考えてみれば、多くの人がマスクを求めて右往左往していたのは、昨年の今頃だった。入荷を待って、朝早くからドラッグストアの前には、長蛇の列が出来ていたことを思い出す。ネットでは、品不足を良いことに、とんでもない価格で売りに出されていた。
今も同じだが、一日たりとも、マスク無しで生活出来ない。だが当時は、どこを探しても品物は無かった。そこで、追い込まれた人の最後の手段が、自分で作ることだった。材料となる布や紐を購入し、見よう見まねで自分のサイズに合ったマスクを作る。自分用だけでなく、家族の分も含めて、かなりの数を作ったという方も多くおられよう。
うちも例外ではなく、マスクは家内が作った。ただ呉服屋だけに、生地材料には事欠かない。使用したのは、毎年問屋やメーカーが新年の挨拶用に持ってくるふきんや手ぬぐい。そのほとんどが、通気性があって肌触りが良いガーゼや綿ローン素材なので、マスクとして心地良く使える。ただ、きちんと型紙を使って模様を染めている品物なので、切り落としてしまうのは少し勿体ないが、背に腹は代えられない。
マスクは、必要にせまられて「生地からモノつくり」をしたものだが、和装の楽しみ方として、自分で探した気に入った布を使って、品物を作ることがある。うちでも時折、お客様からそんな依頼を受ける。
このブログでも何回か、オリジナルな誂え品をご紹介したことがあったが、先日久しぶりに面白い綿生地を預かり、帯として仕立を請け負った。そこで今日は、この誂えについてお話してみよう。生地さえあれば、モノは作れる。読まれた方にはそんな楽しさを理解して頂き、オリジナル品に関心を持って頂ければ、なお嬉しい。
ウイリアムモリス・木綿生地を使って誂えた名古屋帯。
和装のアイテムとして、帯くらい誂えをするのに重宝な品物は無い。名古屋帯にせよ半巾帯にせよ、必要な巾と丈さえ確保できれば、生地の質が何であれ、きちんと品物として形になる。しかも長さは、きっちり帯丈一本分が無くても良い。帯の場合、着姿として見えるお太鼓や前模様以外は、中に入ってしまうので、そこに接ぎを入れてもわからない。だから、生地と生地を繋ぎ合わせて帯にすることも、問題なく可能となる。
そして小紋のように、通して全体に模様があるものではなく、留袖や訪問着、あるいは絵羽織のように、決まった位置だけに模様があしらわれているものでも、帯になる。こちらは、袖や裾模様の一部を、お太鼓と前部分に振り分けて作る。つまりは、太鼓柄の帯になるという訳だ。
既存のキモノや羽織を帯に直すのは、大概着丈や羽織丈が足りないケースである。それをお客様が、どうしても何か形として残したい場合には、寸法をほとんど気にせず、その上模様も生かせる帯でとなるのは、自然なことだろう。自在に誂えることが出来る帯だが、今回使ったのは、広幅で裁ってある二枚の木綿生地。これをうまく裁って、リバーシブルの半巾帯一本と、名古屋帯二点を作ろうとする試みである。ではその様子を、これからご紹介していこう。
広幅で裁ってあるモリス綿生地。画像では異なって見えるが、模様の異なる二枚の生地は共に、縦横の長さが同じ寸法で裁断されている。
これまでブログの中で何回か、モリス的な紫紘の帯を取り上げてきたが、その図案はあくまで、モリスの雰囲気を感じさせるものであり、モリスデザインそのものではない。それに対して今回の綿生地は、きちんと認可を受けた上で図案を踏襲しているので、ほぼモリスオリジナルと言える。
モダンデザインの父と呼ばれるウイリアムモリスは、産業革命の進展により、安価な商品が大量に作られるようになったことを、日常から芸術が失われると捉えて、危惧を覚えた。そこで、職人の手でモノ作りを行っていた「中世への回帰」を唱え、生活に芸術を取り入れる「アーツ・アンド・クラフツ運動」を起こす。そして、植物をモチーフとした美しいデザインを製作し、書籍や壁紙、ステンドグラスやインテリア製品などにあしらい、日常の中に芸術を息づかせたのである。
この生活の中に芸術の美を見出すことは、後に日本で起こる柳宗悦の民芸運動を彷彿とさせるが、実際に柳はモリスの運動に共感し、1929(昭和4年)には、モリスが晩年を過ごしたロンドンの家・ケルムスコットを訪ねている。
今回使う生地のデザインは、Anemone(アネモネ)とWillow Bough(ウイローボウ・柳の枝)。どちらも、モリスデザインとしては大変スタンダードな図案。
特にウイローボウは、最初は壁紙だったが、後にファブリックス(インテリア製品の布地)として使われるようになったデザイン。これはモリスが、テムズの川べりに繁る柳の枝をヒントにしたと言われており、彼が最も気に入っていた図案の一つだった。
細枝を縦横に伸ばした柳を見ていると、英国のデザインでありながら、どことなく和の風情が漂う。それはやはり、この植物特有のオリエンタル的雰囲気からだろうか。
アネモネとウイローボウを両面に使った、リバーシブルな半巾帯。
お客様の希望は、この二つの生地を上手く使って、半巾帯一本と名古屋帯二本を作ること。帯の寸法はほぼ決まっているので、後はこの生地の長さ如何によって、仕事の成否が決まってくる。そこで布を測ってみると、縦が2尺9寸(約110cm)で、横が9尺6寸(約365cm)。この寸法は、二つの生地とも同じである。この生地を、半巾帯用と名古屋帯用に分けて、上手く裁ち廻さなければならない。
半巾帯の標準寸法は、だいたい9尺8寸(約371cm)~1丈5寸(約397cm)辺りに落ち着く。ただ、様々な結び方に対応出来るようにと、この寸法より長い帯もあるが、持て余すようだと使い勝手が悪くなる。また帯巾は、半巾=4寸(15cm)が標準だが、最近では体格が良くなったことや、帯の前模様を強調しようとする人が増えたことから、帯幅は4寸2分(約16cm)程度に広くすることが多い。
今回作る半巾帯の寸法を、帯丈は1丈、帯巾を4寸2分と設定する。これだと、縫い代を含めた必要な長さは、丈が1丈1寸(約383cm)で、巾が5寸2分(約19.5cm)となる。また名古屋帯の帯巾は、通常より2分広い8寸2分(約31cm)に、帯丈は9尺4寸(約359cm)と決める。帯の丈や巾は、着用する人の寸法に合わせて調整することが大切で、それによって締めやすくも、締め難くもなる。
さて問題は、このモリス生地を寸法に合わせて、どのように振り分けるかだが、元生地の長さ9尺8寸に対して、名古屋帯の帯丈が9尺3寸なので、横は切り落とすことなく、そのまま使うことが出来て好都合。また、縦の巾は2尺9寸あるので、名古屋帯に使う8寸2分を裁っても、2尺ほどは残る。
こうして名古屋帯の分を裁つと、残存生地は、縦2尺・横の長さ9尺8寸。これで半巾帯を作らなくてはならないが、横の長さが1丈5分なので、僅かに生地の長さが足りない。だが、必要な帯巾5寸2分に対して、縦は2尺もあるので、十分に生地が残る。そこで、長さが足りない帯丈に対応するために、残り生地から接ぎを入れる分を裁って使うことにする。
ネットで見ると、売られているモリスの木綿生地には、110cm巾と137cm巾があり、長い方はカーテンやクッション用の薄手生地。今回使った110cm巾生地の価格は、50cmあたり800円くらいが主流のようだ。依頼されたお客さまが、この生地をどこから求めたのかは判らないが、横の長さが9尺6寸(365cm)あったので、価格は一枚6000円程度と想像が付く。これはネット価格なので、店頭価格と異なるかも知れないが、そう極端な違いは無いだろう。
半巾帯は、三河産の木綿芯を通して仕立をする。帯地で芯をくるむようにして両端を縫い付け、縫い代にまち針で芯を止め、裏地を縫う。半巾帯には、アイロンで直接貼る接着芯を使う方法もあるが、和裁士は僅かに緩みをもたせながら、芯を縫い付けていく。
こうした木綿生地に使う帯芯は、少し厚手のものを使う方が、きちんと形になる。絹の名古屋帯では、柔らかな塩瀬生地だとしっかりした芯を使うが、厚手の織名古屋なら、薄目の芯にすることもある。また袋帯は、帯地と帯裏地を二枚合わせて縫ってあるので、芯を入れないことが多く、たとえ使っても薄いものか、木綿ではない絹製の芯を入れる。締め心地にも関わることなので、芯一つにも注意を払いながら、仕立を進めなければならない。
こうして三点の帯を作っても、僅かだが生地は残った。あまり接ぎを入れることもなく仕上がったのは、生地に十分な長さと巾があったからだ。ウイリアムモリスのデザインは、帯に誂えても、モダンで個性的な品物に仕上がる。紬や小紋に合わせて、さっと締めれば、恰好良い着姿になりそうだ。
どんな素材でも、どんな模様でも、生地さえあれば帯になる。自分で気に入ったデザインを探すことは、面倒だが楽しい。特に木綿は、価格も高くないので、多くの方にこうした個性的なオリジナル帯を、誂えて頂きたいと思う。
家内のマスク製作から、ほぼ一年が経ちました。作ったものは、こまめに洗い、紐の長さを調整しながら、何枚かをローテーションで分けて、使い続けています。折角ですので、「バイク呉服屋女房のマスク」をご紹介しましょう。
クリーム色・椿と白梅模様のマスク。裏は子犬柄のガーゼハンカチ布。この生地は、竺仙から頂いた綿風呂敷で、右の一回り小さい紅梅柄は、ふきん。どちらも、きちんと型紙を使って染めていて、さすがは竺仙という感じです。いかにも、春を感じさせる模様ですが、果たして「旬のマスク」というものがあるのでしょうか。
芥子色・鼠と大根のマスク。裏地のガーゼハンカチも、小さい鼠柄。こちらは染メーカー問屋・千切屋のお年賀手ぬぐい。鼠は、昨年の干支でしたね。
万葉仮名のような、象形文字のような、不思議な漢字を並べた手ぬぐいですが、良く見ると「綿紬問屋」と記してあります。これはかなり以前に、紬問屋の秋葉から頂いたお手拭き。文字だけのマスクは、魚へんだらけの鮨屋の湯飲み茶わんのようです。これは私が使うようにと大きく作ってあるのですが、あまりに目立つ柄なので、ほとんど使っていません。
オリジナルなマスクには、付けている人の個性がよく表れていて、見ていて楽しくなる時があります。けれども、こんなものを装着しなければ日常の生活が送れないようでは、どうしようもありません。一日も早く、マスク生活からは解放されたいものです。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。