バイク呉服屋の忙しい日々

むかしたび(昭和レトロトリップ)

幻の道へ(山岳編) 棄てられた日高横断道路  札内川源流・七の沢

2021.12 14

英語のインフラストラクチャ(infrastracture)は、基盤あるいは下支えと言う意味を持つが、日本では「インフラ」と略して使われ、人々が生活や産業等の経済活動を営む上で不可欠な「社会基盤(社会インフラと称する)」のことを指す。

道路や鉄道、港湾、空港などの交通インフラ、そして上下水道や発電、送電施設のような生活通信インフラは、人々が生きる上で一日たりとも欠かすことの出来ない重要な基盤。その多くが、公共的で公益的な施設や構造物であり、国や自治体にとっては、その整備や改修に関わる適切な維持管理が、最も基礎的かつ重要な仕事となっている。

しかし、インフラ整備という名を借りて行われる無駄な公共事業も、後を絶たない。不必要な道路や鉄道、また住民サービスの名の下に建てられた施設は、時代を越えて残り、維持することは重い財政負担となる。これが、税の無駄遣いと指摘されるのだ。

 

公共事業の場合、一旦計画が認められて予算が付いたものは、なかなか止められない。そして道路や鉄道のような公共性が強く、複数の地域にまたがって人々の利便性に関わる事業は、中止にすることがほぼ不可能だ。たとえどんな事情があるにせよ、途中で建設を止めてしまえば、それまで作ったものが無駄になり、しかも使わずに放置となると、事業の失敗を曝し続けることになる。だから、計画した国や自治体では、予算はオーバーしようと、時間は超過しようと、何としても最後までやり遂げたいのである。

けれども、あまりに難工事のため、建設途中で計画を放棄せざるをえなくなった道路が、北海道・日高山脈の山深くに眠っている。長らく人の往来を拒んでいた「北海道の背骨・日高山地」のど真ん中を貫く「日高横断道路」の建設が始まったのは、1984(昭和59)年のことだった。

しかし、急峻な地形と不安定な土壌、そして厳しい気象条件により、工事は難航につぐ難航となる。2003(平成15)年、改めて工事費を見積り直したところ、完成までには、さらに40年の歳月と980億円もの追加費用が見込まれることとなり、ついに事業主体である北海道開発局は建設を断念する。そして、それまで19年・540億円を費やして作った道が放棄されることになった。

以来20年近く、険しい日高山中には作ってしまった道路や橋梁、覆道などが今もその姿を留めている。だがしかし、現在この棄道に近づくことは容易ではない。入口には厳重にゲートが掛けられ、車はもとより二輪車の通行も出来ない。もし探索しようとするなら、歩く他に手段は無いが、携帯は圏外で繋がらないため、何か突発的な事故が起こっても、誰も助けには来ない。無論、こんな道をわざわざ歩こうとする者など、皆無。つまり訪れる時には、自己責任が求められる「危ない道」なのである。

 

毎年12月の稿として、恒例になっている北海道旅のお話。今秋の訪ね先は、この日高の奥地に消えた幻の道、そして危険な道である。いつものことながら、バイク呉服屋の自己満足的な「旅ブログ」になってしまうので、興味のある方だけがお読み頂ければと思う。キモノの話が出来ず、自分勝手をして申し訳ないが、どうかお許しのほどを。

 

廃棄された日高横断道路(北海道道111号) 中札内側・札内川源流部 七の沢橋

毎年私が北海道へ出掛ける時、家内は「あまり無理をしないで」と言って私を送り出す。けれども彼女自身は、「言っても無駄だけど、一応声をかけておくか」程度のつもりなので、心配したところでどうにもならないと思っている。しかし、今回歩く計画を立てた日高横断道路は、私自身もかなり危ないと考えていた。

実は4年前の秋、この道路の通行止めゲート手前まで来ていた。そこで目にしたのは、清冽な札内川と神々しいまでに美しい日高の山々。長いこと北海道を歩いているが、まるで絵の具をまき散らしたかような山の光景は、これまでに見たことのない、特別な鮮やかさだった。それが、今回の旅の契機になっていると言っても良いだろう。だが、放棄されてから18年も経過した道であり、ほとんど人を寄せ付けない場所にある。覚悟も無く、興味半分で出かければ、きっと痛い目に合う。

 

今はネットの時代なので、調べることで、道の現状はある程度把握することが出来、また探索者の記録や画像も出てくる。もちろん、こんなところを歩こうとする者は、私と同様かなりのモノ好きであり、普通ではないので(ほぼ変態)、情報には限りがある。ただ、訪ねた者がみんな口にしていることは、「自己責任で歩く道」であり、その上「ヒグマの恐怖」と常に背中合わせであること。

しかし、札内川源流部に展開する日高山脈の姿は、延々と歩いた者だけが目に出来る特別な景色で、特に紅葉時は極上と知る。もうありきたりな場所では満足出来ない私は、どうしても恐怖より好奇心の方が勝ってしまう。前置きが長くなったが、一度もクルマが通らずに埋もれた日高横断道路の姿を、これから皆様にもご覧頂くことにしよう。

 

日高横断道路の正式名称は、北海道道111号。日高管内の新ひだか町・静内と、十勝管内の中札内村・上札内を結ぶ、全長79.6K余りの路線。未開通は、日高山脈を貫く区間の21.3K。上の地図で見ると、緑の線が完成した横断道だが、日高側と十勝側の両方から進めてきた工事が、両方とも途中で途切れていることが見て取れる。

今回歩いたのは、十勝の中札内側に展開した工事箇所(上の地図上では、右上の緑線)。車両の進入を許さないゲートから、最終工事の場所までは、約9K。途中で崩落した箇所があることは判っているので、最終地点まで辿りつけるか否かは、実際に行ってみないと判らない。では、起点からこの道をご案内していこう。

 

道道111号の起点は、中札内村中心から約7キロ南の上札内集落にある。標識には、札内ダム直下の景勝地・ピョウタンの滝まで13Kとある。この滝は、札内川園地の入口にある高さ10メートルの滝で、十勝の観光スポットにもなっている。道は、滝を横目に見ながら立て続けにトンネルを四本抜けて、通行止めゲートに着く。画像の左側には、すでに「静内へは、通り抜けられません」と掲げられている。建設中止から20年近く経過するので、もうこの道が日高へ抜けられるとは、誰も思っていないだろう。

クルマで通行できる最後のトンネル・あかしやトンネル。入口には、「通行止めゲートあり」の看板が見える。画像でも判るように、ここから日高山脈中部にあるコイカクシュサツナイ岳へ入れる。日高横断道は、この山と日高第二の高峰・カムイエクウチカウシ(通称カムエク・熊も転げ落ちる山の意)の主稜線の地下に長大なトンネルを掘り、一気に山を横断する予定だった。

あかしやトンネルの手前に掛かる札内二股橋から、札内川を眺める。この下流に十勝リュータン湖と札内ダムがあり、さらに下にピョウタンの滝がある。この時点で道は、川からかなり高い場所に付けられているが、通行止めゲートの先からは、道の位置が川面に近くなっていく。

 

コイカクやカムエク登山者のための山小屋・札内川ヒュッテ。入山者は、ここで登山者名簿に記載しなければならない。本来であれば、私のような廃道探索者も書かなければならないが、あいにく鍵が掛かっている。日帰りなので、書かずに許してもらおう。すでに、熊出没注意の掲示が見えるが、ここに出るなら、この先どれだけ出くわすのか分かったものじゃない。

ヒュッテ前にある案内図。赤い線が、すでに建設されて放棄された道。札内川にそって奥へ伸びており、源流の七の沢あたりでプッツリと途切れている。これから歩くのは、この赤い筋。

国土地理院・二万五千分の一地形図「札内川上流」で見る現在地。

 

そしてトンネルを抜けた先に、ついに通行止めのゲートが現れる。道幅いっぱいに広がる頑丈な柵は、どんな車両の通行をも拒んでいる。このゲート前に車を停め、いよいよ廃道となった日高横断道路の探索に出発。この日は、自炊宿泊中の幌加温泉を朝7時に出て、ゲートに着いたのが10時少し前。往復約20キロの道を、4時間ほどで踏破する予定。ヒグマの出没リスクを少しでも減らすためには、日の高いうちに歩くしかない。

 

ゲートをくぐってまもなく、川には設えられた堰堤(札内川第8号砂防堰堤)が見えてくる。川の流れを緩やかにする堰堤は、治水や砂防のために作られるが、ゲート以降、七の沢の合流部までに5基の堰堤を数える。札内川は清流として知られ、ニジマスやオショロコマ、ヤマメなどが生息する。特にニジマスは絶好の釣り場となっており、多くの釣り人が訪れる。通行止めのゲートをくぐってこの道に入るのは、このニジマス釣りの人と登山者くらいだが、釣り人はあまり奥に行かない。

往復4時間の間は、常にヒグマの恐怖にさらされる。この日高山中では、いつどこで出くわしても不思議ではない。登山者などの入山者が遭遇することも珍しくなく、毎年事故の報告がある。ヒグマは自ら獣道を付けて歩くが、すでに形が出来ている林道なども使うことがある。だから道の曲がった先で、バッタリと遭遇しても不思議ではない。この出会頭の出会いが、悲劇を生む。

道の左側はすぐ山の斜面で、右はすぐ札内川畔。そのわずかなすき間に、道が付いている。幅は3mほどと狭いが、開削するのにどれほど手間がかかったことか。道はずっとダートで、舗装は全くされていない。もしこの道幅のまま車を通していたら、すれ違うことも大変だっただろう。

堰堤が繰り返される札内川は、緩やかな流れ。両側に迫る急な崖の斜面からは、小さな水の流れが幾筋もみえる。色づいた山肌から、川へと緩やかに注ぎ込む滝水の流れが美しい。もし本州でこんな場所があれば、あっという間に観光客が押し寄せるだろうが。

 

さて歩き始めて1Kほどで、最初の覆道・望岳覆道が現れる。覆道とは字の表す通り、道を守るためのシェードで落石や雪崩を防ぐために付ける。急斜面の山肌を縫うように建設された日高横断道路では、随所に覆道が見られる。

さらに数百メートル先で、もう一つ覆道(夫恋覆道・つまこいふくどう)を通過。今から50年前(1971年)、この覆道近くの五の沢(下の地図参照)で札内川渡っていた登山者が水死する事故が起きたが、亡くなった人の妻が、夫を偲んで鎮魂詩を作った。この妻の夫を想う心情を、そのまま覆道の名前としたのである。

地図上で道を表示する線の点線部分が、夫恋覆道。確かに入口からは、五の沢が見える。今日目指すのは、このあとに続く二つ目の沢筋・七の沢。

夫恋覆道の出口から、札内川五の沢方向を見る。ここまでで、1.5K30分。今日は、ザックに二つとズボンのベルトに一つ、三つの熊除け鈴を付けている。そして、ダウンベストの右ポケットには、安全ピンを抜いた状態で、熊撃退スプレーを用意してある。いつどこで対峙しても良いように、常に臨戦態勢で歩く。だが熊スプレーは、5メートル以内に近づいてから噴霧しなければ効果がないとされる。目の前まで来るのを待つことに、果たして耐えられるだろうか。おそらくその前に、気絶してしまうだろう。

 

五の沢から六の沢へと、さらに上流へ向かう札内川。画像には、また堰堤(第10砂防堰堤)が見える。ほぼ同じ位置にあった道と川だが、次第に道路は高くなる。

道は狭まり、左側は崖が迫る。崩落防止のネットは付いているが、心もとない。右のガードレールは、使いもしないのにねじ曲がるが、おそらく、雪の重みで形が変わったのだろう。

 

なだらかな坂を上り、道が急に開けると、そこには「この先通行止」の看板。そして大きくカーブした橋が現れる。1993(平成5)年に完成した滝見橋(たきみばし)。

橋の上から、川の左岸の沢に滝が見える。高さは約40メートル。これが、滝見橋と名前が付いた理由。先ほどの五の沢近くの小滝を始めとして、幾つもの小さな沢から、小さな流れが見られる。こうした風景が道の上から見られるとは。もし完成していれば、それこそ絶景のドライブコースになっただろう。

滝見橋から、札内川の上流部を眺める。川幅が広いので、ゆったりとした流れに見える。源流は、もう少し先。ここまで約2.5Kで、ゲートから1時間ほど歩いた。まだ先は長い。

道は大きくカーブして、森の中に消えているが、そのまま続いている。何故、橋のたもとに通行止めの看板を付けたのか。意味不明である。

そして橋を渡ったところで、また青い看板。これは、歩いてきた中札内側に向けて設置されている。中札内33km・ピョウタンの滝13kmとある。だがしかし、とうとう一台もこの看板を見て走る車は無かった。道道番号に付いている991は、111号になる前の古い番号。

 

橋の先で、道は下りに掛かる。道幅は、車一台が通れるくらい。そして画像の左側には、北海道の道路ではお馴染みの、矢印ポールが立っている。これは通称矢羽根(正式名は、固定式視線誘導柱)と言い、雪で道路の境界が分かり難くなることを防止する柱。矢印の先が、道路の端なので、吹雪で視界が悪い時には、これを見て走れば、車道から外れることは無い。

道の左側には落石防護柵と石垣があるが、柵はすでに崩壊。急峻な山を縫うように道を付けなければならず、こうした費用もかなり掛かったと思われる。だが、「作っているそばから崩れる」と言われたほど、地盤は軟弱。この地形と厳しい気象条件が重なって災害が繰り返され、その都度工事は滞り、費用も莫大に嵩んでいったのだ。

そして、道の前にゲートが現れるが、開いたまま折れ曲がっている。ここで「通せんぼ」しようとした理由も不明。この辺りは、木々が鬱蒼として森を歩いているような感覚。見通しも悪いので、例の獣がどこで出没しても不思議ではない。どうにも熊鈴だけでは心もとないので、私は歌うことにした。

こんな時は、ポップな曲では熊は恐れてくれず、やはりこぶしを利かせた演歌に限るだろう。そこで選んだ曲は、山本譲二の「みちのく一人旅」。これを「クマ道一人旅」に替えて、蛮声を張り上げて歌う。「たとえどんなに、恐れてい~ても、たとえどんなに餌が欲しくても~、お前は俺には最後のひ~ぐ~ま~」などとサビを繰り返す。歌っていると、恐ろしさが半減する気がする。この際、歌詞の内容はどうでも良い。

 

折れたゲートの先では、道は下りにかかって、いつしか川面と同じ高さになる。これでは、少しの雨で簡単に道が冠水する。ガードレールが付いていなければ、道なのか川なのかわからない。もしこの状態で完成していれば、しょっちゅう通行止めになっただろう。この道の位置では、維持費にどれくらいお金がかかるか見当も付かなくなる。

川面の脇の道は、右にカーブして谷あいに入る。そして徐々にまた坂道となり、川と高度差が付いていく。ゲートを出発する時は晴れていたが、雲が増えてきて肌寒くなる。風は無いが、標高は500m以上ある。中盤からは、かなり速足で歩いてきたが、汗ばむことは無い。この辺りで、歩き始めてから6K・1時間30分。

坂を上り終えて道幅が広がったところで、橋が見えてくる。これが七の沢・ピラトコミ川に架けられた七の沢(しちのさわ)橋。今回、まず目標としたのがこの橋。ここは、札内川とピラトコミ川が出合う場所で、道はここから七の沢にそって進んでいく。

1998(平成10)年の12月に完成した七の沢橋。先に通った滝見橋の5年後に出来ているが、この両橋間の数キロに費やした歳月で、難工事ぶりが判る。画像に写っている橋の進行方向左側が、七の沢になる。

橋の向こうに、雪を被ったカムイエクウチカウシ(カムエク)山の姿が、くっきりと見える。登山者は、ここから札内川・八の沢を遡る。カムエクには、整備された明確な登山道がなく、沢歩きが基本となる。廃道となったこの道を歩くのは、このカムエク登山者にほぼ限られるが、それもこの七の沢橋までである。

この橋で、出発から7Kほど。中札内側で建設された道の最終地点まで、あと1.8K。この先に崩落個所が待っているが、果たして通り抜けられるか。歩き始めて1時間45分、標高は600mを越えて、風が冷たくなってきた。

二万五千分の一の地形図で見る、現在地。地図左に見える札内川とピラトコミ川の合流点が、七の沢。その右に見える小さな分流が六の沢。ここから先が源流部で、札内川の流れはなお細くなり、八の沢、九の沢、十の沢と続く。

 

橋を過ぎると急に道幅が狭くなって、木がループする森の中に入る。いよいよ、獣の出そうな気配。クマ道一人旅を歌わずには、一歩たりとも進めない。

森を抜けるとかなり道は怪しくなり、というより、道とはとても言えなくなる。沢との境界がほとんどなく、これでは河原を歩いているのと同じ。

そして先を進むと、なにやらコンクリートの壁が現れる。数年前にここを歩いた人の記録から、この先に崩壊した場所があると判っている。

傍に行ってみると、コンクリートは土砂崩落防止柵。しかも、道は川に削り取られて切れている。この斜面を進むのは、かなり危ない。そしてその先にある覆道の中には、コンクリートが落ちて散乱しているのが見える。

崩壊斜面をクリアしても、この障害物を越えるのはかなり難しい。これでは、一旦札内川に降りて河原を歩く他ないが、さてどうしたものか。進むべきか、退くべきか。この先には、最後の橋・眺望橋と、建設途中で放棄されたトラス橋・兎影(とかげ)橋がある。いわば、棄道・日高横断道のハイライトとも言うべき光景が展開しているはず。ここまで来て、あと残り700mほどで撤退するのは、何とも口惜しい。

けれども、私は引き返すことにした。危ないと判っていて進んで、何かあったら取り返しがつかない。考えてみればここまで8Kほど、よく歩いて来られた。日高横断道の現状はほぼ理解出来て、そこに展開する素晴らしい風景も、十分堪能出来た。もう少し装備をきちんとしていれば、最終地点に辿り着けたと思うが、仕方が無い。

と言うことで、この画像が今回の最終到達点となる。見れば、雲の切れ間からカムエクが顔を出している。そして細い流れとなった札内川と、コンクリート壁が崩れた日高横断道路。ある意味で、この道の置かれた今の姿を、如実に映し出している。

 

行きはよいよい、帰りは怖いものだが、無事出発ゲートに辿り着く。時間は、午後2時。往復4時間は、計画通り。ヒグマに遭遇しなかったのは、幸運だったか。私は、歌が効果的だった気がする。なので山本譲二には、とても感謝している。

歩き終わってみると、どうしてこんな所に道を作ろうとしたのか、という疑問がより深まる。当時、自然保護団体が展開した猛烈な反対運動を、振り切って推し進めた道路建設だったが、どんな目途があってのことだったのか。今となっては、知る由もない。ただ分かっていることは、廃棄された道の責任を、誰もとっていないということだ。

危険を伴うことを承知で、歩く。いつまで、そんな冒険心を持ち続けることが出来るか。体を鍛えて、次の挑戦をしたい。なお、今秋の北海道旅では、この日高横断道路の他にもう一つ、幻の道を歩いてきた。こちらは海の道。いずれ、この稿でご紹介する予定にしている。最後にもう一度、札内川の渓谷美をご覧頂きながら、今回の長すぎる旅ブログを終わることにする。

 

「人の行かないところへ行く」とは、何があっても自分で責任を取るということです。今回、最終地点には到達できませんでしたが、これで良かったと私は思っています。無事に帰ること、これに勝ることはありません。

なお、この日高横断道路ですが、今回歩いた中札内側の反対・静内側にも、廃棄された道や橋が多数残されています。そして、こちらはもっと険しく、よくこんなところに作ったものと感嘆するような、凄い光景が見られます。建設に多額の費用が嵩んだのは、おそらく静内側の工事でしょう。ただ現在、静内側の廃道を訪ねることは、かなり難しくなっているので、歩くことは叶いませんが。

(廃道・日高横断道路へのアプローチ)

中札内村中心部(帯広空港から30分ほど)から、道道55号で上札内、その先111号で、行き止まりゲートまで40分。

廃道終点(今回の崩落場所・8K地点)まで、往復16K・4~5時間。ヒグマ対策を万全にした上、出掛けて下さい。ですが、普通の方は、行かない方が無難で、決して誰にでも勧められるところではありません。

 

師走で仕事が詰まっているというのに、また死ぬほど長く、自己満足な旅行記を書いてしまいました。皆様には画像だけでも見て頂き、「日本にもこんな場所があるのか」と思って頂ければ、嬉しく思います。次回は、今年最後のコーディネートの稿となります。普段の呉服屋に戻りますので、どうぞお読みください。

今日は、マニアな話にお付き合い頂き、ありがとうございます。深く、感謝致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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