報には限りがある。ただ、訪ねた者がみんな口にしていることは、「自己責任で歩く道」であり、その上「ヒグマの恐怖」と常に背中合わせであること。
しかし、札内川源流部に展開する日高山脈の姿は、延々と歩いた者だけが目に出来る特別な景色で、特に紅葉時は極上と知る。もうありきたりな場所では満足出来ない私は、どうしても恐怖より好奇心の方が勝ってしまう。前置きが長くなったが、一度もクルマが通らずに埋もれた日高横断道路の姿を、これから皆様にもご覧頂くことにしよう。
日高横断道路の正式名称は、北海道道111号。日高管内の新ひだか町・静内と、十勝管内の中札内村・上札内を結ぶ、全長79.6K余りの路線。未開通は、日高山脈を貫く区間の21.3K。上の地図で見ると、緑の線が完成した横断道だが、日高側と十勝側の両方から進めてきた工事が、両方とも途中で途切れていることが見て取れる。
今回歩いたのは、十勝の中札内側に展開した工事箇所(上の地図上では、右上の緑線)。車両の進入を許さないゲートから、最終工事の場所までは、約9K。途中で崩落した箇所があることは判っているので、最終地点まで辿りつけるか否かは、実際に行ってみないと判らない。では、起点からこの道をご案内していこう。
道道111号の起点は、中札内村中心から約7キロ南の上札内集落にある。標識には、札内ダム直下の景勝地・ピョウタンの滝まで13Kとある。この滝は、札内川園地の入口にある高さ10メートルの滝で、十勝の観光スポットにもなっている。道は、滝を横目に見ながら立て続けにトンネルを四本抜けて、通行止めゲートに着く。画像の左側には、すでに「静内へは、通り抜けられません」と掲げられている。建設中止から20年近く経過するので、もうこの道が日高へ抜けられるとは、誰も思っていないだろう。
クルマで通行できる最後のトンネル・あかしやトンネル。入口には、「通行止めゲートあり」の看板が見える。画像でも判るように、ここから日高山脈中部にあるコイカクシュサツナイ岳へ入れる。日高横断道は、この山と日高第二の高峰・カムイエクウチカウシ(通称カムエク・熊も転げ落ちる山の意)の主稜線の地下に長大なトンネルを掘り、一気に山を横断する予定だった。
あかしやトンネルの手前に掛かる札内二股橋から、札内川を眺める。この下流に十勝リュータン湖と札内ダムがあり、さらに下にピョウタンの滝がある。この時点で道は、川からかなり高い場所に付けられているが、通行止めゲートの先からは、道の位置が川面に近くなっていく。
コイカクやカムエク登山者のための山小屋・札内川ヒュッテ。入山者は、ここで登山者名簿に記載しなければならない。本来であれば、私のような廃道探索者も書かなければならないが、あいにく鍵が掛かっている。日帰りなので、書かずに許してもらおう。すでに、熊出没注意の掲示が見えるが、ここに出るなら、この先どれだけ出くわすのか分かったものじゃない。
ヒュッテ前にある案内図。赤い線が、すでに建設されて放棄された道。札内川にそって奥へ伸びており、源流の七の沢あたりでプッツリと途切れている。これから歩くのは、この赤い筋。
国土地理院・二万五千分の一地形図「札内川上流」で見る現在地。
そしてトンネルを抜けた先に、ついに通行止めのゲートが現れる。道幅いっぱいに広がる頑丈な柵は、どんな車両の通行をも拒んでいる。このゲート前に車を停め、いよいよ廃道となった日高横断道路の探索に出発。この日は、自炊宿泊中の幌加温泉を朝7時に出て、ゲートに着いたのが10時少し前。往復約20キロの道を、4時間ほどで踏破する予定。ヒグマの出没リスクを少しでも減らすためには、日の高いうちに歩くしかない。
ゲートをくぐってまもなく、川には設えられた堰堤(札内川第8号砂防堰堤)が見えてくる。川の流れを緩やかにする堰堤は、治水や砂防のために作られるが、ゲート以降、七の沢の合流部までに5基の堰堤を数える。札内川は清流として知られ、ニジマスやオショロコマ、ヤマメなどが生息する。特にニジマスは絶好の釣り場となっており、多くの釣り人が訪れる。通行止めのゲートをくぐってこの道に入るのは、このニジマス釣りの人と登山者くらいだが、釣り人はあまり奥に行かない。
往復4時間の間は、常にヒグマの恐怖にさらされる。この日高山中では、いつどこで出くわしても不思議ではない。登山者などの入山者が遭遇することも珍しくなく、毎年事故の報告がある。ヒグマは自ら獣道を付けて歩くが、すでに形が出来ている林道なども使うことがある。だから道の曲がった先で、バッタリと遭遇しても不思議ではない。この出会頭の出会いが、悲劇を生む。
道の左側はすぐ山の斜面で、右はすぐ札内川畔。そのわずかなすき間に、道が付いている。幅は3mほどと狭いが、開削するのにどれほど手間がかかったことか。道はずっとダートで、舗装は全くされていない。もしこの道幅のまま車を通していたら、すれ違うことも大変だっただろう。
堰堤が繰り返される札内川は、緩やかな流れ。両側に迫る急な崖の斜面からは、小さな水の流れが幾筋もみえる。色づいた山肌から、川へと緩やかに注ぎ込む滝水の流れが美しい。もし本州でこんな場所があれば、あっという間に観光客が押し寄せるだろうが。
さて歩き始めて1Kほどで、最初の覆道・望岳覆道が現れる。覆道とは字の表す通り、道を守るためのシェードで落石や雪崩を防ぐために付ける。急斜面の山肌を縫うように建設された日高横断道路では、随所に覆道が見られる。
さらに数百メートル先で、もう一つ覆道(夫恋覆道・つまこいふくどう)を通過。今から50年前(1971年)、この覆道近くの五の沢(下の地図参照)で札内川渡っていた登山者が水死する事故が起きたが、亡くなった人の妻が、夫を偲んで鎮魂詩を作った。この妻の夫を想う心情を、そのまま覆道の名前としたのである。
地図上で道を表示する線の点線部分が、夫恋覆道。確かに入口からは、五の沢が見える。今日目指すのは、このあとに続く二つ目の沢筋・七の沢。
夫恋覆道の出口から、札内川五の沢方向を見る。ここまでで、1.5K30分。今日は、ザックに二つとズボンのベルトに一つ、三つの熊除け鈴を付けている。そして、ダウンベストの右ポケットには、安全ピンを抜いた状態で、熊撃退スプレーを用意してある。いつどこで対峙しても良いように、常に臨戦態勢で歩く。だが熊スプレーは、5メートル以内に近づいてから噴霧しなければ効果がないとされる。目の前まで来るのを待つことに、果たして耐えられるだろうか。おそらくその前に、気絶してしまうだろう。
五の沢から六の沢へと、さらに上流へ向かう札内川。画像には、また堰堤(第10砂防堰堤)が見える。ほぼ同じ位置にあった道と川だが、次第に道路は高くなる。
道は狭まり、左側は崖が迫る。崩落防止のネットは付いているが、心もとない。右のガードレールは、使いもしないのにねじ曲がるが、おそらく、雪の重みで形が変わったのだろう。
なだらかな坂を上り、道が急に開けると、そこには「この先通行止」の看板。そして大きくカーブした橋が現れる。1993(平成5)年に完成した滝見橋(たきみばし)。
橋の上から、川の左岸の沢に滝が見える。高さは約40メートル。これが、滝見橋と名前が付いた理由。先ほどの五の沢近くの小滝を始めとして、幾つもの小さな沢から、小さな流れが見られる。こうした風景が道の上から見られるとは。もし完成していれば、それこそ絶景のドライブコースになっただろう。
滝見橋から、札内川の上流部を眺める。川幅が広いので、ゆったりとした流れに見える。源流は、もう少し先。ここまで約2.5Kで、ゲートから1時間ほど歩いた。まだ先は長い。
道は大きくカーブして、森の中に消えているが、そのまま続いている。何故、橋のたもとに通行止めの看板を付けたのか。意味不明である。
そして橋を渡ったところで、また青い看板。これは、歩いてきた中札内側に向けて設置されている。中札内33km・ピョウタンの滝13kmとある。だがしかし、とうとう一台もこの看板を見て走る車は無かった。道道番号に付いている991は、111号になる前の古い番号。
橋の先で、道は下りに掛かる。道幅は、車一台が通れるくらい。そして画像の左側には、北海道の道路ではお馴染みの、矢印ポールが立っている。これは通称矢羽根(正式名は、固定式視線誘導柱)と言い、雪で道路の境界が分かり難くなることを防止する柱。矢印の先が、道路の端なので、吹雪で視界が悪い時には、これを見て走れば、車道から外れることは無い。
道の左側には落石防護柵と石垣があるが、柵はすでに崩壊。急峻な山を縫うように道を付けなければならず、こうした費用もかなり掛かったと思われる。だが、「作っているそばから崩れる」と言われたほど、地盤は軟弱。この地形と厳しい気象条件が重なって災害が繰り返され、その都度工事は滞り、費用も莫大に嵩んでいったのだ。
そして、道の前にゲートが現れるが、開いたまま折れ曲がっている。ここで「通せんぼ」しようとした理由も不明。この辺りは、木々が鬱蒼として森を歩いているような感覚。見通しも悪いので、例の獣がどこで出没しても不思議ではない。どうにも熊鈴だけでは心もとないので、私は歌うことにした。
こんな時は、ポップな曲では熊は恐れてくれず、やはりこぶしを利かせた演歌に限るだろう。そこで選んだ曲は、山本譲二の「みちのく一人旅」。これを「クマ道一人旅」に替えて、蛮声を張り上げて歌う。「たとえどんなに、恐れてい~ても、たとえどんなに餌が欲しくても~、お前は俺には最後のひ~ぐ~ま~」などとサビを繰り返す。歌っていると、恐ろしさが半減する気がする。この際、歌詞の内容はどうでも良い。
折れたゲートの先では、道は下りにかかって、いつしか川面と同じ高さになる。これでは、少しの雨で簡単に道が冠水する。ガードレールが付いていなければ、道なのか川なのかわからない。もしこの状態で完成していれば、しょっちゅう通行止めになっただろう。この道の位置では、維持費にどれくらいお金がかかるか見当も付かなくなる。
川面の脇の道は、右にカーブして谷あいに入る。そして徐々にまた坂道となり、川と高度差が付いていく。ゲートを出発する時は晴れていたが、雲が増えてきて肌寒くなる。風は無いが、標高は500m以上ある。中盤からは、かなり速足で歩いてきたが、汗ばむことは無い。この辺りで、歩き始めてから6K・1時間30分。
坂を上り終えて道幅が広がったところで、橋が見えてくる。これが七の沢・ピラトコミ川に架けられた七の沢(しちのさわ)橋。今回、まず目標としたのがこの橋。ここは、札内川とピラトコミ川が出合う場所で、道はここから七の沢にそって進んでいく。
1998(平成10)年の12月に完成した七の沢橋。先に通った滝見橋の5年後に出来ているが、この両橋間の数キロに費やした歳月で、難工事ぶりが判る。画像に写っている橋の進行方向左側が、七の沢になる。
橋の向こうに、雪を被ったカムイエクウチカウシ(カムエク)山の姿が、くっきりと見える。登山者は、ここから札内川・八の沢を遡る。カムエクには、整備された明確な登山道がなく、沢歩きが基本となる。廃道となったこの道を歩くのは、このカムエク登山者にほぼ限られるが、それもこの七の沢橋までである。
この橋で、出発から7Kほど。中札内側で建設された道の最終地点まで、あと1.8K。この先に崩落個所が待っているが、果たして通り抜けられるか。歩き始めて1時間45分、標高は600mを越えて、風が冷たくなってきた。
二万五千分の一の地形図で見る、現在地。地図左に見える札内川とピラトコミ川の合流点が、七の沢。その右に見える小さな分流が六の沢。ここから先が源流部で、札内川の流れはなお細くなり、八の沢、九の沢、十の沢と続く。
橋を過ぎると急に道幅が狭くなって、木がループする森の中に入る。いよいよ、獣の出そうな気配。クマ道一人旅を歌わずには、一歩たりとも進めない。
森を抜けるとかなり道は怪しくなり、というより、道とはとても言えなくなる。沢との境界がほとんどなく、これでは河原を歩いているのと同じ。
そして先を進むと、なにやらコンクリートの壁が現れる。数年前にここを歩いた人の記録から、この先に崩壊した場所があると判っている。
傍に行ってみると、コンクリートは土砂崩落防止柵。しかも、道は川に削り取られて切れている。この斜面を進むのは、かなり危ない。そしてその先にある覆道の中には、コンクリートが落ちて散乱しているのが見える。
崩壊斜面をクリアしても、この障害物を越えるのはかなり難しい。これでは、一旦札内川に降りて河原を歩く他ないが、さてどうしたものか。進むべきか、退くべきか。この先には、最後の橋・眺望橋と、建設途中で放棄されたトラス橋・兎影(とかげ)橋がある。いわば、棄道・日高横断道のハイライトとも言うべき光景が展開しているはず。ここまで来て、あと残り700mほどで撤退するのは、何とも口惜しい。
けれども、私は引き返すことにした。危ないと判っていて進んで、何かあったら取り返しがつかない。考えてみればここまで8Kほど、よく歩いて来られた。日高横断道の現状はほぼ理解出来て、そこに展開する素晴らしい風景も、十分堪能出来た。もう少し装備をきちんとしていれば、最終地点に辿り着けたと思うが、仕方が無い。
と言うことで、この画像が今回の最終到達点となる。見れば、雲の切れ間からカムエクが顔を出している。そして細い流れとなった札内川と、コンクリート壁が崩れた日高横断道路。ある意味で、この道の置かれた今の姿を、如実に映し出している。
行きはよいよい、帰りは怖いものだが、無事出発ゲートに辿り着く。時間は、午後2時。往復4時間は、計画通り。ヒグマに遭遇しなかったのは、幸運だったか。私は、歌が効果的だった気がする。なので山本譲二には、とても感謝している。
歩き終わってみると、どうしてこんな所に道を作ろうとしたのか、という疑問がより深まる。当時、自然保護団体が展開した猛烈な反対運動を、振り切って推し進めた道路建設だったが、どんな目途があってのことだったのか。今となっては、知る由もない。ただ分かっていることは、廃棄された道の責任を、誰もとっていないということだ。
危険を伴うことを承知で、歩く。いつまで、そんな冒険心を持ち続けることが出来るか。体を鍛えて、次の挑戦をしたい。なお、今秋の北海道旅では、この日高横断道路の他にもう一つ、幻の道を歩いてきた。こちらは海の道。いずれ、この稿でご紹介する予定にしている。最後にもう一度、札内川の渓谷美をご覧頂きながら、今回の長すぎる旅ブログを終わることにする。
「人の行かないところへ行く」とは、何があっても自分で責任を取るということです。今回、最終地点には到達できませんでしたが、これで良かったと私は思っています。無事に帰ること、これに勝ることはありません。
なお、この日高横断道路ですが、今回歩いた中札内側の反対・静内側にも、廃棄された道や橋が多数残されています。そして、こちらはもっと険しく、よくこんなところに作ったものと感嘆するような、凄い光景が見られます。建設に多額の費用が嵩んだのは、おそらく静内側の工事でしょう。ただ現在、静内側の廃道を訪ねることは、かなり難しくなっているので、歩くことは叶いませんが。
(廃道・日高横断道路へのアプローチ)
中札内村中心部(帯広空港から30分ほど)から、道道55号で上札内、その先111号で、行き止まりゲートまで40分。
廃道終点(今回の崩落場所・8K地点)まで、往復16K・4~5時間。ヒグマ対策を万全にした上、出掛けて下さい。ですが、普通の方は、行かない方が無難で、決して誰にでも勧められるところではありません。
師走で仕事が詰まっているというのに、また死ぬほど長く、自己満足な旅行記を書いてしまいました。皆様には画像だけでも見て頂き、「日本にもこんな場所があるのか」と思って頂ければ、嬉しく思います。次回は、今年最後のコーディネートの稿となります。普段の呉服屋に戻りますので、どうぞお読みください。
今日は、マニアな話にお付き合い頂き、ありがとうございます。深く、感謝致します。